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裏恋愛ゲーム学


第4講 恋愛ゲームが男を駄目にする

──恋愛ゲームの悲哀2

99/03/24掲載

1.「トラウマ」ブーム

 先回の裏恋愛ゲーム学第3講で、恋愛ゲームをするしないに関係なくコミュニケーション能力の有無で決まるのだ、と言っているので、今回の「恋愛ゲームが男を駄目にする」というタイトルはいきなり矛盾しているように見えるが、どうなのだろう。

 いわゆる「もてる・もてない」というのは先天的に決まるものなのか、それとも後天的に決まるものなのだろうか。特に男性の場合、もちろん顔がいいに越したことはないし、金があるに越したことはないけれども、根本的に顔や体型などの造形によほど問題があれば話は別だろうが、基本的にはこれまでに書いてきたように社交性、話術等を含めた性格能力が重要な要素になってくることは世の中のカップルを見れば分かるだろう。

 そこで、この性格能力が先天性のものか後天性のものなのかを考えると、造形的な部分と比べて後天性が大きいと考えられる。

 いわゆる「オタク」と呼ばれる人たちを始めとして、いやそれ以外にもこれは男女に関わらずだが、今の若者は自分に自信がない、不安を抱えている、あるいは「自分が嫌い」という人が相当多い。大学等で心理学が人気があったり、自己改革セミナーが流行ったり、「癒し」ブームが起こったりするのも結局はそういう理由で、自分自身が癒されたい、変わりたいと思っていることの表れだろう。

 まさに現代を象徴する現象である訳だが、一体どうしてこのようなことが起こったのだろうか。非常に大きな要因として考えられるのは、家庭という共同体が崩壊し、地域社会が崩壊した現代では、正しく愛されずに育つ子供が急増しているということである。「正しく」というのがポイントで、過保護であったり、親が子に過剰に期待してしまったりしては「正しく」とは言えないだろう(※1)。

 そして、この愛されなかった子供たちは、心的に未発達のまま年を重ね、身体だけ大きく育っていく。十分な愛情を受けていない人間は、愛情に飢え、誰か1人でもいいから愛されることを渇望するが、他者からの「愛され方」が分からないし、結果的に他者の「愛し方」も分からないから、上手くいくことは難しい。「涙の数だけ強くなれる」とは言うが、もともと心的な成長が十分でない場合、むしろ辛い経験・悲しい思い出はマイナスにしか働かないだろう。こうして「恋愛障害者」(※2)がまた1人生まれることになる。そして、この心的成長は多くの場合15歳までに行われるという。つまり、これを過ぎてしまうと、いくらもてようと努力してみても、それ以前の愛情経験によって規定された範囲内でしか足掻けないということになってしまう可能性があるということだ。

 こういった心的成長段階における環境の問題は、外から与えられた傷ではないが、本来与えられるべきものが与えられなかったということで、広義の「トラウマ」と言うことができるだろう。このところ恋愛系ゲームでもやたら流行っているそれである。現在の問題を「トラウマ」を持ち出して過去のせいにしてしまうのは本当は卑怯と言えば卑怯だ。何でもそのせいにしてしまえば、(自分の中で)正当化できて(いるような気になって)しまうからである。しかし、実際少なくない人が囚われているのを無視することもできないのもまた確かだろう。

2.魂の回復を

 なるほど、恋愛ゲームがもてない男を作り出す訳ではない。しかし、恋愛ゲームの中で心的成熟者の雰囲気を味わうことはできても、恋愛ゲーム自身によって心的成長がもたらされる場合は現時点ではほとんどないと言ってしまっていいだろう。ということは、当然もともともてる人間は恋愛ゲームをやるやらないに関係なくすでに心的成長を達成してるのだからもてるし、もてない人間は恋愛ゲームだけをやっている限りいつまで経ってももてるようにはならないということである。「恋愛ゲームはもてない人間のためのものではなく、もてる人間のためのものである」という皮肉が生じる訳だ。

 しかしこれでは救いがない。「愛されなかった人間」が心的成長を果たして再び社会へと復帰することはできないのだろうか。加藤諦三氏は言う。「愛されないことを受け止めよ」と。「もしかしたら、誰かが自分のことを見ているかもしれない」という宝くじのような確率の、淡い希望などいい加減捨ててしまって、愛されないことを、もてないという現実をしっかりと認識せよ、という訳だ。しかしこれも相当辛いことだろう。

 その上で、「自分だけは自分を愛してやれ」と言う。誰にも愛されない自分を、自分だけは認め、全てを受容してやること。果たしてそれが、傷ついた魂の真なる回復のきっかけ足り得るのだろうか。「自分が嫌い」と多くの人が言う現代。確かに自分にも好かれない人が、他人から好かれたり、他人を本当に好きになることは難しいのかもしれない。だができるのだろうか。彼らに。かりそめの心の潤いを求めて、ただ彷徨い続ける彼らに。
































※1、「普通の」「大人しい感じの」子供たちもこういった環境で生まれていく。一時期話題になった「キレる」というのも本質的には同じようなところに根ざしているのだろう。



※2、「恋愛障害者」とはもともとKA氏が使っておられたものを借りたもので、他で書いている「恋愛弱者」と同じような意味。私は「障害者」というのは少々キツくないか、と尋ねたのだが、氏はこの時「政治的に正しい表現」として「セックスと恋愛の喜びついて、想像力の占める領域の大きい人々」と説明して下さった。その的確さにすっかりツボをつかれてしまったことを覚えている。(笑)