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目次
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序章
第一章
第二章
第三章
第四章
第五章
最後に
参考文献

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化け物祭考 ー「マレビト信仰」との関連からー

序章

 私の実家がある山形県鶴岡市に、天神祭という祭がある。毎年5月25日に行われる、鶴岡天満宮のお祭である。
 この祭、別名「化け物祭」という奇祭としても知られている。
 
 参考HP〈鶴岡市観光連盟〉
 
 祭の日、市内は、花柄の女物の襦袢を尻からげに着て、角帯、パッチに草履履き、飾りを付けた菅笠をかぶり、手ぬぐいで顔を隠し手袋をつけるという、奇妙な扮装をした「化け物」で溢れるのだ。
 「化け物」は無言で、道行く人に酒やジュースを振る舞う。バスや電車、会社や個人宅へも無言で上がり込み、酒を飲ませる。もちろん市民のうちの希望者が扮しているのだが、3年間続けて正体を見破られずに化けられたら願いが叶う、などとも言われている。
 この風習は、のちに天神様となった菅原道真公が太宰府に流されるのを惜しんだ京都の人々が、時の権力者を憚って顔を隠して酒を酌み交わし、道真公を見送った故事にちなんでいるとされる。
 また、天神信仰は元々武士の間に広まった学問信仰であり、天神様の祭礼日に武士達が仮装して天満宮に酒を持参し、そのお流れを頂戴した。それが庶民にも広がり、そうすると逆に庶民と一緒に祭を祝うことをよしとしなかった武士達が顔を隠した仮装をして、一種の無礼講として参拝したとも伝えられている。
 当日、鶴岡天満宮では天狗舞、獅子舞が奉納され、菅原道真の9番目の子供の子孫にあたるという幕末の庄内藩家老、菅実秀の屋敷の庭園が一般開放されたりもする。
 
 このように、現在ではこの「化け物祭」は「天神祭」として、天神信仰とのかかわりから、奇妙な扮装をして酒を振る舞い歩くことを読み解こうと、様々な言い伝えがなされているようなのだが、子供の頃に毎年この祭を経験してきた私には、ちょっと違うのでは、という気がしてならない。
 だいたい、道真公の太宰府行きを惜しんだ京都の人々が云々という由来は、どうしてこの東北の片田舎に祭として伝わっているのかという謎解きがなされていない。それが本当なら京都や、九州の太宰府天満宮にも同じような風習が伝わっていてもよさそうなものだと思うが、今のところ聞いたことはない。私の不勉強で知らないだけかもしれないが、もし同じような祭が他にも伝わっていれば、それも含めて由来として語られているのではないだろうか。
 祭の度に語られるその由来は、子供心にも「それって、後から考えたんだろう」と思わせるものがあった。
 そして、私が子供の頃経験した「化け物祭」は、なんというかもっと不気味なものだったような気がするのだ。
 子供の頃「化け物」にジュースを勧められた私が「化け物」を怖がって逃げようとしたら、一緒にいた曾祖母に「断ってはならね」ときつく言われた。普段は酒など飲まない曾祖母もその時は断らずに酒を飲んでいた。
 また、「化け物」の正体がわかってしまった私が、その人の名前を言い当てようとすると、やはり一緒にいた大人に「言ってはだめだ」と叱られたこともある。「化け物」を指さしてはいけないとも言われた。
 どこの誰ともわからない、顔を隠した「化け物」達が無言で誰彼なく酒を振る舞って歩き、そして、その酒は断ってはならない。また、「化け物」達のことは、酒を勧めてこない限り、居ながらにして居ないものとして無視していなければならない。怖がりな子供の勝手な思いこみかもしれないが、そんな決まり事があったような気がするのだ。
 正体を言い当てることも、「3年言い当てられなければ、願い事が叶う」というより、「言い当てられてしまうと、よくないことが起こる」という意味合いが強いように感じられた。
 また、「天神祭」というわりに、祭の際の天満宮への参拝が重要視されていなかった。天満宮の御輿も出ていたようだが、その御輿行列よりも、様々に仮装した人々が練り歩く仮装行列や公園に出る縁日のほうが盛大で、皆も楽しみにしていたようだ。事実、私も祭だからといって天満宮へ行くことはなく、家で近在の親類を招いてご馳走を振る舞う宴会の手伝いをさせられていたし、招かれた親類達も天満宮へお参りに行くということはなかったように記憶している。
 
 これらの、私が子供の頃に感じた「化け物祭」の印象、また天神様とはいっても鶴岡天満宮は豊作・災難除け・海難除け・雨乞いなどの神としての性格が強いこと、そして、これは近頃知ったことだが、祭の際にその天満宮で全国でも珍しい天狗舞が奉納されることなどから、民俗学でいうところの「マレビト信仰」との関連でこの祭を読み解けないかと、様々に考えてみたのが、以下の文章である。
 なにぶんにも私は祭や民俗学について専門に勉強している者ではないし、文献もすべてにあたっているわけでもない。子供の頃のあやふやな印象をもとにして論じているものであるから、大半は私の妄想の産物として、興味のある方は読んでいただければ幸いである。


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