『飲んでません・が酔ってます・から書いた』 -1999年04月-

■スペックの無い世界1999-04-07 (Wed)
夜中にアニメを繰り返し見るという「堕落した生活」を送って思ったこと。

まだ、アニメもすてたもんじゃない。

ゲームがゲームとして成り立つのに「スペック」が重要視されてる。

特に大作はそうかな。

何百万ポリゴンとか、毎秒何フレームとか、システムがどうのこうのとか。


でも、アニメで佳作たるには「美学」が必要らしい。

「美学」を貫くには、その為だけに存在している人が多分いるんだろう。

そういう人、ゲーム造りにいるんだろうか。

アニメはシステマティックな「お仕事」の部分と美学一発の部分が分化しているような気がする。

ゲームは中途半端に分化することによって、責任も分化してしまって、結果的に「美学の拡散」を招いているような気がする。

グラフィック、BGM、シナリオ、システム、どの部分についても「自分の責任」でダメ出しをできる人間がいないといけないのかもしれない。

「物語」という情報を送り出すにはまだ不足が多い。それをしみじみ感じた。

ちなみに漫画にも負けてると思う。それは個人の天才が活躍できるか否かで。

たしかにお金はかかっているものが多くなった。

でも、クリエーターとしては、まだ「でも、しか」の水準だと思う。

■時は流れて・・・1999-04-07 (Wed)
管理人さんから「祝一平」氏が亡くなられたというメールをもらって呆然とする。

判らない人には「誰、その人?」と言われるであろうが、私や管理人さんのような「元ろっぱーユーザー」にとっては、その影響力は大きかった人だ。

「その筋」であること、それに誇りを持つこと・・・そんな事を教えてくれた人だ。

そこから散っていった人間が、ゲーム業界には溢れている。
「その筋」の話をして、「は?」と言うか、「うんうん」というか、それで、私達は、その人の世代を知り、自分達との意志の疎通度まで予測することが出来る・・・そんな文化の核にいた人だったと思います。

「もう満開壱号は出ないのか・・・」そんな感慨にとらわれますが、あの人が残した満開製作所が意志を継ぐであろう。そう考えたいものです。

謹んで故人の冥福をお祈りします。

今日は、気持ちだけでも喪に服すことにします。

それにしても、ドクターパソコン宮永好道氏の逝去といい、シャープ人には辛い年ですね。

■ある一瞬の機会・・・1999-04-08 (Thu)
今の自分を作ったのは自分だけではないと思う。

今の自分を作った人にせめて「さよなら」だけはきちんと言いたい。

でも・・・そう思いながら、きちんと「さよなら」を言えなかった人がいる。

自分の臆病さ、弱さ、逃げ、不安定、そういう色々な要素が原因で「さよなら」を言えなかった人に対する記憶が、自分を責める。

襟を正して「さよなら」を言おうと思ったときに、もう居なかった人の記憶。

「さよなら」を言う機会、それはかならず巡ってくる。

「さよなら」をちゃんと言えた数だけ、自分は強くなれるのかもしれない。力を分けてもらえるのかもしれない。

ちゃんと言えなかった数だけ、後悔を積み重ねることになる、それは充分に学んだつもり。苦しんだつもり。

「さよなら」をちゃんと言える人間になりたい。

そして・・・、最後に自分に向かって言われる「さよなら」に対して、ちゃんと力を分けてあげられる人間になりたい。

何時の間にか時間は流れていく。誰も逃げることは出来ない。

さびしいけど、そうなんだ。

■ドラム入力・・・1999-04-08 (Thu)
親戚が仕事の都合で、ヤマハのエレクトリックドラムを引き取るように言ってきた。

リズムは今でもリアルタイムにキーボードから入力しているが、それから入力することになった場合、「最初から最後まで徹底的にシーケンサーをテープレコーダーの代わりに使う」というアナクロな環境が実現する。

