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1999年10月〜12月のフライト日記へ行く岩屋山ロールアウトでのフライト日記2000年
2000年01月〜03月 Last up date:2000年3月31日

2000年4月02日更新

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2000年02月11日(金)103/131

ニュージーランドへ行っていたロールアウト校長の加藤さんが帰国しました。スクールも開校して、スクール生の人達も張り切っています。妻は、羽田から伊丹行きの飛行機が満席で乗れず、関空へ行きました。関空からバスで伊丹空港に着き、青垣へ向かいました。伊丹の空は青空でしたが、風が少し強いかな、と言う感じでした。青垣への途中、篠山の田圃は雪で真っ白でした。北海道の景色の様です。柏原辺りから雪は少なくなりました。青垣には、11時少し過ぎて到着です。途中、UDOさんから携帯に電話が入り「南西の風で飛べませんからゆっくり来て下さい」と連絡が。
ショップに着くと、人は少なく寂しい感じでした。加藤さんのパソコンのインターネットの設定のやり直しをUDOんがやってくれていましたが、メールの設定がされていなくてメール送受信が出来ませんでした。到着してすぐに5分で設定が終わり、送受信したら70通位のメールが受信されて来ました。

妻は、加藤さんから「クロスカントリー証」を貰いました。技能証番号は、3566番です。1999年12月28日付けです。本当に1999年最後のクロカンパイロットでした。にこにこして喜んでいる妻を見て「本当に貰ったんだなあ」と、私は、信じられない気持ちです。
加藤さんが撮影したニュージーランドのビデオを見せて貰いましたが、フライト中の加藤さんが映っているビデオはとても不思議です。加藤さんが色々とマヌーバーをする操作が全部見られます。このビデオを編集して「教科書ビデオ」として使われます。口で説明しただけでは理解出来ない操作が良く分かります。でも、スパイラルで下の地面が上に来てグルグルと回転するのは、凄い迫力です。バックのニュージーランドの風景も綺麗でビデオの完成がとても楽しみです。

南西の風が吹く中、テイクオフしたパラが数基ありましたが、平凡なぶっ飛びでした。昨夜、遅かったので、車の中で昼寝をしました。妻もずっと寝不足が続いていたそうで、車の中で眠っていました。飛べないと諦めて殆どの人が帰って行きました。午後3時過ぎ、車の窓から外を見たら風がおさまっていました。山頂を見たら、あれえ、飛んでいる! 最初、寝ぼけ眼で、トンビかと思いましたが、10機以上のパラが山頂近くでソアリングしていました。慌ててショップに入り「飛んでいますヨ!」

急いで、準備をして上がりました。残っていたのは、UDOさんだけでした。加藤さんと妻と4人で上がりました。途中の道は、山頂近くで積雪が多く、普通の車では無理の様でした。四駆のハイエースがスタッドレスタイヤを着けているので、安全に登って行きました。飛んでいたのは、TAKの人達でした。北西テイクオフに私達が上がった時は、風が垂れて来ました。加藤さんは、「トップラン出来るなら飛ぼうと思っていたけれど、垂れたので車を降ろします」と言ってくれました。UDOさん、妻が飛んで、私が最後に飛びました。クロスでテイクオフしましたが、やはり、弱いです。16時36分テイクオフ、9分のフライトでした。2000年の初フライトは、穏やかな空を飛びました。メインランディングはぬかるんでいるので、皆、河原に降ろしました。
ランディングにスカーレットさんが迎えに来てくれました。スカーレットさんは、今日は、飛びませんでしたが、これから加藤さんのお宅で新年会を兼ねて宴会です。私は、「2000年厄除け招福の酒・超辛口」を持って来ていました。この酒が超旨くて、酒を飲まない下戸のスカーレットさんがマイグラスでお替わりをした程です。飲み心地爽やか、今年の厄除けを約束してくれた様で、最後の一滴は、UDOさんの喉を通って行きました。少人数で一升空いてしまいました。明日、頭、ガンガンになっても知らないから!
夜遅くまで、パラ談義が続きました。

2000年02月12日(土)104/132

朝起きたら、外は、霧で真っ白でした。寒い朝です。ショップに行くと今日も上は南西の風です。スクール生の人が来たので、テイクオフに上がって待つ事にしました。UDOさんが車を降ろしてくれました。テイクオフにはまだ誰も来ていませんでした。やはり南西です。暫く風待ちとなりました。他のスクールの人達も続々と上がって来ました。この所、土曜日の条件は良いそうです。しかし、日曜はずっと雨か雪で、日曜しか休めない人達は、飛べずにストレスが溜まっていると言っていました。
10時過ぎ、時々、風が正面を向く様になり、ベテランのパイロットの人達が少しずつ出て行きました。飛びたくてウズウズしているスクール生が空を眺めています。

