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1998年10月〜12月の日記 Last up date:1998年12月31日 

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線だよ

1998年10月19日(月) 52日 (確率52/58)

昨日、亡き母の13回忌の法要を終えて、ほっとしました。気象情報では、今日は何とか飛べそうです。妻には申し訳ないと思いましたが、同じフライヤーの妻は、分かってくれました。1ケ月も飛べてない私に、大阪に帰る事を承諾してくれました。今朝、5時半に起きて、空港へ向かいました。前夜、次男が車で送ってくれると言っていましたが、私の我が儘でこんなに朝、早く起こすのは、可愛そうなので、電車で空港に行きました。電車で行っても羽田空港から近いので、30分で着きます。JAL101便のチーフパーサーは、知り合いの五十嵐淳子さんでした。そして、これまた、知り合いの井上富代さんが、私の座席の担当でした。久しぶりに彼女達が、はつらつと仕事をしている姿を見て、嬉しくなりました。五十嵐さんは、わざわざ私の席に来て、挨拶をしてくれました。最近、インターネットを始めたとかで、やっとメールを出せるので、「大久保さんに出します」と言っていました。楽しみです。あっと言う間のフライトでした。伊丹空港に7時55分にランディングしました。空港に持って来て貰った私の車で、自宅に戻ってすぐにパラを積み込んで青垣に向かいました。

何せ、一ヶ月ぶりの岩屋山です。途中の道も、とても浮き浮きしていました。道の駅には、11時少し過ぎて着きました。登録を済ましたら豪君から電話が入りました。「これからテイクオフに上がります。ショップに来て下さい」との事。メールを入れて置いたので、それを読んだそうです。ショップには、加藤さんと豪君、山根さんがいました。間もなく後藤さんが到着して出発しました。今日は、月曜日なので、スクールは休みです。今日飛べるのは、パイロット以上の人だけです。テイクオフ下の南テイクオフの入り口にかかった時に、青いベルテックスが北西からテイクオフして南テイクオフの方へ飛んで行きました。加藤さんが「あれえっ、ツリーランするんと違うか!」と言った途端、南テイクオフ上の木に引っかかってツリーランしてしまいました。ええっ、ベルテックスのフライヤーがなんで、あんな飛び方するの?
ツリーランした人のスクールの人達が回収に向かったので、任せて準備しました。余り風がありません。豪君が先にテイクオフして次に加藤さん。いつもながら見事なテイクオフです。あんなに緩い風なのに二人ともクロステイクオフですから感心します。後藤さんは、正面からのテイクオフ。そして、私も風が弱い時の無難な正面からのテイクオフです。私も最近は、正面からのテイクオフに慣れて来ました。磯根崎で飛んでいた時は、クロスだけだったので、正面からのテイクオフに少し不安がありましたが、岩屋山では、弱い時は、正面で立ち上げた方が良いので、最近は、開き直っています。

このフライトは、本当に弱くて殆どぶっ飛びでした。8分のフライトでした。後藤さんがランディングしたすぐ後に続いて降りました。でも、飛べたんです。実に先月の19日以来でした。嬉しい。飛べました!
高源寺近くに降りた加藤さんを迎えに行った豪君に回収に来て貰いました。ショップに戻って、再度、上がる事になりました。久しぶりの優君が友達の岡上君と来ていました。岡上君は、パラはやりませんが、最近、ラジコングライダーを始めたので、その練習に来たのです。2台に分乗して上がりました。さっきと違って少しブロウが強くなっています。今度は、私でも、クロスでテイクオフです。加藤さんが出て、優君が出て上げています。私も出ました。リッジで結構飛べます。塔の近くでサーマルを拾って上げますが、800m位からは、なかなか上がりません。でも、久しぶりのソアリングなので慎重に飛びました。そのうちに1000m迄上がってセンタリングしていたら、北西風が強くてパブリックの尾根の方に流されてしまいました。あっと言う間に、シンクにはまりました。バリオのアナログシンクが反転してしまいました。こんなシンクは初めてです。今にも谷に落ちてしまうのではないかと思った程です。塔の方に戻ろうとしましたが、風が強くて進みません。見る見る尾根が近づきます。泣きたくなりました。パブリックの尾根目がけてアクセルを踏みました。フォローの風であり、あっと言う 間にパブリックの尾根上空に着きました。そうしたら嘘の様にシンクは止まりました。ほっとして後は、無事にランディング出来る所を探しました。遠くに見えるハングのランディング迄行けるかな? メインのパラランディングへは届きそうもありません。加藤さんは、安全山の東側に降りたと無線で言って来ました。五台山に向かっていたのです。私の方は、少しずつですが、ハングのランディングに向かいました。ハングのランディングには、少し前に降りたハングフライヤーがいました。ハングランディング上空に着いて、アゲインストに向けたら、垂直に降下しました。意外とここの風も強かったのです。降りた途端に煽られて吹っ飛ばされる危険性があります。覚悟して、降りたらすぐにBライザーを引こうと思いました。足が着いた途端に機体は、すぐに降りました。助かった!

降りた事を無線で連絡しました。同時に携帯電話に加藤さんの声が。私が降りるのを遠くから見ていたらしいです。私は、急いでたたんで、ショップ迄歩いて戻って、私の車で機体を回収してから、すぐに加藤さんの回収に向かいました。近くに優君も降りていました。ふたりを回収してショップに戻ると後藤さんが戻っていました。テイクオフに車の回収に行きました。その後、加藤さんは、新しい機体のテストフライトを強風の中して今日のフライトを終わりました。豪君は、強風の中トップランしていたらしいです。

1998年10月20日(火) 52日 (確率52/59

昨日の天気より、今日の方が良いと週間予報では言っていたのに、朝からどんよりとした天気です。風も強めです。今日は、12時から16時迄は、岩屋山でのフライトは禁止でした。いずれにしても風が強くて飛べない状態でした。今日は、昨日と違って講習生も来ました。朝早く、生野さんが来て、暫くして植松さんが来ました。講習生は、武貞、黒沢、北川、土橋、辻本、坂本、そして、午後からあの河済くんが恋人?のハングの香川祥子ちゃんを連れて、いや、祥子ちゃんに連れられて来ました。ショップのすぐ側の休耕田で立ち上げの練習をしました。私は、デジタルカメラで練習風景を撮影しました。そして、加藤さんのはからいで、タンデム機の立ち上げ体験をさせて貰いました。重りには、生野さんになって貰いました。基本的には、普通の機体と同じですが、大きいので、煽られます。でも、意外と立ち上げ感覚は素直で軽く感じました。クロスでの立ち上げだけをしたのですが、何とか出来そうな気がしました。

