「ローマ法王謁見報告」

報告者:渡辺千尋


(1)ローマ法王謁見

1998年12月23日(水)午前10時 快晴
ヴァチカン市国、パウロ6世ホールにて、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世に
南有家町の藤原米幸町長と渡辺氏が片岡瑠美子長崎純心大学教授に従い、
有家版銅版画「セビリアの聖母」復刻版を献呈。渡辺氏は油彩画も献呈。
一万人程入るホールはモダンな建物で、法王、司祭の方々は壇上。
世界から集まった人々の紹介が各国語ごとになされる。
最前列に10組の謁見者、他の人々は高さ1メートル程の仕切り区内に列席。
入場者はヴァチカン発行券が必要(毎水曜日)
小渕首相謁見、イタリア首相謁見。(共産党首の謁見はイタリアでは初めて)

*1) パウロ6世ホール:1971年建立
*2)ヨハネ・パウロ2世:1920年生、ポーランド人、24歳で神学生、26歳で神父
1978年よりローマ法王、在位21年目

(2)天正使節の謁見

イエズス会ヴァリニャーノの発案
大友宗麟の使者、伊藤マンショを正使節かつ主席、有馬晴信、大村純忠との使者、
千々石ミゲルを正使節、副使、中浦ジュリアン、原マルチノの2人、日本人修道者3名。
1582年2月20日ポルトガル船にて長崎出航、1590年帰国、8年余り
1585年3月23日ローマに入る、教皇グレゴリオ13世に謁見。(中浦ジュリアン病欠)
18日後、4月9日教皇没、84歳。
教皇選挙(コンクラーベ)、26日、シスト5世、満場一致で決定。
5月1日、使節、即位式典に列席、(二人の教皇に会ったことになる)

[資料] 「デ・サンデ天正遣欧使節記」1590年、マカオでヴァリニャーノの指導のもと
日本使節の日記を史料とし、エドヴァルド・デ・サンデが編筆、刊行。
(ヴァリニャーノの政治的意図、策略が見える。)
内容は4少年が帰国した後、千々石ミゲルが従兄弟と対話する形式。
翻訳書(新異国叢書5、昭和44年発行、雄松堂書店)


(3)ローマ法王・ヴァチカン

・イエスは弟子の一人シモンに云った。
「おまえはペテロ(岩)だ。この岩の上、わたしの教会を建てよう。地獄の門(悪魔)もこれに勝てないであろう。お前に天国の鍵を与えよう。これによって、お前が地上でつなぐものは
天国でもつながれ、お前が地上で解くものは天国でも解かれるのだ」
(マタイ伝 第16章より)
・こうして、かっては漁夫であったペテロの主位権が決まった。全キリスト者は、イエス・キリスト、すなわち神の、地上での代理人と指名されたペテロに、服従しなければならないと決められたのである。また、お前の上にとのイエスの言葉に従って、西暦67年頃、皇帝ネロの競技場で殉職したと伝えられるペテロの遺骸の上(今のヴァチカン)に、聖ペテロの教会(サン・ピエトロ大寺院)が建てられた(394年完成)、(コンスタンティヌス帝時代)
・それ以降、代々の法王は、第一代法王ペテロの後継者として、天国と地獄と地下を支配する象徴としての三重冠と、天国の鍵を組み合わせたものを紋章とし、漁夫の指輪をはめた手で命令をくだし、同じ手で祝福を与えつうけてきた。そして今日でも、法王が教会に入場してくる時、聖歌隊は「おまえはペテロ、この岩の上にわたしの教会を......」と歌う。
まるで法王のテーマ音楽であるかのように。 <塩野七生「神の代理人」より>


[ヴァチカン史ノート]

・395年ローマ帝国、東西に分裂、西ローマ帝国はゲルマン民族大移動に巻き込まれ476年滅亡→イタリアに小国家林立。
・フランク王ピピンが756年に教皇に土地を寄進→教皇領の始まり。12、13世紀、ローマは各地からの巡礼を集め繁栄。(永遠の都)
・1307年、教皇庁がフランス王によって南仏アヴィニョンへ移される。ローマでは豪族間の闘争、ペストの流行で市の人口が2万以下となる。
・1377年、フランス出身法王グレゴリオ11世、ローマに入る。グレゴリオが翌年亡くなると、ローマとアヴィニョンで二人の法王が対立。教会大分裂(シスマ)39年間。
・1471年、シクストゥス4世の教会国家強化で大国に。(システィーナ礼拝堂は彼の名から) その後、絶対君主としての教皇の立場の確立。(アレクサンデル6世、ユリウス2世)
・1503年、ユリウス(ジュリオ)2世,新聖堂の着工、ミケランジェロ、ラファエロ等の参加。次のレオ(レオーネ)10世、聖堂建設資金調達のため、免罪符の発行。(ルターの宗教改革1517年) 1520年、ラファエロ37歳で没。レオ10世、翌年45歳で没。
・1527年、ルター派新教徒を中核とする神聖ローマ皇帝カール1世の軍によってローマは略奪を受ける。(スイス衛兵全滅)。(ローマ・ルネッサンスの終焉) ローマの人口は9万から3万へ。
・1534年、パウルス3世、失地回復に努める。ミケランジェロに「最後の審判」 を依頼。→ピエトロ聖堂の建設責任者に。(1626年完成)ミケランジェロ1546年没。
・1929年ヴァチカン市国独立(1870年から60年間主権を失う)。

[法王の肩書]

・ローマ法王/ローマ司教/ローマ管区首都大司教/イタリア首座大司教/西欧大司教/ヴァチカン国元首/全カトリック教会の最高司祭/使徒ペテロ後継者/イエス・キリストの代理人。 日本カトリック教会では教皇と呼ぶ。

 

戻る