1.頓珍漢人形とは何か
2.人形に込められたメッセージ
3.「アリの会」について
4.作者について
5.私が伝記を書いた理由
6.人形館設立運動
< 頓珍漢人形・久保田馨の世界展 >
平成7年11月 長崎・浜屋デパート
平成8年8月 炎博、ホウステンボス会場
平成9年5月 東京渋谷パルコ・ロゴスギャラリー
6月 呉市くればんギャラリー / 広島JT展示会場
8月 広島エアーポートホテル
平成10年2月 委員、長崎市長に面談し人形館開設を要請(署名簿・企画書)
10月 長崎原爆資料館にて展示予定
委員行動隊;一ノ瀬比郎・高波藤夫・城谷久美子・渡辺千尋
< 人形作家 久保田馨(くぼた かおる)の略歴 >
昭和3年5月7日 愛知県名古屋市熱田生まれ 5人兄姉妹の三番目
父の転職により各地を転居
昭和5年 静岡県蒲原
昭和7年 東京
昭和9年 神奈川県横浜
昭和16年 東京都豊島区大塚
昭和19年 長兄戦死 空襲で焼き出される 再び静岡県蒲原へ
昭和20年 外語専門学校スペイン語学科入学
昭和22年 同校卒業
昭和23年 名古屋国税局勤務
昭和25年 肺浸潤にて富士療養所に入院(9ヶ月)
昭和27年 父と長崎へ 馨24歳
この年、長崎焼き窯元・中原仁斎に弟子入り
昭和28年 長崎愛宕に住む
昭和29年 独立 アトリエ「トンチン館」出来る
アリの会結成 人形店頭に並ぶ(渡辺氏 この年人形に出会う)
「平和を信じて人形をつくっていく
平和を信じて人形に目をいれていく
戦争をにくんで人形をおどけさせる
ゲンスイバクつくられているかぎり
人形をつくっていく」(アリの会「みんなのかべ」ノートより)
昭和30年 中原仁斎没、享年82歳
昭和32年 父没、64歳 頓珍漢人形の確立 馨29歳
古河人形、阿茶さん人形、高村光太郎と訣別 ジャコメッティに近づく
「くぎあちゃ」「ちびあちゃ」「面」
昭和35年3月 自殺未遂、長崎大学病院に3週間入院
昭和37年 「デザイン」誌に人形紹介 I.C.ヴィニョーレス
昭和38年 初の個展(コクラヤギャラリー)35歳
俳句結社「烽火」に入会
昭和40年 「あの娘の血ではなかろうか血ぶくれた蚊を殺せぬ」
昭和43年 秋元不死男主宰「氷界」に投稿
昭和45年5月10日 腹膜炎にて死亡 享年45歳(万博の年)