昼食は、皆で、やぶそばに食べに行きました。加藤さんの奥さんは、大喜びでした。私は、大ざるとトロロ吸いを食べました。美味しかったです。しめて1000円でした。
午後から少し、又、立ち上げ練習をしてから、3時過ぎにテイクオフに上がりました。テイクオフは、とても強風でした。パラは、とてもじゃないけれど飛べそうもありません。皆、寒いので、フライトスーツを着込みました。ハングの祥子ちゃんは、機体を組み立てています。「こんな風が強くて飛べるんかいな」と皆、心配しています。祥子ちゃんは、キャリア14年のクロカンパイロットです。黙々と組み立てています。組立が完成して、全員注目の中を堂々とテイクオフして飛んで行ってしまいました。ハングって凄いなあ。私も、若ければハングをしたかったなあ。
寒いテイクオフを後にして車で降りました。飛べなかったけれど、久しぶりに仲間と逢えて、そして、タンデム機の立ち上げ練習が出来てとても有意義な一日でした。

1998年10月25日(日) 53日 (確率53/60)

昨夜、最終便で妻の正子が大阪に来ました。私は、夜中迄の勤務の日でした。帰宅後、仕事疲れの一杯のビールは飲まずにはいられません。そして、パソコンに向かい、メールを取り込んだら60通以上もありました。重要なメールもあるかも知れないので、ざあっと目を通して、それに返事を書いていたら、2時を過ぎてしまいました。慌てて、眠りましたが、今朝は、どうも寝不足です。
6時に起きて、青垣に向かいました。道の駅に着いたら知っている顔があちこちに。ショップに着いて暫くして、加藤さんの「上がりましょうか」の声で車に乗りました。天気は良い方向に向かっていますが、風の方はどうも今一です。この日は、2本飛びましたが、ぶっ飛びに終わってしまいました。妻は、久しぶりに飛んだのですが、私より上がっていました。2本飛んだ後、どうも、身体がだるくて仕方がありません。寝不足が原因の様です。妻も右足の付け根が痛むと訴えています。若くない私達は、大事をとって今日のフライトを断念する事にしました。加藤さんに無線を入れたら「これから良くなると思うのですが・・・」と言う事でした。確かに良くなると思いました。でも、ここで、無理して飛んで事故でもあったらたいへんです。キッパリと諦めて帰途につきました。帰りの運転は、それはそれは地獄でした。半ばもうろうとした状態でした。無事に帰り着いてから、安心したせいか、夜は、ぐっすりと眠りました。
加藤さんから、電話がありました。「大丈夫ですか?」と心配してかけてくれたのです。
やはり、健康が一番です。明日は、頑張るぞ!

1998年10月26日(月) 54日 (確率54/61)

昨夜は、ぐっすり眠り、今朝は、快調です。朝、6時半に家を出て青垣に向かいました。道の駅に着いたら、光酒店のご主人が、松茸をたくさん穫って来ました。見事です。とても香りが良いです。

今日は、月曜日なので、講習生はいません。パイロットだけです。加藤さんは、松阪さんとタンデムをしました。私は、2本目加藤さんのはからいでタンデムをさせて貰いました。先日、立ち上げに使ったジェミニでです。この機体は、とても立ち上げ易くて素直です。ベルテックスの立ち上げと較べたらとても優しい感じです。でも、大きいので、傾けて立ち上げた場合、とても危険らしいです。今日の私のパッセンジャーは、ベテランの助教員の植松さんがなってくれました。クロスで立ち上げて、テイクオフしました。緊張の一瞬です。無事にテイクオフしました。ぶっ飛びですが、植松さんと話しをしながら飛びました。静かなフライトです。話しをしながら飛ぶのは、勿論、初めてです。私は、タンデムフライトそのものが初めてです。パッセンジャーとしても飛んだ事がありません。今日の、このフライトは私にとってタンデムの楽しさを教えてくれました。3本目は、殆どぶっ飛びでした。

当初、妻と飛ぼうとしたのですが、腕が悪い私に不安を示したので、植松さんが、かって出てくれました。妻は、これまたベテランの吉井さんのタンデムのパッセンジャーで飛びました。妻は、コントロールを持たせて貰い、360度旋回を2回もしたらしいです。降りてからの妻は、大喜びでした。吉井さんのフライトはいつも見ていますが、一緒に飛んでいても、とても滑らかで丁寧に回しています。私も、真似をしたいと思っています。
3時過ぎに、いつもタンデムパッセンジャーの「風の妖精」こと松阪さんが、自分ひとりで飛ぶ事になりました。加藤さんが「今日の風は、とても安定しているから松阪さん、飛んでみない?」と問いかけたのです。その言葉を聞いた途端、饒舌な「妖精」が固まってしまいました。車の中でいつも、賑やかな「妖精」がシーンと考え込んでいました。いつもタンデムで飛んでいる「妖精」にとってもソロフライトってとてもたいへんな事なのです。以前は、ロールアウトの女性フライヤーの中でも、トップフライヤーでしたが、不幸な事故をきっかけに飛ばなくなってしまっていたのです。でも、飛ぶ事が大好きな「妖精」は、タンデムで飛ぶ楽しさを味わっていたのです。でも、自らの手で飛ぶとなると違います。凍る様な緊張と不安、それが、彼女を無口にしていたのです。

