『飲んでません・が酔ってます・から書いた』 -2000年11月-

■はううううううううううううう。2000-11-01 (Wed)
はぁ、うげげげげげげ修羅場、終了。

二日も風呂入ってないし、下着も着替えてないし、今日も朝からなんにも食べてないものな。

晩ご飯に肉ちょっぴり、トーフと白菜山盛りのすき焼きをはぐはぐと食べて途中で思い出す、「あ!キャベ2」。
頼むぞ頼むぞ効いてくれと思いながら飲んで、また食べる食べる。

うーん。中ぐらいのボール一杯の白菜を食べてしまった。
これでまた食物繊維の鬼だ。

真空飛びヒザ蹴りの練習を・・・それは「キックの鬼」

ここで疑問が出て来た。
「飛びヒザ蹴り」と「真空飛びヒザ蹴り」の違いは何だろう?
何かヒザの勢いで真空部分が出来てカマイタチでも飛びそうな名前だが・・・。

膝の移動スピードで真空になるなら、足先の部分は簡単に真空になるがな。
サッカーの試合、危なくて見てられへんで。

ううーーーーん。なんで「真空」?????
・・・真剣に悩むものでは無いと開き直る。そーいうもんだった、と。

しかし、アナウンサーとか何も疑問に思わずに技の名前を連呼してたんかという別の疑問が・・・。

大体いいオトナが削除!
解説の人も専門家でし削除!!
削除!!!

ショウビジネスの世界は奥が深いということで・・・。

TVの向うに疑問を持ってはいけないのです。
どーしても疑問が押さえられないワタシのような人間はアンテナ線切断のうえ、アニメのビデオだけを見ましょう。

うむ。正解。

■いきなり・・・・2000-11-02 (Thu)
夜中にカツカレーを食べる。

なぜかアニメビデオを見ながらビールを飲んでいると食べたくなったのだ。

廃人に常識は通用しない。

しかも「アノレコーノレ」という無敵の鎧をまとったからには、「世間の冷たい目」攻撃も通用しない。

わはははははははは。

廃人や 酔い覚めまでの 強さかな

うひゃひゃひゃひゃ、日本文化もワビサビも、飲めばこの手に アノレコーノレ

うーむ。正しく壊れている(えっへん)

