天正遣欧少年使節が学んだ

元イエズス会聖エステバン学院の

旧図書館から発見されたラテン語の古書について

レポーター:小佐々 学


 序 言:東京生れの獣医学者が、趣味のライフワークとして、 先祖の大村藩士「小佐々(こざさ)氏」のルーツ研究を永年にわたり続けてきた。その過程で、それまで出自不明の謎の人物とされていた天正少年使節の一人「中浦ジュリアン」が、戦国時代初期から江戸時代初頭にかけて130年余にわたって、 長崎県西彼杵半島西岸から五島灘を領有支配して「小佐々水軍」とよばれ、海外交易で隆盛を極めた、肥前国中浦城主小佐々兵部少輔甚五郎純吉(中浦殿)の息子「小佐々甚吾」であることが判明した。なお、演者はジュリアンの叔父・小佐々兵部少輔純祐の14代目であり、ジュリアンに最も近い子孫である。

 中浦ジュリアンの出自の発表:平成元年に大村史談会に入会したことがきっかけになって、大村市や西海町中浦で発表講演会が行われ、新聞に大きく報道されたため、ジュリアンや小佐々水軍の研究に本格的に取り組むことになった。

 古廟「多以良の小佐々氏墓所」の長崎県文化財指定:小佐々水軍の本城があった大瀬戸町多以良にある小佐々氏の古墓所が、平成2年に県の史跡に指定された。ここには、ジュリアンの父・甚五郎純吉のキリシタン墓などがある。

小佐々水軍の城跡研究:小佐々氏の領地・領海内に20箇所もある本城・支城・出城の現地調査を行って、小佐々水軍の築城思想や交信網を解明した。

なお、現在の「遠藤周作文学館」(外海町)は、小佐々水軍の黒崎城「西の丸(黒崎館)」跡にある。

『岩波日本史辞典』・『日本史広辞典』が「中浦ジュリアン」の出自を明記:定説となる。

小佐々水軍顕彰之碑:一族会である近江源氏小佐々会の西暦2000年事業として、小佐々水軍の根拠地であった西海町の七釜港に顕彰碑を建立した。

聖ザビエルの子孫との出会い:共通の知人であるスペイン人の獣医師を介して、フランシスコ・ザビエルの兄ミゲルの15代目の子孫で、元上智大学教授の泉 類治(ルイス・フォンテス)神父と出会った。

大聖年のローマ法王謁見:一族会で「ミレニアム記念天正少年使節ツアー」を行ない、2000年10月25日にヴァチカンに招待され法王に謁見した。

「中浦ジュリアン記念公園」落成:平成14年2月24日に、西海町中浦の中浦城主居館跡に記念公園が完成し、西海町により落成式が行われた。展望塔の屋上には「西方のローマの方向を指すジュリアン」の銅像が、また展望塔内の展示室の壁はジュリアンの生涯を描いた壁画になっている。

聖エステバン学院の旧図書館から発見されたラテン語の古書:聖ザビエル子孫の泉 類治神父の故郷であるスペイン南東部のムルシア州からの公式招待で州都ムルシア市を訪れ、2000年10月3日に天正少年使節に関する講演会を行った。1584年12月から1月にかけて少年使節が滞在して学び、ヨーロッパで初めてのクリスマスを祝った元聖エステバン学院の現所有者が講演を聞いて感激し、旧図書館に残っている本を調べて使節訪問以前から所蔵されている古書が見つかれば、講演者の中浦ジュリアンの子孫に進呈したいとの申し出があった。その後、泉神父を通して約束通り古書が送られてきた。そのうち、1546年にリヨンで出版された『アンジェロ・ポリツィアーノ書簡集』は中浦ジュリアンの生誕地・西海町に、また1579年にヴェネチアで出版された『旧約および新約聖書に関するカトリックの説明』は中浦ジュリアンの殉教地・長崎市西坂の日本二十六聖人記念館に寄贈した。

 

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