■1976 / 親記事) |
さる酔っ払いの感想です。
| □投稿者/ westgenius 9回-(2005/09/18(Sun) 00:33:39)
感想なので感想板に書こうかとも思ったんですが私がよっているのでこっちに書きます。 にしても3曲とはまた思い切ってますね。この3曲でしばらく心は持ちますよ。
今回の3曲はまあ何て言うかとても随所に嵯峨さんらしさの滲み出た名曲ぞろいなわけですが少し感想書かせてもらいます。
風雨来記にはぴったりな曲に仕上がったと思います。 少し楽典的な話から離れてイマジネーションとしてイメージできることのほうをいいますと奥行きが深いんですね。 考えてみると沖縄と言うのはそんなに広いところではないのですが、しかし少し行くと青い海と青い空に囲まれているわけですからここ以上に広さを感じる場所も無いのかもしれませんね。 曲のほうはピアノだけでない曲はそれぞれのパートが生きていてポリフォニックというほど極端ではないのですがこういうところに並みの音楽を作ってる人とは違う経験が聴こえますね。 音色、転調、いろいろと苦労したんですね・・・。
さてピアノ曲ですが題名が戦跡ですからまあ沖縄には終戦間際の暗い歴史もあるわけですからそういうところで出てくるのか。 まあ曲に集中して聴いてみます。
私が主に聴くのがクラシックである以上どうしても比較対象がそういうものになってしまうのですが。 とにかくまず最初に思ったことは音が少ないと言うことです。いや普通はそう思わんかもしれんのですが。 思っちゃたもんはしゃあないんです。 感情的な曲でも音をもっと増やすことが出来るでもそうしなかった。 いや端からこの状態で頭にあったんでしょうがどうもクラシックやってると余分なデコレーションをつけたくなるんですよ。 でもこれはこれで正しいんです。音が極限まで少ないハイドンやモーツアルトの感情楽章が音がやたら多いリストやショパンの感情的な部分より感動できないかと言うとそんなこたあ無い。 (例外あり。もちろん曲によってです)
むしろシンプルだからこそ心に届く物もある。 この曲の伴奏もとても単純ですがその余計な物のなさがかえっていい。 だから再現されたときに一音二音メロディについただけでもそこに流れが生まれて生きてくる。 結晶化された美しさですね。
ずっと思っていたことがあるんです。知識があればいい曲が書けるのか。 もちろん理論は美しい曲を書くために体系化されたものだから書きやすくはなるでしょうがそれだけじゃ駄目です。 新しいことをやればいいのか?私はシェーンベルクでは感動できる人ですが、ブーレーズはイマイチ。ライヒ(は少し古い上に少し違うか)も何がしたいのやら・・・ましてや最近のもう混迷を極めた現代音楽では物によっては拒否反応もあります。
また調性が確立されていなかったほど昔の音楽は知らないゆえの無垢な美しさはありますがそれだけでご飯3杯いけるかといわれればこれも無理です。
結局必要なのはなんなのかと言われればそれは「いい曲をかける才能」なのかと思います。 当たり前の答えですみません。しかし私にはこれがありません。 一日中ピアノの前で心向くままに弾いてみたところでそれなりにキレイな物は紛れ込みますが心を動かすまでにはいたりません。
嵯峨さんの曲にはそれがあると思います。だから私は嵯峨さんの曲でご飯5杯はいけるんです。
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