『飲んでません・が酔ってます・から書いた』 -2000年01月-

■SE修羅場は・・・2000-01-11 (Tue)
一応抜けました。
HDの中は使わなかったファイル、0.5秒だけ使ったファイルの山、山。

これをどう掃除するか悩むんですよね。

系列別に分けてCDに保存しておいて、何かの際に、利用することが多いんですけど。

それも、もう限界値に近づいたかな・・・と。

同じ様な「SEの素」が入ったCD、CD。

こうなったら、20GぐらいのHDに全部ほうり込んで、検索一発、欲しい素材が出てくる・・・

みたいにしようとは思うんですけどね。

なかなか、疲れて出来ないんですよね。

疲れても音感は鈍らないですけど、アタマの回転は止まりますから。

はぁ・・・ともかく一日ぐらい休んで、また音楽に戻ろうっと。

うん。それがなんだかうれしー。

■堕落道へ・・・2000-01-11 (Tue)
御一人様ご案内〜。

朝、12時過ぎまで寝る。あまり食欲がないので、少しだけ食べて、酒飲んで寝る。

4時、起きて着替えてゴミ出しにいって、お茶飲んで少し食べて、酒飲んで寝る。

6時半、起きて、キャベツ入り煎りタマゴ(甘辛味)を作ってゴハン少し食べて、酒飲んで寝る。

8時半、起きてソーセージ炒めてゴハン食べて酒飲んでますぅ。

見事なまでに完膚なまでに堕落道な生活だ。

これを「くくくくっ!真面目なサラリーマンをナメとるんかー」と非難してはいけない。

1999年12月末にマスターデータを出した筈なのに、正月も、熱を出しながら、2時間おきにメールチェックして、「最後のお願い」、「最後に最後のお願い」「ホントに最後のお願い」、「真に最後のお願い」、「誠に最後のお願い」、「人類に隠された真実への道、それを照らす最後のお願い」を10日まで聞き続けた結果なのだ。

涙なくして語れないこの惨状の後の、一日やそこいらの堕落を非難する人は馬にケラれるであろう。

もう眠りきれないので、カフェオレでも飲んで、少しシャキンとしてから酒飲んで寝よう。

とりあえず、早く寝て、明日からは早起き、午前中にはお仕事な生活に戻すつもり。

戻すつもりなんだったらぁ〜。

■早朝というより・・・2000-01-12 (Wed)
まだ真夜中。

鳴り響くサイレンの音。

やがてすぐ側で止まる。

眠い目をこすって玄関から飛び出すと、そこには救急車。

「来たっ!」

パジャマの上にガウンを羽織り、DATを取り出して、スタジオからマイクを持ち出す。

すぐ側までいくのはあまりにあんまりな非常識なので、部屋の入り口でマイクをセット。

どうやらウチのマンションの人らしい。

担架で運ばれていく。

少し罪悪感。でも、どうやら命に関わるような感じではないのでほっとする。頼む、無事であってほしい。

そして救急車は・・・音も無く動き始めた。

あれって、動き始めてしばらくしてから音がなるみたいっすねぇ(T_T)


