山本 :自作を始めたきっかけは。
佐久間:小学生の頃から自分で鉱石ラジオなんかを一応作ってました。ある時、大金をはたいて買った日本の大手メーカの既製品が鑑賞に耐えられない音だったの。で、これはしょうがないと思って、百瀬さんの「Hi−Fiアンプの設計と製作」を2冊ぼろぼろにするぐらい読んで、特にイコライザーのところなんか、だから理論も一応全部やったうえで、本格的にアンプ作りを始めました。
 最初の頃はNFBを20dbかけて発振しないウィリアムソンアンプとかああいうものが主流だった。
 ところがある時KT66とか6L6とかああいうビーム管を3結にしてウイリアムソンのアンプを夢中で作ってたわけ。NFBいっぱいかけてさ。発振しないことが一つの技術と思われていた時代だったから。正直いってあのアンプに20dbかけるのは大変なんだよ。配線技術や部品の精度がシビアに響くような回路技術なんだ。それを一所懸命やっているうちに、ある日なんでこんなにおもしろくない音なんだろうと思ったの。歪率計とかオシロとか菊水の中古品を何十万もはたいて買って、毎日試行錯誤しては、少し波形がよくなったとか、今度はここのほんのちょっと高いところのオーバーシュートが少しとれたとか、そういうことを一所懸命やっていたんだけど、その音を聞いているうちにやんなっちゃたんだよね。それでね、ウイリアムソンをやめて、その計測器も全部売っ払って、テスター一丁にしたわけ。
山本 :じゃあ、かなりの決心ですね。
佐久間:俺、いい加減だからね(笑)金もなかった。それ売っ払って部品買いたかったんだ。で、テスター一丁ね。1500円のテスター。
山本 :さらしに巻いて。
佐久間:そう。さらしに巻いて旅に出たわけ。それでやっぱりね、その時に浅野先生の「魅惑の真空管アンプ」、あの名著が出て、あれを読んだんだ。昔の真空管を、直熱管を鳴らす技術論みたいなものが結構したたかに書いてあったでしょう。あれがかなり参考になってね。で、俺もこういうアンプをやってみようと思って、それからまず2A3...直熱管をいちばん最初にやったのは2A3だね、やっぱり。
  山本 :すると直熱管に手を出したのは、「魅惑の真空管アンプ」の影響が大ということですか?
佐久間:ああ、大きいですね。まあ中学生の頃に45なんかのシングルアンプなんて実験の時に作ったことはあったけど、浅野さんのあの本が今の僕のトランス結合の原点です。いま見るとだいぶ違がっちゃっているけど、やはりそういう想いにからさせた。詩的に言うと「NFBから決別して、トランス結合に行った」そのやはり基本的な理論みたいのは浅野先生のあの本にはすごく詳しく書いてあるから。
山本 :2A3というとMJへのデビュー作ですね。
佐久間:そうですね。2A3のイコライザにいくまでにあの本が出てから5年ぐら いの試行錯誤があったんじゃないかな。
山本 :それではあのデビュー作というのは、5年間の積み重ねの中の名作というか自信作ですね。
佐久間:そうですね。あれはねぇ、2A3をその頃何十台も作ったわけ。まずトランス結合じゃなくウイリアムソンの終段を2A3で作ったこともあったっけ。

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注 魅惑の真空管アンプ」 浅野 勇著 誠文堂新光社
長らく絶版となっていたが、最近、正、続版とも復刻版が出版され た。
正編の「はしがき」に曰く
管球アンプが絶滅した時、オーディオのロマンティック時代は去りましょう。

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