オランダ・カピタンの江戸参府(1)

レポーター:鐘ヶ江 敏


  1. 「江戸参府」とは
    阿蘭陀も花に来にけり馬に鞍 (芭蕉36歳 延宝7年1679年)
    (1)参府の目的
    1) 通商を許されていることに対するお礼(←オランダに莫大な儲けを齎した)
    2) 異国の珍しい品を献上する
    3) 諸外国の情報を提供する(阿蘭陀風説書)(←後年 別段風説書も追加)
    (2)参府期間
    寛永10年(1633年)〜寛政元年(1789年) 毎年1回 156年間続いた
    寛政2年(1790年)〜嘉永3年(1850年) 5年に1回 60年間続いた
    嘉永3年以降 廃止
    第1回の商館長ピーテル・ファン・サンテンから最後のヨセフ・ヘンリー・レフィスゾーンまで 217年間、166回(別に特別1回)を数えた
    (3) 参府者
    商館長、書記、医師、長崎奉行所の随行者を加え100名〜150名
    (4) 行列
    宰領→人足頭→下役→小通辞→見習通辞→医師と薬箱→筆者→駕籠取締→人足→商館長→茶弁当→甲比丹櫃→合羽籠→諸道具荷物→大通辞→検使→下役→従僕
    長崎から小倉まで陸路、小倉から兵庫(室津)まで海路、兵庫から江戸まで陸路
    小倉から下関までは小船で渡り下関で積替えて瀬戸内海を進んだ
    大阪から京都までは船で川を上った
    (5) オランダ宿
    小倉=大阪屋善五郎 下関=伊藤杢之丞、佐甲三郎右衛門 1年交替
    大阪=長崎屋五郎兵衛 京都=海老屋余右衛門 江戸=長崎屋源右衛門
    長崎から江戸まで片道30日かかった
    (6)旅行費用
    20,500ライヒスターラー=約12,000両

 

戻る