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恋愛ゲーム学補講


第23講 純愛時代の恋愛ゲーマーたち─(1)はじめに

2001/08/11開講(2001/08/04初筆)

1.「純愛」を考える前に

 1年半程前に「『純愛』ゲームの定義」で恋愛ゲームにおける「純愛」のしっくりこなさについて考えたが、今回の「純愛時代の恋愛ゲーマーたち」はそれに続くものである。恋愛ゲームを考える上でかなり核心に近い話題であり、ビジネス的な観点からはやや外れるということからNextageから補講に移管した。

 「恋愛ゲームに関するアンケートExtra2」で問われているのはまさしく「『純愛』とは何か」である。しかし、これはやや先走った問いの立て方だ。私たちはまだ「『恋愛ゲーム』とは何か」あるいはただ「『恋愛』とは何か」という問いにすら答えを見出せていない。「純愛」について考える前に、予備段階として、どういう立場からこの(「『純愛』とは何か」という)問いを立てるに至っているかについて述べよう。

 率直な話これらの問いに「完全な答え」はない。仔細には現時点ではまだ未執筆の「恋愛ゲームの社会性」で考えようとしていることであるが、恋愛は極めて主観的なものである。「恋愛ゲームに関するアンケート6」の回答にもあったように、恋愛ゲームのキャラクタと恋愛をしていると主張する人も確かに存在する。マジョリティでないからと言って、それを止めることや批判することは誰にもできない。ただ言えるのは、そこに他者の存在を想定する場合、すなわち他者と恋愛なる関係性を取り結ぶためにはその恋愛について何らかの共同幻想が共有されていることが必要になるということである。その意味で、恋愛は極めて主観的であると同時に多分に社会的なものでもある。恋愛ゲーム学は、1つには主観・客観という2分法的な考え方では説明できない間主観性を探る試みだと言える。

2.関係性の5要素

 恋ZEROで「関係性」という言葉が頻出するのは、間違いなく、ある存在者がその実体自身で規定されるとする実体主義と、関係の中で初めて規定されるとする関係主義とがあった時に、私が後者に大きく寄っているからだろう。「ゲームに隠れた名作など存在しない」「売れれば勝ち、売れなければ負け」という一連の発言も、ビジネスとしてうんぬんと同時に、あるいはそれ以前にこの考え方があると言える。

 しかしこの「関係性」もずいぶん漠とした言葉だ。そこで、恋愛ゲームと関連が深いところで、もう少しブレイクダウンしてみたい。「恋愛ゲームに関するアンケート6」では「恋愛が精神的な繋がり・肉体的な繋がり・社会的な繋がり、という3つの『絆』で構成されていると仮に考えます」としているが、ここでは恋愛に留まらない人と人の2者の関係を考えるためにもう2つ要素を加えて「精神性」「身体性」「社会性」「双方向性」「単指向性」の5要素を関係性の要素として提案する。具体的には以下のようである。

(a)精神性・身体性

 関係性の種類を示す2要素。その関係が精神的なものであるか身体的なものであるか。「ストーキング」にしろ「セクハラ」にしろ相手が嫌だと思うからこそ初めて成立するのであって、同じ行動でも行為者に対する感情によってはそう受け取られないこともある。このように、私たちは「どう感じるか」という心の部分に非常に依存している。これはセックスのように直接には身体的な行為も例外ではない。しかし同時に、この心の動きは物理的には神経の中で化学変化としてもたらされているものであり身体的でもある。心と体という2元論や、心が体より優位に立つという考え方はここでもそろそろ止揚されるべきだが、恋愛ゲームを扱う上では依然として興味深い分類である。

(b)社会性

 関係性の種類を示す要素という点では(a)に類するが、(a)とはやや異なる。それはすなわち関係ベクトルの出発点と終着点にある2者以外の他者の存在を想定しているところである。社会性とはすなわち、他者のまなざしに対する意識があること、分かりやすく言えば周囲の人からの承認が必要とされるということ、あるいは期待されるということである。

(c)双方向性

 (a)(b)が関係性のベクトルの性質を示す要素なのに対して、(c)(d)は関係性のベクトルの方向に着目した要素である。そのうち双方向性は、文字通り関係の方向が「双方向」であるかまたは期待されるか、それとも「片方向」であるかもしくは「双方向」であることを期待しないかを示す。これはごく狭義的には見返りを期待するかどうかだが、もちろんそこに留まるものではない。

(d)単指向性

 (c)と同様に、関係性のベクトルの方向に着目した要素。単指向性に対するものとして全指向性というのも少々ズレているので対置する言葉を見つけるのは難しいが、そのベクトルが唯一の方向にのみ存在しているかまたは期待されるかどうか。例を挙げた方が分かりやすいだろう。「八方美人」というのは方々にベクトルが存在しているということだから、単指向性が弱いということになる。