■「廃人日記」みたいな〜・・・2000-11-02 (Thu)
ゴロゴロと寝転がって「コレクターユイ2」一気に見ました。

某ホームページで言われていたように中だるみが目立ったのが残念。

「2もの」の典型とも言える、『原因は「1」を溯ることン年』というのによくある「最後にタネアカシが集中する」という落とし穴にハマったのが惜しい。

もっと、伏線を張る余裕があったのに、中盤にサブキャラで遊びすぎたか。

まぁ、芸達者なサブキャラって楽しいんですが。

すべての謎が一気に解決っていうのは謎が単純で、あまり根が暗くないときは爽快感もあるんでしょう。
でも、最近はやりの根の暗い謎の時は辛いと感じましたね。

4本ずつビデオに録画してると、最後の1本になぞ解きが集中すると。

ところがその頃になると、変身キャラが3人+バリエーションで、「変身、戦闘、タネアカシ」で番組が終ってしまう。

最後の泣かせネタは万人に通用するだけ卑怯かもしれないけど、もう少し全体のペースを変えたら、「卑怯さを感じないで」気持ちよく泣けたのに。

「1」のように、最初に倒すべき敵を見せられない事情はよーーーーく判りますが、見通しを良くするための、もう少しの工夫が欲しかったです。

・・・って、アニメを見ない人には何の意味も不明な文章も、廃人には許されるのだ。


で、今日はトーフとチクワと平天とネギと白菜で鍋。

例によって白菜を沢山食べるのが目的。

鍋一杯の白菜をあらかじめ熱を通しておくのがコツ。

土鍋で一回沸騰したら、フタをして20分ぐらい置いておくとあら不思議、白菜の量が半分になってるじゃあーりませんか。

その20分の間にサラダを作っておいてぇ。さらに食物繊維とビタミンを取るつもり。

その上で、お湯を替えて、トーフその他を入れてグツグツ煮て、一味たっぷりのポン酢で食べると。

そうそう、20分の待ち時間の間に、キャベ2を投入するのもお約束。

うふふふふ。今日は失敗無しなので、胃が軽い。

いや、少しは重いんですが、「比較的」軽いというか・・・。

で、デザートにミカンを食べてると、「食物繊維とビタミンCの鬼」になってるみたいなぁ〜♪。

いや、会社勤めでここまで気をつけるんは難しいよね。

こうまでして維持している健康に、今度は「あのれこーのれ」もとい「アノレコーノレ」が挑戦する訳で。

しかも、お金が掛かる挑戦者で。

うーーーん。止めようかなぁ。・・・無理やね。

止めて、もっと高価な食材な人間に・・・ようならんし。

家に篭もって「潤いのある生活」もあるまいし。

駄目だ駄目だ駄目だ。廃人はそんな根本的に深刻な事考えたらいけないんだぁぁぁ!

さて、食後のゴロゴロは何を見ようかしら(あうぅーーー)


