女性(※1)が優秀な消費者となった現在の(エンターテイメント)産業では、女性消費者の取り込みが非常に重要な要素になっている。例えば、現在の女性アイドルは、女性に受けることが必須条件であり、「格好いい」キャラクタが主流であって、昔のようなきゃぴ系(死語)アイドルや男性に媚びるようなキャラクタはすっかり滅んでいる(声ドル(声優系アイドル)にその代替的な役割が与えられている感もあるが…)。せいぜい広末涼子のようなキャラクタがギリギリの線だろう。
ビデオゲームもその例外ではない。昔のようにほとんどが男性ユーザであった時代は終わった。ただでさえビデオゲーム市場が厳しくなっているのだから、女性を取り込むことで少しでも母集団を大きくした方が有利に決まっている。格闘ゲームやRPGのようにはっきりと女性ユーザを意識したものや、性別問わず楽しめる音ゲーといった作り方が現れるようになってきた。
しかしその中で、恋愛ゲームは恐らく最も女性ユーザを取り込むことが難しいゲームだろう。いや、いわゆる女性向恋愛ゲームを考慮すれば、1つのゲームで男性にも女性にも受けるゲームを作るのが難しいというべきか。
理由は明白だ。恋愛ゲームは基本的に主人公に対する感情移入性が高く、そしてその主人公は男性か女性かいずれかであり、異性の主人公に感情移入するのは難しいからだ(それも特に男性が女性主人公に感情移入するのは)。「etude prologue」のように、主人公を男性と女性と2人用意するゲームもあり、上手く作ればかなりいい線行く可能性もあるが(ザッピングやマルチサイトを取り入れたようなものが考えられるが、従来の「恋愛ゲーム」ではなくなってしまうかもしれない)、主人公2人分のボリュームがあればともかく、結果的に1人当たりのボリュームが削られてしまうと厳しい。攻略対象となる女性キャラクタにしても、男性のお客様(コアユーザ)を取り込むためには媚び度を高く設定して行くほうが分かりやすいが、それでは女性ユーザの抵抗感を増してしまう。
また恋愛観や性愛観等も異なる。性行為を妄想する(妄想でなくて実際にしていてもそうだが)際に、男性は「こういう相手としていること」を想像して性欲を刺激されるが、女性は「自分が相手としていること」を想像して性欲を刺激されるという。男性の妄想には自分は登場しないのに対し、女性の妄想はあくまで自分と相手が対象だ。現在の恋愛ゲームの性描写を見ても、男性が絵の中に登場していないことが少なくなく(F&C等)、例え登場していてもほとんど隠れてしまっているか、絵の枠の外に出てしまっている。これは男性的視点な描写だろう。シチュエーションや服装のような妙な(笑)こだわりにしてもそうだ。
こういったことから、「男性にも女性にも受ける」恋愛ゲームはまだまだ難しいのが現実である(「ToHeart」や「ONE」はシナリオの魅力である程度成功していると言えるかもしれない)。この問題に対するアプローチとしてはもちろん2つしかない。すなわちあくまで男性にも女性にも受けるものを目指していくか、あるいは男性向、女性向と対象を割り切ってしまうかのいずれかである。よりコア化する現在の恋愛ゲームを見ていると、全体の方向性としては後者が主流になりつつある気がする。前者の場合は、従来の主人公感情移入タイプとは違うカタチの、より広い意味での恋愛ゲームを指向して行くことになるのだろうか。しかし、ある意味でのリアリティや深みを現出させていくためにも、男性向であれ女性向であれ、制作者サイドで男性と女性の両方が参加し、互いの恋愛観をぶつけて行く事が望ましいと考えている。いずれにしても、恋愛ゲームが男性だけのものとしていくにはもはや無理がある時代が来ているのかもしれないが、そのためにも「媚び」に依存しないひとつ上のクラスの恋愛ゲームを創造していく必要があるだろう。
|
※1、恋愛ゲーム学では、しばしば男性と女性を分けて考察しているが、もちろん男と女という二元的な考え方によって全てが記述できるとは思わない。個々については全く考慮されていないのだから、あくまで男性に多い、女性に多い、という程度に解釈して欲しい。ただ、共通の問題と性別に固有の問題を切り分けて行くことは必要だ。もっとも、その性別さえも精神的・身体的な性差から解放されるユニセックス時代の到来により意味を失っていくのかもしれないが……。
|
|