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1999年06月16日更新

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1999年04月16日(金)(確率65/77)

今日から3日間、岩屋で思い切り飛びたいと思っていたのですが、昨夜、仕事が終わらずに帰宅したのは、午前2時を回っていました。風呂に入ってパソコンでメールを開いてたりしていたら、寝る時間が無くなってしまいました。今朝は、8時に起きて、朝食を食べてから出かけて来ました。

道の駅に着いたのは、11時半でした。加藤さんの声が無線から聞こえました。「エビさん、風に逆らわないで飛んだ方がいいですヨ」私は、すぐに、「今、道の駅に着きました」と無線を入れました。ショップに着いて食事をしながら空を眺めていたら、4機のパラが飛んでいるのが見えました。山頂を見たら、白いグライダーがテイクオフしました。豪君です。後で分かったのですが、豪君は、XRAYで飛んでいたのです。ショップでひとりでいたら、ハングもやる森さんが来ました。「上がりませんか?」「はい、お願いします」乗せて貰いました。でも、ハングの木村さんが近くのタンボに着陸したので、回収してから上がる事になりました。暫く、空を見ていました。前山の上空を飛んでいたグライダーがいきなり片翼が潰れました。すぐに押さえたので、スピンはしませんでしたが、その後も不安定な動きをしてい る様でした。パイロットも「こりゃ、たまらん」と思ったのでしょう。翼端潰しをして降下しました。かなり上空は荒れている様でした。この様な時に飛んでも楽しくないので、暫く様子を見る事にしました。

加藤さんに、ショップにいる事を無線で伝えたら、「かなり荒れているので、上がって来ない方がいいです」と言って来ました。今日は、岩屋クラシッククロカンコンペの指定日です。私もエントリーしていたのですが、この様な時に飛びたいとは、思いませんでした。私にとって、パラは遊びに過ぎません。仕事ではありませんし、命を賭ける事は出来ません。前山の北の方を飛んでいた豪君から「現在高度1400mです。北東に流します」と無線が入りました。あっと言う間に、フォローを背負って見えなくなりました。エビさんは、移動したらしいです。植松さんはもっと早く移動開始していたらしいです。上空のパラはどうも、蔀さんらしいです。2000m以上、上がっていると思えましたが、移動しようとはしませんでした。森さんと「ひょっとしたらこれから仕事があるんでは」と話しをしていました。

加藤さんがテイクオフから車で降りて来ました。講習生の人達も乗っていました。今日の風では、無理して飛ばない方が賢明でした。豪君と植松さんから無線が入りました。エビさんが大江町の近くに降りたそうです。植松さんは、もっと先に行っている様でした。森さんは、京都方面の地理に詳しいので、回収に向かってくれる事になりました。講習生の人も勉強の為に同乗して行きました。私は、暫く、ショップで加藤さんと話しをしていましたが、寝不足だったので、車の中で仮眠しました。ぐっすり眠っていたら、加藤さんから、「風が変わりました。飛べるかも知れないてので、上がって見ませんか?」と声がかかりました。時計を見たら、もう、4時半でした。慌てて準備をして私の車で上がりました。車は加藤さんが降ろしてくれる事になりました。

3週間ぶりのフライトです。北西テイクオフに正面のやや強めの良い風が入っています。クロスで立ち上げて、振り返り、走って出ようとした途端に浮力を失ってしまいました。思いっきり下のネットに身体を投げ出してしまいました。驚いた加藤さんは、「大丈夫ですか?」とすぐに来てくれました。一瞬、何が起きたのか分かりませんでした。加藤さんに尋ねたら、左の翼の抑えが甘かった為に、前に走ってしまい、タッキングが発生した様です。どうも、久しぶりのフライトで勘が鈍っている見たいです。

再度、テイクオフに上がってラインチェックをして出ました。今度は、無事にテイクオフしましたが、余り上手なテイクオフとは言えませんでした。リッジでノンビリとフライトしました。加藤さんは、私の車を運転して下山しました。たったひとりで飛んでいます。少ししたら、クロカン回収から帰って来た人達がテイクオフに上がって来ました。クロカンしてもまだ、飛ぼうと言う人達を見て凄いなあ、と感心しました。エビさん、植松さん、そして、回収に行っていた古郷さん、武貞君が飛びました。徐々にどこでも上がる様になりました。アーベントです。以前、妻にアーベントを説明するのに、昼間、熱せられた森林が周囲の空気が冷えて来て、上昇気流となる事で、弁当も食べずに飛んでいて、降りてから食べようとしたら弁当がすっかり腐っていた。それを見たフライヤーが「ああ、弁当が・・・」と言った事が始まりだ、と言いました。単純な妻は、「へえー」と感心していましたっけ。(^_^)
豪君は、この日、天橋立を遙か下に見て、その先の丹後半島の突端近くまで飛んだのです。58キロくらい飛んだらしいです。流石です。私は、この様な夢と勇気を与えてくれる青年と知り合いになれて本当に幸せだと思います。勿論、加藤さんがいての事なのですが・・・・。
私は、アーベントの中を最高高度1000m迄上がり、48分フライトを楽しみました。薄暮になったので、ハングのランディングに着陸しました。ランディング前、かなりの強風でした。アクセルを踏んで速度を調整しながら、フワリと軟着陸しました。テイクオフは、いまいちでしたが、今日のフライトの最後は、ナイスランディングで締めくくりました。夜は、黒井屋でクロカン談義をしながら祝杯を上げました。

今宵の宿は、加藤さんの旧宅に泊めて戴いたのですが、私が酒を飲んでいる傍で、豪君が日課にしている腕立て伏せをしていました。毎日、訓練しているのです。酒を飲みながら、このハングリーな青年がますます、好きになりました。ガンバレ豪君。

1999年04月17日(土)(確率66/78)

今日もクロカンコンペの指定日です。明日までですが、どうも、明日は、雨の予報です。道の駅のフライト登録名簿を見たら凄い人数です。この所、土日と言うと飛べない状態でしたから、皆、欲求不満なのだと思います。早い人は、8時前から飛んでいるらしいです。ロールアウトの荻野さん、足立さんが植松さんと一緒にテイクオフに上がると言っていました。私は、ショップに行きました。暫くしてテイクオフから降りて来た、植松さんの車に乗せて貰い上がりました。今日は、足立さとるさんをモデルにNHKが「小さな旅」という番組の撮影をするそうです。加藤さんは、撮影に協力する為に携帯マイクを付けたりしていました。

