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風の妖精のページ2

1998年04月24日金曜日

タンデムは特等席
 パッセンジャーとしてのフライト100本以上の実績を持つ私は、ROLLOUTの加藤さんをパイロットに、岩屋では自他ともに認める「日本一のパッセンジャー」として大空を楽しんでいます。時には、現在ポイントシステム1位、PWC参戦中の若き新星、岩屋のアイドル豪君との、ラブラブフライトもあり、私ひとり盛り上がっています。
 土日はスクール等があり、早朝か夕方の穏やかなフライトが中心。だから、天気予報とニラメッコして、平日に仕事をさぼり、ビッグフライトを期待して岩屋に通っています。
 これまでもタンデムで何度もXCに連れて行ってもらい、25kmが自己ベスト。800本以上のタンデムフライトをしている加藤さんがパイロットだから、私は前に座っているだけの、究極の超らくちんフライト。自分で飛んだんじゃ絶対にできないフライトを何度も体験し、今ではまるで自分で飛んだかのように、フライト内容やコースを、みんなに自慢げに話すのが、私の楽しみのひとつとなっています。今の私の夢は40km先の天橋立を空から見ること。「その時は、ちゃんと逆さまから見られるように、宙返りしてあげよう」と加藤さんの約束つき。日本一のパッセンジャーとしての私のこの腕をもってすれば、実現する日もそう遠くないはず。
 今日は、10月1日(水)晴れ。仕事を休み、タンデムのお客さんがないことを祈り、夢の実現を期待して岩屋に到着した私は、加藤さんの「今日は上がりそうにないね〜」という、さむ〜い言葉に迎えられた。でも、山頂に着くと、加藤さんの予想を裏切る、いかにも上昇しそうなブローが入って来る。一緒に上がってきたパイロットたちを差し置いて、タンデムで真っ先にテイクオフ。つぶやきシローも真っ青な、自分の心境を実況する加藤さんのつぶやき(これが結構おもしろい)に聞き入っているうちに、気が付けば、テイクオフははるか下。後からテイクオフしたしとみ蔀さんや豪君も、あっという間に上げてきて、今日ひとつめのタスクである安全山方向へ、さっさと消えていった。岩屋ではいつもこうやってコンペに出ている豪君たちを中心に、みんなでその日の風と条件に合わせたタスクを決めて飛んでいます。
 加藤さんも離れる機会を伺いながら、しばらく岩屋でのフライトを楽しんだ後、粟鹿へ向かうことにした。さっきまで発達していた粟鹿上空の雲は消滅しかけているけど、次の雲の発達に期待して(これも加藤さんのつぶやき)、一直線に粟鹿へ向かう。粟鹿の尾根についたもののやはり条件は渋く、同じ場所に足止めの状態。あちこちで空気の乱れは感じるけど、持続しない。進むことも戻ることもできず、降りないように定位置をキープして、サーマルを探すこと数十分。その間、センタリングをしながらXCコースのパイロットの誘導をして空からスクールする等、本当に忙しい。
 条件が少しずつ良くなりかけた頃、後からやってきて、目の前でさっさと上げていくゼノンやセクター、イクシオンを見上げ、タンデム機の性能にイライラし始める加藤さん。どんなにイライラしていても、機体の性能が良くなるわけがなく、1機だけ取り残される。そこはまるでタンデムのためだけに用意された場所であるかのように、どこにも動くことができない。とにかく、ここで上がるまで待っているしかないと頑張っていると、岩屋方向から何やらもの凄いスピードで近付いてくるものがある。良く見るとそれは岩屋に住むコンペティター達だった。
 まず、一番機はゼノンの梅ちゃん。タンデムの下に入り、1〜2回旋回したら、あっと言う間に追い越して上昇して行く。続いてゼノンの岩谷さん。同じようにあっと言う間に上がって行ってしまった。三機目は安全山に行って帰って来た、ネクソンに乗る豪君。空気を切るようなセンタリングで、タンデムと一緒に回したかと思うと、またまたあっという間に、はるか上空に行ってしまった。三機は、朝から粟鹿の見張り番のように、定位置キープのタンデムに、まるであいさつするかのように、1〜2回一緒に回して、さっさと次のタスクへ行ってしまった。それは竜巻のように一瞬に通り過ぎ、三機が過ぎ去った後は、何もなかったかのように、タンデムだけが残っていました。
サーマルのあるところに迷うことなくやって来て、確実なセンタリングで、必要なだけ上げたら、アクセル全開で、先へ進んで行く三機が、私にはまるで戦闘機のように見えました。それはとても同じパラとは思えない、全く別の「とびもの」でした。その後、どんどんコンディションが良くなり、取り残されたタンデムも高度を上げ、粟鹿山頂をとって帰って来た豪君と一緒に岩屋へ向かったが、差はどんどん広がるばかり。後から帰って来た梅ちゃんと岩谷さんにも追い越され、1機さみしくランディングまで戻って来ました。この後、豪君は安全山と粟鹿をもう一往復していたから、タンデムじゃ歯が立たないはず。
 私にとってパラの大会は、豪君や蔀さんから聞くだけの無縁の世界でした。勿論参加したこともないし、実際に見たこともありません。でも今日は、まるで大会の中を飛んでいる気分でした。いち早くサーマルを見つけ、無駄のないセンタリングで上昇し、スピード全開で次のタスクへ進んでいく…。それはいつも豪君達から聞いている世界でした。そのど真ん中で一部始終を見ていた私は大興奮。目の前で見る豪君のセンタリングは、いつもの地上から見上げているのとは違って、大迫力。しかもタンデムだから、私は体重移動をするだけ(でも、この微妙な動きが素人には難しい)で、手放しで、一人の観客として、この光景に没頭して楽しみました。
 今日の私のハーネスは、今までで一番のスペシャルシートでした。私が大はしゃぎで喜んでいるあいだ、絶対降りないようにいい場所だけをキープして、私に特等席を提供し続けてくれた加藤さんも、岩屋のコンペティター達に負けず、すごいです! 次はどんな特等席を用意してくれるのか楽しみにしています。
皆さんもぜひ、この特等席でのおもしろ体験をしに、岩屋山・ROLLOUTにお越し下さい!

パラワールド誌たまさんからの返事
一般のフライヤーがコンペティターの飛びをフライトしながら間近で見れる機会ってそうないですよね。聞いているだけではイメージがわかないってこともあるし。おもしろい体験ができて本当よかったですね。
PARA WORLD 1998年1月号掲載
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