■ジンをストレートグラスに・・・2000-11-03 (Fri)
4杯ほど飲むと、アタマは活動停止を主張するけど、カラダは吐き気で眠れない。

もう10年、ジンを中心に飲んでいます。

色の無い酒を飲めば、自分の作風に無駄な色は付かないんじゃないか・・・って。

それだけの理由で飲んでます。
「風も水も」色は付かないから、だから飲んでます。

「風水嵯峨」である限り、本気に色の着いた酒は飲まないぞ、それだけの理由で。

夜中に真っ直ぐ歩けなくなって壁に激突するとか。
便所に立った瞬間に硬直して動けなくなるとか。

胃が痙攣起こして、這ってベッドに戻るとか。

そんな苦しさを煮詰めた先に音楽があるって、なんて泥臭い。

ミドリやアオやパープルや・・・みんな色んなお酒を楽しく飲みます。

そういうモノに背を向けた結果が深夜の廊下這いずり。

他人と一緒にやるバンドの楽しさを知ってるからこそ、ヒトリで煮詰めないといけないときも知ってるつもりです。
それでも、オイシイ仕事かな。

この一杯を飲んだ瞬間に、血を吐くかもしれない。それでも飲む。飲まないとアタマから旋律が消えない。眠れない。
やっぱり、それでもオイシイ仕事なのかな。

そう思いながら、小振りのストレートグラス何千回空けたんだろ。

せめて歩ける間に、投稿終えなきゃ・・・。

■生命保険の・・・2000-11-03 (Fri)
逆ザヤを解消する為に、予定利率を変えられるようにしたい、という相沢金融再生委員長の発言が論議を呼んでますな。

あんた、それ憲法で定める財産権の侵害やがな。


しかも野党の方からそれを望む声が上がっているというから驚きでっせ。

普通、そういう事に反対することを野党って望まれてるんやけど。


予定利率を変えるより、現在の異常な低金利をマトモに戻すべきじゃないでしょうか。

借金借りてる方の保護の為に貸し手が倒れるのが異常な状況で、その貸し手が一般からお金を集めているから政治問題になるんですが。


極端に言えば、バブル時代に土地を買い捲ったゼネコンや不動産業の保護が目的でしょう。

この業界、低金利で保護されて、その人等の作った家やマンション買うた我々は、高利息を払う安全パイ扱いでっか。

バブルの時代に栄華を極めたんやから、倒れても「世の中が動いた」としか言えませんわ。

どれだけそういう人が贅沢をしたか。

この景気が続くと思ってお金使っちゃったからカンベンね、とは口が割けても言えまへん。


「盛者必衰の理あり」と平家物語の出だしでも言うてますがな。

何百年も前に歴史的には決着がついたことですがな。


「おごる平家は久しからず」。

政治家も義務教育は受けてる訳ですから、それぐらいの歴史観を持ってほしいですな。

平家が倒れるのも、ゼネコンが倒れるのも『歴史から見れば一緒』。


平家が倒れるのを無理矢理防ぐために、何が何でも一般領民を「人間のタテ」にして人口の何%も見殺し放題にしたら、後世、その時代はどう呼ばれるんでしょうな。

多分暗黒時代と呼ばれて、国が乱れて、暴力によって再び平定されるか、その機に乗じて外国に攻められるかどっちかとちゃいますか。


ゼネコンが倒れたら、職を失う人が多く出る。

平家が負けたときも、切腹も出たし、浪人も出た訳です。それでも国は続いた。

それが「世の中が動いた」状態に素直に従ったということなんとちゃいますかね。


この間、ここで保険業界がアメリカの金融会社の橋頭堡になるんとちゃうやろかという事を書きました。

「援助するぞ〜」と公言しておいて、「交渉失敗」する。

そうしたら、株価ガタ落ちですがな。

「援助するぞ〜」と公言した時点で「危険な会社リスト」に入ってしまいますから。

で、破綻してから、善意の第3者として再建に乗り込む。

実際にそれを憂慮する政治政治関係者もいるらしいです。

そうなる原因の一つに日本のあまりの金利の低さと破綻後の税金を投入した対応があると書きました。

金融会社って「機関投資家」な面がありますから、資金の確保が大事です。

今の金利差は、破綻企業に突っ込むお金考えてもオイシイ訳です。

この上、逆ザヤ回避の為に予定利率変えられる様にしたら、「日本は外資の狩り場」になりまっせ。



明日は昨日とも今日とも違う。

ほんの50〜60年ほど前、石炭産業と航空機産業は花形でした。

大学の入学も、その分野が難しかったとその頃学生だった方に聞いた事があります。

「結局、何が花形になるなんて判らないから好きな事を専攻するのが良い」と。


今、どないですか??

たった60年の間に「世の中が動いた」訳です。

高度成長経済の時期の状況が「不変」やと思ってるしたら、それは錯覚でっせ。

それにしがみつくのは「愚か者」ですな。

官公庁の既得権。開発の利権。

そろそろ「しがみつき政治の時代」は終わりに来てるんやないでしょうかね。

それとも、戦争して負けな、この国は変らんのですかいな。


■絶対壊れないはずの・・・2000-11-03 (Fri)
形状記憶合金製のメガネが折れた。

ご自慢のどんなに曲げても大丈夫な部分がポッキリと。

しようがないので、昔使ってたメガネを出す。

ジョン・レノンの使ってたモデルのコピー。

絶対なんか世の中に無いんやなぁ、形あるものは壊れていくんやなぁと実感する。


なんか、凄く辛い気分になった。

ワタシはいつから壊れていくんだろう。

それとも。
もうどこか壊れてきてるんだろうか。

そう思いながら、アクロス・ザ・ユニヴァースを口ずさむ。

「Noting gonna change my world〜♪」

何も世界を変えられない。

それは崩壊への道なんかいなぁ。

何も壊さずに生きてはいけないもんなぁ・・・と。


■赤井電機が・・・2000-11-04 (Sat)
事実上倒産したらしいです。

ワタシ見たいな音楽系のニンゲンはAKAIというブランド名で呼びますが。

結構波風が立つんじゃないかと思っています。

ワタシの生楽器ダビング用のレコーダーはAKAI製ですが、色々お世話になりました。

問題はサンプラーの分野ですわね。

サンプラーの歴史はイーミュ社のイーミュレーターに始まります。

これがイーミュレーター2、3と発展していった訳ですがアマチュアに買える値段ではありませんでした。

「破格的に安い」と言われたE−MAXでも70万近くで、なかなか手が出ませんでした。

そこに参入したのがエンソニック社。「ミラージュ」というマシンは確か20万円台で、非常に演奏する側の立場に立ったサンプリング技術で、「スペックは劣るが楽器としては使いやすい」ものを作りました。