 この5要素に従って、具体的な関係性を考えてみよう。ある要素をどの程度期待するかによって5段階の要素点を与えるとする。

 0: その要素を期待せず、むしろ否定的である。
 1: その要素を期待しない。
 2: その要素をやや期待する。
 3: その要素を期待する。
 4: その要素を非常に期待する。

(i)愛

 対象をかけがえのないものと認め、それに引き付けられる心の動き。また、その気持ちの表れ(大辞林第2版)。「無償の愛」という言葉があるように、双方向性は弱い。1人にのみ向けられることは全く期待されないので、単指向性には否定的である。他者の存在を想定しない。まとめると図1となる。

精神性=3,身体性=3,社会性=1,双方向性=1,単指向性=0
図1 関係性要素チャート(愛)

(ii)友情

 大辞林第2版によれば「友達の間の親愛の情。友人の間の情け。友達のよしみ。」。メル友が大流行であることからも分かるが、身体性に欠ける反面、関係が双方向であることは必須だ。一方的に友達だと思っているだけの状態は痛々しい。「愛」同様1人にのみ向けられることは全く期待されない。まとめると図2となる。

精神性=3,身体性=1,社会性=2,双方向性=4,単指向性=0
図2 関係性要素チャート(友情)

(iii)恋

 異性に強く惹かれ、会いたい、ひとりじめにしたい、一緒になりたいと思う気持ち(大辞林第2版)(
※1)。「片想い」「両想い」という言葉があるように、双方向であればそれに越したことはないが定義として期待されるものではない。2又をかけるのが良くないという見方をされるように、単指向性が期待される。まとめると図3となる。

精神性=3,身体性=1,社会性=1,双方向性=1,単指向性=3
図3 関係性要素チャート(恋)

(iv)恋愛

 大辞林第2版によれば「男女が恋い慕うこと。また、その感情。ラブ。」(※1)。文字的には「恋」と「愛」が合わされた言葉だが、双方向性が期待されるところが恋にも愛にもなく非常に特徴的である。その意味では「友情」を取り込んでいるとも言える。精神性と身体性にも偏りがなく、周りからの承認も期待される。まとめると図4となる。

精神性=3,身体性=3,社会性=3,双方向性=4,単指向性=3
図4 関係性要素チャート(恋愛)

(v)婚姻

 恋愛ゲームからはやや外れるが参考までに。大辞林第2版によれば「(1)結婚すること。夫婦となること。社会的に承認されて、男性が夫として、女性が妻として両性が結合すること。(2)法律上、一組の男女が合意に基づいて婚姻届を提出し、夫婦となること。両者が婚姻適齢にあること、重婚や近親婚でないこと、女性が離婚したあと一定の期間以上経過していることなどを要件とする。」(※1)。辞書の解説が全てを語っている。少なくとも日本では単指向性が期待される。あくまで「契約」でしかないので社会性は極めて高いが、その関係性の質を問うものではない。「友達みたいな」夫婦になるかもしれないし、婚姻が先にあってそこから恋愛関係に進む可能性も許される。まとめると図5となる。

精神性=2,身体性=2,社会性=4,双方向性=4,単指向性=4
図5 関係性要素チャート(婚姻)

 ここで挙げられる各々の関係性の要素点はもちろん今の日本に置かれた私の主観であるが、先にも書いたように文化や時代によって必然的にある程度規定される。さてどれぐらい「主観的」であっただろうか?

 恋愛ゲームの関係性要素がどのようになるのかは「恋愛ゲームの社会性」で扱う内容だ。今回は「純愛」の関係性要素を考えるのがテーマである。ここまで来てようやく最初の、「『純愛』とは何か」という問いを立てる契機に触れられる。私は、「純愛」に関してはこの期待される関係性要素の間主観性が弱いのではないかと考えた。「しっくりこない」というのはそのためではないだろうかという訳だ。「恋愛ゲームに関するアンケートExtra2」の選択肢を見れば、それぞれどの要素に力点を置くか(または置かないか)を問うているのだということが分かるだろう。個人的にも結果が楽しみだ、というところで「はじめに」の終わりとしたい。


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※1、後から眺めていて軽い驚きを覚えたのだが、辞書では「恋」「恋愛」「婚姻」に、いずれも「異性」「男女」「夫婦」などと異性を前提としているのだ。私はヘテロだし恋ZEROでも自分が興味のある範囲しか扱っていない。しかし生理的に…という反応の仕方は必ずしも否定しないけれども、自分とは異なる価値観の存在を認め尊重することは大切だ。有名なフランスのPACS契約では性別を問わないパートナーが法的に保証されているし、死者と結婚する民族もあるという。とりわけ辞書があらゆる可能性を狭めてしまうことは危険ではないだろうか?今の日本では「社会的」にそうだ(から)ということなのだろうか。(→戻る