記事No.200 へのコメントです。
淡さん、はるきさん、興味深いご意見、どうもありがとうございます。たまには、こっちの板も活性化させないとねぇ・・・
というわけで、ベタな話題を振り撒いてみました。
僕は、作曲は技術だと思わなくもないです。
そういう面もあると思ってます。
某人は『作曲はパズルのようなものだ』と仰いました。
まず基音があり、その一音を道しるべに理論どおりにひたすら組み立てていく、と。
その道は、同じ理論、というか技術を使ってもそれぞれの感性によって微妙なずれを生じ、
結果として、それが個性になっていく、と。
今まで蓄積したフレーズを左脳から検索し、右脳が感覚でチョイスすることによって個性が生まれる、と。
こんなことが言いたいんじゃないのかなぁ、と。
そう、理解しています。
絵を鑑賞していて、作者はどんな思いをこの作品に込めたのかを考える。
文章を読んで、作者はこの作品で何が言いたかったのかを考える。
音楽を聴いて、作曲者と同じ情景を頭に描く。
作り手は、受け手に審判を委ねるしかない訳です。
・・・しかし、しかしですよ?
僕は、それが納得できないわけですよ。
要は、精度の問題な訳で。
より、自分の感情、思想、見ている情景とどんぴしゃな曲を作れば、本当に自分が伝えたかった、
そういったものがうまいこと伝わるんじゃないか、とかね。
いや、無理なんですけどね。
それって言うのは、自分と同じ感性を持った人間であればどんぴしゃの精度かもしれませんが。
180度違う感性の持ち主であれば、やっぱり180度違う受け取られ方をしちゃうわけです。
万民にできる限り同じ思いを抱かせられたら、私的には大成功と思うだろうし、思い残すこともないのだろうと。
そんな風に思います。
ご意見、ありがとうございます。
もうちょっと、活性化したら面白いかと。
ちょっと思ったりして。
では、失礼いたします。 [ この記事にコメントを返信する ] [ 原文引用 ]