そういう環境、凄く好きです。小技も沢山使えますし。ドラムも凄く好きなんですが・・・。

問題がヒトツだけ。

『バスドラムのペダルを踏み込む音が階下にヌケる』

これがマンション在住の太鼓叩きを一生悩ませる問題なんですね。

ドラムの練習台というのがありますが、あれでもペダルは同様ですから。

ワタシの知人某の場合
1:座布団を沢山並べてその上で>階下からの苦情により殲滅。
2:ベニヤ板を2枚重ねて間に防音断熱材を挟み込む>やはり苦情により殲滅。
3:さらにその上に大型コタツを重ねその上で練習>苦情により練習凍結。

こういう状況で最後には「やっぱりスタジオいかなアカンわ」と・・・。

なんかいい手はあるんでしょうか。

今のところ「ベランダにセッティングして入力」という手が考えられますが、録音室が玄関の横なので、録音をオンにして、廊下を通って、ダイニング抜けてサッシ空けて椅子に座って入力・・・家を縦断してケーブルが這い回ることを考えただけでゾッとするし、急いでベランダにいく間にケーブルに足を取られる可能性は・・・むちゃくちゃ高そう。

結論。
せめて、家だけは地面に接してる方が良い(←それは贅沢)。

■はぁ・・・疲れた。1999-04-10 (Sat)
セッッションから帰って来た。

「ブルースセッション」とは名乗っているが、「ブルースが理解できれば」なにをやっても良い、そういう姿勢を貫いている。

それは放っておくと、「クリーム」の「クロスロード」とか、そんなのばっかりになるのがガマンできないから。

私が始めてブルースを弾いたのは13才の時です。
始まりが、1940年代のブルースだったので、黒人音楽にはウルサイです。

ブルースは「ブルース形式のコード進行」の音楽じゃないです。
「ブルーな気持ちになる」音楽。

だから、エリッククラプトンの「ブルース」より、オーティスレヴィングの「R&B」の方が私にとっては「ブルース」です。

そのことが判る人って、なかなかいませんねぇ。
その事が判る人の為に「ブルース形式」限定にしてないんですけど。

特に若い人が「律義」なのが気になるんです。
「こんな古くせ〜ことやってらんないよ」それを待ってるんですけどねぇ。

そこから、何か生まれると思っているんです。

甘いかな・・・。

■たった一つの出会いから・・・。1999-04-11 (Sun)
前に一緒にバンドをしていたW君から電話。今は故郷に帰って家業を継いでいる。

ギターの師匠が同じなので、「同門」って事になるのかな。

聞けば、来月結婚するらしい。オマケに新婦のお腹にはコドモがいるそうな。

ワタシは聖人君子ではないので、まぁ、それはOKとして・・・。

「どこで知り合ったの?」って聞いたら、「声を掛けたんです。」と。

「へ?」って聞いたら、「そしたら、付いてきたんです。」と。

えぇーーー!!それって、あの噂のナンパって奴ですかぁ?

シャイで真面目なW君の性格を知ってるワタシは驚きましたがな。

よくよく聞いてみると、どうやら、『押さえ切れない衝動』が走ったらしい。

W君の好みを知ってるので、多分新婦は控えめで地味っぽい人なんだと思う。

そういうタイプが、簡単に「付いてくる」とは思えない。

多分、そういう運命だったんだなぁ・・・としばし感嘆。

そういう事、世の中にあるんですねぇ。

世の中まだ棄てたもんではないかな、と思う。

「お腹にコドモがいるから、部屋でタバコ吸えないんですよ」という報告を聞きながら、しみじみ幸あらん事を・・・って、ありがちかな。

W君、ホントにオメデトウ。

うん。『我がことなれり』(爆)

■ある大酒飲みの言い訳・・・か?1999-04-11 (Sun)
「酒飲みに観樹はよく似合う」・・・のか。

どうしておでんを食うと、日本酒を飲んで観樹のことを思い出すのか。

観樹のことを思い出すと、おでんを食って飲みたくなるのか。

飲みたくなると、観樹のことを思い出しておでんを食ってしまうのか。


ううーーーーーーん。


「観樹萌えぇぇぇぇ!」と公言してはばからぬ態度から、FOG公認「■リの烙印」を押されるのもなんだかなぁと思う今日このごろ・・・なSagaです。


なぜおでんなのか謎ですが、多分、自分の中に「おでん=ちょっと豪華な夕食(ゆうげ)」というイメージが確立されているのかもしれません。

観樹萌えな理由の一つに「関西弁をしゃべる」「一番服装がビンボくさい」「服装のみならず(以下略)」という理由があるのですが、最初の二つで一気にバブル以前の多感な少年期と青年期の狭間に引き戻されるんですね。

子供の頃、今日のオカズが『それ』だと判ると嬉しかったものって何でしょう??

