無人島(むにんとう):小笠原諸島
はじめに | |
唐船造御船の建造 | |
(からふねつくりおんふね) | 時代背景 |
建造計画の諮問と答申 | |
寛文9年(1669) | 御老中の建造命令*(1) |
船体建造に着手 | |
建造船の勇姿 | |
江戸への回航*(2) | |
唐船御船の乗組員*(3) | |
試運転と慣熟訓練 | |
船内規則の制定 | |
食料品の積み込み | |
江戸への処女航海 | |
東奔西走の活躍 | |
唐船造御船無人島へ | |
密命下る | |
第一次無人島巡見の失敗 | |
第二次無人島巡見の決行 | |
八丈島から孀婦岩(へ | |
孀婦岩から父島へ | |
八丈島から父島までの航跡図表 | |
天文航法について | |
生きていた天文航法 | |
唐船造御船の天文航法用航海計器の紹介 | |
おわりに |
*(1) 幕府の命で長崎十善寺で1500石の船を末次平蔵が建造
1000石船=150トン*(2) 長崎・江戸間733海里を14日間で帆走(平均2.1ノット)
地廻り航法では上方・江戸間は焼く一ヶ月を要した*(3) パイロット兼船頭は島谷市左衛門見立(しまやいちざえもんみたて)