再び、テイクオフに向かう車の中、じいっと外を見つめる「妖精」の目に鋭さが出て来ました。テイクオフでのビデオ撮影は、私が担当する事になりました。ランディングは、加藤さん、そして、一緒にフライトしながら植松さんが撮影と決まりました。テイクオフの風は、さっきの弱い北西風が信じられない位、とても良い風が東から入っていました。テイクオフで静かに、黙々と準備をしている「妖精」を私は、ビデオに納めました。
いざ、テイクオフ、とても良い風の中、見事なクロスでテイクオフしました。続いて、植松さん、テイクオフ。ノーマルルート上でグングン上げています。私達が、さっき飛んでいた時とは、全然違うとても良い風です。天は運を授けてくれたのでしょうか?
あっと気がつくと、16時を回っていました。今日、東京に帰らなければならない妻を空港に送るのに時間が、間に合いません。慌てて、先に下山しました。妻は、ショップでやきもきして待っていました。加藤さんに慌ただしく、挨拶をして帰途につきました。途中、篠山の農家に頼んでおいた黒枝豆を受け取るのも止めようかと思いましたが、準備している筈だからと寄りました。たくさんの豆を準備して待っていてくれました。人の好意を無にしては駄目です。途中の運転は、間に合うかどうか、心配しながらでした。川西に着く頃、何とか間に合いそうと思いました。でも、妻は、汗をシャワーで流す事も出来ずに、飛行機に乗って帰りました。妻が東京に帰る時には、遅くとも15時30分には、帰途に着く必要があります。あ〜あ、反省!

1998年11月01日(日) 56日 (確率56/63)

昨日、あれだけ飲んだのに、酒が全然からだに残っていません。まあ、私には、アセドアルデヒド分解酵素が人の倍以上あるらしいから・・・。
8時から商工会館でフェスティバルの受付があります。7時40分頃に着くと、大勢の人が来ていました。ロールアウトの人達も大部分、集まっていました。受付で松阪さんから昼食を貰いました。加藤さんに「大久保さん、ターゲット大会に出て下さい」と言われて、申し込みに行きました。ターゲット大会は、森本さん、菱井さん、生野さん、保位田(ほういでん)さんと私の5人がエントリーしました。開会式が行われて、「何よりも安全にフライトするように」と主催者及び青垣町の代表の助役から挨拶がありました。今日は、「もみじハーフマラソン」が行われています。地上と空中で同時にスポーツ祭典が行われる事になったのです。

開会式の後、各催し毎に説明会があり、その後で、バスでテイクオフに移動しました。機体は、トラックで運んで貰いましたが、機体の上に又、機体と、次々に乗せるので、気がきではありませんでした。テイクオフは、弱い北西風が入っていました。
ゲートオープンがテイクオフデイレクターを勤める加藤校長に宣言されて、ベテランの常陰さんがテイクオフしました。その後、獅子吼の金森さん。次々とテイクオフして行きました。皆さん、上手にテイクオフして行きます。そのうちに南に風が入って来ました。南に移動を始める人が増えて来ました。私も、南に移動しました。しかし、本流が北西風なので、なかなか、南から入って来ません。しびれを切らして、再び、北西に戻りました。北西には、良い風が入って来ました。クロスでのテイクオフが可能です。私は、クロスで出ました。やはり、クロスの方が安心出来ます。

ぶっ飛び風なので、粘らずに前山経由でランディングに向かいました。先に出た機体がランディングするのを見届けてから、アプローチに向かいました。ところが、さっき迄、高い所を飛んでいたタンデム機が私より、低くなってしまいました。タンデム機は、動きが鈍いので、当然、進路を譲らなければなりません。タンデムがランディングして、そのすぐ後にランディングに入りました。そのまま行くと、タンデムの上を通過出来るか、踏みつぶすかなので、右に大きく振りました。その為に、ターゲットから大きく外れてしまいました。計測は、23mでした。スタッフの人が来て、「タンデムと同時進行したので、ペナルティは付きません」と伝えてくれました。残念ですが、まあ、怪我なく、無事に降りたのだから良しとしましょう。
2本目、テイクオフに上がって、順番待ちをして飛びました。大勢のフライヤーがいましたが、スタッフの人達が要領良くテイクオフさせてくれるので、効率よく出て行きました。私は、又、クロスでテイクオフ出来ました。リッジサーマルがありましたが、弱いので、それ程上がりません。塔の近くを行ったり来たり、して飛んでいました。50分飛んでランディングしました。

ランディングしたら、ロールアウトのメンバーが「又、上がりましょう」と言ったので、時計を見たらまだ、2時半でした。3本目は、又、ぶっ飛びでした。
今日も、ダニエルのルーピングを見ました。ランディング上空スレスレ迄、スパイラルをして降りて来ます。凄いフライトです。
17時から閉会式の予定でしたが、少し早まって16時半頃から始まりました。ターゲット大会は、ロールアウトチームは、6位でした。11チーム中、6位だからまあ、いいでしょう。楽しい遊びでした。閉会式の挨拶は、あの、危ないおじさんの野老山さんがしました。そして、表彰式も執り行いました。なかなかユニークで楽しい進行でした。

各スポンサーから提供のグッズをジャンケン大会で賞品としました。最初は、すぐに負けましたが、目の前にある帽子が欲しくて、頑張りました。そして、とうとうゲットしました。「PARAGLIDER PILOT」と描かれて帽子です。すっかり暗くなった頃、閉会式は無事に終了しました。Panaが自転車に乗って来て、「HI! Mr.Rollout」と声をかけて来ました。再会を約束して握手しました。2日間、とても楽しい集いでした。

一緒に泊まった人達と飲み明かしました、もっと、飲みたかったなあ。

1998年11月06日(金) 57日 (確率57/64)

昨夜、東京から最終便で妻が到着しました。昨夜、私は、いつものとおり、遅番で、少し仕事が残った為に、帰宅したのは、24時を過ぎていました。その為に、今朝は、少しゆっくりと起きましたが、テレビで気象情報を見たら、兵庫北部に強風注意報が出ていました。朝食を食べている時に、食堂の窓から見える林の木々が大きく風で揺れていました。「これは、飛べそうもないな」と思い、朝食後、パソコンに向かいました。妻は、ふて寝をしていました。8時半に外を見たら、風が収まっています。加藤さんに電話して聞いて見ました。「こちらは、風は、穏やかですヨ。これからどうなるか分かりませんが、多分、大丈夫だと思います。良かったら来て下さい」とのことでした。それを聞いていた妻は、「だから言わないこっちゃないのヨ!」と私に責任があるかの様な口振りでした。まあ、喧嘩しても始まらないので、大慌てで準備をして出発しました。

