第5講 おいしい恋愛ゲームの作り方<その1>

97/8/15開講、8/18最終更新

1、「消費物」としての恋愛ゲーム

他の所でも書いていることですが、最近の恋愛ゲームの特徴として、「サイクルが非常に短い」ことが挙げられます。
当然ゲームの出来にもよりますが、ヒットしている期間は普通1ヶ月、長くて3ヶ月といった所です。ときめきメモリアル(1994)や同級生2(1995)のような化け物ゲームは現在ではもう奇跡でしかありません。

これは恋愛ゲームというジャンルに新鮮味がなくなったこと、そして恋愛ゲームがたくさん出過ぎていることがあります。ほとんど毎週出てると言ってもいいぐらいですからね。(笑)

ではこういう現状でどう作ればいいかというと、素直に「恋愛ゲームもどんどん消費されるものである」と考えてしまうのがいいのではないでしょうか。いつまでも過去の遺産に捕らわれるのは見苦しささえ感じます。ユーザは飽きっぽいですから、消費されることを前提としてまた次を作ればいいのです。もちろん、それによって1つ1つが完成度の低いものであっては困るのですが。

それぞれ完成度が高ければ、恋愛ゲーム、いくらでも出て構わないと思います。現実には完成度が満たされないまま数だけが溢れてる気がしますが……。 要求されるレベルはどんどん上がっていくということをお忘れなく。

2、拡大する「ゲーム」の定義

恋愛ゲームは今までの「(ビデオ)ゲーム」の定義では語れなくなってきたジャンルの1つだと思います。gameには「遊び」という意味もありますが、これは鬼ごっこやかくれんぼのようにルールのある遊びで、「試合」という意味もあるように、勝ち負けのあるものが基本でした。

ところが、恋愛ゲームではもちろん女の子を「クリア(攻略)する/できない」というのはありますが、「クリア(攻略)」という言葉自体が問題にされるように、勝ち負けを越えた所にその本質があるようです。むしろ楽しみを追求するplayの方が近いのかもしれません(playにも「競技する」という意味がありますが)。

第4講で恋愛ゲ−ムの2つの方向性について書きました。1つがシミュレータとしての恋愛SLG、もう1つがドラマとしての恋愛SNG(造語)。

恋愛SLGの方はまさに1の消費される恋愛ゲームで、18禁恋愛ゲームには多いのですが、クリアしたら基本的におしまい、次のシミュレータが欲しくなるというものです。これはこれで欠かせない方向です。
この方向では、更にリアル性を求めるべきだと思います。もっとも、リアル性を求める余り、全くモテなくては何のための恋愛ゲームなのか分かりませんので、あくまで都合の良い「リアル性」でしかないですけど。(笑)

そして恋愛SNGの方はコンシューマ恋愛ゲームが目指し、大抵は失敗しているものです。
こちらは虚構であることを十分に活用すること、1つの物語として成り立つことが求められます。技術面での進歩はグラフィックやサウンド周りを大幅に強化し、「映画」に近づくことになりました。いや、もちろんゲームは映画とは違うものでありゲームは映画になれないし、映画はゲームになれません。第一ゲームはプレーヤが直接に関わることができるため感情移入が容易で、それゆえに作るのも難しいですから。

しかしもしそれが厳密な意味での「ゲーム」でなかったら?恋愛ゲームにおいては厳密な意味での「ゲーム」である必要があるのでしょうか?ゲーム本編も出ていないのにブレイクしたセンチメンタル・グラフティ(1997?)はそれを良く語っている気がします。
そもそも、私たちは心が満たされれば(少々陳腐な言葉で言うなら「癒やされれば」)何もそれはゲームである必要はないのではないでしょうか?
確かにそれは(ビデオ)ゲームの本質から考えるといい傾向とは言えません。が、何かにハマることによって心の足りない部分を補うことができれば十分だし、それこそが広い意味での恋愛ゲームに求められていることではないかと考えます。

そしてそれをも「ゲーム」と呼んだ時、拡大解釈された「ゲーム」として語られたとき、恋愛ゲームの本質が見えてくるし、第4講の「声優ゲーム」すらも居場所が見つかるのです。 恋愛ゲームに求められているものについては第7講以降で再度考えることになるでしょう。

3、恋愛ゲームで当てるために

恋愛ゲーム作って一攫千金。ときめきがまだ絶好調の恋愛ゲームブーム初期には、誰もが思ったことでしょう。そうして幾多の恋愛ゲームが作られ、消えていきました。そう、彼らの試みはほとんどの場合成功しませんでした。

どうしてなのでしょう?
結論から言ってしまえば、初めから一攫千金なんて(ほとんど)無理なことなのです。「ときめき」は最初だったからそのチャンスがあっただけのこと。2番手以降ではそんなチャンスは巡って来ません。それどころか全てが「ときめき」を越えることを求められている訳ですから、普通に作ったところでうまく行くはずがありません。儲けようと思ってこの世界に手を出しても火傷するだけなのでやめた方がいいと思います。すでに恋愛ゲームの世界にも老舗がいくつかあるのですから、ちゃんと覚悟してから取り組むことをお勧めします。:-)

ユーザ層としては、かなりいい加減ですが、恋愛ゲームならとりあえず買うユーザが全国で1万人、出来次第で買う親恋愛ゲームユーザが5万人、潜在的ユーザが20万人、というオーダで考えられます。最低でも1万人クラスは望めるとして、いかにして親恋愛ゲームユーザ、更には潜在的ユーザを取り込むかが課題になってきます。

そこで大ヒット作がどのように生まれるかですが、これまでの講でも再三書いてきたように、世界観、シナリオ、ゲームシステム、グラフィック、音声など全てにおいてバランスのとれた優れたものが求められているのは当然のことです。