南テイクオフに正面の良い風が入っていました。でも、空は、どんよりと曇っていて、サーマルは無さそうでした。南テイクオフで順番待ちをしていたら、撮影隊が到着しました。この条件ではクロカンは難しそうです。撮影は、クロカンに出る足立さんを追いかけると言う設定の様でした。手袋もしないで、足立さんはテイクオフしました。豪君も先にテイクオフしましたが、サーマルがない時には、さすがの豪君も沈むだけの様でした。と思ったのもつかの間、殆どの人が沈んで行った中、奇跡的と言うか、只ひとり豪君だけが、じわじわと上がって来たのです。何とも呆れました。「今、塔の近くを飛んでいます。皆、下がりました」と豪君から無線が。テイクオフにいた人達は、「分かってるって!」といかにも悔しそうに言っていました。素晴らしいサーマルテクニックです。

テイクオフで待っている時に携帯電話が鳴りました。嫌な予感がしたのですが、出て見ました、妻からでした。「パソコンが壊れてしまったみたい。立ち上がらなくなっちゃった。サポートセンターに電話したら増設したハードディスクが悪いらしいと言われた」と悲痛な声でした。「う〜ん、どうしよう。東京に帰ろうか」「ううん、何とかする」

心配事を抱えながら、私も出る事にしました。クロスで出ました。昨日よりは、上手なテイクオフだったと思います。しかし、サーマルにヒットしません。渋い中、飛び続けました。南の尾根で粘っていたら、加藤さんから「大久保さん、今、どこにいますか?」と無線が入りました。「南の尾根で渋い中飛んでいます」と答えました。このフライトは、15分でした。降りてすぐに妻に電話を入れました。「書類作成は、古いワープロを使うからいい」と言っていました。でも、何か引っかかりがありました。

今日は、初めてメインのランディングに降りました。今年の1月1日から使用開始になったタンボです。まだ、ぬかるみますが、機体が汚れる事はありませんでした。出口さんが迎えに来てくれて、ショップのすぐ傍に降りたエビさんと一緒にテイクオフに乗せて行って貰いました。再度、出る事にしました。「風の妖精」さんが来ていて「さっきは、15分しか飛べなかったけれど、次は、もう少し長く飛びたい」と言ったら、「16分くらい飛んで下さ〜い」と茶化されてしまいました。結果は、33分飛べました。高度は上がりませんでしたが、まあまあ、楽しいフライトでした。今日は、クロカンには行けそうもないし、パソコンの事が気になっていました。時計を見たら、1時半です。これから戻れば、夕方の飛行機に間に合うかも知れない。豪君が丁度ランディングに講習生の誘導に来たので、誘導が終わってから、ショップまで送って貰いました。加藤さんの奥さんに挨拶をして、帰途につきました。大阪の寮に着いてすぐに着替えて空港に向かい、JAL106便に飛び乗りました。乗る前に妻に携帯から電話を入れました。ビックリしていました。でも、今、何を一番優先させたら良いかを常に判断する事 が必要なのだと思います。自分ひとりがパラで楽しんでも後悔する事になるかも知れません。

こうして、忙しい一日を送りました。パソコンは、増設したハードディスクを取り外して再起動をしたら正常になりました。面目を保つ事が出来た次第です。家に向かう電車の中から加藤さんに携帯を入れました。会えずに帰宅したので、挨拶をしました。びっくりしていました。豪君が多分、優勝でしょうから、表彰式の写真の撮影をお願いしました。HP用に。
尚、この日撮影したビデオは、5月2日18時10分から全国ネットで放映されるそうです。沢山撮影していましたが、どんな構成になるか楽しみです。
パソコンが無事に直って、美味しいワインで妻と乾杯をしました。

1999年04月24日(土)(確率66/79)

昨日から妻が来ていました。しかし、昨日は、終日雨です。とても、飛べる状態ではありません。妻は、大阪伊丹空港に着いて「駄目ねえ」と言う事で納得。私が住む竹見台寮に行きました。寮で一日、妻と顔を付き合わせていた一日でしたが、話題も多く、二人ともパソコンを交互にしたりして、一日があっと言う間に過ぎました。

昨夜の気象情報もそうでしたが、今朝の情報でも全く期待は持てませんでした。朝のNHK連ドラの「すずらん」を涙流しながら見て、さあ、また寝ようと決めていました。9時少し前に電話がけたたましくなりました。加藤さんからです。「今、どこにいるのですか? 今日は、飛べますよ。雨は降っていないし、朝から穏やかな風ですよ」ええっ? うっそおう! 妻に「飛べそうだって、どうする?」殆ど考える事なく「行こう!」朝食を慌ててして、準備をして出かけました。道の駅に着いたのが、1時。ショップに行くと、おや懐かしい加藤さんの奥さんがいました。久しぶりの再会に談笑しました。そして、「風の妖精」も相変わらずの美しい姿をあらわにしていました。私と妻は、テイクオフに目をやりました。タンデムが連続して2機テイクオフしました。加藤さんと優君です。無線を入れると加藤さんから「今、フライト中です」とすぐにレスポンス。この時迄が、良かったんですねえ。

結局、この後は、強風となり、飛ぶ事は出来ませんでした。テイクオフには、2回上がったのですが、一時は40キロと言う信じられない風が吹いていました。諦める事にしました。いつも思うのですが、危険を冒して迄も飛ぶ事はないのです。楽しい飛びでなければ、価値がないのです。残念ですが、先を読むとそれが結論です。
夕食は、黒井屋でしました。その後、加藤さんの新居に行き、「美味しい酒」で乾杯しました。と言うより、私にとっては飛べなかった残念会でしょうか。

1999年04月25日(日)(確率66/80)

加藤さんの新居に泊めて戴いた昨夜、ぐっすりと寝られました。朝、妻が「風が強そうよ」「う〜ん、駄目かも知れないなあ」
結果は、飛べませんでした。今年は、フライト確率が悪いです。もっとも、今迄が良すぎたのかも知れません。ショップに行くと、この所の土日の天候の悪さを反映してか、「今日こそは」と言う意気込みの講習生の人達が大勢集まっていました。でも、風は、ますます強くなる一方です。加藤さんから「大久保さん、何か、話しをしてくれませんか?」と言う事で、新しい講習生も増えたので、Human factorsの講義をする事になりました。ロールアウトでするのは、3回目です。今日は、パラグライダーの話しを中心にしました。皆、熱心に聞いてくれました。1時間ちょっとの講義でしたが、エッセンスは分かってくれたのかなあ、と思っています。パラグライダーは危険なスポーツです。でも、ちゃんと指導を受けて正しく練習すれば、素晴らしい体験が待っているスポーツです。それは、体験した人にしか分からないものです。このスポーツが事故なく、これからも多くの感動を生み出してくれる事を願って、喉をからして講義しました。最後の拍手が私に勇気を与えてくれました。

ミスについて講義した今日、途中で買った酒を帰宅して荷物を降ろして地面に置いたのですが、倒して割ってしまいました。なんと、おろかな事でしょう。妻は「私のせいじゃないわよ!」と一括をくれました。分かってるって! でも、途中で声をかけて、リズムを狂わせてくれたんだ、と心の中で叫びましたが、それは、遠吠えに過ぎません。あ〜あ!!
昨日、今日と折角青垣に行ったのに、飛べませんでした。パラグライダーって飛べる条件がとても厳しいから、飛べる方が奇跡かも知れません。連休は、どうでしょうか?  飛べるといいですネ。

