ラナルド・マクドナルド
−日本最初の英語教師−
レポーター:郷農彬子


ラナルド'マクドナルド Ranald McDonald
(1824年2月3日生−1894年没享年70才。ワシントン州に墓)
いまわの言葉は「さよなら」
  体格:5フィート8インチ(目本人は16Oセンチ位に見えると言っている)、がっしり
     とした体格。
  父親:アーチボルト・マクドナルド(スコットランド人、エジンバラ大学卒、
     のちに英国の商杜の幹部)
  母親:アメリカン・インデイアン、チヌーク族コムコムリー王の娘。ラナルド出産
     後すぐに死亡
  ラナルドは継母に育てられる。15才まで白人学校で教育を受ける。
  インディアンの王家の出身だが、白人の中では差別を受け、不利な立場に。

・アメリカン・インディアンや自分自身のルーツ探しの旅を目指す。
・銀行、船乗り(貨物船だけでなく奴隷輸送船にも乗る)、捕鯨漁船員となり、ついに24才
の1848年6月、北海道沖で計圃通り母船に別れを告げて、一人小船で目本領土に向かう。
日本が鎖国中で、もしつかまれぱ殺される可能性のあることも知っていたようだ。
*日本の鎖国の淀は非常に厳格なものだった。

・6月27目小船に乗り移り、無人島を経て7月1日に利尻島に上陸。この際小船を意図的
に転覆させ所持晶や舟の舵を流失。拾つた別の米捕鯨船が持ちかえり死亡の証拠品とさ
れる。
*日付は陰暦と異なるため、目本側の記録では6月になっている。
・アイヌや、松前藩に保護され、取り調ぺののち、長崎送りとなる。はじめから目本語の
習得に興味。自分で単語帳を書き始める。(例:アイヌー=eye-nose *複数)
*日本人とアイヌの親切去対応に感激。日本人はヘビースモカーだと言っている。
*アイヌと日本人、アイヌとアメリカン・インデイアン(好戦的、独立心、誇り)の違い
・彼の手書き辞書は世界初の日英辞書といわれるが実際は?
・人名:ケチンザ、ケモン(この2人はアイヌ)、タンカロ(ゴロ)、
   メヤンズィマ・ショウノスケ。オヤカタ(氏名不詳)、シメザ、オミビア・シェグネ
*タンゴロは英語に興味。2人で教えあう。日本地図出す。緯度・経度なし。
 距離は目本橘'からの旅程日数で表す。
*この間、外国人が一度上陸。マキと甘肉を貰い、すぐに去る。
・約10日後に移動:利尻島のノツカートオトマリ(風呂付き家。外出1回のみ)。
・約30日後再移動:トオトマリ−船で(役人2人+兵士6人)−宗谷へ(12人で、.
こぐよりすくう動作)船員たち、道中ずっと歌。外海では外国船出没
・宗谷上陸:行列する。道の両側はカーテン。役人には人々が身体を折り曲げ、指が足の
甲に付くほどお辞儀。Mcは軽く帽子に手を触れるだけにしたところ、タンガロ(タンゴロ?)
経由の命令で帽子を取らされる。役所へ連行される。タンゴロは通訳らしい。
・コマンダント(司令官):戦艦の長?トヨシチ・サトーと面会。一言もかわさず。
・牢屋に収容される。2軒長屋:片方に番人
 サド(さとう)は74才(50才くらいにしかみえない);役人達は土下座する。
・Mcの持ち物再度仔細にチェック。特に石版に興味が集まる。
  役人達から、水のみ過ぎるな、お茶にしろと命じられる。
  情報:宗谷には大砲が5基、兵キ100名。必要に応じ、他の基地からもっと集められ
     る由。医師1名
・「ドクター」を英語で紹介される。健康状態を問診される。脈をとられたので、つい
でに舌を出したら、びっくりしていた。
・役人達に、アメリカ、フランス、イギリスはエゾより大きいかと閾かれる。そうだと応
えると、「XXXXXX」どうやら「台湾も統治してるからほんとは多きいだべ」?
・目本ではひと月二目休みがある(1日と14日)。
・順風になったら、近目中に出発するとサドさまが告げる。御迷惑をおかけするとお詫ぴ。
どっさり差入れがある。
・タンゴロにかわり、別の、ワーレンス号の通訳だった者が付き添う。みんなとの別れは
友好的で、タンゴロは涙。.
・宗谷から松前へ(8-10日、悪いと15日)、実際には15日ちょうどで9月7日着
・船は約200トン、距離は約350マイル?
・松前到着:港は漁船多し。役人多数乗船し、2名の上官のため仰々しくセッティング。
      2人が着席すると、静まり返る。そこえ連れ出される日まるでドラマ。
      一番偉い人、「にっぽんじん(は?)…」
      長崎へ行くことを告げられる。
・ここでマクドナノレドは、何故長崎まで行くのか、ここに滞在させてくれ、と頼むが…。
通訳が訳すと、みなで大笑いし、ノーノー、ナガサキと言った。理由は不明。
・天神丸で長騎へ出発日。エラマチ(エラマツ)から10月1日に出帆。
順風満帆で、10日で長崎に入港。途中、2-3回寄港。
・長崎では通訳を伴って多くの役人が乗り込んできて、何度も取り調べを受ける。
シェレイ・タツノシンさま=お奉行さまのアシスタント5名の内の1人が尋問:通訳は
サクシチロー(かなりの老人)、ムラヤマ(正しくは森山)エイノスケ。
森山は、目本で胸会った最もインテリジェントな人である。

 

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