『飲んでません・が酔ってます・から書いた』 -1999年06月-

■税金を払ったら・・・1999-06-18 (Fri)
スッカラカンのカン。

月末の健康保険料の為に4万円ちゃんとおいておかないとイケナイ。

電話で管理人さんと、いくらなんでもこの金額は「あやや」なのではないか・・・と話す。

ウチ程ではないにせよ、管理人さんとこも「あやや」らしい。

2人でヒソヒソと話した結果、どうやら二人とも正直者過ぎるのではないか、との結論。

少々ごまか・・・もとい節税するのを前提に税金の率が考えてあるのではないだろうか。

色々と考えを出し合う。


『世間の無理解が、こうやって正直者を汚していくのね。』


しょうがないので、家にある食料でしのごうっと。

ウチはワタシの性格を反映して、保存食にはなかなかの在庫を誇っているのだ。

しばらく外に出る用事もないし、ま、いいかな。

■こんな仕事を・・・1999-06-19 (Sat)
していると、非常に考える事が多い。

ゲームを構成する要素の中で、音楽は古典的な著作権保護に属している。

例えばグラフィック、髪型が一緒ならパクリなのか、髪型と目の色が一緒ならパクリなのか・・・服装まで一緒ならそうなのか・・・それともそういう問題じゃなくって、キャラクターとしてのバックボーンが問題なのか・・・。

非常に複雑な問題です。

お話とキャラクター、キャラクターとデザインが絡み合ってるからですね。

そういうコンテンツの中で、音楽だけは、メロディパクったら「クロ」っていう極めて単純な位置に置かれています。

メロディのどこをどの程度パクったら、「クロ」なのかという部分、古典的には作曲家の間では暗黙の了解になっています。

ある曲を聴いて、どの部分にオリジナリティを込めたか、それが判らないようでは作曲という仕事を生業にはできません。

ここは頑張ったな・・・とか、ここは安直に流したな・・・とか、大抵の場合、作曲家間で同じ認識を持つ事になります。

頑張った部分をパクってるかどうか・・・。
それが習作と作品の間を分ける溝のようなものです。

そして、習作を重ねているうちに、作品にまで昇華されていきます。

そういう部分が判るという事は、技術であり、呪いなのかもしれません。

そんな事が判ったが故に、今のオシゴトやっています。
それが幸せだったかどうか・・・・。

ゲームは全体で一つの作品なのに、その一部である音楽はそれだけで一つの著作物として認められてしまう。それが、混乱を呼ぶ原因に繋がる事がある。

雨の降ってる窓の外を見ながら、そんな事を考えてます。
バカみたいですね。

■眠いのに・・・1999-06-20 (Sun)
眠れないのはどういうわけか・・・。

朝の4時5時まで眠れないのは辛いです。鬱病かな・・・。
なんか、梅雨時って、それだけで陰鬱な感じしますものね。

音楽を作るという事は、自分と向き合う事です。外に作るものを求めたら、パクリになっちゃいます。

ただ、サラリーマン辞めて思う事ですけど、色んな人と交渉があることは、重要な事なんだなと、思います。
一人でずっと自分と向き合っていると、自家中毒になりそうなんだけど、他人に合わせていく場面があって、自家中毒にならないで生きているのかもしれません。

他人と「場」を共有していると、他人との関係をアジャストしないといけない。
それが、鏡の前で自分と向き合って、冷や汗を流すような生き方から、人を遠ざけているのかもしれません。

自分だけの世界は、自分の状態で世界の全てが決まる世界。
自分の調子が悪ければ、世界全部の調子が悪くなります。

自分の調子が良い時は世界がバラ色なんですけどね(笑)

■声・・・この大きなもの1999-06-21 (Mon)
ゲームにとって声は必要か・・・という問題提起を良く見ます。

有った方が良いという人あり、無い方が良いという人あり。

個人的には、フルボイスというのはあまり好きじゃありません。

プレイ時間の長いものになると、どーしよーもなくなります。

10時間しゃべらせると・・・相当圧縮かけて音質を犠牲にしても、
・・・800Mバイトぐらい容量食いますね。
40時間クラスのゲームになると3.2Gバイト。

まぁ、いわゆるト書きの部分を考えるともっと少なくなるんでしょうが、
その代わりに、分岐等々のセリフのバリエーションを考えると、あまり
変らないんじゃないでしょうか。

このGバイト単位のデータを編集する労力。強烈ですね。

簡単に10時間800Mといいましたが、元ネタはその4倍ぐらい。
16bit44.1kHzのデータで10時間3.2Gバイト。

こうなると、データの編集は強烈です。MOではもうやり取りできない。

もう一つの問題。
シナリオ系のマスターアップが何ヶ月が早くなること。
音採ってから変更できませんから。

論理的におかしな部分があったら、もう大変。
編集で喋ってない言葉、作ったり(笑)、それが出来たら幸運です。

そのあたり、気をつけないと、ドツボになります。


フルボイスだと2〜3時間で終るゲームでも音声ファイル数、1000、
2000当たり前ですが、CD−DAとCD−XAとか、そういうCDの
機能に依存しているファイル形式って、そういう多量の音声を管理する
様には出来ていないみたいです。

よく喋ってるゲーム見ると、プログラマ死んだんだろうなぁ、と思います。

あとは、ただ喋ってるより<萌える声<萌える声優さんな訳です。
ワタシもそう思います(爆)。

予算が無いときは若手の声優さん使うんですが、若手で上手い声優さんに
当たるとラッキーです。でもやっぱり上手い人はすぐにブレイクしちゃう
んですね。やっぱ、見る人は見てるんですね〜。
人気商売ですから、そうなると料金が跳ね上がりますし。