1999年 04月29日(木)みどりの日 66/81

正子は、101便が満席の為に乗れず、関西空港行きの111便に乗って来ました。関西空港からは、バスで伊丹空港まで来ました。伊丹空港から青垣までの途中の道から見た山の木々は、風で唸っていました。多分、岩屋も強風だと予想出来ました。案の定、道の駅に着いたら強風でした。空を見てもパラもハングも飛んでいません。これで、連続してフライト出来ない日が3回続きました。

午後は、黒川温泉に行きました。安福さんと玉青ちゃんも一緒に行きました。黒川温泉は、今まで、何回も来ましたが、いつも、フライトが終わって夜ばかりでした。初めて明るい温泉に入りました。露天風呂から見るとダムの所に大きな風車がありました。夜ばかり来ていたので、気が付きませんでしたが、関西電力の風力発電所があるのです。風呂から出て、黒川ダムを見物に行きました。新緑と湖がとても綺麗でした。
夜は、加藤さんの家に泊めて戴き、皆で鍋で美味しいお酒を戴きました。お休みなさい…。

1999年 04月30日(金)67/82

昨日の強風とうって変わって今日は、おだやかです。午前中にテイクオフに上がりました。南テイクオフから妻とタンデムでテイクオフしました。妻とのタンデムフライトは3本目です。サーマルが出ていて、センタリングして上げました。妻は、上手に体重移動をしてくれます。このタンデム機は、NOVAのTAXIです。とても旋回性能が良く、乗っていてストレスを感じません。しかし、今日は、妻のハーネスの後ろのバツグに荷物を突っ込んだものだから、私は、前に付けていたバリオを見る事が出来ません。音だけを頼りに飛びました。ノーマルルートの尾根の上でセンタリングして上昇している時に、突然、バサッと音がして左翼が潰れました。すぐにひとりでに直りましたが、びっくり。

テイクオフの風が少し強くなった様です。30分以上飛んだので、そろそろ降りるモードに入りました。先に降りた人のレポートでは、メインランディングの風は、やや強めとのことでした。丁度、パブリックの尾根の上を飛んでいたので、ハングのランディングに降りる事にしました。前回、河原に降りた時は、妻の足がハーネスに締め付けられていて、走れなくてふたり仲良くずっこけましたので、今回は、「足は出るか?」「うん、大丈夫」と言う事で、ファイナルアプローチに入りました。風は、西風やや強めです。高度処理もうまく出来て、真ん中に着陸しました。降りた途端に私がずっこけてしまいました。妻は、走ろうとしたのですが、私がずっこけたので、また、仲良くずっこけてしまいました。妻に「お父さんが先に転んだのよネ!」と言われました。「うん…」
タンデムのランディングは難しい。

機体をたたみ終わったら、ハングの藤原さんが来て「上がるよ」と声をかけてくれました。一緒に乗せて貰いました。「もう"上げ屋"は辞めたんだ。今日はのんびり飛ぶよ」と言っていました。南テイクオフに行くと大勢のフライヤーがいました。風は、弱くなっていました。講習生の人達が続々とテイクオフして行きました。私達も再度タンデムでテイクオフをしようとしましたが、風が弱くてクロスハンドでのライズアップが完成しませんでした。諦めて風が良くなる迄待つ事にしました。暫くして少し風が良くなって、アークの三崎校長に「大久保さん、そろそろ良さそうですヨ」と声をかけられました。三崎校長にサポートして貰い、ライズアップしました。綺麗にキャノピーが開き、妻に「走れ」と言いました。妻は、勢い良く走り私は、振り向く間もなく引っ張られてしまい、次の瞬間、ライザーが捻れて浮き上がってしまいました。直そうとしましたが、直りません。当然、コントロールは出来ません。一旦、前に飛び出して、大きくターンして、テイクオフ下の木に引っかかりました。「助かった」テイクオフ下の土手に激突したらと思うとゾッとしました。すぐに無線で「無事です 」と伝えました。大勢の人が救出に来てくれました。暑い中、ツリーランした機体の回収をしてくれました。私も木に登り回収しましたが、久しぶりの木登りで腕が棒の様になり、身体中の筋肉がパンパンになりました。回収した機体をグリーンパークに行き、スナップリングの復旧をして点検したら、Aラインの外側の1本が切れていたのと、キャノピーが一部が破れていました。でも、命に別状がなくて本当にラッキーでした。妻と、タンデムフライトを始めてからの初の事故です。加藤さんからタンデムフライトのレクチャーを受けました。パイロットとパッセンジャーが協力してフライトするのですが、初めて飛ぶパッセンジャーの場合は、会って一瞬のうちにその人の性格を読んで、走り方とかを指示するそうです。妻の場合は、自らもパイロットであり、テイクオフも慣れている為に「走れ」と言われたら懸命に走ったわけです。初めての人では、走れないのですか…・。どうも、私は、「走れ!走れ!」と何度も叫んだそうです。

これから長く、タンデムフライトをするに当たって、今日の「事故」は良い教訓になりました。妻も「これからは、私もキャノピーを見る事にするわ」と言っていました。それにしても、初めて味わったフライトでのノーコントロール状態、大熊君が言うには、断末魔の様な叫び声を上げていたとか…。
夕方、私は、妻を青垣に残してひとりで寂しく大阪に戻りました。妻は、初めてひとりで、青垣の加藤さんの家に泊まりパラの生活を4日間送るのです。

1999年 05月05日(水)68/83

3日の夜、妻は、青垣から帰って来ました。そして、昨日、東京の家に帰りました。連休期間中は、風が強い日が多くて余り満足に飛べなかった様です。私は、昨夜、24時迄の勤務でした。昨日は、久しぶりの大雨の中、外で仕事をしていました。遅く眠りにつきましたが、朝の気象情報をテレビで見ましたが、等圧線の配置は、強風を予想させました。もう一眠りする事にしました。9時前に目が覚めて、加藤さんに電話をしたら、「そんなに風は強くありません。多分、飛べるでしょう」と言うので、出かける事にしました。ショップに着くと富士見パノラマの増田さんがビジターの根本さんと来ていました。上空には、豪君が飛んでいました。XRAY-18にウェイトを積んで飛んでいるそうです。少し風が強めなのでしょうか。飛んでいるパラは余りありません。豪君がルーピングをしました。豪快に回転して身体がキャノピーの上になり下になり、まるで木の葉の様に舞いました。口を開けて見ている自分に気が付き、あわてて閉じましたが、周りにいた人達が、皆、同じ姿勢で同じ表情をしていた様です。
昼食後、テイクオフに上がりました。北西風が正面から入っていますが、少し強い様です。大熊君がテイクオフしてすぐに片方の翼が潰されました。すぐに回復しましたが、どうも、安定していない様です。常陰さんが出ました。「えっ? ブーメラン? いつの間に…」ぐんぐん上げています。私も出る事にしました。クロスで立ち上げて振り向いたら身体が持ち上げられてそのままテイクオフしました。テイクオフしてすぐに右の翼が大きく潰れました。右に旋回して次に左の翼が潰れて50m位高度を失いました。旋回は、すぐに止めましたが、落ちてすぐに回復しました。尾根から離れた方が良いと思い、前に出ました。サーマルが強い北風と混ざって荒れている様です。私が大きく潰れたのを見て、ほかの人達は、様子を見る事にしたらしいです。尾根から離れると安定してサーマルの中でセンタリング出来ました。