細かく見れば、
まず、最初に売れるためには1.グラフィックが最重要事項。第3講でも書いたように、はっきり言ってかなりの人は絵柄で第一印象を決めています。その次に、第4講と多少矛盾しているのですが2.音声(つまり声優)も大切です。とにかく売るためにはユーザの気を引く何かが必要なのですから。

それから、実際に遊んで「これは面白いからみんなに布教しよう(広めよう)」と思わせることが不可欠で、これはゲームの出来そのもの。シナリオ・システムの両方が最重要項目です。見た目は良かったんだけど買ってみたら騙された、なんてことでは後が続かずヒット作はおぼつきません。
とりあえずここまでで小ヒット。

更に、恋愛ゲームが溢れている現在では他とは異なる全く新しい、魅力的な「何か」が求められています。たださえ「恋愛ゲーム」という非常に狭いジャンルの中で、次々と新しい試みがされてしまうので、独創的なアイデアが何より求められています。とにかくユーザは新しいものに飢えていますので、この部分で成功すると大きいです。
ここまでをソツなくこなして中ヒット。

では、大ヒットのために必要なものは?
それはネームバリューとプロモーション。残念なことにゲームそのものとは関係ないところにあるのです。

ときめきがもし超マイナーなソフトハウスから出ていたら果たして大ヒットになり得たでしょうか?私はちょっと難しいと思います。ユーザの盛り上がりに対してメーカがバックアップできるある程度の力も必要ですから。
他のジャンルでも同じ事ですが、「この会社ならある程度安心して買える」というのはかなり重要なことです。そして、このようなユーザの信頼を得るためにはもちろん、優れた作品を次々と出して実績をあげる地道な努力が必要です。その意味で続編はそれだけで否定するものではないと私は考えます。むしろ前作を真に越えた続編なら歓迎すべきことではないでしょうか。
「ネームバリュー」ということではもちろんソフトハウス名だけではなく、原画描きさんが誰かということも重要でしょう。原画描きさんにお金をケチってはいけません。(笑)

そしてもう1つのプロモーション。
上で、「恋愛ゲーム」は今までの「ゲーム」の定義では語れなくなった、と書きました。センチメンタル・グラフティがヒットした理由としてときめきの斜陽や甲斐さんの原画によるところは非常に大きいですが、それだって宣伝しなければ知らずに終わってしまいます。ゲーム(本編)以外の所でいかに「ゲーム」を作るか、が大ヒット恋愛ゲームには重要なファクターとなります。雑誌記事、(適度な)グッズ、CD、ラジオへの展開、イベント等、全てが「ゲーム」を形づくります。前評判を高めるのは非常に大切なことなのです。(センチはちょっと行き過ぎな感もありますが。(笑))
これはゲームの善し悪しには関係ないので、より良き恋愛ゲームを…という恋愛ゲーム学の主旨にはむしろ反しているのですが、あくまでヒットの条件という観点で見た場合の話ですのでご了承を。2でも書いた「心が満たされるのは何もゲームでなくても良い」ということとも深い関係があります。

以上の3つの要素が全て揃って初めて大ヒットとなる可能性が生まれてきます。どれか2つならそこそこヒット、というところでしょうか。現実にはそれすらもなかなか実現されていないのですが…。

そして最後に。
「完璧」なのも考えもの。ユーザがそこから新しい想像を導けないほどの完璧さはかえって窮屈です。同人モノを嫌うのは分からなくもないですが、良くない結果になりやすいので寛容な態度が必要でしょう。良くも悪くも同人は流行を最も反映するのですから。(笑)

4、恋愛ゲームは儲からない

以上「ヒットする」条件として見てきました。本当は何も大ヒットじゃなくていいので、オリジナリティと基本部分(シナリオ、システム、グラフィック、音声など)だけ優れた作品がたくさん欲しいというのが個人的な意見です。

そして、では3に書いてあることは何なんだ、ということになってしまうのですが、「恋愛ゲームは儲からない」という認識こそ、これから恋愛ゲームを作る際に求められるものなのです。

恋愛ゲームを一般ユーザに広げようというのは初めから無理なことです。恋愛ゲームの良さを理解できるのは限られた人(もちろん限られているからと言ってそれは優れているということではありません…むしろ一種の弱者なのです)でしかないし、またそれ以外では必要ともされていないのですから。
恋愛ゲームからはミリオンセラーなど生まれるはずがないのですし、メーカの論理だけが先行し儲けることだけを考えたものはもう必要ありません。出せば売れる時代はもう終わりました。要求されるレベルはますます高くなっています。安易に儲けることはこれからは不可能なのです。そのもとでは、「自分で恋愛ゲームを作りたい」と心から思うことが、これから恋愛ゲームを作る人に何より求められていると言えるでしょう。

では、より良き恋愛ゲームが生まれることを祈って。


次回予告「恋愛ゲームにセックスは必要か?」
当初の予定では「恋愛ゲームと2次元コンプレックス」が先に来るはずだったのですが、こちらの方がより核心に近いと思われるので後にすることにしました。
さて、次回の「恋愛ゲームにセックスは必要か?」。恋愛ゲームはそもそも18禁ゲームから始まったものであり、コンシューマに移った今でもその面影を残していると言わなくてはなりません。では、本来恋愛ゲームに直接的な性描写は必要なのでしょうか?また、現在のコンシューマのややこしい規制の是非は?これらの問題を考えます。なお、これに関して恋愛ゲームに関するアンケート4を行う予定です。ご協力をお願いします。
本講はもちろん次講についてのご意見・ご要望、あるいは恋愛ゲーム全般について考えていることがありましたら下のコメント欄あるいは電子メールで秋風碧(t70584@hongo.ecc.u-tokyo.ac.jp)までどしどしお寄せ下さい。m(__)m
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