加藤さんから「スクール生が飛べそうもないなら大久保さん、先に飛んで下さい」と無線が入りました。飛ぼうかなと思っていたら、風が正面を向く回数が増えて来ました。私はいつでも飛べるから、スクール生を飛ばせて上げたい、と思い、「条件が良くなりつつあるのでもう少し待ちます」と言ってパイロットの人達に先に出て貰いました。UDOさんや妻も出ました。スクール生のうち、比較的上手な人に準備をさせました。加藤さんから「そのふたりだけ出して大久保さん飛んで下さい」と再度無線。結果、条件が良くなったので、「全員を出したいと思います」と言って全員に準備させました。そうしたら他のスクールも講習生の人達を飛ばす様になって、あっと言う間に順番待ちの長い列が出来てしまいました。仕方がありません。全員を出す為に1時間半以上かかってしまいました。先に飛んだ人達は、空高く上がっています。残るスクール生はひとり。でも、順番待ちで30分以上かかりました。私がテイクオフ出来たのは、13時37分でした。飛び終わった妻がテイクオフに上がって来ていました。「やっと飛べた」と思ったのもつかの間、垂れて来てしまいました。フライト時間18分、最高高度768m、 上昇率2.9m/secでした。高く上がっていた人達は、高度を維持して飛び続けていましたが、私は敢え無く降りてしまいました。後から飛んだ妻が先に降りていました。NPの人達が高く、長く飛んでいます。良かったネ! Seraさんが、私のすぐ傍にランディングして来ました。ニコニコして「粟鹿を取って来た」と言っていました。良かったネ!

「風の妖精」が来たので、テイクオフを見て貰える事になりました。再度、飛ぼうと思い上がりましたが、テイクオフの風は弱く出られません。南テイクオフに風が入っている様なので移動しました。しかし、南西の風でサイドでした。北西に行ったら無風。戦意喪失してしまいました。この様な時は、飛ばないに限ります。今日は、諦めました。日も陰って来て、つるべ落としの様にあっと言う間に夜のとばりが来ます。また、いつか良い条件で飛べる日があるでしょう。
今日も加藤さん宅で宴会です。こんなに毎日、宴会してええんかい? う〜、サブイ!!
妖精が持ってきてくれた美酒に乾杯。妖精のうんちくを覚悟していたのに、今日は短かった(^_^)

2000年02月13日(日)104/133

今日は、風が強かったら妻とタンデムをしようとタンデム機を準備しました。しかし、ショップに着くと空からポタリ。ええっ、今日の雨の確率は20%なのに! でも、降ったら100%です。「すぐに止むだろう」と言う考えは、希望的観測と言って自分に都合が良い方向に考える人間の習性です。そう言う事は必ず裏切られます。案の定です。でも、下で待っていても飛べないから上がる事にしました。メンバーを見たら、妖精が上を見てくれるので、運転が出来ない妻を除くと、後は、スクール生です。当然の様に、私が車を降ろす事になりました。小降りですが、雨は降り続いています。幸いの事に風は良いので、飛ぶ事にしました。私は、車を降ろして下に来たら、全員飛んでいました。小降りと言っても雨の中を飛ぶのですから、正面から雨が顔にぶつかります。ずぶ濡れです。でも、飛べたネ!

「そのうち止むだろう」と再度、テイクオフに上がりました。「今度は飛ぶからネ」と車を降りると、妖精が寒そうに近づいて来ました。雨が降っているだけでなく、霧で視界が悪くなっていました。またもや、戦意喪失です。「降りようよ」
ショップに戻る頃、本降りとなりました。ジャム勝からhalさん、さちよさんが来ていたのに残念です。

このような時は、前から計画していた「エル・フラメンコだ」に予約の電話をいれました。加藤さんに挨拶をして青垣を後にしました。梅田のヘップファイブ5階にあるエル・フラメンコは、タブラオとして有名です。予約した時間まで少しあったので、隣のバルで軽く食事してサングリアを飲みました。「アンダルシアの風が舞う・・・セビリアの舞姫たち」と題して女性4名、男性5名のショーです。今回は、若いメンバーでしたが、とても上手でした。お人形さんの様に可愛いメルセデスと19歳のアンドレスが良かった。
パラは飛べなかったけれど、楽しいフラメンコで充実した日でした。(妻は、14日の106便で帰京しました)

2000年02月23日(水)105/134

昨夜の気象情報で、移動性高気圧により冬型が崩れる事を報道していました。東京へ帰るつもりでいたのですが、飛行機が満席で乗れない事が分かりました。よし、いくぞ!と希望を持ちました。しかし、仕事は、24時迄です。夜中の1時に会社を出ました。こんな時は、すぐに眠れば良いのは分かっているのですが、そこは、50年以上も人生をやって来た私としては、人間としての生きる楽しみを捨てる訳には行かず、つい、「菊水」と言う酒を飲み始めてしまいました。これがとても旨いんです。まあ、飲みながら、ビデオを見ながら、パソコンでメールを取り込み、あちこちのホームページを渡り歩いているうちに寝る時間になりました。結果、寝たのは、午前3時半です。