少し遅れて、AKAIが参入。
楽器というよりも、オーディオ機器のような外観でスタジオ使用を前提にしたSシリーズで攻勢をかけました。これも割り切りの一つの形。

名機S−1000でほぼサンプラーの覇権を握ります。

この後エンソニックはEPS、EPS16のように進化を遂げますが、あくまでも鍵盤の付いた楽器として、ライブで使えるものという姿勢は崩さず、「いかに低容量で音楽的なデータを作れるか」というスタンスを邁進していきます。

一方、イーミュ社はプレイバックサンプラーといえる「プロテウス」シリーズで圧倒的な成功を収めますが、サンプラーに関しては、鍵盤付き大容量という中途半端な姿勢が災いしてか、S−1000の牙城を突き崩すこと無く、サウンドブラスター等を作っているクリエイティブテクノロジー社に買収され、続いてエンソニックも同様の運命を辿ります。

で、AKAIが単品のサンプラーのメーカーとしてはほぼ独占状態になった訳です。
この時点以降、サンプリング技術がゲーム機の開発に用いられるようになり、ほとんどのメーカーがAKAIのサンプラーを推奨機材に名指しするようになります。

つまりこの時点で、コンピューターの周辺機器としてのサンプラーの標準の地位を固めたことになります。

で、そうなると、コンピューターの進化に合わせて、ドライバーソフトのバージョンアップが行われるようになるんですが・・・。

それがどうなるかが心配。

例えば、SCSI機器のひとつとして、組み込まれている場合、OSのバージョンアップや、I/Oチップの進化によって、動かない可能性が出ないとは言えない。
HDを組み込んでいる場合、どのベアドライブが動作するのかの情報も欲しい。

