「唐人たちの足跡 一唐人墓が語るもの一」
坂井 隆(群馬県埋蔵文化財調査事業団)
1 唐船貿易と唐人
・唐船貿易
唐船貿易量 → オランダ船貿易の2倍以上
唐船ネットワーク → アジア東部の海上交易路の一部
※ 奥船(東南アジア起帆)の航海 福建・台湾と東南アジア・長崎を結ぶ三角形
・唐人
明清交替と帰属意識(三江幇ぱん:興福寺 福州幇:崇福寺 南幇:福済寺)
住宅唐人と市内混住 → 唐通事
唐船船員と唐人屋敷(1689・元禄2年完成) → 人口6万人の内1万人が唐人
近代渡来華僑との精神的つながり
2 唐人墓のあり方
・悟真寺国際墓地
1期(17世紀 悟真寺1627〜83年 32基) → 住宅唐人(
2期(18〜19世紀中葉 悟真寺!763〜1844210基)→ 唐船船員(小型)
3期(19世紀後半以降 悟真寺1859〜現在 255基) → 華僑(家族墓)
・形態
亀甲墓型が中心 : 西山魏毓禎兄弟墓(1689・元禄2年)
※ 風水思想による大型 → 春徳寺徐・東海家墓(1677・延宝5年)は発展型
石壁型 : 崇福寺三塔・玉岡墓、福済寺頴川(陳)家墓
蒲鉾石蓋型 : 深堀五官墓、悟真寺・崇福寺唐人墓
※ 亀甲墓の最簡略形 華南華人の一般墓
墓誌石のみ :深堀呉三官墓(1619・元和5年) 悟真寺欧華宇墓(1652・承応1年)
☆ 唐通事墓はしだいに日本化
・墓誌 出身地(国号・地域名)と享年(年号・干支)の明示
※ 17世紀前半は目本年号多い → 造墓者は目本人か
ベトナム・ホイアンの谷弥次郎兵衛墓(1647年 丁亥年)
※ 蒲鉾石蓋墓 r目本、平戸、顕考弥次郎兵衛谷公之墓」
☆ 沖縄の墓→ 亀甲墓の外形的類似
3 アジアの港長崎
唐人墓 → 近世の長崎が唐船貿易のネットワーク内にあったことを示す最大の証気
※ 長崎からイスタンブールまでの海路(イマリロード) → 長崎はその東端
=鎖国」ではなくアジアの一部 → 唐船の伝えたアジアの最新情報
資料@長崎市内の唐人墓位置
Aジャンクルートと伊万里ロード
参考文献
竹内光美・城田征義1990『長崎墓所一覧 悟真寺国際墓地篇』
林陸朗.2000『長崎唐通事一大通事林道栄とその周辺一』吉川弘文館
宮田 安1982『長崎墓所一覧 風頭山麓篇』長崎文献杜
山脇悌次郎1964『長崎の唐人貿易』、吉川弘文館
李献璋1991『長崎唐人の研究』、親和銀行
坂井 隆1998『「伊万里」からアジアが見える』講談杜選書メチエ、
坂井 隆2001『海のアジア6』岩波書店(共著)
坂井 隆2001「長崎悟真寺の唐人墓地」『九州考古学76』