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「恋愛障害者」という仕掛け
裏恋愛ゲーム学 第e講

0.概要

 一部に普及した感のある「恋愛障害者」という言葉は、恐らく他でない「恋愛障害者」である必要があった。

2003/11/03初版

1.「恋愛障害者」という仕掛け

 最近Webサイトを眺めていると、時々下のような当サイトの「恋愛障害者バナー」をトップページや自己紹介のページに張って頂いており、大変ありがたいことである。大手のニュースサイトに取り上げられたこともあるだろうが、単なるブラックジョーク(一般的な障碍を持たれている方が不快に感じられたとしたらお詫びしたい)として用意したバナーが想像以上に普及した感がある(中には日本を飛び出してお隣の国に広がっている例もあるようだ)。そして、今振り返るに、この「恋愛障害者」という言葉は、恐らく他でない「恋愛障害者」である必要があったのだと思う。

恋愛障害者バナー ※「障害」のレベルによって1〜5級まである。

 今でこそ「恋愛障害者」はloveless zeroの代名詞のようになってしまったが、本来この言葉はloveless zeroが使い始めたものではなく、コンピューターゲームの黄昏(休刊中)のKA氏が「セックスと恋愛の喜びについて、想像力の占める領域の大きい人」を意味する言葉として提唱したものであり、loveless zeroはただそこに、同じ「恋愛障害」でも救いようのない重度障害の人からそうでない軽度の人まで段階があるのではないか? という発想から「級」という概念を付け加えただけである。

 なぜ「恋愛障害者」である必要があったか。それはこれに近い用語として使っている「恋愛敗者」および、この2年余りもう使っていない「恋愛弱者」という言葉と比較してみると、その適切さが浮び上がってくる。

 現代の日本の若者がインターネットやケータイといったツールによって世界(もっともほとんどは国内だし物理的に会える範囲だが)レベルでの恋愛競争に置かれており、人によって恋愛に恵まれていないことに意識的にならざるを得ない社会であることは、前回の恋愛ゲームの「社会性」で書いた通りだが、そこでも書いたように、本来はこの恋愛に恵まれない人を指す言葉としては「恋愛敗者」が正確である。この恋愛競争は誰にでも等しく開かれており、誰でも参加できることになっているからだ。競争に負けた者は「敗者」でしかありえない。しかし、多くの「恋愛障害者」は、「機会がない」などと自分に言い訳をして、「恋愛健常者」に比べてほとんど恋愛に結びつく行動を起こしておらず、自分で「不戦敗」を選んでいる。それでモテたいという方に無理があるのだが、負けを全面的に受け入れるのは、人のプライドがなかなか許さない。もう1つの問題は、この「恋愛敗者」という言葉が、全ての人が恋愛競争に参加すべきである、という前提に立った言葉であることである。

 もう一方の「恋愛弱者」が不正確なのは、自らを「弱者」に置くことで聖化し、社会的な配慮の要求や同情心を煽ることを正当化してしまう危険性があるからである。自分がパートナを選ぶように、自分も多くのライバルとの選別にさらされているという当たり前のことを受け入れず(恋愛アニメ/ビデオゲームのプレイヤーキャラクタがあくまでパートナを選ぶ立場のみにあり、選ばれる側に置かれることがほとんどない、というのは非常に示唆的である)単にそうしたふがいなさを責任転嫁して被害者面しても仕方がない。もちろん、誰も同情しないし(同情されたい訳ではなく、愛情が欲しいのだろうが)、負けは負けである。

 それに対して、「恋愛障害者」というのは、そもそもこうした恋愛競争から「半分降りる」ことを可能にする。「障害」というのはすなわち(少なくとも政治的には)「個性」であるからだ。勝ちでも負けでもなく、強いでも弱いでもなく、ただフラットに個人の性質として捉える、という意識である。健常者であればできることができないことがある、それが「障害」だが、そこに否定的なイメージを持たず、ただできない状態として受け止め、それ以外の自分ができる部分を肯定して生きていく。そういったニュアンスが「恋愛障害者」にはある。

 人によって、あるいは年齢によって、恋愛あるいはパートナが占める重要性は異なる。あらゆる価値の並列化が進むこれからの世代はますますその度合いが強くなることが予想される。にも関わらず、否応なく私たちは恋愛競争に放り込まれ、敗者は非モテのレッテルを貼られる。少なくない人が「恋愛障害」を公表し始めた背景には、単に従来の「恋愛敗者」の自虐だけではなく、恋歴社会からの(他にも楽しいことがあるという)脱却の意識の萌芽であるとは言えないだろうか。実際、「恋愛障害者バナー」を公開されている方はそれほど深刻そうに見えないことが多い(もしかしたら見えないだけかもしれないが)。先に何ら行動を起こさない、と書いたがそれは周りの有言/無言の圧力が負担になっているだけであって、本人にとっては実はパートナを持つということがそれほど重要でないからである可能性がある。「恋愛障害者バナー」がこれだけ広がったのは、そういった余り言語化されない思いを掬い上げ、端的に表現する手段足りえたためではないか。

 何だか後付けのようでもあるが、こう考えると、「恋愛障害者バナー」は「恋愛敗者バナー」や「恋愛弱者バナー」ではありえなかった、少なくとも普及するのは難しかったと思われる。今もって「恋愛障害者」というKA氏の仕掛けの巧妙さ、氏の慧眼に改めて敬服するのである。

参考文献


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