13時55分にテイクオフしてフライト時間55分、最高高度1328mで、最高上昇率4.8m/secでした。センタリングしながらパブリックの尾根の上に移動したので、ハングのランディングに降ろそうと北に向けました。「アゲインストの強い風に向けると潰れますヨ」と加藤さんから無線が入りました。そこで、南に進路を取って安全山に向かいました。加藤さんに「安全山近くの河原に降りたいと思います」と無線を入れました。安全山に取り付いたら、「You me town」ユメタウンが見えました。高度からして行けると思い進みました。ユメタウンショッピングセンターのすぐ北に高速道路の工事現場があり、広場になつていました。進路を北に変えてアゲインストの風で無事に着陸。水たまりがない所に着地して喜んでいたら、キャノピーが下がってよけた筈の水たまりにキャノピーがポチャリ。一部を濡らしてしまいました。水たまりに着地すれば、キャノピーは無事だったのに…。
ショップに電話したら加藤さんの奥様の真由美さんが出て、「誰かに迎えに行って貰います」迎えに来てくれたのは、おや、懐かしい親切な山下さんでした。私の車で来てくれました。

ショップに戻って休んでいたら、また、上がると言うので、上がりました。
北西の風がピタっと治まり、東からテイクオフ。弱いサーマルで楽しみました。どこに行っても上がるし、落ちません。アーベントサーマルです。回さなくても上がります。でも、回すと効率良く上がります。17時3分テイクオフ、フライト時間1時間15分、最高高度1019m、最高上昇率3.7m/secでした。パブリックの尾根上空で、750mでしたが、アーベント状態なので、安全山に行けるかも知れないと思い、加藤さんに「安全山に行ってもいいですか?」「いいですよ。気を付けて行って下さい」と言う事で、今日2回目の安全山行きをしました。安全山上空で、800m位でした。安全山上空で飛んでいる時、「安全山の近くを飛んでいるのは、大久保さんですか?」と無線が入りました。「はい、大久保です。ユメタウン近くに降ろそうと思います」「それならこちらの河原に降ろして下さい。奥さんが迎えに来ていますので…」と言うことで、本田さんの誘導で河原に降ろしました。いやあ、狭い河原でした。でも、すぐに本田さんが来て、たたんでくれて真由美さんに回収して貰い無事に帰りました。ありがとうございました。久しぶりにミニクロカンをしました。しかも、2本も!
この日は、「風の妖精」も加藤さんとタンデムで安全山まで飛びました。夜は、加藤さんの家で大宴会をしました。後藤嬢と四元君の山頂からの初飛び達成と嬉しい事が多かった日でした。

1999年 05月06日(木)69/84

昨夜は、増田さん、根本さん、豪君とパラ談義をして飲みました。お酒がだめな豪君も遅くまで付き合ってくれました。ショップに着いて、豪君がメールを読んでいました。「豪君、ロールアウトの掲示板を作ろうヨ」と言う事で、Tea cupの無料掲示板を設定しました。短時間で設定した為に、ウドさん作成のロールアウトホームページへのリンクがエラーになってしまいました。修正は、時間がないので後で、と言う事でテイクオフに上がる事になりました。今日もとても良い天気です。昨日と違い風がありません。ショップの吹き流しは、南からです。でも、テイクオフに行くと北西からの風でした。少し待っていたら東から入って来ました。豪君は上手に出て行きました。あっという間に高く上げています。何人かの人が出た後、私も準備していたら、豪君がトップランして来ました。一回、トップランしかけて再度出て、2回目に無事にトップラン。見事です。私は、弱い東風の中、クロスで立ち上げましたが、少し早く振り向いた様で、テンションが感じられずテイクオフを中止しました。少し、休んで気を取り直して2回目、無事にテイクオフしました。南のノーマルルートの尾根の上でセンタリ ングして高度を上げました。センタリング中に左の翼が潰されました。サーマルのコアからずれていた様です。すぐに自然に回復しました。ベルテックスは、安定性が良く、潰れてもすぐに回復します。また、潰れた時もブレークコードのテンションが抜けるのですぐに分かります。潰れる前に防止操作をして潰さない様にするのが課題です。

11時5分テイクオフ、40分フライト、最高高度1122m、最大上昇率5.0m/sec。センタリングを続けていたら、昨日の飲み過ぎか、眠気が襲いました。「居眠りパラ墜落」なんてニュースの元になるのは、ごめんなので、降りる事にしました。植松さんが1時間半位飛んで、私の少し前にランディングしました。その後、続いてランディング、花谷さんも降りました。メインランディングの一部は、少しぬかるみでした。ショップに戻って休んでいたら、体験の人のタンデムを終わって加藤さんが戻って来ました。昼食を食べながら上を見たら、豪君が高く上げています。雲底まで上げている様です。「今、高度2600mです。流します」と言って南の方に消えて行きました。増田、根本、小寺さんもクロカンに出た様です。優君も飛んでいました。優君とは、今日、一度も会えませんでしたが、高源寺の近くで低い位置から上げ直したらしいです。凄い人達です。高く上げている人達を羨ましく思い見上げていました。

植松さんが、クロカンに出た人達の回収に行き戻って来ました。増田さんは春日インターの近くに、ほかの人達は、安全山の近くに降りたそうです。私は、ショップの庭でビーチパラソルの下で休んでいました。「今日は、もう飛ばなくても良いかなあ」と思っていました。加藤さんが「上がりませんか?」と誘ってくれました。豪君、増田さん、根本さん、植松さん、花谷さん達も上がると言うのでまた上がりました。テイクオフは、風が弱く、どちらかと言うと北西です。クロカンに行った増田さんは、休憩モードです。しかし、風が良さそうになって来ました。植松さんがテイクオフしました。クロスで綺麗に出ました。次に私が出ました。北西正面の風が綺麗に入っていたので、キャノピーの後ろを持ち上げて貰わなくても立ち上がりました。出てすぐに右に流して、南テイクオフの後ろでサーマルを拾いセンタリングしました。このサーマルで一気に上がりました。テイクオフ15時32分、フライトタイム33分、最高高度2395m、最大上昇率5.3m/secでした。650mのテイクオフから出て、最高高度迄の時間が10分でした。1745mを10分で上昇した事になります。2000mを越えた時に、加藤さんに無線を入れ ました。加藤さんから「タキ連山に向かって下さい」と指示がありました。2395mで植松さんと分かれて、安全山に向かいました。フォローの風に乗っての移動なので、GPSは55km/hrから60km/hrの対地速度を指示していました。安全山上空で高度2000mでした。その時に、300m下を小型ジェット機が南に無かって通過して行きました。あっと言う間の出来事でした。

