バリフライトツァー2005年7月
Issue 2006.02.17
2005.07 Prologue 7月12日 13日 14日 15日 16日 17日 18日 19日 20日 21日 22日 23日 その後
ぷろろーぐ プロローグ a prologue
2004年3月4日に妻・正子は私の手をしっかりと握って遠い国へと旅立った・・・。 正子が癌と言う病におかされてから、私の生活は一変した。私の生き甲斐だった筈のパラグライダーは、目の前から消えてしまった。 http://www5.big.or.jp/~ookubo/masako_1.htm |
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追い討ちをかけるように、2004年10月17日に次男マナこと学が脳内出血で倒れた。危篤の状態だった。目の前が真っ暗になった。絶望だった。 開頭手術は、16時半から深夜24時30分までかかった。私は、ただ独りで家族待合室で不安の時間を過ごした。幸い、医師と看護師の献身的な治療と看護で奇跡的に助かった。毎日が針のムシロの上のような生活だった。私の生きる意味は、息子達と孫たちの為にあると認識した。 |
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パラグライダーから離れて丸二年の月日が過ぎた。2005年4月6日、パソコンの仲間である友人たちから六義園への花見に誘われた。気分転換に良いと思い参加した。私よりずっと年配の方たちだったが、楽しい時間だった。六義園の高台に上がった時、平地から吹き上げて来たサーマルを身体いっぱいに感じた。
http://www5.big.or.jp/~ookubo/dengonban378.htm
「ああ、飛びたい!」心底思った。
その日以来、頭の中からフライトのことが離れなかった。二年のブランクは、不安だった。でも、飛びたい。2005年4月最終日の30日、ついに高峰に向かった。同じスカイエンジェルの豊田さんがいた。たった二人だが、私は、嬉しかった。約2年2ケ月ぶりにフライトした。サーマルの中を55分間もフライト出来た。
http://www5.big.or.jp/~ookubo/dengonban382.htm
5月になって、私のサイトをリンクさせて欲しいと言う依頼のメールが来た。私のサイトは、「リンクフリー」としているので、とくに断ることもない。しかし丁寧な申し入れに私もそのサイトを覗いた。
http://www13.ocn.ne.jp/~m-hiroba/sky-2.html
そこには、私が知っているサイトが2つあった。ひとつは、台湾のパラ事情を紹介している大方さんのサイトだ。もうひとつは、「バリを飛ぶ バリ島パラグライダー事情」である。久しぶりに両方のサイトにアクセスした。
バリは、正子が行きたがっていたところだ。無性にバリに行きたくなった。サイトを運営しているバリ在住の「ぷーたさん」にメールをしたのは、6月8日のことだった。すぐに返信メールが来て、バリの事情を教えてくれた。
このようにして私の「バリ・リハビリフライトの旅」が始まったのだ。