朝、5時50分からの気象情報は、唯一風の情報が出るので、飛びに行く時は必ず見ています。風は、西から北西、やや弱いとありました。さあ、起きようと思いましたが、頭が起きてくれません。結局、そのまま眠ってしまい、起きたのは、午前8時です。
準備をして、8時30分に出発しました。掲示板にUDOさんが「176号を通った方が無難」と書き込みしてくれたので、猪名川の新しく出来たローソンを左折 しました。ショップに着いた時、ケイちゃんと波多野さんがいました。キキちゃんがすぐに来て、加藤さんが運転するランクルでテイクオフに上がる事にしました。

テイクオフへの道は、それは、ビックリ、凄い雪です。景色は、北海道と変わりません。ランクルのタイヤはスタッドレスではないそうです。心配です。でも、運転技術抜群のテクニックの加藤さんは、微妙なテクニックで登って行きます。凄い! 凄い!
ズルッ!と滑るとすかさずアクセルを緩めます。そして、徐々にアクセルをふかしていき、登って行きます。トライアルの技術と通じるものを感じました。
山頂は、雪でべっとりです。2m以上の積雪がテイクオフにありました。別世界です。こんな岩屋は初めてです。こんな素晴らしい岩屋の景色を見られただけでも満足です。
キキちゃんが良い風の時にテイクオフしました。続いてケイちゃん。そして、京都に行かなければならない波多野さんに出て貰いました。私は、最後になりました。でも、ハングの和田君とツラ君がいるので、サポートして貰えました。テイクオフに積もった雪で丁度パラグライダーのランチャー台状態になっていて、後ろを持たなくても綺麗に開いてくれます。一度立ち上げましたが、サイドの風が吹いて、降ろしました。和田君とツラ君が拡げてくれました。次は、うまく立ち上がりました。雪の景色の中に飛び出ました。白一色の景色は、とても素晴らしく、デジカメのシャッターを押しました。
ランディングは、これまた、雪で白一色です。ランデイングして足が着いたら、そのまま滑ってしまいました。転倒せずに無事にランディングです。楽しいフライトでした。

テイクオフに着いた時に、BMWさんから電話があったので「これから飛びますので、来て下さい」と言いました。BMWさんは、15時過ぎに到着。ハングの車の回収を兼ねて、また、加藤さんの「微妙なテクニック」の運転で上がりました。
テイクオフにTAKの正ちゃん達がいて、雪遊びをしていました。
BMWさんは、飛ぶのを躊躇っていましたが、「良い風の時に出ればいいですヨ」と言ったら準備を始めました。風は、南西、飛べない風です。しかし、少し待つと正面から程良い風が入って来ました。見事なテイクオフです。
その後、私が構えました。風は、南西が強くなって来ました。正面から入った時に立ち上げました。強い風で引きずられてしまいました。慌てて、キャノピーを降ろしました。Bライザーを引いてキャノピーが上がらない様にしなければ、暴れます。この時、ブレークコードを持ったままBライザーを引くと、ブレークコードも一緒に引いてしまい、キャノピーが浮き上がってしまいます。加藤さんに注意されて、ブレークコードを放したらすんなりとキャノピーは落ちました。暫く待ちましたが、風は、益々強くなる一方です。もう、4時半を過ぎています。寒さも強まる一方です。「迷った時は、飛ばない」の鉄則を守る事にしました。キャノピーをまとめて担いで駐車場に持って行き、たたみました。ああ〜、命びろいした・・・。
でも、BMWさんが飛べて本当に良かったと思いました。BMWさんは、「とても気持ちが良いフライト」だったと喜んで報告してくれました。嬉しそうな笑顔を見たら、私まで嬉しくなりました。

下りのハイテクニックを見せて貰い改めて加藤さんの運転テクニックに魅了されました。
今日は、とても価値がある一日だったと思います。
ショップに戻ると、芦田さん、生野さんが来ていて、暫く談笑しました。
夕食は、豪華に和田山まで遠征しました。今日一番の飛びをしたBMWさん、本当にご馳走様でした。(^_^)

2000年02月24日(木)105/135

昨夜は疲れていたせいか、ぐっすりと眠りました。朝、起きて外に出たら雪がうっすらと積もっていました。気象情報では冬型の気圧配置だと言っています。北西の風が強いと報道していました。ショップに向かう時は、雨が小降りでした。今日は、予定どおり、飛ばずに帰るつもりです。ショップでパソコンの話しとか雑談をして、昼頃に帰途に着きました。帰りは、篠山の峠を通りました。猪村の所も道路は積雪も氷結もありませんでした。途中、激しく雪が降って来ましたが、4WDなので安心して車を走らせました。大阪は、快晴です。僅か2時間のドライブで雪国から帰着してしまいました。
短いフライトしか出来なかったのに、とても、満足しました。「良いフライト」って時間が長いとか高く飛ぶ事だけではないと改めて感じました。私が飛ぶのは、所詮、遊びです。「楽しくなければ遊びじゃない」のです。楽しいからこそ、遊びだと思います。つくづくと感じた二日間でした。感謝、感謝!!