安全山から桐山を超えて、タキ連山を目指しました。前にここを通った時は、高度が低くて、高圧線の高さに圧倒されて逃げた経験があります。今日は、1700mでタキ連山に取り付きました。でも、取り付いても上げがありません。シンクは小さいけれど上げがないので、降りる所が心配になりました。遠くに春日インターが見えます。インター上空を通り過ぎ、降りられる所を探しました。田圃には、もう水が入っています。河原に降ろした方が良いかなと思い、川に沿って飛びました。しかし、上から見ると平らに見える河原が実は、高い木の藪である事が多いのです。電線も通っているので、早めに高度処理をして安全な場所に降りたい。大きなシャベルカーが見えました。近くに空き地がありそうです。そこに向かって飛びました。工事の人達が仕事を止めて空を見上げています。すぐそばの空き地に無事に着陸しました。工事の人がすぐに声をかけてくれました。「どこから来た?」「青垣です」「ほう、そんな遠くから」と感心していました。
すぐにショップに電話を入れました。加藤さんが出ました。豪君もこの近くに降りたらしいです。迎えは、増田さんが私の車で来てくれました。迎えを待っているときに妻から電話が入りました。迎えに来てくれた増田さんと帰る道、随分遠くまで飛んだんだなあ、と改めて思いました。まだまだ、クロカンの初心者ですが、少しずつ距離を伸ばして行きたいと思います。今日の高度は、私が岩屋で飛び始めて最高の高度でした。距離も最長。満足した2日間でした。
それと今日は、八幡君の初飛びもありました。おめでとう。この感動の日を忘れずにいつ迄も安全なフライトをして下さい。

※会社でJEPPESENの航空路図を調べたら、あの辺は、航空路が複雑に走っていて、V55と言う航路は、最低高度が5000ft、即ち、約1650mの高度となっています。近くに訓練空域もあるので、頭の中に入れておいた方が良いと思います。

1999年05月11日(火)70/85

朝5時50分の気象情報を見て今日のフライトは可能と判断しました。朝食後、出かけました。道の駅に到着したのは、10時55分です。ロールアウトショップに着いたら、加藤さんが上に上がる所でした。急いで準備してスクール号に乗り込みました。吉井さんが半年ぶりに来ていました。風は強くて荒れている様です。豪君がテイクオフしました。ぐんぐん上げて、ループをやりました。目の前で繰り広げられるパフォーマンスに息を呑みました。ローリングからウイングオーバーしてからループに入っていた従来の方法ではありません。開始したら一瞬のうちにループに入ります。後で豪君に聞いたら、バーティカルスピンに入れてスピードを急激に増加させて入れるそうです。加藤さんは、テイクオフでその状態をビデオ撮影していました。豪君はトップランして降りて来ました。風は相変わらず強いので一旦下山する事にしました。夕方のアーベントに期待して。
ショップで吉井さんと一緒に豪君のループについて質問しました。バーティカルスピンと言う言葉を初めて聞いたのは、3年くらい前の事です。フラットスピンと違いスパイラル状態で回転の中心がキャノピーとパイロットの間にあり、回復不能な状態と認識していました。レスキューを投げるしかないと。その「危険」なバーティカルスピンに自ら入れているとは、一体、豪君は何を考えているのだろうか。でも、今日目の前で繰り広げられたパフォーマンスが回答でした。迅速にループに入っています。今日撮影したビデオを見てもはっきりと分かります。

夕方、風が少し落ち着いた様なので上がりました。豪君、蔀さん、植松さんがテイクオフして次に私が出ました。北西テイクオフ、風は、やや強め、3〜4m/sです。クロスでテイクオフ後、すぐに上昇しました。しかし、荒れていません。先に出た豪君は、早速ループを始めました。なんと蔀さんもループをしているではないですか。私は、塔の近くで北風の中をホバリングしながら二人のパフォーマンスを見物していました。ブランコに乗った感じで「高見の見物」とはまさにこの様な状態でしょう。上から見るループは凄く迫力がありました。蔀さんも負けてはいません。思わず「すっげえ!」と声を出していました。テイクオフにいた人達は、上からの声に驚いた様です。このフライトは、40分でした。飛べて良かった。メインランディングに降ろしました。
皆で、氷上町にある「あづまや」と言う店に食事に行きました。この店は量が多いと聞いていましたが、本当でした。

1999年05月12日(水)71/86

朝7時に目覚ましで起きました。でも、後、30分寝ようと思ったのがいけませんでした。目が覚めたのは、8時58分です。隣に寝ていた土橋君、豪君もぐっすりと寝込んでいました。加藤さんは、早々と出かけた様です。急いで支度して出かけました。パブリックでモーニングサービスの朝食をしました。風は強そうです。ハングのランディングの吹き流しは真横になっています。ショップに行くと吉井さん、植松さんが来ていました。風が強くてとても飛べそうもありません。植松さんが「大久保さん、名色に行った事ある?」「いや、ないです。行って見たいですね」「飛べるかどうか分からないけれどドライブのつもりで見に行こうか」と言う事で、吉井さんも一緒に行く事になりました。カメラを持って。神鍋迄は50キロあり、1時間くらいかかります。車移動中にアークの三崎校長の携帯に連絡しました。「飛べそうですから来て下さい」と言ってくれました。名色に着いたらランディングで立ち上げの練習をしている人は、アークの講習生の江草百恵ちゃんです。三崎さんにフライトの注意点やサーマルポイントの説明を受けました。テイクオフまでは、アークのスクール号を借りられる事になりまし た。下のタバコ屋さんで入山手続きをしました。フリーフライトひとり500円は、今どきのエリアとしては格安だと思います。シャトル代としてひとり500円です。

