2004.03.31作成
@ A B C D E F G H I J K L M N O P Q R S 21
2004年3月4日午前5時55分、妻正子は、私の手をしっかりと握ったまま永眠しました。前年4月に癌と告げられてから1年も経たないうちに世を去ることになろうとは、当の正子も私も誰も想像していませんでした。
医師の「早期だから手術すれば高い確率で治る」と言う言葉にすがり手術を受けて、その後も「治るためなら何でもする」と強い意志で正子は、辛い抗癌剤投与に耐えました。18回にも及ぶ抗癌剤の効果も虚しく、11月に新たな癌腫瘍が見つかりました。再びの手術、半年の間に大きな手術を二度も受けた正子は、衰弱して行きました。追い打ちをかけるように行われた抗癌剤投与、見る見る衰弱して正子は苦しい状態に陥ったのです。
高校を卒業してから42年間会社に勤めて、2年前に定年を迎えたのに・・・。これから孫たちの世話をしたり、私とあちこちにフライトに行こうと夢を語っていたのが、実現出来なくなりました。正子は「死にたくない、助けて!」と私にしがみついて来ました。何も出来ない私は、情けなくなりました。まだまだ生きてやりたいことがいっぱいあったに違いないと思うと正子が不憫でなりません。
最後の最後まで病院で苦しんで苦しんで息を引き取ったのです。「正子、良く頑張ったネ。もう頑張らなくて良いんだよ。ゆっくり安らかに眠ってね。お母さん、お父さん、そして、お姉さんとあちらの世界で楽しく過ごしてね」私は、正子に語りかけました。
入院中、正子は、何度か私に「私ね、お父さんと結婚して良かったよ」とはにかみながら言いました。「色々なことが出来たし、楽しかったよ。ありがとう、お父さん」「でも、これから、私、もっと色々やらなければいけないことがいっぱいあるから早く治らないとね」
私は「そうだよ、しっかり笑って体力つけて早く治らないとね」と言うのがやっとでした。
正子は、私より年は上ですが、とても素直で少女の心を持った女性でした。人のことを決して悪く言わず、誰からも好かれる性格でした。ちょっぴりとぼけていて、友人達から「天然ボケ」とからかわれていても、いつもニコニコと笑顔を返していたのです。華やかな顔立ちなのに庶民的で初対面の人でも気軽に話しかけていました。定年になってからも彼女の後輩たちから誘われて良くパーティに出かけていました。仕事をしていた頃は、職場の後輩たちに「お母さんのよう」と言われて慕われていました。実生活でも二人の子供を育てて、今は、二人とも結婚してそれぞれに孫もいます。この孫たちと意思の疎通が出来る日まで生きたかっただろうと思うとさぞかし無念だったでしょう。
正子は、永遠に私と家族、友人の中に生き続けています。正子の優しさと頑張りは、子供たち、そして、孫たちに受け継がれていくことでしょう。
私のホームページの画像掲示板にある正子の写真をまとめました。在りし日の正子を偲んで冥福を祈って下さい。
写真をクリックすると大きな画像を見られます。