2000年03月18日 (土) 106/136

妻は、羽田から伊丹行き飛行機が満席だった為、関空行きで来ました。昼過ぎに青垣に着きました。空を見たら何機かのパラが飛んでいます。しかし、風が良くないのか、続いてテイクオフするパラはありません。前山の上空に集まっています。南西の風が吹いている様です。メールで知り合った山口さん夫妻が来ていました。実際に会うのは今日が初めてです。奥様の雅子さんは、加藤さんがタンデムフライトしているらしいです。山口さんも一緒に、BMWさんとテイクオフに上がりました。テイクオフには、「風の妖精」がひとりいました。他のスクールの人もいましたが、どうも、強くて出られない様です。加藤さんから「状態が良くないので飛ばないで下さい」と無線が入りました。下の風は凄く強い様です。テイクオフには、時々、ブローが入ります。暫く、テイクオフに座って風待ちしながらお喋りしました。飛べなくても岩屋の風景を見ているだけで、とても気持ちが良いものです。妻は、と言うと、テイクオフの芝の上で昼寝をしています。

加藤さんがタンデムをするのに上がって来ました。先ほどの強いブローはなくなりました。風の妖精とタンデムで出た途端、ノーマルルートの上でサーマルにヒットしてセンタリングを始めました。グングンと上昇して行きました。結構強いサーマルに当たった様です。
加藤さんから「安定しているから飛んだらどうですか」と無線が入りました。しかし、まだ、安定していないと判断して、「もう少し安定する迄待ちます」と答えました。

やっと落ち着いて来た様に見えた頃、世良さんが来て拡げ始めました。手伝いながら、ダミーで出て貰う事にしました。世良さんが出て、BMWさん、妻、山口さんが出ました。私が出ようとした時、風が無くなってしまいました。暫く、風待ちしてやっと出ました。ノーマルルートは、サーマルがなく、真っ直ぐに前山に向かいました。先に出た妻や、BMWさんは、高く上げています。前山の上で粘りながらセンタリングしました。しかし、強い風で後ろに流されてしまい、気が付いた時には、相当後ろに行っていました。アクセルを踏んだら少しずつ前に進みました。しかし、高度も下がったので、どこかに緊急ランデイングしようと探しました。その時、加藤さんから「ルートが良くないから、ランディングの方へ来て下さい。そのまま大丈夫だから来て下さい」と無線が入りました。言われるとおりにランディングの方向に下がりながらも進みました。正面からの風を受ける位置に移動して来たら、上昇しました。荒れているし、風が強いので、センタリングするとすぐに後ろに流されます。注意して飛んでいたら、下から加藤さんがハンドランチグライダーを飛ばして来ました。私のすぐ下をグライ ダーが飛んで来たので、負けない様に上げました。
妻が飛び飽きたのか、ランディングアプローチに入りました。加藤さんが誘導していましたが、この時、妻の無線は、通じていなかったと後で知りました。少し反応は遅かったけれど、ちゃんと加藤さんの誘導どおりに飛んでいたのは不思議でした。

妻が無事に降りてから、私も1時間過ぎたのでランディングしました。私が降りてから間もなく、秀ジイこと藤田さんが降りて来ました。あの強く荒れた空を4時間以上も飛んでいたそうな。呆れました。久しぶりの岩屋でしたが、とても楽しく飛べました。高さはないけれど、長時間飛べたので嬉しかったです。
夜は、久しぶりに宴会でした。元気森森さんからの差し入れの地酒と、山口さんからの地酒2本に俄か仕立ての「日本酒ソムリエ」が勝手な批評を言いまくっていました。私が持って来た、ロゼと白ワインは、下戸の人達に好評でした。明日の好条件を期待して眠りに着きました。

2000年03月19日 (日) 106/137

朝、起きたら強い風が吹き荒れていました。予報では、雨になると言います。風が強く、しかも、南西の向きなので飛べません。そのうちに雨も降り始めました。今日は、諦めて、一旦、大阪に戻る事にしました。戻る途中、妻の友人がパソコンの調子が悪いと言っていたのを思い出して、パソコンの修復に行って上げる事にしました。携帯で電話したら、大喜びでした。
枚方にあるその人の家に着いて、約1時間、奮闘して無事にパソコンは修復出来ました。久しぶりに会った妻の友人夫妻とお酒を酌み交わしながら談笑して楽しい時間を過ごしました。

2000年03月20日 (月) 106/138

今日は、春分の日、沢山のフライヤーが期待してやって来ました。しかし、強い風が吹き荒れています。残念ですが、飛べる状態ではありませんでした。ショップから覗く、望遠鏡では、木々が激しく動く姿が映されていました。夕方、我慢出来ずに、「イリボウ」「だるこ」私達夫婦は、ランディング場に立ち上げ出来ないか行って見ました。風が良さそうなので、機体を拡げて立ち上げの練習を始めました。もう、夕闇が迫っていました。時々、好い風が入って来て、クロスで上げられましたが、北西の風が弱くなり、ついに無風になってしまいました。双眼鏡で岩屋の山頂を見たら、南テイクオフ下の木々はまだ、舞っていました。いつ迄も止めようとしない3人を促してショップに戻りました。少しですが、身体を動かして汗をかいたので、気持ちが良かったです。夜は、美味しいビールを戴きました。