テイクオフは、山頂の駐車場から左に少し降りた所です。スキー場なので斜面が長くプレッシャーはありません。但し、両側が木でサイドの風の時、少し注意が必要です。風は、東正面です。南東カラサイドの風が入って来ます。植松さんがテイクオフ。次に吉井さん。私は、ひとり残されましたが、慎重に良い風が来るのを待ちました。ふたりは、グングン上げています。やっと正面から素直な風が来たのでクロステイクオフしました。うまく出られてすぐに右側にリッジを拾いました。「あれえ、上げがないぞ」下がる一方です。どうしよう。三崎さんから教わった「右側の林道の上辺りがサーマルポイントです」を思い出し、林道の上に移動しました。そうしたらバリオが景気良く鳴きました。そこでセンタリングしてトップアウト。「ああ助かった」ふたりはもう豆粒みたいに小さくなっています。私は、小さなサーマルを大事に回しました。おかげでそのサーマルで1850mまで上がる事が出来ました。テイクオフを700mにセットしていたので、1150mのゲインです。写真も撮りました。初めてのエリアで1000m以上のゲインは嬉しいものです。1時間38分のフライトでした。「ランディングは荒れているか ら出来るだけ飛んでいた方が安全ですヨ」と下野さんの声が無線で流れています。でも、もう降りたい気分です。翼端折りして高度処理して少し植えの方に無事に着陸しました。先に降りた植松さんが軽トラで迎えに来てくれました。
三崎さんの話しによれば、名色は岩屋が良いサーマルの時は渋いそうです。岩屋がビュンビュンで跳べない時は、丁度良いサーマルの状態なのだそうです。でも、まさか跳べるとは思っていませんでしたから、とても嬉しいです。寺本慶子ちゃんは、1900mゲインとか。三崎校長始めアークの皆様にお礼を言って帰途に着きました。岩屋では相変わらずの強風が吹き荒れていました。
久しぶりに来たかわすみは、グリーンパークで練習していて肩を擦りむいてしまい、痛々しかったです。可哀想。

1999年05月23日(日)72/87

5時50分のNHK気象情報は、風の情報が出るのでパラに行く時には便利です。昨夜は遅かったのですが、丁度、目が覚めたので見ました。高気圧が関西を覆っていて今日の快晴が伝えられ、風は南からで弱いとありました。パラにはうってつけの天気です。ところが、身体中がだるくてとても起きる事が出来ません。そのまま又寝入ってしまいました。8時半に起きようとしましたが、同じです。このところ、パラに行くか東京行くかの生活をしていて、休日にゆっくり休んでいませんでした。加藤校長に電話して「今日行く予定にしていましたが、体調が良くないので止めときます」と断りました。そして、そのままバッタリとベッドに倒れて寝込みました。1時間半死んだ様に眠ってしまいました。10時に喉が乾いて目が覚めました。身体が楽になっていました。「これから行って見ようかな」とゆっくり準備して出かけました。青垣道の駅には、12時10分に着きました。空にはパラの姿が見えません。海老さんに逢いました。スペイン行き中止した事を伝えました。

ロールアウトショップに着いたら、寺本夫妻が来ていて、すぐに車の傍に来てくれました。土日組の人が大勢いて私の事を歓迎してくれました。笑顔で私に会えて嬉しいと言われると私も嬉しくなります。「やはり来て良かった」身体の調子がすっかり良くなった感じです。加藤さんが出て来て、「これから上がりますが行きますか? 上は風が強いかも知れませんが待って見ましょう」と言う事で上がりました。車を降ろす人はジャンケンで゜決めます。私は、1本も飛んでいないからと除いてくれました。ありがとう。

南テイクオフに3人の講習生が風待ちしていました。正面から良い風が入っていました。講習生の指導は前田さんと植松さんが見てくれると言うので私は飛ぶ事にしました。クロスで一発で上げて出ました。南ノーマルルート上で少し浮きがありました。センタリングしましたが、どうも余り良くない様です。加藤さんから「前山の方に行った方がいいですよ」と無線。アクセルを軽く踏んで前山に行きました。リッジサーマルが穏やかに出ていました。このフライトは24分でした。植松さんがランディングして10秒後に私がランディングしました。機体をたたみ終わったら、寺本さんが「もうひとり乗れますが、大久保さん上がりませんか」と誘ってくれました。言葉に甘えて又、上がりました。ところが南テイクオフにはサイドの風が吹いていました。南西の風です。岩屋で唯一飛べない風向きです。南西の風は吹き降ろしとなる為にローターの巣が出来ます。結果、飛んだのですが、正面から風が入る迄、2時間以上待ちました。寺本さんは「リスクを負ってまで飛ばなくて良い」と言って機体を片づけました。最近の寺本さんはとても慎重です。VERTEXからX-ACTに換えて安全志向で飛んでいる様です。こ のフライトは10分でした。

黒井屋で食事して、加藤さんの家に行き、酒をご馳走なりながらパソコンのセットアップをしました。明日は、確実に雨の予報なので帰ろうと思っていたのですが、酒を飲んでしまったので加藤さんの家に泊めて貰いました。
きつい身体でしたが、来てとても良かったと思います。加藤さんとパラの技術の事とか色々と話し合い得る事が沢山ありました。

1999年05月28日(金)73/88

昨日は、日本列島に強風と豪雨が吹き荒れました。まるで台風の様な風でした。伊丹空港では、強風でYS−11が移動して電源車と衝突して大破する事故が発生しました。明けて今日は、風が穏やかで雨も降っていません。遅く家を出て青垣に向かいました。途中の木々の揺れが気になりました。ショップに着くと加藤さんがひとりでビデオの編集をしていました。植松さんと古郷さんはハングのランディングの草刈りをしているそうです。豪君が来て、パソコンのセッティングの手伝いをしました。無事にセッティングが成功しました。豪君は、夕方から尾神の大会に出かけるそうです。日中、南西の風が吹き荒れていました。午後、3時過ぎにテイクオフに上がりました。加藤さんは、講習生の巽幸代さんとタンデムで飛びました。私は、タンデムの練習台として植松さんにパッセンジャーになって貰いました。加藤さんが出た時は、南正面のやや強めの風でした。次に古郷さんが出た時も同様で、私が後ろを持ってあげました。私と植松さんが出る時、風は弱くなってしまいました。何度か立ち上げに失敗してやっと出たのですが、リッジを取っても降下するばかりでした。流石に植松さんの体重移動 は見事です。楽にターンが出来ました。ランディング場が濡れているのではないかと思い、河原に降りました。石ころにつまずいてしまい、私が転んでしまいました。タンデムはランディングも難しい! このフライトは、11分でした。曇空の中でしたが、とても楽しい飛びでした。帰り、講習生の巽幸代さん(サッチと言うのだそうです)を途中の駅まで乗せて帰って来ました。明日から休みを貰っています。妻と一緒に3日間、青垣の住民となります。

