(1)歴史的背景 日本のキリシタンの歴史は四つの時代に分けられる。
1)西暦1549年(弘治5年) 〜1614年までの65年間 伝道の時代
○聖フランシスコ・ザビエルの来日
○75万人の信者を抱えるまでに発展する。
○1582年(天正10年)天正少年使節長崎を出帆
○1587年(天正15年) 秀吉のキリシタン禁令
○1590年(天正18年) 天正少年使節帰国
○1596年(慶長1年) 日本26聖人殉教(慶長2年 信者30万名)
2)西暦1614年(慶長19年) 〜1643年までの29年間 禁教と殉教の時代
○慶長キリシタン禁令発布(長崎に教会12ヶ所)
○厳しい検索制度(5人組、宗門人別改)
○1937年(寛永14年)天草の乱
3)西暦1643年(寛永20年) 〜1865年までの222年間 潜伏の時代
○最後の神父の殉教(マンショ小西、マルチノ式見)
○1790年(寛政2年) 浦上一番崩れ
○1842年(天保13年) 浦上二番崩れ
○1859年(安政6年) 浦上三番崩れ
4)西暦1865年(慶応元年) 〜1945年までの80年間 教会再建の時代
○プチジャン神父によって信徒発見
○1967年(慶応3年)浦上四番崩れ
西暦1873年(明治6年)2月21日 キリシタン禁制の終了 259年ぶり
(2)信徒発見について
○プチジャン神父後の長崎司教
○最初の表白者 イザベリナゆり(福山藩配流)
(3)1868年(慶応4年)浦上四番崩れ
○四番崩れのきっかけ 自葬事件
○明治天皇の御前会議で一村総流配決定
○7月20日 最初の114名流配
○1869年1月6日 戸主700名流配開始 7,8日両日から家族流配。
○1873年(明治6年) キリシタン禁令の終了、高札の撤去。
○3月21日「浦上異宗徒帰籍の達」の布令
(4)厳しい迫害の中で何故キリシタンが存続し得たか?
1)潜伏組織があって洗礼の秘跡、教理、祈りを伝えたこと
2)掟を守り愛の伝統を失わないように努めたこと。
3)バスチャン暦があったこと
(5)隠れキリシタンと潜伏キリシタンについて
1)ローマのパパ様との精神的なつながり
「沖に来るのはパーパの船よ、丸にやの字の帆が見ゆる」
2)いつか必ずコンヘソーロ(聴罪司祭)大きな黒船に乗ってくる。
毎週でも告白できるという希望
3)迫害は必ず終わる。
4)信徒のひとりひとりが祈りを唱えていたこと。