◆昭和62年発行の、『長崎は歌とともに』(宮川密義/長崎文献社・刊)によると、
その時点で長崎を歌った“歌謡曲・民謡・童歌・巷歌・古歌”は九百曲を超えています。
これを主な文献として見る“長崎の歌”の特徴は、全体に戦後、とくに現代になるほど
その歌詞が意図的な商品化、観光振興目的であるのが透けてみえます。
◆曲名や歌詞中に、無理に長崎の地名や文物の名(長崎、思案橋、丸山、オランダ坂、
蛍茶屋、鳴滝、あじさい、ザボン、蝶々さんなど)が目立ち、またヒット曲であるなしを
問わず、その歌の作詩者が地元長崎の人か、東京その他いわゆる中央制作かによって、
文物や地名の細かさと、方言の取り入れ方に差が出ています。
◆そこで注意深く「歌詞」また「歌謡ぶり」を検討してみると、他府県に比類を見ない
長崎文化そのものの個性を映す唄、また演奏楽器を使うものとして・『九連環』・が
あることに気づきました。世に・「かんかんのう」・と歌い出される『九連環の唄』です。
さすがに前記の宮川密義さん(地元の歌謡史研究家)は、『九連環の唄』を採録して
おられますが、同時に他に参考にした2〜3の『全国の民謡』ものには、それが見られ
ないのも面白いことです。その音楽テープを聞きながら、中国の珍しい曲も紹介します。
◆さて試験的に、私自身に覚えのある“長崎の唄”を数えてみたところ14曲ほど。
歌詞の出だしか一部かを口ずさめる程度も入れてでした。以下・・・。
・美しき天然(空にさえずる鳥の声‥‥) ※佐世保生まれの唱歌
・長崎ブルース(逢えば別れがこんなにつらい‥‥)
・長崎は今日も雨だった
・長崎の夜はむらさき
・長崎から船に乗って
・長崎物語(赤い花なら曼珠沙華‥‥) ※全国ヒット第1号とか
・長崎シャンソン(‥‥バッテン長崎恋のまち‥‥)
・長崎のザボン売り(鐘が鳴る鳴る、マリアの鐘が‥‥)
・長崎の鐘(こよなく晴れた青空を‥‥)
・長崎の花売娘(‥‥花を召しませ 召しませ花を‥‥)
・長崎の蝶々さん(肥前長崎、港町‥‥)
・長崎の女(恋の涙か 蘇鉄の花が‥‥)
・雲仙音頭(襟は湯染めでヨー‥‥)※小学の修学旅行で覚えた。一番は全部歌える。
・ぶらぶら節(長崎名物 はた揚げ盆祭り‥‥)
・浜 節(浜じゃ エー‥‥)
・島原の子守唄(おどみゃ島原の‥‥)
・鉄道唱歌 (※59〜66番までは長崎)
(早岐-佐世保-南風崎-川棚-大村-諫早-喜々津-長与-長崎)
・でんでらりゅう(でんでらりゅうが 出て来るばってん‥‥)
・赤っかとばい(赤っかとばい かなきんばい おらんださんから もろたとばい)
・かんかんのう(かんかんのう きゅうれんす‥‥)
(参照※広辞苑)
◆看看踊(かんかんおどり):(「かんかんのう」云々の歌詞からそうよばれる)唐人踊に同じ
◆唐人唄 1)江戸中期から行われた唐音をまねた流行歌。清楽「九連環」を模した
「かんかんのうきゅうのれんす」などが名高い
2)わけのわからない唄の称
◆唐人踊:唐人の衣装をつけ、鉄鼓・胡弓などの中国楽器にあわせて唐人唄「かんかんのう」を歌いながら行う一種の踊り。江戸後期、文政の頃、長崎の中国人から伝えられ、江戸・大阪で大流行。看看踊。
◆唐人笛:1)チャルメラの異称 2)喇叭(ラッパ)のこと
◆唐人豆:落花生の別称
◆唐人の寝言:何を言っているのか、訳のわからない言葉。筋の通らないこと。
◆九連環:清楽の曲名(以下↓※広辞苑参照)
◆明楽(みんがく):わが国に伝来した中国明代の音楽。寛永(1624〜1644) 年間、明朝に仕
えた楽人魏琺(ギホウ)が長崎に来、次いでその子孫の魏皓(ギコウ)が京都に出て弘め、
一時貴紳の間に流行したが、安永(1772〜1781) 頃から衰退。
◆清楽:わが国に伝来した中国清代の音楽。月琴・胡琴・提琴・阮咸・三琴・琵琶・携琴など
の弦楽器、清笛、洞簫・哨吶などの管楽器・木琴・拍板・雲鑼・金鑼・小・太鼓・片鼓などの
打楽器を用いる。演奏場には三角形の小旗を立て、大円卓を巡って列座し、太鼓を打
ち、笛で一節を吹き(聞笛)、次にこれに和して他の楽器を一斉に弾奏する。
文政(1818〜1830) の頃、長崎来往の清人金琴江から伝わった。
◆明清楽(みんしんがく):江戸末期から日清戦争頃まで流行した、明および清の俗曲。
清楽の声楽を主とし、明楽も含み、月琴などで伴奏する。