2000年03月21日 (火) 107/139

昨夜見た気象情報によると今日の天気は移動性高気圧に覆われてとても良いフライト条件になると思われました。でも、平日だから人も少ないだろうと思ったのが間違いでした。どこから湧いて来たのかと思う様にショップには人が来ていました。人が集まったので第一便、上がりました。スクール生が二人いるので、テイクオフは私が見る事にしました。パイロットの武貞君にダミーで出て貰い、スクール生のふたりに続いて貰いました。妻も出て、誰もいなくなったテイクオフで一人で準備をしてテイクオフしました。風は、南正面から良い風です。サーマルはまだ弱い様です。南のノーマルルートの尾根の上にはリフトがありませんでした。
荻野さんがランディングに回収に来てくれました。「このまま上がりますか?」と聞くと「いやあ、大勢ショップに来ていますヨ」と。ショップに寄らずに上がったら、殺されそう…。

配車の手配をして、再び、上がりました。今なら、余り荒れていないから、スクール生の人達に先に飛んで貰いたいと思い、私と武貞君が車を降ろす事にしました。テイクオフは荻野さんに見て貰いました。
この時は、ぶっ飛びで終わった人と、長時間フライトした人との分かれ目になりました。最初は渋い中をじっくりとセンタリングしてジワジワと上げて行き、高々度まで上がったUSA708君。見事でした。この日は、多い人は、4本のぶっ飛び、私も、3本ぶっ飛びました。サーマルが弱まった時を狙って飛ぶのも珍しい。でも、後日談ですが、長時間飛んだ人達は、風邪を引いたり、花粉症になったりしたそうです。あ〜あ…。
まだ、3時過ぎでしたが、もう、十分と思い、夕食の準備にかかりました。飛べなくて、立ち上げだけで終わった日を思うと、ぶっ飛びでもとても楽しいと思います。

2000年03月22日 (水) 108/140

連休明けの平日ですので人は少ないです。植松さん、慶ちゃん、松下さんだけです。朝から強い風です。空を見上げては、ため息です。妻は、前から気になっていたと、トイレの掃除をしようと言いました。洗剤とか道具を買い求めてせっせと掃除を始めました。「飛べない時でないと出来ないから」と綺麗にしていました。私も負けずに掃除機をかけました。しかし、吸い込みが悪くて駄目です。中を開けたら、なんと、ゴミがいっぱいです。カートリッジを買って来て交換したら、見違える程に吸い込みました。掃除は綺麗になるから楽しいです。
植松さん、慶ちゃん、松下さんが様子を見に来ました。そして、「部屋のレイアウトが良くない」ので変えようと言い出し、ああでもない、こうでもないと色々と案を出しています。勝手に人の住まいのレイアウトを変えていいのでしょうか? いや、もう止まりません。やって見たら、結構いい感じです。移動したテーブルが木かと思ったら、大理石で出来ていたのです。凄く豪華な品物でした。パラグライダーのスクールってこんなに儲かるの? 
後で聞いたら、貰い物だとか…。

と言うような事をしたりして一日過ごしていましたが、植松さんが、「4時頃には戻ろう」と真顔で言っていました。この時は、まさか飛べると思っていませんでした。現に、松下さんは、この後、神戸に帰ってしまいました。
5時頃、テイクオフの吹き流しを見たら、少し弱くなっていました。植松さんが「ドライブしに行こうか」と言うので、妻と慶ちゃんを誘いました。妻は、喜んで準備しています。「飛べないかも知れないからネ」言って置かないとたいへんです。
テイクオフに着いたら、風は弱く、北西正面から入っています。クロスで十分に上がる風です。「うっそー」と言いながらも喜んで準備しました。最初に植松さん、ナイステイクオフでした。次に慶ちゃん。とても良い風です。妻も上手に出ました。今日も、ひとり残された私は、ひとりでセッティングしてクロスで上げました。ヘナヘナヘナと上がりません。風が急に無くなってしまいました。
暫く、イライラしながら待ったら少し風が来ました。でも、駄目です。植松さんは、塔の方で高く上げているし、妻と慶ちゃんは、すぐ上をリッジの風を使って飛んでいます。焦るなあ…。

