記事No.201 へのコメントです。
おはようございます、ボブです。これから仕事ですw
お返事、どうもありがとうございました>兄ちゃん
おかげで、自分の位置が再確認できた気がします。
僕は、このソフト(というか電子書籍というか)の作者様が言いたいことは
非常に理解できると書きました。
曰く『作曲で感情・思想を表現する媒体として適さない。なぜならそれは聞き手が受けとめ、決めることだから』
曰く『イメージから作曲することはできない。自分が蓄積してきた旋律(財産)からイメージにあうものをチョイスしているのでは?』
最初のフレーズは兄ぃがいつぞや言われていたことに似ています。
その時、僕はものすごく食ってかかったような気がしますが(汗)
年月を重ねていくうち、だんだんと理解できるようになってきました。
(それでも僕は、曲にオーラパワーをつめられると信じてますが(笑)
下のフレーズは、まぁ、その通りだろうな、という。
この方は、非常に音楽を愛している。
音そのものにずっとかかわっていきたい。
作曲法は技術ですが、それに準拠しろというわけではなく、それを利用し作曲をしつづけることによって、
自らの感性を磨いていくべき、と。
兄ぃのお返事からわかったことは。
要は、両者の言っていることは同じなのかもしれない、と。
ただ、違うところは。
兄ぃは、『よりイメージから作曲していかなければならない場所』にいるということ。
某作者様はその位置にはいないということ。
つまり、結局は同じ土俵ではないのだ、ということ。
兄ぃは作曲するとき、どんな音を使えばいいのか迄考えていくでしょう。
作者様は、『どんな楽器で弾いてもきちんといく旋律』を考えている。
その差なんだろうなぁ、と理解してみたりw
ピントがずれているかもしれませんが、あながち間違っているとも思えないので。
こんな理解でいいかな、と。
人間は、感情的な動物です。
感情がなきゃマシンで良いわけですから。
感情、思想で作曲はできないかもしれませんが、作曲に影響は絶対に出る。
僕はやっぱり、そのことに重点をおきたいな、と。
そう思いました。
もし感想ありましたら、お返事ください。
仕事いってきます。
ではでは。 [ この記事にコメントを返信する ] [ 原文引用 ]