なかなか、そのあたりのバランス取るのが至難の技ですね。

■ここまで・・・1999-06-22 (Tue)
眠れなかったら、もうこれは才能というべきか・・・。

今日は、いつもと違うノリで書こうかな。

あまり甘ったるい話は書きませんけど、ワタシは石でも木でもないので、
ちょっとは甘目の話題でも書きましょうか。

最近「どんなタイプが好きなの?」って聞かれなくなって、少し傷ついて
いるわけですけど。

そういう時は「オンナならいいっす」とか答えていたのが「真面目でない」
という評価を決定付けたのかな。

正直に答えたつもりなんですけどね。

別に音楽が分からなくていいですし、仕事に理解が無くってもいい。

ただ一つ望めるなら・・・。

「自分の許せないものを同じく許せなかったらそれでいい」と思うんですよ。

考え方、ヘンですかね。

世の中、好きなものが同じっていうカップルは山ほどいますけど。
それが良いと思ったこと無いんです。

好きなものが違っていても・・・許せますよね。
違うのかなぁ・・・(←少し弱気)

自分が許せない事、さっさと許してしまう人を受け入れられるんでしょうか。

誰もが意地を張って生きています。
その意地をあっという間に無効にされるのだけはカンベンしてほしい。

そんな希望って贅沢なのかなぁ・・・。

時々、そんな風に考えます。眠れないときに(爆)

■白い五線譜・・・・1999-06-22 (Tue)
前にして唸る。唸る。

うーん、うーん、うーん、うーん、うーん、うーん、うーん。
うーーん、うーーん、うーーん、うーーん、うーーん、うーーん。
うーーーーーーーーーーーーーーーーーーん(ブチッ:血管が切れた音)

という状態なのです。
はううううううううううう。であ、しばらくアレなのです。

■掲示板に・・・1999-06-23 (Wed)
書いたことの補足・・・かな。

先日カジオペアの野呂さんのインタビューが新聞に載ってました。

1990年代は「過去の遺産を再構成して音楽を作ること」が進歩した時代なんだ、と言われていました。音楽的には新しいムーブメントは生まれなかったのかもしれない。

その通りだと思います。その過去の遺産で多いのが、ジャズ、R&B、ソウルじゃないかと思います。

で、そのジャズ、R&B、ソウルを全てバンド形式でやっていたワタシにとって、非常に不満の残る時代だったと思ってます。

ブルースブラザーズ2000という映画がありました。わずか2週間で打ち切りになりました。でもそれに出演している人たちが作り上げた音楽をネタに使った音楽がどれほど溢れているか・・・・。

そういう事を考えると、すごく悔しくなります。

サントラにも参加してくれた師匠のターキー井上氏は、性格の良い人で、
大抵のバンドの誘いに「Yes」という人ですが、たった一つ「No」と
言う場合があります。

「察しの悪い人間とは一緒にプレイしない」それだけが「No」の理由だそうです。

今、「オリジナリティ」が免罪符になりやすい時代です。
どう聞いてもヘンな音楽でも「オリジナリティ」でくくってしまう。
「オリジナリティ」以前に察することがあるのだと思います。

何が自分固有のもので、何が、人類が積み上げてきたものか・・・。
その察しが悪いなら、まだまだ勉強が必要なんだ。そう思います。

■気象庁発表(嘘)1999-06-23 (Wed)
あううううう・・・・。

暴風、波浪、雷雨、締め切り、マスターアップ警報が、局地的に出ましたので
しばしダイヤの混乱、レス等、遅延の恐れ大なのです。

ということで、であであ。

風水嵯峨 拝

■思わず逆上1999-06-24 (Thu)
情操教育やとぉ・・・・。

10月から、テレビで週に3時間豊かな情操教育に役立つ番組を放送するそうな。

同時に21時までは暴力表現性表現を規制して・・・・。

青少年の凶悪犯罪増加に歯止めを・・・らしい。


情操教育といえば思い出すのが、音楽鑑賞だ。

ヴィバルディの「四季」の「秋」を聴かせて、さぁ農民達の取り入れの喜びが・・・。

そんなん判るはず無いぞ。ワタシには「チャーラランラーララーーラーラ」としか聞こえないぞ。

「喜怒哀楽」程度は分かっても、農民が云々なんて分かるはずあれへんがな。

その時に農民が自分達の汗の結晶を・・・というとホメられる。

これのどこが情操教育だろ。


情操教育と言えば、道徳の時間。

「弱者は必ず正義で、強者はそれを踏みにじる」というドグマに基づいた話を延々と。

で、そこでもホメられるような事を言った人間が、良い成績を取って、エラくなって、ワタシから毟り取ったぜーきんで、健康ランドを作る訳だ。

思えば情操教育って「旨く立ち回ったモン勝ち」の最初の一歩だったような。


嘘をついた苦しみ、後悔から正直は生まれる。

返せなかった恩義の重さが肩にのしかかって、せめて次の世代へのやさしさが生まれる。

少なくともワタシはそうだった。

せめて、そのぐらいの認識を持って、豊かな情操教育の番組ができん事を・・・。

■オカユ・・・1999-06-25 (Fri)
の作り方が上手くなってきた。

これを幸福と判断するか、不幸と判断するかは不確定。

一応中華風のオカユはもう大丈夫と判断したのでアレンジに向かう。

今日は半熟タマゴ丼風オカユでGo!
しばらく、カツオブシとコンブを味方につけて和風にチャレンジだ。

来月には、カレー雑炊風オカユを射程に捉えるかも。

その先に牛丼風シャブシャブオカユの計画が脳裏をかすめるが、さすがに熟考を要すると思う。

中華粥で、丼に超薄切りの白身のサシミを入れて上から粥をかけるのがあるらしいけど・・・あの変形で大丈夫やろか????

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