道の駅に着いたのが、11時少し前でした。道の駅から加藤さんに無線を入れたら「今、安全山の上空です」「直接、テイクオフに上がった方がいいでしょうか?」「上がって下さい」とのことで、ふたりでテイクオフに直接行きました。テイクオフには、ハングの人がひとりいるだけでした。上空では、小寺さんが上げています。加藤さんから、無線で「安全山へ向かって下さい」と指示がありました。小寺さんは、「高度が下がったので、もう少し上げ直します」と言っていたら、花谷さんが「行け行け、今日の様な時に行かないでいつ行くんだ」と叱咤激励が飛びました。小寺さんは、初めてのクロカンをしてしまいました。妻は、準備が終わって、東テイクオフから出ました。風が弱くてなかなか出られませんでしたが、うまく出ました。南テイクオフ前でサーマルにヒットして、思わず私は、無線で「右に回して。体重をかけて」と言いました。そこでは、回さず、少しノーマルルートの尾根に行ったところでセンタリングを始めました。でも、体重移動が少ないので、再度「もっと体重移動をしてしっかり回して」言いました。妻は、素直に回し続けてグングンと上昇しました。私も準備を始めました 。ハングの人が出て、次に私が出ようと準備していましたが、風が無くなってしまいました。そうしたら常陰さんが上がって来て、北西で準備を始めました。私が待っている間に常陰さんは、北西から上手に出てしまいました。ひとり残されて、北西に向きを変えていると、荻野さんがトップランのアプローチをして来ました。慌ててキャノピーをよけてトップランに譲りました。4回のアプローチでトップランしました。ARCの慶ちゃんと八木君が来て、私をサポートしてくれて、やっと出る事が出来ました。ありがとう。

その頃、妻は、加藤さんの誘導で安全山へのクロカンをしていました。私は、無線を聞きながら、必死に上げようと南のノーマルルートでセンタリングを続けていました。慶ちゃんが続いて出て、一時、一緒に飛んでいましたが、パブリックの尾根方向に進行して行きました。私も、後をつけようと思いましたが、見たら、慶ちゃんは、高度を下げていたので、止めて、再度、渋い中のセンタリングを続行しました。少しずつ高度が上がり、やっと1000mを越えました。でも、今日は、人数も少ないし、クロカンに行くと回収に時間がかかると思い、走るのは、止めました。1時間飛んで、満 足したので、ランディングに向かう事にしました。直接、ランディングに行ってもつまらないので、パブリックの尾根の上空経由で向かいました。北西の風の中をパブリックの尾根からランディングへは、アゲインストの風です。アクセルを全開にして飛びました。GPSの対地速度が5km/hr位だったのが、15km/hrに増加して徐々に前進しました。「VERTEX26は、アクセル全開でも、大丈夫ですヨ」と吉井さんから聞かされていたので、信頼して踏みました。少しずつ踏んで行くとスピートが増加して、風の音が変わるのが分かります。確かに安定しています。しかし、アクセルを全開に踏むと言う事は、潰れに対するリスクがあると言う事を意味します。潰れた時の対応が瞬時に取れる様に、心がけて飛ぶ必要があります。1時間20分で無事にランディングしました。私が飛んでいる時に、妻は、安全山へのクロカンから戻って2本目のフライトをしていました。飛びたくても飛べない妻に、今日は、思う存分飛ばせて上げようと思い、私は、この1本だけで飛びませんでした。後は、テイクオフへ車の回収に上がりました。

妻は、合計で3本飛び、満足していました。夜、大阪の南方でユニバーサルジョイントがある為に、早めに青垣を後にしました。妻は、初めての参加ですが、ユニバーサルジョイントの人達の和気藹々した雰囲気にすっかりとけ込んでいました。充実した一日でした。

1998年11月07日(土) 58日 (確率58/65)

昨夜、遅く帰宅した為に、今日は、少しゆっくりしたかったのですが、又、飛びに行きたいので、早く起きました。しかし、気象情報では、雨の予報です。しかも、強風とあります。今日こそは、駄目だろうと思い、行くのは、止めました。8時頃、携帯に加藤さんから電話が入り「今日も飛べますヨ。良かったら来て下さい」と言われました。又、急いで支度をして出発です。この様な時は、どうしても焦って急ぎがちです。篠山の西紀町で前を走っていた軽自動車を追い越した途端に、二輪の警官に止められてしまいました。あ〜あ、反則金9000円と点数2点です。やはり、急ぐときこそ、慎重に、安全運転ですネ。事故にならずに良かったと思い、警告としてありがたく受け止めました。

気象情報の為か、ロールアウトには、土曜日と言うのに、そんなに集まっていませんでした。講習生の人は、結構来ていました。久しぶりにウドさんこと、瀬川さんと会いました。1本目は、南テイクオフから12時半頃に出ました。講習生の人がテイクオフするのを見たので、最後に出ました。南から出たのは、この時だけで、後は、北西テイクオフからです。合計、妻も私も3本ずつ飛びました。飛べないと思っていたのに飛べてとてもラッキーな一日でした。この日の初めての出会い、植田明美さんです。
帰りは、安全運転でゆっくりと帰りました。

1998年11月12日(木) 59日 (確率59/66)

昨夜も遅番でした。3時頃に眠りにつきました。朝は、7時に起床しました。安全運転で青垣に向かいましたが、篠山を過ぎる頃から小雨がパラつき、柏原に着く頃には、霧雨となりました。青垣道の駅に着いた時は、雨は、止んでいましたが、路面は、濡れていました。ロールアウトのショップに着くと大勢の人が、ショップの中にいました。「こんな日に何しに来たの?」と冗談を言うと「天井に向かってツバを吐く様なもの」と言われました。あ〜あ。
雨は、止んでいたのですが、テイクオフの風は、強い様です。午前中、ショップで談笑をして楽しみました。11時過ぎに風が収まった様なので、上がりました。北西テイクオフに正面から入っています。今日は、吉井さん、植松さんがいます。私は、ダミーを兼ねて先に出ようとしましたが、少し準備に手間取って、寺本和代さんが先に出ました。この所、腕を上げている和代さんですが、ランディング時の吹き流しの読みに少し難がある様です。しっかり頑張ってネ、和代さん。私が出た時、少し、北寄りの風に変わりました。クロスで出て、リッジで暫く楽しみました。後から出た、寺本ご主人と森本さんと植松さんが弱いサーマルを上手に使って上昇していました。私は、26分粘りましたが、敢えなくランディングに向かいました。この日は、2本飛びましたが、2本共、サーマルソアリングには至らず、平凡なフライトでした。

