記事No.265 へのコメントです。
>ん〜〜こんな事書くのはためらわれるんですが(じゃ書くなよ)>表現は悪いんですけど「無理して足掻いている」っていう感じがしました.
うーん・・・妙に人生の先輩ぶるのもヤですけど。
「家族親族の生き死に掛かったら足掻かなしゃーない」というのがあって。
足掻いた結果については過度の期待せんと冷めた見方しないとイケナイのに、それでも必死に足掻かんなん。
平均寿命よりずっと長く生きて、最後の強制呼吸機、栄養剤の投与に関して、「もう十分に生きました。自然に逝かせてくなはれ」と言った義祖父ですが。
それでもその時には「うむ、大往生だ」とは思えないのです。
「電話が無いか、電話が無いか」と電話の子機を握り締めて、眠れない夜を過ごすのです。
その足掻きの責任は取らないといけません。
そしてそういう「無理」は誰もが避けえないものなのです。
ワタシ怖がりで、「自分より先に自分より年長の大事な人が逝く」ということが受け入れられずに、「先死んだ方がマシかなぁ」なんて思うこともあったんですが、「地獄の5ヶ月間」で、避けられないものは受け入れるココロを持つしかない。
そうやって人類は生きてきたんだと思うようになりました。
だから「無理して足掻いている」ように思えるかもしれませんが、人生のなかでは「必然な無理な足掻き」なのです。
オギャーと生まれた瞬間から決まった必然なのです。
そしてワタシだけじゃなく、ヴィンセント=ベインさんがこの先どんな仕事を選んで生きていこうとも、人生のどこかの時期で同様のことが起きるのは誰にも平等に降りかかる必然なのです。
なんか悟りきった文章でヤなんですが、そうとしか言えないのです。 [ この記事にコメントを返信する ] [ 原文引用 ]