私の場合、ハンバーグ、餃子、カレー、おでん、鶏のモモ焼き、鶏のから揚げ、すき焼き・・・。

ウチが結構質素だったのかもしれませんが、小学校の4年ぐらいまで、「鶏のモモ焼き」って誕生日とクリスマスの定番だった記憶があります。足の部分に銀紙巻いて。

市場の中に、タマゴと鶏肉の専門店があって、グルグル回るロースターがあって、その中で黄金色に焼けた鶏のモモ肉が良い匂いをさせている。わざわざ買い物に付いていって「これを今日食べる」と思うとワクワクした記憶があります。

その日は、いつものお味噌汁じゃなくポタージュが出て、凄く嬉しかったのを覚えています。

それが、今や近所のスーパーの中にある専門店に行くと、特価150円。

毎日でも食える。いや、毎食でも食える。なんとハンバーガーより安い。

ハンバーグも餃子もカレーもおでんも鶏のモモ焼きも鶏のから揚げもすき焼きも・・・ホカ弁のメニューになっちゃった。

「大事な食べ物」が20年かそこらでここまで変ってしまう事って、歴史上、そんなに簡単にあることなんでしょうかね?

よくテレビでモンゴルの放牧民とか、いわゆる辺境の地を取材する番組があって、「客人の為にとっておきのご馳走を作る」っていう場面がよくあります。

岩塩すりこんだ羊の丸焼きとか・・・お祭り用の食べ物というか。

多分、アレは100年前でも、「とっておきのご馳走」だったと思うんです。

・・・で、100年は無理でも、あと50年ぐらいは「とっておきのご馳走」の地位を維持してるんじゃないかなぁと。


あっという間に生活が変っていったということに対して、時々疑問が浮かんで、それから離れられなくなる時があります。


そういうココロの隙間に、ビンボくさい町娘姿の観樹が入り込んでくるんですねぇ。もう、「ぐいぐい」と。

で、「観樹と言えば雪」ですから、冬限定のスペシャル料理「おでん」がアタマから離れなくなる。

なぜか、すき焼きじゃなく、鍋でもなく、「おでん」なんです。何でだろ?????

信吾も観樹も家族の縁が薄そうですから、「夕食(ゆうげ)」という言葉に電波がビンビン反応するのか??