瀧本早弥佳さんと指川稚男さん、谷本智子さん、七田直子さんと新たな出会いがありました。これから、どうぞよろしく。特に、指川稚男さんは、65歳でクロカンパイロットコースに入校したそうです。奈良から通うと聞いて脱帽です。頑張って、是非、クロカン証をゲットして下さい。

1998年11月13日(金) 59日 (確率59/67)

昨夜は、「あまご」に泊めて貰いました。昨日の気象情報によると、移動性高気圧が張り出してとても良い天気になる筈でした。確かに、良い天気です。しかし、岩屋では、嫌な風向きである南西風が朝から吹き荒れました。ショップから望遠鏡で見ても、テイクオフの吹き流しは、踊っています。少し風が収まった様に見えたので、テイクオフに上がりました。しかし、やはり、南西の風でした。少し風は、弱くなっています。テイクオフで準備していた人は、たたみ始めました。岩屋の鳥人の蔀さんが、少し風が弱くなった時に、出る事になりました。ライズアップと同時にキャノピーは、南西に向きました。グランドハンドリングしながら、正面を向いた時にすかさずテイクオフして出て行きました。お見事。出てすぐに南西風にたたかれて潰される危険があります。運良くそのまま北に向かって飛びました。前山に向かい、前山の近くで高度が取れました。私達は、それを見ても誰も出ようと言う人はいませんでした。豪君も優君も吉井さんも植松さんも。今日は、私は、加藤さんからタンデム機を借りて来て、練習をしようと思っていたのですが、中止です。全員、下山しました。

植松さん、吉井さん、植野さん、河済君と昼食を食べに行きました。「田舎の洋食屋・ふるどけい」は、とても美味しかったです。昼食から戻り、やはり、南西風が吹き荒れているのを確認して、今日のフライトは諦めて帰宅しました。
14日と15日も休みでしたが、次男のマナがスペインへ行くので、その見送りに東京に行きました。スペインでは、7月でお世話になった松島さんが面倒見てくれる予定になっています。

1998年11月18日(水)

昨夜、24時迄の仕事が終わって、会社から真っ直ぐに、能勢にある河済の家に行きました。33年ぶりに観測されると言う「獅子座流星群」の観測会への参加の為です。インターネットとメーリングリストで河済主催の「Canopy」が募集していたものです。私が着いた時は、皆、食べて飲んで「出来上がって」いました。私は、再度、準備した戴いた炭火で焼き肉とか、鍋料理をご馳走になりました。そして、午前2時頃から、外に出て椅子に腰掛けて空を眺めました。「流星群」と言うから線香花火の様に次から次へと見えるのかと思ったら、実際は、そうではなくて、3分位に1個の流れ星が見えたに過ぎません。原因は、17日の13時頃にピークがあったとの事です。それでも、私は、4時半頃迄に50個以上の流れ星を観測する事が出来ました。それと、2個の人口衛星が移動するのも観測しました。気象の方は、当初の予定に反して雲が少なくてとても良い星空となったので、とても綺麗に見えました。

すっかり身体が冷えてしまい、風呂に入って暖を取り、未明に就寝しました。
そして、今日は、冬型の気圧配置が強まって等圧線が狭まり、強風の一日となりました。昨日、一緒に観測した加藤さん、豪君、優君も今日は、のんびりした一日を送りました。昼食を一緒に食べてから、帰宅しました。次に観測されると言う33年後には、私は、85歳になっています。その時を楽しみにしたいと思います。

1998年11月19日(木)60日 (確率60/68)

今朝の5時50分のNHKの気象情報を見たら、風の強さが赤でした。赤と言うのは、10m/sec以上です。黄色は、5-10/sec、白の時は、5m/sec以下です。つまり、赤の時は、パラのフライトに適さないと言う事です。気象情報を見て、今日は、飛べないと思いました。でも、大阪の風は、弱いし天気も上々、なんか割り切れなくて加藤さんに10時頃に電話しました。「こちらは、風が弱いですヨ。飛べますから来て下さい」と言うので、また、大急ぎで仕度をして出かけました。でも、スピード違反も、追い越し違反もしないで安全運転で行きました。

道の駅で登録してから、ロールアウトのショップに行きましたが、案の定、誰もいません。無線を入れたら、寺本さんの声で、「大久保さん、自分の車で上がって来て下さい。車の回収は、後で手伝いますので」と言う事でした。私は、ひとり、自分の車で、テイクオフに上がりました。
テイクオフに着いたら、加藤さんが、山本君のサポートで準備中でした。私もすぐに準備しました。しかし、風が弱くて加藤さんは、なかなかテイクオフ出来ません。暫く風待ちをしていましたが、少し弱いけれど、正面から風が入った瞬間に加藤さんは、見事にクロスでテイクオフして出て行きました。テイクオフ前の弱いサーマルを使ってゲインしています。山本君は、事情があって今日は、飛ばないと言うので、私が出る事にしました。私は、殆ど風待ちする事無く、すぐにテイクオフ出来ました。さっき、加藤さんがゲインしていた場所に行きましたが、いつまでもサーマルが待っている訳もなく、全然上昇しませんでした。その時、加藤さんは、高く上がっていました。私は、何とか、少しでも、長く滞空したいと思いましたが、敢えなく降下してしまいました。10分のフライトでランディングでした。先に降りていた寺本さん、通称「吉本さん」から「大久保さん、なんで降りたん?」と言われました。黙っていたら「ああ、そうか、寒いから降りたんやな」と畳み込まれました。万事がこんな調子の関西が私は、好きやねん。