・・・というのも、救急車とかパトカーとか消防車って、なかなか効果音ライブラリーに入ってないんですよね。

多分、イタズラを防ぐためだと思います。

ということは、自分で録音しておかないと必要な時困る・・・と。

救急病院の側で一晩張ってれば、録音できるんでしょうが、そこまでの根性は無い。

すごく罪悪感を感じますが、近所でサイレンが鳴ると、身体が反射的に動くんですよね。

で、風邪がひどくなる・・・訳です。はーぁ。因果な商売だねぇ。

■どうして・・・2000-01-13 (Thu)
トーフと白菜だけで湯ドーフをするという「粗食」なはずなのに。
なぜにオナカはニコニコ笑うのか。

謎。

暖かいものを食べたいという欲求が込み上げてくるのか。
それとも単にポン酢が好きなだけなのか。

不思議不思議あら不思議。

確かにトーフは好きです。学生時代に、父親が単身赴任して、母が行ったり来たりの時、トーフばかり食ってた覚えがあります。もう湯ドーフ食いまくりましたがな。

山下洋輔氏のエッセイに演奏旅行で外国に出ると、シュー油と酢の禁断症状が出ると書いてありました。

水にショー油を混ぜてヤカン一杯飲みたくなるというような表現がしてありましたが。

やっぱりポン酢は偉大なのか。確かに離れがたいものがありますが。

そのエッセイを読んでたときは長期間外国へ行く人間なんて身の周りにいませんでしたけど、今なら、誰かそういう人がいるかもしれない。

一度探して聞いてみようかな。

その前にショー油が世界中で手に入るようになってるかのもかもしれませんが・・・。

■もうすぐ・・・2000-01-14 (Fri)
一周年になるんですね。このホームページ。

表紙にはsince1999/01/15と出てると思いますが、これはHPを立ち上げた日で、公開した日じゃないんです。

立ち上げた日が一周年なのか、公開した日が一周年なのか、判断は別れると思いますが、私は後者を取ります。

昔、まだ通信が草の根BBSで2400bpsが最高の速さだったとき、とあるBBSを運営している人と話したことがあります。

やっぱり、「荒らし」なんかが出て、ネット上で揉め事が起こったりして、「削除の基準」をどこに持って来ようか?そういう話だったと思います。

その頃勤めていた会社の社長と、ユーザーサポート用のネットを立ち上げようかと話してた時に言われたことを参考に話しました。

回線にマシンを繋いで公開するということは、書かれた内容に対して、公開した側の思惑を持って削除しないと覚悟することや・・・と。
それを覚悟しないで面白いから繋いでしまえなんていうもんじゃない・・・と。

なるほどなぁ、と二人してうなずいた記憶があります。

だから、公開した日をもって一周年とすべきなんだと思っています。

整地して、建物建てて、内装を全部入れて、家具を入れて、さぁどっからでも掛かってらっしゃい。

それが繋ぐことの始まりの日なんだろうなぁと、今考えています。

今は簡単にHPが作れて、世の中に沢山のHPが溢れています。
覚悟している人が増えたのか、覚悟を知らない人が増えたのか、それはわかりませんが、覚悟する人の絶対数だけは増えたよなぁ。

テキストがスクロールするだけの画面を思い出しながら、それってココロの進化なのかもしれないなぁと思っています。

■また深夜・・・2000-01-15 (Sat)
急ブレーキの音・・・ガション・・・。

慌ててベランダに出ると、どうやら事故。
すぐに動かないでどんどん車が詰まっていくところを見ると人身らしい。

DAT出して、マイクとスタンドだして、ベランダにセッティングするワタシ。

ダンゴ状態の車が道を開け始め、赤い光の明滅を確かめて録音に入る。

どんどん大きくなるサイレンの音、それに合わせて録音レベルを変えていくワタシ。

そして、詰まっていた車は横道から抜けていき、静けさが残った。

すぐにテープをデータに落とす。

ステレオで、野次馬の声や、道を譲る車のエンジン音まで『完璧に』録音できた。

でもこの胸の痛みは何だろう。自分が最低の犯罪者になったような気がする。

サウンドクリエイターという職業を目指す若い人に言いたい。

来るところまで来てしまえばこんなですよ。社会から異端とはじき出されるような汚れた部分もありますよ。

人の命を乗せた車をレベルメーターで観察しながら、冷静にデータを取り込んでいく。こんな後ろ姿、親兄弟に見せられません。

汚れたという気持ち。それは本当に悲しい。5回機会があれば5回悲しい。
でも、選んだのは自分。自分自身が選んだ泥道を歩いていくのです。

■あれから5年も・・・2000-01-15 (Sat)
経つんですね。阪神大震災から。

ワタシの住むところは兵庫県と接しています。

夜中にいきなりベッドから2mほど水平に放り出されて、ジンを飲んでたコップが割れたことを覚えています。

それから、何十秒か、グラグラと揺れて、腰が抜けたようになって歩けなくなった事も。

揺れが収まって、大阪の方を見ると、停電で真っ暗なビルの影だけが見えました。

低層階ということと、家具がほとんど無いこともあって、被害は少なかったです。

まだスタジオも今のようにギュウギュウ詰めじゃなかったですしね。

でも、高層階の人は、家中の家具がひっくり返って、ほとんどの食器類をダメにしたらしいです。

マンションのゴミ捨て場の横に、臨時の食器類の捨て場が出来て、しばらくは大きな山になってました。


うちのマンションは、河から近い場所にあるので、普通の基準では高層建築を建てられません。

通常よりも数段深い部分まで基礎が打ち込まれているらしいです。

それ故か、区域では尤も被害の少ないマンションでした。

隣のマンションは、基礎が折れて、補修に何千万かかかったらしいですから、運が良かったのかもしれません。
近所に住む父が薄暗い中、様子を見に来た時に余震が起こって二人で驚いたのも覚えています。

ひび割れた道路に空いた穴。自転車で会社の様子を見に行ったこと。


あれから5年・・・。

去年ぐらいから、夜中に走る大型トラックの振動に飛び起きなくなりました。

でも「漠たる不安」っていうのが取れないんですよね。

どう言えば良いのか、漠たる不安としか言いようの無いもの。

立ち直りが早い人と、一度刷り込まれると、その影が消えない人と。

ワタシは後者みたいです。

ワタシでこうですから、震源に近かった人はもっと怖い思いをして、刷り込まれたものも多いんでしょうね。

21世紀の終わり近くまで、この国にはそういう人が何%か住み続けます。

さて、それはどんな影響を社会におよぼすんでしょうか?

