ひとりでやっている小さな出版社です。自社発行の本をネット販売しています。

鶴岡って、どんなとこ?
鶴岡関連のリンクです。
鶴岡市観光連盟
庄内を遊ぼう
庄内シティ
東京鶴翔同窓会
山形鶴翔同窓会

著者略歴
昭和四年(1929年)山形県鶴岡市生まれ
昭和二十一年(1946年)鶴岡中学(現・鶴岡  南高等学校)卒業
山形大学文理学部哲学科卒
県立山添高等学校、鶴岡南高等学校通信制、 庄内農業高等学校、鶴岡家政高等学校に勤務
平成二年(1990年)3月定年退職

もうひとつ、立ち読みあります。
かりそめの一坪半

読者の方からの書評・感想
書評

本の紹介ページへ戻る
飲んだくれてふる里
未入籍別居婚
同人誌「稀人舎通信SPECIAL 1〜5号PDF版」

「飲んだくれてふる里」の
↓発売元はこちらです。
東京文献センター

関連サイト
本を買ってください
マレビトの引き出し

鶴岡関連の記事です
化け物祭考

飲んだくれてふる里 立ち読みコーナー

酒友(抜粋)

 親友はいないが酒友はいる。いや自分勝手にそう思い込んでいるに過ぎない。

 昔の祝屋の小部屋、先刻からヨシさんは銀子姐さんの三味線で小唄。端唄と御機嫌。私ときたらそれを聞きながら半分寝そべり手酌で酒だけがハカがいく。仕上げにヨシさん十八番の「やっこさん」。一寸旦那遊び気取りも覗かれるが様になっている。まだ三十そこそこ。私には初めての芸者遊びである。

 ヨシさんこと佐藤喜夫。山添高校勤務当時の先輩。そして酒飲みの先輩いやあえて酒友といわせてもらおう。

 戦前からの生き残りのカフェ「くろねこ」に初めて連れていかれたのも彼から。教師なりたての昭和二十九年。丁度蒸気機関車当時の四人掛けの座席のようなボックスが五つ六つ。映画、小説などでカフェなるものに憧れて?いただけに最初はそわそわ。ヨシさんは馴染みと見え慣れたもの。早速若い女がつく。私はといえば年増。どういうわけかその後いつも年増ばかりでヨシさんから「コミは年上の女にもてる」とひやかされた。何のことはない、只むっつり酒を飲むしか手がない私を皆敬遠、年増の姐さんにおしつけたというわけ。その頃はちょっとした酒場といえば「くろねこ」ぐらいでいろんな客層が出入りした。ピンは社長に県会議員、キリは私ごとき新米教師。ヨシさんはここでは小唄、端唄から一転、社交ダンスと興じる。多少ステップに覚えのある私もそれならばと年増と踊るがだんだん怪しくなりチークでゴマ化す。

 この「くろねこ」が三十三年に「門」としてサロン風バーとして時代に乗った。ところがその「門」も丁度この原稿を書いている時(平成十三年十二月)閉店の新聞広告を目にしたのである。

 私が山添高校に赴任の時、ヨシさんは分校教師。校地内の職員住宅に住んでいた。私たち若者が本校から授業に行けば大抵一泊二日。宿直室に雑魚寝。その夜が楽しみで分校に行くようなものだった。常にヨシさんがガキ大将で昼から職員室でおでんを煮たり、鶏の解体でせしめた肉やモツをやきとりに仕立て準備おこたりなし。宿直室の囲炉裏を囲んで車座の酒宴。やがて二次会は例の如く河畔の料理屋に繰り出す。夜半に引き揚げてくるが翌朝は始業ぎりぎりまで起きない。