2本目は、少し、風が良くなっていました。15時過ぎにテイクオフしました。私は、23分のフライトでした。南の尾根のノーマルルートで渋いサーマルを加藤さん、森本さん、TAKの正ちゃんと分かち合いながらフライトしました。同じサーマルで全員がセンタリングしていた時は、とても嬉しくなりました。それ程のゲインはないし、期待も出来ませんが、なんか、同じサーマルで渋い中を一生懸命に飛んでいる仲間達と同胞と言う感じがしました。3本目を飛ぶ為に上がりました。私は、フライトスーツを着て準備をしている時に、右の胴体の部分に違和感があり、見たら、フライトスーツのファスナーが外れていました。直そうとしても、直せません。この時点でもう、今日のフライトは止めようと思いました。吉本さん、いや寺本さんが「私のフライトスーツを貸しますヨ」と言ってくれましたが、もう、飛ぶ気がしなかったので、ありがたく断りました。別に、今日飛ばなくたって次のチャンスがあります。私は、自分の車を降ろしました。飛べないと思っていた日に飛べた事だけでも、とても嬉しく思いました。

車の回収を終えて全員が降りてから、寺本さんと一緒に来ていた、今日、初対面の板東さんの運転する車を大阪まで、下道で誘導して帰る事になりました。途中、柏原の酒屋で小鼓を2本買いました。そのうちの1本が、途中の坂道でブレーキをかけた時に、後部座席から落ちてしまい、下に置いてあったコーヒーを入れていたポットに当たり、割れてしまいしまた。全部の酒を車のフロアーマットに飲ませてしまいました。あ〜あ。途端に車の中にとても良い香りが漂いました。無線で、寺本さんから、「酒帯び運転で捕まりますヨ」と脅迫されました。気が弱い私は、窓を開けて、空気の入れ替えをしながら走りました。とても、冷
たい空気、(通常、風と言う奴)が容赦なく入って来て、とても寒かったです。でも小鼓の香りは、とても良いですネ。

1998年11月25日(水)60日 (確率60/69)

今の時期は、私にとっては、やらなければならない事があるのですが、どうも、飛びたくなってしまい、つい、岩屋に足が向いてしまいました。年末の人事考課表の作成が私の仕事としてあります。でも、ストレスを溜め込んだまま、そんな書類を作ったらまずいと自分言い聞かせて行く事にしました。朝食を食べてから、青垣に向かいました。途中、西紀町を通過している時に、結構な雨が降って来ました。加藤さんに電話したら「こちらは、降っていませんから、来て下さい」と言うので、車を走らせました。道の駅に10時頃に着きました。登録しようとしていたら、歩いて来る人の顔に見覚えが・・・。フライト確率が余り良くない岡野嬢です。私は、彼女が来た時には、一度も飛べていません。「あ〜あ、今日は、駄目だなあ」と感じました。彼女も感じたかも・・・。

ショップに着くと、花谷のおじさんと岡野さんがいました。花谷さんと豪君がヘボ将棋をしていました。そのうちに、ジェネスの長島さんと一緒に大佐の北娘事、北かおりさんが来ました。広島の大会に出ていたそうな。
長島さんは、パソコンに結構詳しいらしいので、先日来、豪君が悩んでいたモバイルツールのカシオペアの「インターネット設定を頼んで見たら」と提案したら、大喜びで、早速、長島さんの熱心なトライアルが始まりました。結果、大成功! 使用していたモデムカードの相性が良くなかったらしいです。ノートパソコンのモデムカードとSWAPしたら作動しました。私も何回かトライしたのですが、まさか、ダイアルもしていたので、モデムが悪いとは、想像もしていませんでした。さすが、長島さん、先入観で、事を判断しては、いけないと改めて感心させられました。3ケ月以上も苦労していた事が、ちょっとしたきっかけで解決出来ました。これも、お喋りを長島さんとしていた事で、して貰った事なので、本当にコミニケーションって大切だと思いました。午前中は、風が強くて飛べず、只、ひとり、蔀さんがユリ山で飛んでいただけでした。昼頃から雨が降り出して来ました。前線の通過の後に、寒気の吹き出しによる雲で、少し、悪天になった様です。明日からは、高気圧が張り出して来る様です。
長島さんとは、私がスカイエンジェルにいた時に、良く、営業に来ていましたから、顔見知りです。北かおりさんとは、スペインで一緒にフライトしました。美人イントラとして有名です。今は、大佐山でインストラクターをしています。
帰りに小鼓を又、2本買いました。今日は、しっかりと固定して持ち帰りました。飛べない一日でしたが、楽しい会話と出会いがあり、有意義でした。

1998年12月11日(金)60日 (確率60/70

昨夜も最終便で妻が大阪に着きました。今日は、私は、休みを貰いました。朝食を食べてから家を出発しました。気象情報によると北部は、雨の予報でした。でも、家にいても退屈だし、妻にとっては、飛べなくても行きたいだろうから、と出かけました。青垣に着くと凄い風でした。とても飛べそうもありません。ロールアウトのショップに行くと、中には、講習生がたくさん来ていました。私の姿を見て、皆、一斉に驚いています。何を驚いているのかと言うと、半袖シャツにビーサン(ビーチサンダル)姿の私に「寒くないんですか?」と言う事でした。寒さは、少しは感じますが、我慢出来ない程ではありません。家では、いつもティーシャツですし、却って暑いと気持ち悪いのです。北海道にいた時は、部屋の中が余りに暑くて気分が悪くなった程です。薄着をしていると寒さに強くなります。でも、徐々に鍛錬しないと病気になるので、要注意です。
講習生の人達と冗談を言って談笑しました。私達夫婦と親しい寺元さん夫婦も来ていましたので、とても楽しいひとときでした。
午後から手投げのグライダーを飛ばしにユリ山に行ったら土砂降りの雨となってしまいました。今日は、諦めて家に帰る事にしました。冬は、日本海側の気象の影響を受けるので、どうしても不安定になる様です。飛べなくてもパラの仲間と楽しく話が出来て良かったと思います。

1998年12月12日(土)61日 (確率61/71)

