遺跡の特徴 大塚遺跡は、武蔵野台地の東縁にあたる標高30〜32m程の台地(小日向台)上に立地し、現春日通り沿いの一角を占めています。台地の南側には神田川(旧江戸川)が流れ、北側にはかって小石川が流れていた谷筋(現白山通り)が走り、東側には旧江戸川から茗荷谷が深く入り込んでいます。本調査地点は茗荷谷から台地に上がりきったところに位置し、地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅の西側に隣接しています。江戸時代の絵図(「御府内沿革図書」の天保期)を見ると、調査範囲は複数の旗本・御家人の屋敷地にまたがっています。
トピックス 現在調査している範囲は、石高1062石の旗本田中市郎右衛門屋敷地に概ね相当します。現時点で約600基の遺構が発見されており、それらは屋敷地の境界を示すと思われる溝跡・貯蔵施設と考えられる地下室や礎石建物跡・土蔵跡・井戸跡・ゴミ穴など多種にわたります。 注目されるのは「地下坑」と呼ばれる遺構で、構造としては垂直に約5〜6m掘られた縦坑の底面から、横方向にトンネル状の坑道が数条走っています。地下坑の発見例はほぼ文京区に限られており、当地域に特有な遺構と言えましょう。春日通りを挟んで近接する大塚窪町遺跡では、旗本屋敷地の地下を縦横無尽に走る、地下坑の状況が確認されています。残念ながら、その用途は謎につつまれています。 ゴミ穴からは、旗本の生活の様子が窺える多様な遺物が出土し、その内容は陶磁器・土器・金属製品・石製品等多岐にわたっています。その中で、特筆される遺物としては、鍋島焼があげられます。鍋島焼は佐賀藩の藩窯で焼かれた磁器で、将軍への献上品、各諸侯への贈答品として作られました。本遺跡の鍋島焼は盛期鍋島(1690〜1730年代)の製品で、どのようなルートで、石高1062石の旗本に伝わったか不明ですが、注目されます。
平成19年8月現在