HOME STUDY DATA GALLERY LINK BBS SEARCH MAIL

恋愛ゲームTomorrow


第12回(最終回) パッケージ化の時代

00/04/07掲載(00/04/01初筆)

 価値観があまりにも多様化した現代においては、他者のそれが全く分からない、ということがしばしばある。そして分からないものに直に接するのは不安であるので、そこに何らかの言葉を当てはめて安心しようとする。それがパッケージ化である。例が悪いかもしれないが、かつて「女子高生」がなぜ高く「売れ」たのかと言えば、それがひとつのパッケージであり、「オヤジ」はそれに何らかの価値を見出したからだろう。(もちろん「オヤジ」にしてもパッケージのひとつだが。)直接的な接触を回避し、パッケージを構築することで都合の良いイメージが想起されるようにしているのである。

 元来アニメ絵のような記号性の高い表現手法を採っている恋愛ゲームでは、このパッケージ化はより強固で、常習的なものになっているように見受けられる。この世界で日常的に使われている「萌え」というのはひとつにはこういったパッケージや記号からどれだけイメージを膨らませられるかということであると言ってもいいだろう。

 もちろんイメージの全てを否定しようと言うのではない。恋愛ゲームは幻想に過ぎない、と断ずるのは簡単だが、そもそも恋愛自体が多分に共同幻想に下支えされているところがあるのだから、それを否定してしまっては元も子もなくなってしまう。(つまり前者は「一般」には共有されていない幻想なのか…。)

 しかし、何事も程度問題であって、行き過ぎて凝り固まったパッケージは本来持っているはずの、あるいは持っているべきリアルな生を見えなくしてしまう危険性がある。作り手側においてはキャラクタの設定だけが前面に出ていて、語られるべきストーリーがまるでスカスカなゲームは枚挙にいとまがないし、受け手側にしても例えば「メイド萌え〜」(別にそれに限ったことではなく何にしろ)などといったキャラクタの切り取られた一面で判断されてしまうのは健全とは言えないだろう。

 こんな事を書いてると3年以上も前から「属性」という言葉を定義してその分類作業やキャラクタのデータベース化をしている人間が何を言ってるんだと言われそうだが、そこは言行不一致で多分に矛盾を孕(はら)んだな人間ということで…いや、言い訳かもしれないがその危険性を意識している限りはまだ大丈夫で、無自覚的になってしまうことが危険であると考えるのである。属性というのはあくまでそのキャラクタの生き方から滲み出しているものであってそれだけが一人歩きしては本末転倒だということだ。

 同様なことは全体の作品についても言える。「純愛」系や「鬼畜」系と言った言葉がゲームを必要以上に分類し、固定化の助長に繋がってはいないか。だがそれは「シナリオ」系などとさも得意そうに使っていた私自身もしていたことだ。加速するパッケージ化とそれを包み込む消費構造に自分自身が取り込まれていく感覚。そういった感覚に強い危機感を抱いている。この大量記号消費の時代に必要なのは凝り固まったパッケージを解体し、作品やキャラクタに直に触れ、その時の生きた情動を大切にすることではないか。

 今回で恋愛ゲームTomorrowは最終回となるわけだが、それはまた同時に、地に足ついた言葉を紡いでいくための、次なる苦闘の始まりでもあるのだ。