昨日は、飛べなくて残念でしたが、今日は、気象情報から言っても期待出来そうです。道の駅に着いたらウドさんと昨日も来ていた生野さんの姿がありました。ショップに着くと流石に今日は皆、期待して来ていました。もうスクール号は、上がったそうです。加藤さんがショップにいたので、「今日は、誰がテイクオフを見るのですか」と聞いたら、優君が来ているそうです。古郷さんの車に乗せて貰いました。講習生の人達が出た後、飛びました。11時11分北西テイクオフからクロスで出ました。ノーマルルートの上を飛びました。895m迄上がりましたが、それ以上は、駄目でした。22分のフライトでランディングです。ゆっくり畳んでいたら先に降りた妻が来て「藤原さんが待って乗せてくれると言うから早く畳んで」と言いました。「ゆっくりやりたいからいいよ」と言ったのですが、藤原さんも来て、畳むのを手伝ってくれました。と言うことで再びテイクオフに上がりました。

北西テイクオフは、良い風が正面から入っています。でも、時々、左サイドの風になります。かなりブロウが強くなって、他のスクールの講習生の人達は、引き上げて行きました。強いブロウの中、加藤さんに後ろをサポートして貰ってテイクオフしました。ノーマルルートの上でリッジとサーマルでソアリングしていましたが、なかなか上がりません。徐々に高度が下がってしまい、仕方がないので、ランディングに向かう事にしました。尾根の突端から前山方面に機首を向けたところ、バリオがピピピと鳴りました。すかさず右回転でセンタリングしました。弱いけれど確実に上昇します。サーマルコアから外れない様に、どこにサーマルの中心があるかイメージしながら回転中心をずらせながら回しました。徐々に上昇レイトが上がりました。誰も周りにはいません。心おきなく自由に飛べます。塔の方を見るとたくさんのグライダーが飛んでいましたが、余り上がっていません。気が付くと私の方が高い位置になっていました。黄色のゼノンが私と同じコアでセンタリングを始めました。常陰さんです。見事なセンタリングでグイグイと高度を上げて来ました。気が付くと塔の方で飛んでいた人達も私が 飛んでいる前山に飛んで来ました。その時は、私の高度は、1000mを越えていました。弱いけれど安定しています。1100mを越えた時に「加藤さん、安全山の方面にぶっ飛んでいいですか?」と無線で聞きました。「大久保さん、どこを飛んでいるんですか?」「前山の上です」「気を付けていって下さい」と言う事で機首を南に向けました。弱い追い風なので、少しずつ速度を増して行きました。驚いた事に、今迄の経験だと走ると高度が落ちるのに落ちません。逆に上昇する事もありました。前山からの移動なので、街の上空を飛んで行きました。以前にもこのコースを飛んだ事があります。途中、「おいしいお米」のところで加藤さんに無線で現在位置の報告をしました。ここから先は、多分、無線が通じないからです。大塚病院の近くに学校があり、その校庭で子供達が手を振っています。私は、上昇を感じたので、センタリングを始めました。15分位回し続けました。桐山が見えたので、そちらに移動しようかと思いましたが、行った事がないので、不安を感じてやめました。結局、回収のしやすさを考えて目印になるユメタウンと言うショッピングセンターの近くの空き地に降りました。降りてから無線 で報告しましたが、案の定通じませんでした。携帯電話でショップにいた加藤さんの奥さんに知らせました。誰もいないので、すぐには迎えにいけないと言われました。今日は、久しぶりの講習日和ですから無理もありません。機体を畳んでから、道に出てヒッチハイクをしました。以前に「ヒッチハイク講座」で聞いたとおり、サングラスを外して、ニコニコしながらお辞儀をしながら手を振りました。止まってくれる車は、なかなか現れません。30分もお辞儀をした頃、1台のワゴン車が止まってくれました。「青垣迄乗せて貰えますか?」「いいよ」と言う事でヒッチハイクに成功です。

運転していたおじさんに「今日は、蔀君は来ていないの?」と聞かれました。積んであった荷物を見るとナイロンロープです。そうです。蔀さんが働いている工場の人だったのです。田村さんと言うその人とパラの事とか、蔀さんの事を話しながらあっと言う間に、ロールアウトショップに戻りました。もう、3時を回っていました。おなかが空いていたので、遅い昼食にしました。思いがけなく、クロカンが出来てラッキーでした。昼食後、初飛びをするという安福さんとテイクオフに行き、車を降ろす役目を請け負いました。テイクオフは、とても良い風が吹いていました。初飛びの記念にと、ビデオカメラを回しました。ユッペもテイクオフしたので、慌てて撮影しましたが、余り良い位置で撮っていなかったから、少ししか映っていませんでした。でも、見事なクロスのテイクオフでした。
夕食は、寺元さん夫婦と一緒に飲みました。今日の宿は、久しぶりに「あまご」に泊めて貰いました。

1998年12月13日(日)62日 (確率62/72)

朝、起きて外を見ると辺り一面が真っ白でした。霜です。とても綺麗でした。写真を撮りました。岩屋の山頂は、雲で見えません。でも、太陽が出れば、ガスも晴れる筈です。講習生の人達のテイクオフを見る為に早めに上がりました。優君は、今日はいません。松阪さんが後で来るそうなので、来る迄、私が見る事になりました。南テイクオフに風が入り始めていたので、南で待ちました。テイクオフに着いた時は、とても良い正面からの風だったのですが、準備している間にサイドフォローになってしまいました。暫く風待ちとなりました。10時過ぎに松阪さんが来ました。私は、講習から外れて良いので、見ていました。正面から入り始めたので次々と講習生の人が出て行きました。テイクオフの基本は、パイロットになっても変わりません。飛び乗りは決して、してはいけないのです。今日は、ベタランのパイロットの人が飛び乗りをしてスタ沈するのを何度も見ました。風が強い時だけ飛んでいると、それでも、出られますが、弱い時は、飛び乗った瞬間に機体は止まり、浮力を失ってしまいます。11時過ぎからブロウが入る様になって、講習生の人達には、とても出られない状態になりました。私も 、危険と思い、スタンバイする事にしました。30分程、風と睨めっこしていたら、プロウが弱くなりました。大熊君が奥ちゃんとタンデムで出ました。その風を見て、私も出る事にしました。今日は、南テイクオフは、右サイドの成分の風が吹いています。吹き下ろしの要素があるので、飛び出したら一気に山を離れて前山に向かいました。沈下が凄いですが、留まっていては、駄目です。アクセルを踏んで速度を出して前山に向かいました。前山に着く迄、ずっとシンク音が鳴りっぱなしでした。でも、前山の木々が揺れているのを確認出来たので、必ず上がると思いました。前山に近づいた途端にバリオが上昇音を伝えました。風は、街の方向から吹いているので、ショップの側の斜面でソアリングしました。少し移動していると上がるところと下がるところが良くわかります。風は、それ程強いとは、思いませんが、サーマル混じりなので油断は出来ません。ランディングを見たら吹き流しは、一定方向だったので、様子を見て降りる事にしました。ランディング上空に行き、サイド確認して、大丈夫だと思い、一気に翼端折りをして高度を下げました。アクセルを併用して降下しました。5m位の高度で翼端 を戻して無事にランディングです。24分のフライトでした。その後に降りて来た人達は、アウトサイドしたり河原に降りていました。強風下でのランディングは慎重にした方が良いので、アウトサイドするより河原の方が良いと思います。
妻が5時15分の飛行機で東京に帰りたいと言うのでロールアウトを後にしました。