1999年5月29日(土) 74/89

昨夜、最終便のJAL109便で妻が到着しました。朝は、ゆっくりと出かけました。久しぶりのフライトをする妻に「タンデムかソロか」聞いたら最初は「ソロ」と言う答えでした。南テイクオフから出ました。妻は、見事にテイクオフして南のノーマルルートの尾根で上げていました。私は、講習生の人がひととおり出た後に出ました。11時6分テイクオフ。その頃、妻は、塔の方で高く上げていました。私も少しずつ高度を獲得して上げました。この時の最高高度は、1720mでした。最大上昇率は、5.2m/sでした。折角上がったのだからと、加藤さんに無線で連絡して南の方に流しました。安全山まではいつも行っているので、慣れた街道です。安全山の上に行ったのですが、少し上げがありました。回していたらもうひとり近くを飛んでいました。ゴルフ場の上で旋回して高度を保ちましたが、余りゲインしなかったので、近くの河原に降ろそうと思いました。東の方に「ユメタウン」が見えました。あの近くには、何度も行っています。今日は、河原に降ろしました。このフライトは、1時間でした。テイクオフから11.6Kmです。河原に降ろしてすぐにショップに電話しました。真由美さんが出て「迎えに行っ て貰います」と言ってくれました。暫くして出口さんが私の車で迎えに来てくれました。途中で妻から携帯に電話が入り、ローソンにいると言って来ました。安全山北側の河原に降ろして、携帯のない彼女は、荷物を持ってローソンまでとことこと歩いて行ったのです。妻をローソンで拾って一緒にショップに戻りました。

午後から妻とタンデムをする事になりました。16時46分、南テイクオフから出ました。先日、タンデムテイクオフで失敗している為、妻は、少し腰が引けていました。「座らない様に」と注意して無事にテイクオフしました。このフライトは、947m迄上昇して楽しいフライトでした。1時間9分のフライトでした。但し、ランディングの時に少し予測を誤ってランディング場ギリギリでした。土手に足が着いて、何とかエリア内に着陸出来ました。今まで、タンデムで満足なランディングをした事がありません。でも、楽しいフライトが出来て妻も満足でした。このフライト中に妻のハーネスの背中で、バリオとGPSのステイを折ってしまいました。勿体ない・・・。
夜は、黒井屋さんで食事しました。妻のクロカンのお祝いも兼ねて!

1999年5月30日(日) 75/90

講習生の人のテイクオフを見る様に加藤さんから言われて、先に上がりましたが、少し強めで出られませんでした。そのうちに松阪さんが上がって来たので、テイクオフを見て貰いました。妻は、今日も先にテイクオフしました私は、10時6分に出ました。先に出た妻は、私より上でを飛んでいましたが、そのうちに私の方が高く上がって行きました。最高高度1466m、上昇率4.7m/Sでした。昨日ミニクロカンしたのですが、今日も行けそうなので、加藤さんに断って今日も南の方へ走りました。すぐに安全山上空に行き、そこから「ユメタウン」の方へ向かいました。昨日降ろした辺りで、サーマルにヒットして、更に加古川沿いに下りました。以前行った事がある夫婦橋まですぐでした。途中の高圧線が今日は、ずっと下に見えました。この分なら今日は、かなり先まで行けるかも知れないと思ったのもつかの間、凄いシンクです。山南町に入って少し行った所に広い河原があったので、高度があるうちに処理して降ろす事にしました。フライト時間1時間21分、テイクオフから17.8Kmです。着陸してすぐに、「今ランディングした人は、ロールアウトのどなたかですか?」と無線が入りました。「はい、大久 保ですが、どなたですか?」「前田です。すぐ近くの橋の上でずっと見ていました」「えっ、そうですか。乗せて行って下さい」「いいですよ。これからショップに行く所でした」その時、「前田さ〜ん、オレも乗せて行ってよ」ともうひとりの声が。すぐ近くを飛んでいた大垣さんからでした。「大垣さん、今、どこを飛んでいるの?」「夫婦橋上空」「それならもう少し伸ばしてここ迄来てよ」と言う事で、私が降りた近くに降りて貰いました。大垣さんの家はこのすぐ近くです。

前田さんに乗せて貰いショップに無事に戻りました。途中、妻から携帯に電話が入り、昨日と同じローソンにいると言って来ました。また、安全山の北の河原に降りてローソンまでとことこと歩いたのでした。乗れないので、「後で迎えに来るから待っていて」と無線で伝えました。ショップに帰って、妻を迎えに行こうとしたら、加藤さんから無線が入って「初めての人が安全山に向かっているので誘導と回収して下さい」と依頼がありました。優君と一緒に向かいました。矢田さん、高〆さん、キキちゃんです。3人で大体同じ高度で安全山に向かっていました。安全山の北の河原に降ろす様に優君が無線で指示したのですが、東に向かってしまいました。慌てて車を東に走らせました。河原に着くと同時に矢田さんが最終アプローチしていました。その次にキキ、最後に高〆が無事にランディングしました。回収してローソンで長い事待っていた妻を回収して戻りました。
夕方、妻とタンデムで飛びました。講習生の人達は、南から出る事にしましたが、私達は、東に向かいました。増田さんのサポートを受けて無事にテイクオフしました。ほかの機体は高い所を飛んでいましたが、なかなか上がりません。妻に「ぶっ飛ぶかも知れないよ」と言うと「いいよ」と返事。でも、リッジで浮きを取っているうちに東テイクオフ前でバリオが鳴りました。「よし、入った。回すよ」と言って旋回を始めました。ところが風が強いのと上昇成分が弱かった為に上がらずに流されました。あっと言う間に尾根を越えてしまいました。戻ろうとしましたが、もう、戻れない所迄流されました。北西テイクオフ下のネットが目の前に迫りました。あそこにヒットしたら大怪我する、と考えて向きを必死に谷の方へ向けました。谷に向いた瞬間にローターによるものでしょうか、キャノピーがバサッと音を立てて潰されました。そのまま旋回しながら落下してすぐ下の林に落ちました。私の方が下になり、妻が私の胸の上に落ちました。一瞬の出来事でした。足が斜面の土の上に着いていたので、「助かった」と思いました。無線ですぐに連絡しようとしたのですが、無線機が不作動になっていまし た。すぐ上の道路に人が走って来て、「大丈夫ですかあ?」と聞かれたので、大声で「大丈夫です。怪我はありません」と応えました。

回収に大勢のひとの助けを借りて約1時間で出来ました。本当にありがとうございました。
グリーンパークに行って、外したラピッドリングの復旧と点検をしました。上面2カ所に裂け目が入っていました。
反省としては、VERTEXに乗っている時と同じ様な操作をしようとしていたのだと思います。タンデム機は、動きが鈍いと言うのを念頭に置いて操作が必要だと感じました。基本どおりの操作は、いつも必要です。尾根の風下側に入ったら必ずローターで潰れが発生すると思いました。運良くふたりとも怪我をしませんでしたが、テイクオフの壁に叩き付けられたら大怪我で済まなかったかも知れません。
夜は、氷上に食事に行き、今日のクロカンのお祝いとタンデムツリーランのお祓いをしました。