■相変わらず・・・2000-01-17 (Mon)
安全宣言が出たのに、微熱は続くよどこまでも。野を越え山越え谷越えて・・・。

電話で管理人さんと「相変わらずなんやわぁ」と話してると突然「うぷぷ」というので(何か耐えられないほど面白いことを思い付いたときの癖なのです)問い詰めると、「ひょっとして『危険日』とちゃう」・・・と。

そうだったのか。真面目に毎日数回体温の記録を、「個人」ディレクトリの体温.txtにしていて、もう半月になるので後半月頑張って、グラフにしてみよう。

・・・ってそれはアンマリな。それできっちり周期になっていたら、ワタシはどうすればいいんでしょう。

まだ、「知らない間に遺伝子の98.9%がヒトを同じになってしまった」とか、「なんだか判らない生き物が寄生しているのではないか」とか「散歩中に気を失ってUFOに連れ込まれた」とか、そんな方がマシだ。

今度管理人さんと日本橋に行く機会があったら、頬を染めて「ウチ、今日、危険日やからカンベンして」って逆襲をすることを考えただけでも「それはそれでアンマリ」だと思うぞ。

それにしても、どうしたんですかねぇ。
やっぱり『危険日』なんだろうか。とほほほほほ。

■やっぱり・・・2000-01-17 (Mon)
音楽のことを書かないと、なんか、話題が主婦へ主婦へと流れていきます。

ワタシの作ったものは「打ち込み臭くない」と良く言われますが、それには理由があると思います。

色々な人と、一緒にプレイした経験が多いということ。それに尽きます。

ドラマーが10人いれば10人のプレイスタイルと音があります。

その人たちと10曲演奏すると100通りのプレイの可能性がある。

大事な部分はプレイスタイル、音、曲の間に密な関係があるということです。


今回はリズムだけに限定して書きますけど、基本的にリズムはジャストで入っています。

手弾きで打ち込んだあと、クォンタンズを掛けるんですね。

音にとって大事なことに「認識時間」というものがあると思っています。

ある音が発音されてから、「何の音か、どんな音か、認識されるまでの時間」です。

当然、音量が小さいとその時間は大きくなりますし、大きいと早くなる。

アタックが早く持ち上がる音だと、早くなるし、遅いと逆。

まず、手弾きで打ち込んでいるときに、聞こえてくる内容をフィードバックして弾きます。

もっとツッコミたいとか、もっとタメたいとか。大きな音にしたいとか、小さな音にしたいとか。

そして、クォンタイズをかけた後、「Performer」のチェンジベロシティという機能を使って微調整します。

大抵のリズム音色はべロシティに反応しますから。

そこで、プレイスタイル、音、曲のバランスを取る訳です。

HowToものを読むと、前ノリにするには20Ticksほどスネアを前にとか、後ノリにするには20Ticksほど後に、って書いてありますけど。それを鵜呑みにすると、前ノリの音で演奏される後ノリのリズムとか、明らかに後ノリの音で突っ込んだ演奏とか、「気色悪いことはなはだしい」演奏が出来上がります。

結局、曲調、プレイスタイル、音色、それら全てがリアルタイムにフィードバックされて、実際の演奏は為される。その事を忘れたら「自然な演奏」は出来ないと思います。

そのフィードバックを「コール&レスポンス」って言うんですよね。

そしてそれがあるから、セッションやJAMやバンドは楽しいんです。
演奏が快感に変るんでしょうね。

■カラダが資本・・・2000-01-18 (Tue)
って事は僕は資本家だぁ〜。ヤッホー・・・って、それは違う。

カラダしか資本がないのが労働者なの。とほほほほほ。

ということで、これしか無い資本が弱りがちなので、久々にオモリモードに入る。

ふぅ。手足合計8kgは効くわぁ。

ちょこっとした買い物はこれで出て、帰りにマンションの屋上まで階段を上って、降りてきて家に帰る。

11階って高いのなんの。3階まで降りてくると、足の筋肉が笑ってる。

ついでに喉も鍛えられないかと思って、ただ今ご愛用のマスクを外すと、たちまちゼィゼィゼィ・・・と。

・・・あぁ・・○ずえちゃん・・・山頂は遠いよ・・・。(←だれがわかるんだろうか)

一度、2連荘というのをやってみたが、膝の裏が、フルフルして気色が悪い。

一日3回ぐらいが限度でしょうか。

以外に登るときは景色は見えないですね。必死ですから。

降りるときに、あぁ、高いわぁと思う。遠くまで見えるなぁと。

11階に住んでる人には、これが日常なんでしょうね。

一度11階の廊下を端から端まで歩いてみましたけど、少し足が震えました。

3階の廊下の幅が1mだとすると、11階の廊下は60cmぐらいの感じで(←そんな事ないない)

ちょっとフラっといくとそのまま奈落の底に行きそう。

その廊下を子供たちはテケテケと走っていくんですもんね。

今、住んでるところが3階なんですが、これでも生まれてから一番高い場所なんですが。

うーん・・・生きてる間に5階ぐらいまでは制覇できるようになりたいです。

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