1998年12月19日(土)63日 (確率63/73)

昨日も休みでしたが、会社の送別会があったので、泣く泣くパラを休みました。今日は、昨日の気象情報でとても良い天気と知っていても立ってもいられなくなりました。朝、6時に家で出て、5分程走った時、靴下を持って来るのを忘れて事に気が付きました。裸足で靴を履くのは、少し辛いので、取りに戻りました。この前に飛んだときに、クロカンをしたので、チャンスがあれば今日も、なんてぼんやりと運転していたら、入る道を行き過ぎてしまいました。ヒューマンファクターで私が言った事がそのとおりになって思わず「今日は、要注意だ」と思いました。
8時に道の駅に到着。最近、「私の足跡」の更新がない、みいが姿を見せました。最近、みいは、パラ三昧の生活を送っている様です。TAKの小泉さんもいましたが、この人も毎日、岩屋に姿を現しています。
ロールアウトのショップに着くと加藤さんがひとりでビデオの編集をしていました。昔、トライアルチャンピオンだった頃、テレビに出演した時のビデオをデジタルダビングしていました。

天気が良いので講習生の人達も集まって来ました。今日は、豪君がいるので、テイクオフを見てくれます。一緒の車でテイクオフに上がりました。南テイクオフに弱い風が入りつつありました。もうTAKさんの講習生の人達は来ていました。みいとユッペがいました。先日のユッペのテイクオフを褒めてあげました。みいもクロスのテイクオフが上達しました。TAKの美女達をデジタルカメラで写真を撮ったりしてフライト前のひとときを過ごしました。
結果的には、天気は、良いのですが、サーマルが弱くて上昇出来ませんでした。2本飛びましたが、2本共ぶっ飛びで終わりました。2本目は、前山の上で弱いサーマルをとらえてほんの少しステイしました。
ラ・ムエッティの佐古さんが来ていたので、挨拶に行きました。新製品のバギラを持って来ていました。私は、試乗しませんでしたが、フォルムがとても綺麗な機体だなあと思いました。

ランディングでARCの河村葉子ちゃんと会いました。名前と顔が一致していませんでしたが、ケイちゃんから聞いて「なあんだ、彼女は、時々見かけていたなあ」と自分の無知さ加減がおかしくなりました。
加藤さんは、「12月は、いつもこんなもんですヨ。天気が良くても上がらないんです」と言っていました。そう言えば昨年のログブックを見ても上がった記録はありませんでした。ロールアウトショップに講習生の女の子が二人いたので、少し話をして写真を撮りました。これからパイロットを目指す大江さんと後藤さんです。
昨日、少し飲み過ぎて疲れた事もあって早めに帰りました。

1998年12月31日(木)

今日で、1998年も最後です。パラグライダーを始めてから、7年が経ちました。昨年から、岩屋で飛んでいますが、ここでフライトする様になってから、フライトの技術は勿論のこと、安全の事、パラグライダー界全体のことなど色々と考えさせられました。「やはり、人間は、社会的動物なんだ」と改めて考えさせられた1年でした。どんなに条件が良くても、たったひとりで飛んでいたのでは、ちっとも楽しくありません。仲間とワイワイガヤガヤやって、順番待ちしながらでも、その方がどんなに楽しいことか・・・。

今年は、スペインで飛ぶ事が出来て、パラグライダーを始めた頃からのひとつの夢だった「海外でのフライト」の実現が出来ました。既に何度もお伝えしていますが、スペインでお世話になった松島俊夫さん、アントニオ石川さん、広島の工藤さんはじめ多くの人達のおかげでとても楽しい日々を過ごす事が出来ました。

9月には、「高嶺の花」でしかなかったクロスカントリー技能証も貰えました。頑固な講習生の私を暖かく指導して下さった加藤校長、豪君、優君、吉井さん、植松さん、そして、風の妖精こと松阪さんに本当に心から感謝致します。ありがとうこざいました。
私の拙(つたな)いホームページを読んで下さった皆様、本当にありがとうございます。ホームページを通して多くの友を得た年でもあります。オニコウベのKazyさんこと、大和田一安さんからは、クリスマスプレゼントとして手作り刺繍の入った「THERMAL帽子」とTシャツを送って戴きました。
宮崎のパラ大好き娘のKazueさんとの出会いも私を勇気付けてくれました。

悲しい出来事も多かった年でした。ハングの事故で亡くなった友杉君の事がきっかけで、安全に対するホームページである「Human Factors」をアップしたのも今年でした。色々な方から激励やご意見を戴きました。パラを通じて私自身が成長出来たのではないかと思います。
今朝、妻が東京から飛びに来たのですが、生憎と冬型の気圧配置が強まっており、岩屋方面は、強風と雨、夕刻には、雪になるのではないかと言う天気です。飛ぶのは諦めて家で今年一年の総決算をしております。来年もまた、安全に楽しく、フライトしたいと思います。
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