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目次
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序章
第一章
第二章
第三章
第四章
第五章
最後に
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化け物祭考 ー「マレビト信仰」との関連からー

第二章・「信仰」から「祭祀」へ

 前項で定義づけたように、共同体の人々の中に「マレビト」を殺すと災いを回避し、共同体内部の秩序を回復することができるという共通認識があったとすれば、共同体の内部に秩序の乱れが生じたとき、人々は「マレビト」の来訪を願ったと考えられる。しかし、時代が下り、交通も情報も発達してくると、伝説に語られるような「マレビト」はそうそう現れるものではない。
 待っていても現れない「マレビト」ならば、自分たちで作ったらいいのではないかと人々は考える。
 それが、祭祀の始まりである。
 
 「マレビト」は、共同体の内部の人間でない者をどこからか見つけてこなければならない。それは、近在の山の民であったかもしれないし、それこそ他の土地から流れてきた者であったかもしれない。
 中世以前の日本の村落には、外からやってきたいわゆる漂泊民を留め養っておく機構が存在したという説がある。その中から選び出した者を祭の際に人身御供として神に捧げたというのである。
 「マレビト」も、そのような集団の者達から一人ないしは数人を選び出したのではないだろうか。共同体の内部の秩序を回復させるために殺してしまわなければならない「マレビト」である。共同体の成員を「マレビト」にして、それを殺してしまっては、成員の欠如という秩序の乱れがそこにまた生じてしまう。「マレビト」に仕立てるのは、なんとしてでも共同体の外部の者でなければならない。
 しかし、漂泊民を留めておく機構が存在したとすれば、そこに暮らす人々は普段は共同体の内部の人々とさして変わらない近しい存在であったと思われる。限られた土地か家屋に住み、様々な差別はされていたであろうが、元は同じ人間であり隣人である。共に語らい農作業をすることもあったかもしれない。
 そこで、彼らを「マレビト」に仕立てる時には顔を隠す必要が生じてくる。「マレビト」は「異界」からやってくる人外のもの、どこの誰ともわからないものでなければならない。昨日まで畑で下働きをしていた何某と知れてしまっては都合が悪い。したがって、「マレビト」の祭祀にあたっては、「マレビト」役の者は顔を隠し、どこの誰と知れないように口をきかず、旅人の徴である簑笠を着けるのである。
 こうして「マレビト」に扮した何ものかは、村落の定められた入口から入ってきて、「福」と称して酒を振る舞いながら内部をくまなく歩き回り、共同体内部の「災い」をすべて引き受けると、その「災い」と共に殺され、神に捧げられるのだ。
 もしかしたら、数人に顔を隠させて「マレビト」とし、その中から名前を言い当てられた者を一人生け贄とする、といったゲーム的(占い的)な要素もあったのかもしれない。その名残が今日の「化け物祭」における「3年、正体を見破られなければ願いが叶う」といった遊びになっているとは考えられないだろうか。「マレビト」に扮する側の者からすれば、正体を見破られることは、すなわち死を意味するとなれば、「見破られてはならない」という禁忌が発生したのも納得できる。また、そこに占い的な要素があったとすれば、言い当てるのは共同体内のシャーマン的な立場の人間でなければならず、一般の村人や子供が不用意に「○○さんだ」と発言してはならないということにもなる。
 
 これが、今日山形県鶴岡市に伝わる「化け物祭」の原初的な姿なのではないだろうか。また、この原初の「マレビト信仰」を元とした祭祀形態は様々に形を変えてはいるが、主に日本海側の地域に伝わるナマハゲや年神などの習俗の大元となるものではないかと思われる。
 
 そして、「マレビト」に仕立てたものがやってくるときに、重要な役割を演ずるのが「サイノカミ」である。
 私がそもそも「化け物祭」を「マレビト信仰」とのからみで読み解けないかと考えたきっかけは、この「サイノカミ」の存在であった。
 現在の「化け物祭」では、鶴岡天満宮でまず天狗舞が奉納される。天満宮と「化け物祭」との関係は後で論じようと思うが、ここでは単に「天神」と「天狗」は本来なんの関係もないということだけ言っておきたい。
 今では、天狗舞は祭の始まりに際して邪気を祓うという意味で説明がされているようだが、そうではなく、この天狗舞こそが祭の本体だったのではないだろうか。
 天狗は、鼻の大きいその姿から猿田彦の神の姿をかたどったものであるとされる。猿田彦の神は、古事記、日本書紀には、高天原から降りてきた天津神であるニニギノミコトを、その道の途中で出迎えた国津神として描かれている。そしてその、道の途中で出迎えたという行為から、道祖神=サイノカミの神格化したものであるという説が定説になっている。
 すなわち、天狗舞とはサイノカミに奉納された舞だったのである。
 
