記事No.785 へのコメントです。
>>次に来るのが「武器で攻撃」ってのが嫌なんです。>>なんでそうなる!?みたいな。
うーん……これはこれである一面において正しいんですよ。
テロに対しては、理想論では処理できません。テロを行った当事者を殺すしかない。あるいは裁判にかけて国際法廷で裁くか。
ただ、その過程において一般人を巻き込んだ犠牲が出るのは確かに「遺憾」
問題は、この「遺憾」について、
・民間人に犠牲が出たのは気の毒に思うが、それでもテロに対して屈することはできない。
とするか
・民間人に犠牲が出たから、とりあえず反撃方法をもう少し考えよう。
とするか、そのへんで「世界の各地でいろいろな意見が出ている」のが、現状です。
どうも悪いけど……あなたの書き方だと、自分が何について争点にしているのかがよく読み取れないですよ。
あと、「○○について考えない人は、殺されても文句を言えない」という趣旨のあなたの考えについて、あなた自身は、何ら変更するつもりはないのですか?
正直、公開の場であなたがそういう考えを書いたことに、私自身はのけぞった(正直に書けばあきれ返った)ものです。
再三に渡って「この考えってのはないでしょう?」と書いてきましたが……あなた自身は、自身の論理の中にある破綻についてどうお考えなのですか?
あと、あなたの読んだ本についてですが、フィクションの書き手がこんなこと書くのはあれですが、その手のフィクションを理解する(内容にこめられた問題その他)意味からいっても、もっとたくさんの優れたノンフィクションを読んだほうがいい。ライト系小説の存在を否定はしないが「まだまだ読む本は沢山ある」とは言える。
書き手の立場からまたまた言うと(山本氏に関しては、いろいろと聞いているので)書き手の多くは、自身の本を読んでくれてありがたいと感じる一方、読者に対して「自分以外の人が書いたもっと多くの本」を読むことを望んでます。特に、ライト系の作品で『書き手になりたい』と、意思表示するファンに対しては「ライト系だけ読んで、おなじ書き手になれるわけがない。多くの本を読め」と、諭しますね。
まあ、あなたは別に書き手志望ではないとは思いますが……あなたの読書傾向が先に挙げた本だけに限定されているのでしたら、やはりちょっと気になります。ちなみに最近、日本SF新人賞に応募した人を知っているのですが、この人の場合「ライト系SFと架空戦記ばかり読んでいた」と、自ら喋ってしまったため、物書きの人たちからさすがに呆れられました。ノンフィクション読まずに、まともなフィクションが書けるわけないでしょうが、と。
楽しみが中心で本を読む場合、その範囲が限定されているのは、別に他人から四の五の言われるスジではありません。ただ、意見なり意思表示が絡んでくる場合(ホームページや掲示板の書きこみは、自分自身の自己表現の一つです)限定された範囲のジャンルしか読んでない人は、それだけで不利です。知識は、結局は一つの体系として存在する(その体系の形は、その人が読んだ本や得た知識と思考から産れる)ものですし、その体系の中から、それこそ人の心を動かす言葉が出てくるのですから。
ちなみにあなたが挙げた本の押井氏ですが、普通の大学を卒業し終えた後、宗教大学に入り直そうとして結局諦めた、という過去がある方です。それだけ、いろいろと考えることが多く、それを昇華するためにそうした道を選択しようとしたのでしょう。フィクションの描き手は、そのフィクションを構築するために膨大な勉強をしています。
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