役職名 |
設置年 |
説 明 |
唐通事頭取 | 1782年(天明2) | 林梅卿を任じたのが始まり。以後、名誉的な役職として存続した |
唐通事諸立合 | 1736年(元文元) | 唐通事の統率的な役割を持つ |
御用通事 | 1725年(享保10) | 将軍家の貿易品を調達する役職。のち廃止。 |
風説定役 | 1699年(元禄12) | 風説書を作成し提出する役職。後には風説書の形式化とともに廃止。 |
値組定立合通事 | 1727年(享保12) | 正徳新例によって制度化された値組に立ち合う役職。後には、唐通事目付の兼任とされた。 |
唐通事目付 | 1695年(元禄8) | 唐通事の監督にあたった。 |
大通事 | 1640年(寛永17) | 小通事ができた1640年、正式に大通事となる。 |
大通事 | ||
大通事格 | 1713年(正徳3) | 臨時的な処置として新設 |
大通事過人 | 1819年(文政2) | 大通事の定数外で、大通事助の中から任ぜられた。 |
大通事助 | 1751年(宝暦元) | 定数外として設置 |
小通事 | ||
小通事 | 1640年(寛永17) | 林仁兵衛と頴川藤左衛門が初めて任用された。 |
小通事格 | 1815年(文化12) | 臨時的処置として新設された。 |
小通事過人 | 1829年(文政12) | 小通事助の上席とし、小通事の定数外。 |
小通事助 | 1751年(宝暦元) | 定数外として設置 |
小通事並 | 1739年(元文4) | 小通事末席の上席とされる。 |
小通事助格 | 1811年(文化8) | 小通事並の上、小通事助の下とされる。 |
小通事末席 | 1718年(享保3) | 稽古通事の上席とされる。 |
稽古通事 | ||
稽古通事 | 1653年(承応2) | 頴川久次郎が任命された。 |
稽古通事格 | 1734年(享保19) | ほとんどが内通事小頭から任命 |
稽古通事見習 | 1699年(元禄12) | 名門通事の子弟が任ぜられた。 |
唐年行司 | ||
唐年行司格 | 1851年(嘉永4) | 臨時的処置として設置。 |
唐年行司見習 | 1674年(延宝2) | 唐年行司の子弟が任ぜられた。 |
内通事 | ||
内通事小頭 | 1666年(寛文6) | 7人任用 |
内通事小頭格 | 1796年(寛政8) | 臨時的処置として設置 |
内通事小頭見習 | 1708年(宝永5) | 小頭の子弟が任ぜられた |
内通事小頭助 | 1810年(文化7) | 定数外として設置 |
唐船請人 | ||
内通事小頭見習末席 | 1764年(明和元) | 唐船請人が改称されたもの |
その他 | |
シャム通事 | タイ語の通訳 |
トンキン通事 | ベトナム語の通訳 |
モフル通事 | モフル語(インドの一地方)の通訳 |
〜長崎県教育委員会編「中国文化と長崎県」より作成〜
*「モフル」は「ムガール」の誤記と思われる。←松尾龍之介氏(長崎楽会)の指摘 |