記事No.105 へのコメントです。
>以上は薀蓄ですが…「受け手がいないと作品は作品として成立しない。それは作者のセルフ・ポートレイトになってしまう」という考え方に共感できたので、去年の研究テーマにしてました。同時に、作品の解釈が受け手の意識や経験などに完全に委ねられるというものでもなく、「作品」を仲介役として「作者の意図」と「受け手」の間にある一定の規範を持った関係を構築する、というようなこともその受容理論はうたってまして、「なるほどなあ」と。
あの後,,私も私なりにいろいろ考えてみたのですが.
受け手がいないと”作品”としては成立しない.というのはあくまで相対的観念上の問題であって.”作品”というものはある意味完成したときから(厳密な意味ではないです)作者から独立する,という一面もあると想うのです.
風水さんのようにプロでやっていくのならば,それはもちろん,受け手に評価されなければやっていけませんが...
例えば「”絶海の孤島(笑)”にたった一人きりで暮らす,」という事になっても私は音楽を作るのはやめない,と想うのです.
それは自分のためでもなく,誰かのためでもなく”音楽”が存在する,,,という事自体が意味があること,,のような気がするからです.(突き詰めると自分のためになると想うのですが,,それなら,,自分のためだけではないのです)
例え,僕が死んでも,誰もその音楽を聴く事がなくても,,,その音楽が存在した.という事実が変わるわけではなく..ただ,それは自分自身にとってだけ意味があるのではなく,その”音楽”自身の意味なのでは,,と.
物事の価値って結局自分自身がそれ自体に価値を見いだせるか?という事だと想いますし.
あと,これに平行して思い出したのですが.
今,私がここで溜め息をついたことにより,台風が起こるかも知れない(モトネタがなにか忘れてしまいました.)
この他愛ない仕草の一つ一つも,周りのモノに影響を与えていって,,ある意味世界を変える...と,
無意味なモノなど,大きい眼で見れば存在しないのだ,と.(別の目的がからむと,無意味が存在するということは理解しています,)
>今回のベインさんの疑問の解決に至るヒントとなれば幸いですが。
あ,,いや,(汗)すみません,上であややな事書いていますが,参考になりました(汗)(汗)
(飛びすぎている気がする..)
何を表現しているか,,なのかな.. [ この記事にコメントを返信する ] [ 原文引用 ]