やっと良い風でテイクオフしました。でも、弱い弱い…。皆の下を這いつくばって飛びました。でも、飛べたんです。夕陽がとても綺麗です。静かに静かに飛びました。15分位飛んでから、だんだんと風の勢いが弱くなりました。植松さんがテイクオフに向かっていました。「あれ、トップランかな」と思っていたらそのまま飛びすぎて行きました。「そうか、トップランすれば車の回収に上がらなくても済むんだ」と考えて、トップランのアプローチをしました。テイクオフの右から塔の方向に向かってテイクオフエリアにアプローチしました。丁度良い風です。気がついたらテイクオフの斜面に足が着いたので、ブレークコードを引いて降りました。岩屋では二度目のトップランでした。
キャノピーをまとめていたら、見慣れた人が歩いて来ました。「遅かったかな〜」と蔀さん。
蔀さんは、すぐにテイクオフして、5分位飛んで、トップランした様です。
私は、車を降ろしました。
夜は、今日のフライトを祝して、妻の手料理と私の足手まといの料理で乾杯しました。妻得意のコロッケです。久しぶりに食べたけれど、美味しかったです。

2000年 03月23日(木) 108/141

昨夜は、食事をしながら「明日はきっといいぞ」と話していました。こう言う時に話す事って余り根拠はありません。「良くあって欲しい」と言う願望と希望的観測が支配するからです。朝、5時50分の気象情報を見て、それが、現実のものとなりました。今日の強風と「春の嵐」の到来です。せめて午前中は持って欲しいと言う思いもはかなく、昼前に凄い風が吹き荒れ始めました。多分、明日も続くでしょう。この様な時は、潔(いさぎよ)く、諦める事です。青垣を後にしました。
途中、妻の友人のパソコンの調子が悪いと言う事を思い出し、携帯で電話しました。彼女は喜んでいました。帰宅後、枚方のその人の家に行きました。約1時間の奮闘で無事にパソコンは正常に戻りました。苦労した後のお酒は美味しい。食事とお酒をご馳走になって帰宅しました。

2000年03月24日(金)

朝から強風です。多分、青垣も同様だと思います。午前中、妻にパソコン教室をして、昼頃に梅田に行きました。映画鑑賞です。「アンナと王様」加藤さんの奥様の真由美さんが感激して4回も見たと言う…。
時間があったので、ドコモのサービスステーションに行き、モバイル体験をしました。今、私が使っているのは、携帯でのモバイルですが、パケットとPHSも体験しました。PHSがとても早いのには驚きました。しかし、数年前、PHSを使っていて、つながらない事が多かったので、携帯800MHZにしたのです。最近はどうなのでしょうか? ロールアウトの掲示板に書き込みをして映画館に移動しました。
タイの王様とイギリス教師のアンナのドラマは、過去に映画化されたり舞台化されているので、知っている人が多いと思います。でも、今回のは、とても感動しました。絵も綺麗だし、音楽もとても迫力がありました。やはり、映画は、いいですねえ。
夕方、空港のホテルで会社の歓送迎会があり出席しました。人事異動の時期です。私もいつ迄、大阪にいられるのかなあ、としんみりした日でした。

2000年03月25日(土) 108/142

いつもの様に、朝、5時50分からの気象情報で風の予報を見たら、西の青から西の赤でした。と言う事は、殆ど飛べないと言う事です。でも、今日しかありません。妻と相談して、「牡蠣蕎麦を食べに行こう」と出かけました。実際には、やぶ蕎麦は、今日は、法事で休みだったのです。この前行った時に聞いていたのに…。
でも、とても大好きな青垣にいるだけで、気分が爽やかになるのです。妻は、胃の検診で、胃壁が荒れていて薬を飲まなければならない状態だったそうです。でも、青垣に来てからは、薬も飲んでいないのに胃の痛みも無く、毎日、酒、ワインを飲んでいます。青垣って病気を治すオーラかなんか出ているの?

まあ、妻の仕事はストレスが溜まる様だから、たいへんです。
と言う訳で、青垣に行ったら、楽しい友人達が待っていました。パイロットもいるし、スクール生もいます。でも、皆、平等です。社会人として皆、立派に仕事をしている人達が、パラを通じて交流を深めているのです。年令、男女の差もありません。
久しぶりに出会った人達と談笑するひとときの貴重な事。飛べなくたって、楽しいのです。
外は、雨です。風も強いです。でも、ロールアウトのショップの中では笑い声が響き渡っていました。
とうとう、今日も飛べませんでした。イギリス帰りのUDOさんの話しを聞いて、イギリスに行った気分になったりして、とても楽しい時間を過ごしました。
近く、「ロールアウトの仲間」と言うHPをアップします。とても素敵な仲間達の紹介です。乞期待。
妻は、26日の朝、7時20分の飛行機で東京に帰りました。

2000年03月30日(木)109/143

飛行機の整備の仕事をしていると不規則な生活を余儀なくされます。昨夜もトラブルがあって午前3時迄会社にいました。帰ってからメールを見たり風呂に入ったりして眠ったのは、4時半を過ぎていました。でも、今朝は、8時半に目覚ましをかけておいてちゃんと起きたのです。朝食を食べてから出かけました。青垣へ向かう時の気持ちはとても晴れ晴れとしています。
青垣道の駅に着いたら、アークの三崎校長と会いました。ビーチサンダル姿で半袖の私の姿を見て「もう夏ですねえ」と笑っていました。
加藤さんはショップにいました。1本飛んだ人達が戻って来たので、一緒に上がる事にしました。今日は、BMWさん、オウダさんと言うハンドランチグループが来ていました。BMWさんは、私と同年代で人の気持ちが理解出来るとてもナイスな人です。そして、いつもの慶ちゃんです。数学の先生の岡野さんはとても良い人です。どうして独身なの?