 サイノカミとは、村落の入口にあって共同体内部を守る役目を負った原初的な土地神である。今でも山道の途中などに石で彫られた小さな像が祀られているのを見かけることがあり、まだ信仰の対象としている地方もある。
 混沌に満ちた自然である外部と秩序の支配する内部との境界にあって、そこを守るサイノカミは、定住型の農耕生活を始めた人間達のもっとも古い神の一人であった。外部からの邪悪なものを防ぐ力があるということは、内部の秩序を保ち安定させる力があるということである。事実サイノカミは、その氏子達の誕生を司る産土の神(ウブスナノカミ)の性格も併せ持ち、また、道ばたの石像では男女和合の姿で表されることからも豊穣の神としての信仰もあったことがわかっている。
 最初は「サイノカミ」という名でもなかったのかもしれない。自分たちの共同体を守ってくれるいわば全能の神として渾然一体とした信仰の対象であったものが、それぞれ境界を守る性格だけを切り離されてサイノカミ、誕生を司る部分がウブスナノカミ、豊穣の神が田の神、山の神と名付けられ、信仰の対象を細分化していったのではないだろうか。
 
 「化け物祭」の最初に、まずそのサイノカミに舞が奉納されるということは、何を意味しているのか。
 上で論じたように「化け物祭」が「マレビト信仰」から発展したものであるとすれば、その祭祀にあたっては、外からの異質なものである「マレビト」を人為的に内部に呼び込まなければならない。サイノカミは境界にあって、日頃は外からの異質なものが内部に入り込まないよう見張っているわけである。そのサイノカミに、「今日だけは特別に、この異界からのマレビトを内側に入れてやってください」とまず挨拶とお願いをしたのが、この天狗舞なのではないだろうか。
 そののち、内部に招き入れられた「マレビト」は「災い」と共に殺されて、サイノカミに捧げられるのだ。
 サイノカミの祭祀の際に、人身御供を捧げる儀礼があることは、柳田国男をはじめ様々な研究者によって報告されている。橋のたもとや辻という、いわゆる境界に「人柱」を埋めることも、サイノカミに人身御供を捧げる儀礼とみてよい。その「人柱」には、旅の僧や乞食、土地の者であっても罪を犯して共同体の成員たり得なくなった者、すなわち「マレビト」があてられた。
 「このとおり、内部の秩序を乱す外のものを排除しましたので、これからも内部の秩序の回復と維持をお願いします」という祈りがそこには込められている。
 
 ところで、ここで「マレビト信仰」といっている場合の信仰の対象は「マレビト」ではない。
 折口信夫などによる「マレビト信仰」論では、「マレビト」をニライカナイや常世の国といった神の国からの来訪者として、「マレビト」そのものが信仰の対象であったと論じているものがある。
 たしかにそのような信仰形態もあったと思われる。外部から定期的に共同体を訪れ邪気を祓い福を授ける神を「マレビト」と呼び、そのものを歓待し、また元の神の世界へ帰してやる。そうすることによって、共同体の内部は向こう一年の秩序の維持を約束される。今も各地に残る年神の行事などはこれであると言える。しかし、この場合は、福の神としての一義的な見方をされた「マレビト」である。
 ここで今考察しようとしている「マレビト」は、第一章で定義したように、福をもたらすものであると同時に災いももたらす、両義的な存在である。ここでいう「マレビト」は、ある場面で「福」でありまた別の場面で「災い」であるのではなく、同じ時空において「福」と「災い」両方の性格を併せ持って存在する。だからこそ、共同体の人々は「マレビト」をいったんは内部に引き入れ歓待もし、そののちにサイノカミへの生け贄として殺してしまうという一見矛盾した行為ができたのだ。
 この「マレビト」は神ではない。神に近いものとして認識が変容し、年神信仰の類に発展していくこともあったかもしれないが、この段階ではまだ善でも悪でもない、単なる「異界からの訪問者」と認識されていたと考えたい。
 すなわち、ここでの「マレビト」とは、サイノカミや土地神への信仰を確立させるために使用される道具、もしくは装置にすぎないのである。



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