ワタシはそういう使い方してませんので、あまり実害はないですが、同業者でシステムの中心にしている人がいるだろうなぁと余計な心配をしています。

だから「やったぁ!投げ売りだ」という風には思えない。
鍵盤付いてて、それで完結してるものなら、そういう考えもありですが。

うーん・・・サポートの継続を願いたいですね。

少なくともサポートが途絶えて、開発機材として使われていたものが、多量に中古に出回るような状況にはなって欲しくないです。

久遠の絆のサントラ制作中に一度お世話になったときの良心的な態度は非常に有り難く思いました。

こちらが録音中であることを告げると極めて迅速な対応をしてもらえました。

あれがなければ、「闇の扉・・・」のギターの絡みも「舞う雪・・・」のギターも間に合ったかどうか。

そういう意味で非常に「義理」を感じています。

ともかく会社の再建が上手く行くようにお祈りいたします。

■急に電子レンジが・・・2000-11-04 (Sat)
・・・動かなくなる。

タイマーの1分ちょっとのところで止まって、それからは何をしても電気が入らない。

昨日のメガネの事を想いだして背筋が寒くなる。

たしか梅図かずおの漫画だったか、18歳になったらどんどん壊れていく少女の話。

まさかそんな事、と思いながらううむと唸る。

「・・・もう駄目なのね」

そんな事無いってばぁ。

この間は電灯壊れたしなぁ。楽器が壊れへんだけマシか。

楽器とカラダとどっちか壊れるんやったら、どっちがマシやろか。

そんなんカラダが大事に決まってるんですが・・・。

イタミは鎮痛剤ガブ飲みしてなんとか誤魔化せるけど、楽器壊れたら録音でけへんしなぁ。

こういうコワレ方も「一時は」必要なのかもしれない。

当然、それを通過して「やっぱ、カラダが資本やで」というのに戻る訳ですが。

一回コワレないと到達できない地点がある事は否定できない。

それも、環境によりけりなんですが・・・。

まぁ、絵に描いたような一般庶民が到達しようとすると、宙返りを一回しないといけないけど、恵まれた家庭に生まれたら無理無しでいけるのかも知れない。

ワタシは前者なのでワカリマセンが。


久しぶりに師匠と長電話する。

師匠の娘は立派な同人娘になって、全国から、オリジナルの便箋で手紙が来るそうな。
はぁ、家族があるって楽しいなぁ。

どうして便箋の右上と右下に、淡いブルーやピンクでイラストが入っているのかという話になるが、脳裏にその様子が浮かんだので、「それはお約束」と言っておく。

最近のジャムの様子を聞く。
なんか、停滞気味みたい。ブルース熱も冷めたらしいし。

まぁ、楽器メーカーが仕掛けた部分もあるしなぁ。

なんか欲しい楽器ありますか?と聞いてもあまり燃えるものが無いというのは、弟子と同じ症状。

録音用のデジタルモデリングアンプシミュレーターかなというと、うーん、まぁ面白いのはその系列ぐらいかなという答え。

高価な物を持ってる訳ではないけど、欲しい物はもう手に入ってしまったと言うことか。

やっぱり後は工夫と前進あるのみと確認。

だから、カラダが資本やねんなぁ。


で、電子レンジですが、数分そのままにしておくともとに戻りました。
なんやねん一体それは。
蹴らんでも直るというのがアレやなぁ。

オチにもなれへんがな。

そやけど、蹴って直ったら・・・それ以後使うのもイヤやしなぁ。

昔は蹴ったら直るって、実際蹴って直ったら、そのまま「良かったなぁ」と使い続けたのに。

蹴って直ったら、いつか火ぃ吹くかもしれへんでと「コワイなぁ」になっている。

何時の間に意識が変ったんやろ。

コワイもんがどんどん増える世の中なんやろか。

でも、蹴って直して安心してたあのおおらかさに戻りたいと思うのは、オカシイ事なんやろか。


■FOGさんのBBSで・・・2000-11-05 (Sun)
十三参りのことが書いてあったので昔のことを思い出しました。

確かに、虚空蔵さんにお参りに行きました。

アレは数え年で行くんでしたでしょうか?


もう薄れてしまった記憶の中では、そういう行事には熱心な祖母と同行しているのですが。

祖母は大阪の商家の育ちなので、そういう事はきちんとする性格だったと記憶しています。

ただ、ワタシが13歳の冬、年末にガンで亡くなっているので、十三参りに同行できたかどうか。

満年齢で行くのなら祖母が病気で亡くなる3ヶ月前。

もう祖母は入院していた筈です。


数え年ならば、最後の入院をする直前に行く機会があった筈。

ワタシがそういう行事に行くのに、祖母が一緒に来ないとは考えられません。


かすかに、記憶に残っているのはつづら折りの道を登って、石段にたどり着いて門を見上げたということだけ。

空が晴れていたのか、曇っていたのか、それさえ記憶にありません。

ただ、人気の無い「気」というか、古びた漆喰の壁の匂いの風というか、なんかそんな物も覚えています。

数え年で行ったのか、それとも記憶の改変なのか。

今となっては思い出せないのが残念です。

ほんのちょっとした「特別な」日常、思い出せなくなるんですね。

それは悲しいことなんですけど。

思い出せなくなって初めて「覚えておきたかった」日常だと気が付くんですね。


さて、「十三参り」でワタシは知恵を授かったんでしょうか?

現状を見る限り・・・。判断に苦しむなぁ。

■ちょっと今・・・2000-11-06 (Mon)
私生活でごちゃついてまして。

いや、「乱れた私生活」とかそういううらやましいのじゃなくて。

本当の「わたくしごと」です。

しばしレスが滞るかもしれませんが、平にご容赦を。


昨日に書いた事についてですが、実家で聞いてみると、どうやら同行したのは母のようです。

多分祖母は一回目の入院をしてたんだと思います。


「十三参り」って満年齢で12歳になる年に行くようです。

ですから行ったときには満年齢で11歳。

お参りに行った直後に母が入院して手術、というか入院前に行っておきたかったようです。

6ヶ月入院して、母は杖が手放せなくなりました。

杖無しで行った最後のお出かけやったんですね。


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