1999年5月31日(月)75/91

快晴です。しかし、風が強そうです。昨夜、豪君が尾神のコンペから帰って来ました。大佐の北娘も一緒に帰って来ました。ショップに行き、タンデムのお客様が3人いて、加藤さんがタンデムで飛ぶ事になりました。加藤さんが飛んで、ARCの慶ちゃんが飛びました。慶ちゃんの飛びを見ていたらかなり荒れている様でした。案の定、慶ちゃんは翼端を折ってすぐに降りました。妻が出ようと準備していたのですが、「止めようか」と言って待つ事にしました。タンデムのお客様3人は、無事に全員飛びました。小寺さん、増田さん、大垣さんと久しぶりの池田さんは飛びませんでした。こんな風が強い時に飛んでも楽しくない。それなのにO佐の人達は飛んだ!
それとM田さんが飛ぼうしていたので、「強いから飛ばない方がいいですヨ」と言っても黙って準備していました。何とか止めなければと思い「加藤さんに無線入れて下さい」と言ったらやっと無線で連絡しました。当然加藤さんから「飛ばないで下さい」と指示がありました。手に負えない風の時に飛んで怪我したりタンボに降りたりしたらエリアの存続の問題が発生します。
結局、M田さんも飛ばず、私達も飛びませんでした。最終便で東京へ帰る妻の為に15時過ぎに青垣を後にしました。妻は、108便で東京に帰りました。東京に帰った妻を待っていたのは・・・・。「水道が漏れて一生懸命に穴を掘って修理していた息子の苦情でした」楽しかったパラグライダー旅行もこの様な事件で辛い結末となってしまったのです。

1999年6月3日(木)

加藤さんから電話が来て注文していたパソコンが届いたそうです。パソコンは、SOTECのPENTIUMV550MHZの最高級のものです。本来なら明日から妻と青垣で「合宿」の予定でした。しかし、東京の家の水道漏れの為に、急遽取りやめて東京へ帰る事にしました。パソコンの設定はベテランのかわすみに依頼しました。

1999年6月8日(火

6月4日に東京に帰って、今日の昼の便で大阪に戻って来ました。大阪に転勤になって東京に4泊5日もいたのは、初めてです。水道の工事とか、長男の婚約者の両親と会食したり、妻の姉の娘のパソコンの設定したり、結婚式場の下見とか色々と行事のあった5日間でした。

1999年6月10日(木)75/92

昨夜は、24時迄の勤務でした。9時半に起きて、朝食を食べてから出かけました。道の駅に12時10分に到着しました。午前中は、飛べたそうです。15時迄、葬式がある為にフライト自粛とのことでした。夕方テイクオフに上がりましたが、南西の風が吹いている為に諦めました。時々、南テイクオフに正面から入って来るのですが、回って入る風で「だまし」の風です。本流は、南西です。南西の吹き下ろしの風は、岩屋では、とても危険な風です。ローターの巣の中を飛ぶようなものです。
夕方、加藤さんと「足立醸造」と言う酒屋さんまで酒を買いに行きました。足立醸造に着いたらシャッターを降ろそうとしていました。まだ、19時前なのに・・・。何とか間に合いました。以前、松阪さんにご馳走になった「田」と「耕」と言うお酒が目当てです。
帰り道にスーパーでつまみ等を買い出しして戻りました。夜、加藤さんとふたりで「美味しい酒」を飲みながらパラグライダーとパソコンの話しをしました。私は昨夜遅かったので、眠くなってしまいました。飛べなかったけれど、加藤さんから良い話しも聞けたし美味しい酒をご馳走になったし、言う事はありませんでした。

1999年6月11日(金)76/93

今日も南西っぽい風です。蔀さんが朝、早くから飛んでいます。加藤さんに「先に行きますか?」と言われてひとりで行く事にしました。道の駅近くを通過している時に無線が入って、「なるみちゃんが来たので送って貰いますから戻って下さい」とのこと。なるみちゃんと言うのは、2本目の高々度フライトで1500m迄上昇して1時間30分も飛んだ「伝説のおんな」です。なるみちゃんに送って貰って上がりました。南テイクオフに先客がひとりいました。何回か立ち上げてテイクオフしました。ボレロです。
私は、ひとりなので慎重に拡げて正面から風が来るのを待ちました。10時丁度にテイクオフしました。南のノーマルルートの尾根上で上げがありましたが、回してもすぐに外れます。南西の成分が多いので、この様な時は、ランディングを過ぎて前山に取り付いた方が良さそうです。このフライトは、27分で、最高高度713mで上昇率は、3.5m/sでした。前山でリッジサーマルで暫く飛んでいましたが、外してしまい、ランディングに向かいました。大熊君が迎えに来てくれました。

なるみちゃんとキキちゃんは、風が強すぎるので、体験の人とグリーンパークで練習しています。板垣さんが飛びましたが、やはり、前山で粘っていました。再度、上がり、加藤さんは、体験の人とタンデム。どうも風が強いのと安定していない様です。暫く、風待ちをしました。GPSがどうも調子が悪く、衛星を認識しません。Garmin45ですが、もう、5年も使っているから寿命かも知れません。GPSは無いときは何とも思いませんでしたが、最近は、持っていないと不便です。対地速度を常に見る事が出来るのと、バリオとドラッグセンサーの併用で風速風向を表示してくれるのは、とても便利です。風待ちの間、色々やって見ましたが、やはり駄目です。

朝から飛んでいた鳥人の蔀さんが東テイクオフにトップランしました。大熊君とふたりで風待ちしている所に蔀さんが来ました。13時46分、テイクオフしました。ライズアップしてテイクオフと同時に垂直に上昇しました。キャノピーを合わせて、安定させてからすぐに前山に向かいました。前山でリッジサーマルで飛びました。風が強くてセンタリングすると山の方に流されます。山の後ろに飛ばされるのを避ける為に、前に出ようと旋回を緩めるとサーマルから外れます。見ていた加藤さんから「フォローに乗ってセンタリングして下さい」と無線で指示がありました。リッジに向かってサーマルが斜めに上がっているのです。そのコアに入る為に山に向かって流す必要があるのです。しかし、山があっと言う間に近づくので、先日のタンデムの事があるので、怖くてすぐに逃げてしまいます。うまく乗れた時には、そのまま上昇して行きます。大箕山をトップアウトしました。そこで、又、前に出たら外れてしまいました。後で加藤さんに説明して貰ったら、大箕山の上では、逆からの風を利用して飛ぶのだそうです。とても難しい風でした。再度、リッジサーマルに乗ろうとしていたら、外してしまい、 あっと言う間に前山の後ろに来てしまいました。高度を失ってしまい、ランディングには戻れそうもないので、降りる所を探しました。タンボの傍に広い空き地があったので、そこに降ろしました。このフライトは、39分、最高高度790mで上昇率4.3m/sでした。ここからショップまで空身で歩いて帰り、車を取って来ました。
グリーンパークに行き、加藤さんに説明を聞きました。その後、遅い昼食を久しぶりに「やぶ蕎麦」で美味しい蕎麦を食べました。
大熊君と蔀さんは、あれから暫く飛んでいました。

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