久しぶりに良い天気の時に飛びます。北西テイクオフからです。どうしても私は最後に残されてしまいます。今日も当然の様に最後でした。でも、良い風だったので楽に出る事が出来ました。出て、すぐに、リッジで飛んだのですが、さっぱり上がりません。この様な時は、リスクを抑えてノーマルルートを飛んでランディングに向かう所謂ぶっ飛びが一番です。ノーマルルートに行ったらセオリーどおりのサーマルにヒットしてグングンと上昇して行きました。一気に1000メートル以上に上がりました。「久しぶりに安全山かな」と思いました。でも、回収の事もあるし、そう簡単には行けません。パブリックの尾根上空を飛んでいる時に加藤さんから「ランディングの風が強くなって荒れています。高度がある人は、安全山方向に流してついでに降ろした方がいいて゛すよ」と無線が入りました。「は〜い、安全山方向に流してついでにランディングします」と訳の分からない事を言って、向きを南に変えました。そうしたらフォローの風を受けて一気に50キロの速度で移動しました。途中で杉本自動車の尾根で少しリフトがあって回しました。BMWさんはと言うとちゃんと回して上げているではありません か。ちょっと前に翼端を折っていたので、「降りるの?」と質問したのですが、返答無し。

まあ、飛ぶのは、個人だから、と私は、南に向きを変えて飛んで行きました。飛び慣れた地形を上から見て懐かしくなりました。故郷に帰った様な気持ちです。「美味しいお米」の建物を過ぎて大塚病院の近くの河原を目指しました。高度はそんなに上がりませんでしたが、久しぶりにエリアを離れる飛びが出来て嬉しい気持ちでいっぱいでした。加古川の河原でとても良い「滑走路」がありました。GPSを見たら南に向かう方向で良いと判断してそのままランディングしました。私のランディングを上空から見ていたBMWさんは、同じ場所に難なくランディングです。先行者がいるクロカン程、心強いものはありません。

キャノピーをたたんで、回収の生野さんを待っていたら上空に、慶ちゃんが飛んでいました。「今だったら、ここに降りたらたたむの手伝うよ」と言ったのですが、「戻ります」と言って大胆にもアゲインストに向かって飛んで行きました。今日の風は、北西風が強くて戻れないと思うけれどなあ・・・。案の定、見ていたら、少しして沈んでしまいました。生野さんの回収車で、慶ちゃんも回収して無事にショップへ戻りました。BMWさんの喜びようはたいへんでした。いいなあ、こんなに素直に喜んでくれる人は!
再び、テイクオフに上がると言うので、ついでに上げて貰いました。しかし、テイクオフは風が無くなっていて、フロントテイクオフで出ました。当然、ぶっ飛びでした。でも、とても気持ちが良い飛びでした。
夕食は、当然、BMWさんの一人舞台で盛り上がりました。好きよ、BMWさん!

2000年03月31日(金) 110/144

ショップに行くと気の早い人達が上がる気配を見せていました。一緒に乗せて貰い上がりました。久しぶりの助教員の植松さんがいます。今日は、ちゃんとテイクオフを見てくれる人がいるので、私は、見なくても良いと思うと気が楽になりました。
菱井さんが、北西テイクオフからフロントテイクオフで出ました。北西のノーマルルートの途中で、リフトがありましたが、回しませんでした。見ていると分かるんだけれどなあ・・・。
後から来た人達は、南テイクオフに移動していました。加藤さんからの無線もあり、私達も南の方が飛べる確率は高いと考えて移動しました。北西から南に移動するのに、息切れがしました。元気森森さんは年を感じさせない位若々しかったです。BMWさんはと言うと、やはり、寄る年波には勝てないらしく、ゼイゼイ言っていました。このままテイクオフして「心筋梗塞」なんてことなったら大変だ!
南西の成分がある風でしたが、テイクオフ出来ない風ではありませんでした。スクール生を先に出して、から、パイロットの人達が次々と出ました。植松さんは、高く上げています。いいなあ・・・。