 何時だったかその夜は珍しくヨシさんと私だけ、例の如く宿直室で飲んでいると卒業生が数名濁酒を持参。しかし彼等は飲むよりもヨシさん指導のもとで近日村で公演の演劇の準備に懸命。小道具作りやカツラの仕上げ。ヨシさん、カナイさん(金井一雄先生)が分校の演劇を育てあげ東北大会にも出場。そのメンバーという。私は只そばで濁酒をすすりながら眺めているだけだった。お蔭で翌日ひどい二日酔いで授業にならなかった記憶がある。その後私は何故か分校の演劇活動を引き継ぐ羽目になった。

 ヨシさんが本校勤務になってからも何かイベントがあれば彼がガキ大将でよく飲み群れた。確か忘年会だったか彼のアイデアで教室一部屋をまるまる模擬店にした。暗幕、紅白幕を引っ張り出し飾りつけに大童。おでん、やきとり、すし屋など食材も味つけも本格的。やきとりのタレなどは本職から分けてもらい、又すし屋はすし職人を呼び殆どの道具を店から運ばせたのである。我々若者は当時流行りのカクテルまで作った。さすが翌日半分二日酔いでの後始末はつらかった。

 ヨシさんは飲み馴れ遊び馴れ、少しばかりキザでイキがったりもしたが、かえってそこが飲み屋の女にもてていた。私ときたらもっぱら後ろにくっついて只黙って飲むしか芸もなくもてもしなかった。そんな二人がよくつるんで毎夜のように飲み屋を徘徊。鶴岡で飲み飽きるとふいっと酒田迄車を飛ばしたりした。

 私とは対照的で、酒も肴も違うことが多かった。そして彼はママとやりとり、私は相変わらず黙々と飲むだけ。職場の話など殆どしない。彼は理系数学物理担当、私は社会。部活は彼がバレーボール一筋。休日返上の熱心さ。県でも有数の指導者に。私ときたら文化系の部を持たされては潰したりしていた。足元にも及ばない。飲んでいる時はバレーのバの字も出ない。ヨシさんとの二人酒はお互い自分のペースで勝手に飲めるところが魅力ともいえた。私などまだ一人で飲み回るだけの度胸?はなかった。ヨシさんとて一人よりこんな私でも連れにした方が飲みやすかったようである。

 私は山添高校十三年、その後他校に転任その間ヨシさんとはつかず離れず、そして十有余年ぶりに家政高校で又一緒になり飲み屋廻り復活。山添高校当時上司でありやはり飲み仲間でもあったマゴさん(大滝孫七先生)が教頭で時折加わる。復活といってもはしご酒や午前様は激減、淡々とした飲みっぷり。小唄、端唄は影を潜め私同様カラオケにも無関心、たまに気が向けばステップを踏む程度。

 ヨシさんとは酒以外の場、つまり素面づきあいは殆どないといってよい。職場でもお互いのエリアが異なり話合うことも少なかった。いやひとつだけある。磯釣りである。しかしこれとて磯場に立てばお互い無言、日暮竿を納めれば飲み屋で一杯といく。こうして大抵酒がつきまとう。酒あってこその間柄。やはり酒友と言いたい。

 ヨシさんの後ろについて夜な夜なの飲み屋遍歴はそっくりそのまま鶴岡飲み屋盛衰史と称しても満更オーバーでもあるまい。

  

 黒い背広のポケットに左手を突っ込み右手で灯したライターを高く掲げながらチークダンスの間を縫うように泳ぐように一人踊り。キャバレー「南国」のフロア。当然出鱈目なステップだが様になっている。

 ナガオさんこと長尾辰夫といえば先ずこの光景が浮かぶ。今までナガオさんとの飲酒交友について二、三駄文を弄したがいずれも冒頭にはこの一人踊り。敢えて今回も御容赦。でないと筆が進まない。如何にもナガオさんらしい酩酊シーンとして印象に残っているのである。

 長尾辰夫の身分素性については当著のなかの『シベリヤ詩集』などを参照されたいが初めての出会いは山添高校、教頭と新米教師。親子程の年の差。そして詩人という別世界の存在でもあった。それが何で酒を飲めば「コミイ」「ナガオさん」と呼ばれ呼ぶハメになったのかはっきりしない。