で・・気が付けば、日本酒が転がってる・・・と。もう悪循環のスペシャルですな。

困ったもんだ(爆)。


それ以外に、「観樹とタコ焼きと酒」という3題話もあるのですが、それは別の機会に。

■自分の書いたことが気になるのか・・・1999-04-12 (Mon)
どうしても夕食に「鶏のモモ焼き」が食べたくなったので、買ってくる。

どうしても、美味いのか美味くないのか確かめたくなったらしい。

でもなぁ・・・150円やからねぇ。1本。

で、やっぱり思うのは、「皮がパリっとしてへんなぁ」というのと、「アブラが多いなぁ」ということ。

とりあえず、トロ火のフライパンでじっくり蒸し焼き状態にして温めることに決定。

本当は直火の遠火とか、オーブン使いたいですが、無理なので。


で、その間にポタージュと野菜サラダを作れば、『思い出のクリスマスもう一度』モードだ。

さすがにポタージュを一から作る根性はないので、カップスープを加工する。

生クリームのあまりがあったので、カップにとって沸騰させて、それを加えてみる。ちょい甘味が強いので少し塩を利かせてみると、なんとか「あの頃っぽい味」になる。

で、トリを覗いてみると、やっぱり何かヘナヘナなので、「一旦皮を半分ほどむいて熱を入れる」のを実施。

そうすると、関節の内側あたりからアブラが出る出る。

で、しばらくその状態にしておいて、アブラを抜いてから、「皮を元に戻して、最後に強火でパリっとさせる攻撃」に着手。

ま、1分ぐらいでOKかと思ったのですが・・・。

げげ、皮が半分炭化してしまった。その部分の皮は破棄。

で、食べてみました。美味かったです。

おわり。









というのはあまりに読む人を馬鹿に文章だと思うので・・・・・・。

全く油を使わないで行ったんですが、随分アブラは出ます。最近の鶏はアブラっぽいという感想はその通りかも。

やっぱり皮の処理はした方が良いみたいです。残ってた部分の皮は、結構イケました。

皮には直接攻撃はあまり効かないみたいです。内側のアブラが抜けるのは、やっぱり遠赤外線か何か時間の掛かる方法が良いんじゃないでしょうか。

電子レンジでチンは最悪な処理ですね。アブラが溶けて肉に回るような気がします。

アブラをどうやって逃がすか、それがコツみたいですね。

炭火で網焼きとか、キャンプ用オーブンで焼くとか出来ればいいですね。

・・・ということはケムリが出ない調理法では辛いのかも知れない。

ということで、「手間暇掛ければ結構いける」というあまりにもマトモな結論。

■2度ある事は・・・1999-04-13 (Tue)
3度あるのかどうかは判りませんが、今日実家に行ったときに母親に聞いてみました。

「な〜おかん、昔ガキの頃、誕生日とクリスマスは鶏のモモ焼き食うてたけど、あれ、値段なんぼぐらいしてたん?」

「う〜ん、確か1本500円ぐらいはしてたけど。」

ン十年家計簿をつけ続けている母親の言うことなので、まず、確かでしょ。

仮に20ン年前としても、あのころの金利って5年で1.5倍前後だったので、その後の不況時のことを考えても貨幣価値が4倍前後にはなっていると思います。
仮に今の値段で2000円だとしたら、ステーキ肉ぐらいですね。

やっぱり、家計を預かる身としては「えいっ!」と買ったものなんでしょうね。

「なんで、あんたそんなヘンな事聞くのん?」
「いや、最近、鶏のモモ焼き食うても美味ないな・・・と思て。」
「そら、1本250円とかやからね。」
「いや、150円で売っとった。」

で、安モンになった鶏のどこが昔と違うかと聞いたら、
「やっぱり、アブラが多なったから、料理するときの掃除が大変やわ。年取るとコレステロールとか心配やから全部取ってるで。」
と言っているので、アブラが多いのもホンマなんでしょ。

なんか、昨日書いた内容をおさらいしただけみたいですが、まぁ、裏付けが取れたので善しとしましょう。

ということで、この話題は、「ちゃんとした地鶏」を手に入れるまで凍結。

ちなみに管理人さんも、「田舎から送ってくる地鶏は全然違う」と言ってました。ウチの田舎にも養鶏所がありますが、鶏がトコトコ歩き回ってます。

田舎に行って、持って帰ってくるか、それとも黒門市場あたりで、専門店見つけるか・・・そんな機会があったときに、もう一度検証してみましょ。

■プカプカ・・・1999-04-14 (Wed)
ここを読む人にとってナジミのある名前かどうか分かりませんが、「西岡恭蔵」さんがお亡くなりになられました。もう一週間ほど経ちます。

「プカプカ」という曲を作られた方で、ジャンルはブルースの影響を受けたフォークというべきでしょうか。

数日前に書いた、「ブルース形式」と「ブルーな気持ち」の比較。

「ブルースの気分」をワタシに教えてくれた曲のひとつです。

いったい「プカプカ」を酔って何回唄っただろう。

あの曲が弾けないブルースミュージシャンが跋扈する今、私は何をするべきなんだろう。

・・・・・色々考えます。

遠い空から降ってくるっていう、幸せって奴が・・・♪。

久しぶりに、どこかのセッションで唄おうかな。

バックがいなくても、ギター一本で。

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