加藤さんがタンデムのお客様を連れて上がって来ました。風が弱い中、本の少しの風を読んでテイクオフして行きました。正に神業です。
私が出る時には、最初に飛んだ菱井さんが上がって来ていたので、サポートして貰いました。弱い風だったので、フロントで出ました。出て、すぐにタンデムで飛んでいた加藤さんから「大箕山の南西斜面に風が入っていますから、そのまま行って下さい」と無線が入りました。大箕山に近づくとリフトがあり、ドンドンと上がりました。リッジの風ですが、余り深追いするとローターと言う悪魔が待ち受けています。しかし、少し、慎重過ぎたようでした。山から離れていた為にリフトが弱かった様です。もう少し、近づいたら、やはり、リフトが大きくなりました。でも、「ここで、シンクに入ったらツリーランだろうなあ・・・」と不安に感じました。
でも、結局、高く上がって飛び続けられました。少しシンクがあったので、前山方面に移動して来ました。そうしたら、大きなリフトを感じて回したら一気に1100メートルまで上昇しました。その頃、慶ちゃんが福知山方面へ流したと言う無線を聞きました。次の無線が゜入りません。気がついた時には無線機は、電池切れでした。あ〜あ・・・。予備の無線機のスイッチを入れましたが、これも、電池切れでした。Oh,my God !でした。
結局、加藤さんの無線も聞けず、大変なフライトをしてしまいました。無線機が使えないので、何かあったら困ると思って降下しました。1100メートルからの降下で、翼端をずっと折ったままなので、指が痛くなりました。後で、考えるには、ここで、痛い指を外さずにずっと翼端折りをしていたなら、大事に至らなかったかも知れません。

ランディング上空まで降下した時には、吹き流しは、一定方向からでした。しかし、100メートル位まで降下した時に、激しく潰されました。メチャクチャと言って良いと思います。次の瞬間には高く上げられてしまいました。このまま、メインランディングに降りるには、命のスペアがないと駄目だと思い、諦めました。前山の方に飛び、そこでまた、潰されました。大きくスピンしましたが、ライザーツイストしたらコントロールが出来なくなるので、加藤さんが説明したとおり、潰れた方に体重を預けてスピンに任せました。そして、反対側のブレークを引いてスピンを止めた時に潰れが直って、そのまま急上昇しました。前山の上高く上がり、そこからショップの裏のタンボを目指して飛びました。ゆっくりですが、ショップの方へ近づいて行きました。潰れは起きませんでした。
ショップ裏まで着いた時に、前に出なくなりました。少しアクセルを踏んで前進して、電線が無い所迄行ってから翼端を折りました。ゆっくりと沈下して行き、柔らかいタンボに足が着いた時は、全身の力が抜けて暫く手を膝に置いたまま深呼吸をしていました。
武貞君が近づいて来て、ライザーをハーネスから外してくれました。宇宙を漂う様に、ゆっくりとショップに向かいました。
ショップに入って「加藤さん、どうもすみませんでした」と誤りました。「無線機が電池切れしていて・・・」多分、加藤さんは、無線でずっと誘導していたと思っていました。

私のフライトを見ていた人は、墜落するかも知れないと恐ろしい思いで見ていた様です。飛んでいた私は、真剣にコントロールしようとしていたのですが、運用限界を遙かに超えた強い気流の中では、人間の力でコントロール不可能な状態でした。見ていたBMWさんが言うには、「スーパーのビニール袋が風で飛ばされている見たい」だったと形容しました。10回以上も激しく潰されていました。これでもか、これでもかと言う感じでした。加藤さんが言うには、「いつ墜落してもおかしくない状態」でした。あの高度では、墜落したら助かりません。地面に叩き付けられて即死でしょう。
無線を聞く事が出来なかった私は、自分の判断で最も良いと思う方法で降りましたが、見ていた人達には歯がゆかったに違いありません。
「ピッチのコントロールも翼端折りも出来ていない」と厳しく言われました。果たして、あの風の中でまともなコントロールが出来る人がいるのだろうかと疑問を持ちましたが、自分で引き起こした結果だったし、最後迄翼端を折り続けていたら、確かに安全だったかも知れませんでした。しかし、翼端を折った状態でも激しく振り回されて、まるで、洗濯機の中で振り回される状態だったのです。
上空では、それ程強い風ではありませんでした。無線機が電池切れを起こさなかったら、もっと飛んでいて、或いは、クロカンに出ていたのかも知れないなあ、と想像しました。

教訓としては、まず、装備の確認を怠らない事。予備の無線機を持っていても、暫く使っていなかったから、電池切れしていたのも確認していませんでした。翼端折りは、着陸寸前迄続ける事。体重移動でコントロールする事。拡がった翼より、翼端を折って小さくなった翼の方が安全だと言う事を加藤さんに諭されました。
私がランディングしようとした時期が最も荒れていた様でした。春のサーマルの恐ろしさを体験して、喉がカラカラになっていました。加藤さんは、冷たい缶茶を差し出して「まあ、これでも飲んで下さい」と言ってくれました。その優しさに生還した私は、涙が出そうになるのをこらえていました。
ショップの外で見ていたスクールの人達は、口々に私のフライトを「怖かった!」と言っていました。怖い思いをさせて本当にごめんなさい。このフライトを見て、強い風や気流の悪い時に飛ぶ事が如何に危ないかを認識して貰えたと思います。
長い1時間のフライトでした。後でこのフライトのバログラフを見て、激しいフライトが蘇りました。
今日で最後と言う、やぶ蕎麦の牡蠣蕎麦を食べに行ったら、「前の人で品切れ」と言われてしまいました。あ〜あ・・・。
今年度最後のフライトは忘れられないフライトとして記録しました。

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