 その新米教師の頃、鶴岡の天神祭の際、ナガオさんの家に招ばれた。彼は当の天神町の借家に移り住んでいたのである。私ごとき若僧が何故というより招ばれたということが嬉しくてイソイソと出かけた。門を入ると右手の植え込みの向こうの開け放たれた座敷にナガオさんの姿。丁度黄昏時、和服姿で客と飲んでいた。その端然としたカッコ好さと同時に或近寄りがたさを感じた。あの一人踊りとは少し違う一面を見たような気もした。しかし飲んでしまえばいつもの通り。

 職場の後輩の中にはナガオさんと飲むと緊張する、コワイという。私は盲蛇に怖じずで小生意気なことを言っては見抜かれ「コミイ勉強しろヨ」と一言グサリ。コワイと言えばコワイ。あの天神祭の和服姿がチラリと浮かんだりする。

 私にはシベリヤ抑留四年を詩った長尾辰夫唯一の名著『シベリヤ詩集』の「シ」も「詩」も口にしなかった。酒の席でこんな青二才に話す気など毛頭なかったのかもし知れない。

 ナガオさんと飲めば大抵ヨシさんも加わった。いやナガオさんとヨシさんの間に私が割り込んでいるといった方がよい。思い出すのは学校祭に職員劇も参加。私は頼まれカントク。発表前夜のリハーサルでスポンサーよろしく教頭のナガオさんが舞台下で一升瓶を立て私も一緒に茶碗酒を呷りながら矢鱈ダメ押し。ヨシさんはカナイさん達と大汗かいて舞台を駆け巡っての演技。翌日本番大成功。打ち上げは勿論ナガオさんも加わり鶴岡に流れて盛大に、何軒はしごをしたやら。

 今私の手許にナガオさん作詩、直筆の額がある。実はナガオさんがヨシさんの家に泊まった折、酔いにまかせて筆をとったものである。それを大事にしていたヨシさんが亡くなった時、奥さんから戴いた。立派に表装されたその詩額を私はヨシさんとそしてナガオさんの形見のつもりで掲げてある。

  

    いんこ

  

  もとよりあなたなど

   がんちゅうにあるのではなかった

  いんこにはいんこのひろい世界があって

   いんこでなければとどかない

  ふかいふかいしそうのふちがあった

   いんこよとよんでもふりむかない

  つよいしんねんのふちがあった

  

 一見ふらりと書きちらしているようだが見事におさまっている。踊り跳ねているひらがなの姿態が詩そのもの。門外漢の私だが、何か一寸コワイ詩である。

 ナガオさんは、晩年酩酊に酩酊を重ねたようである。

 シベリヤ体験が人生を根底から揺るがしたという。

 「生きていなければならないことがある…」と呟きながら酩酊しつづけた?ナガオさんは六十半ばで逝った。

 酩酊の心の底に秘めていたものはなんだったのか。

 

いんこ 文中のナガオさん直筆の額

▼「飲んだくれてふる里」の紹介ページへ戻る

▲当社直販のご注文はこちらからどうぞ。

上のボタンをクリックするとご注文用フォームが開きます。そちらに必要事項をご記入の上、送信してください。ご注文いただけましたら、管理者より発送状況などについてメールいたします。
送料は無料です。
代金は、商品に同封いたします郵便振替用紙にて、商品到着後1週間以内に、お近くの郵便局からお支払いください。
お支払い方法は、郵便振替のみで承っております。ご了承ください。

購買者の都合による商品の返品は、商品の性質上、受け付けません。商品が到着してから30日以内で、落丁や乱丁などの不良品が届いた場合に限り、返品を受け付けます。メールでご連絡をいただいた後、「稀人舎」まで着払いでお送りください。

なお、ご注文されて1週間たっても、管理者から発送状況などについてのメールが届かない場合は、お手数ですが、「ご意見」欄に「再送」とお書き添えの上、再送願います。