0353 岐阜(加納〜太田)

会社の出張で名古屋に行ったのでついでに岐阜周辺を探検してきました。
出張後に加納(岐阜駅南)から西に鏡島の乙津寺の入口バス停まで、
翌日は加納から東に太田まで歩きました。

加納から西はあまり見るものありません。
一里塚の跡も何も無くどこだかもわかりませんでした。
旧加納町役場にある案内地図には表示されているんですが。

このあたりやたら小さな秋葉神社がたくさんあります。地図にも載っていないような。

夜は二文字屋でうな丼食べました。おいしかったです。平日だったので貸しきり状態でした。
左甚五郎の欄間について聞くの忘れました。残っているんでしょうか?

加納の町内の史跡はみんな案内もしっかりあってわかりやすいです。

細畑の一里塚はしっかり残ってますが、当日はゴミの日だったようで
ちょっと見栄えが...^^;
ま、平日ですから。

各務原あたりは拡幅された国道で、何もなく、
頭上には轟音をたててジェット機が何機も通過していきます。
それでもたまに小さな秋葉神社があったりするのはこのあたりの特徴なんでしょうね。

各務原駅の東側のJRを越えるとこではJRと名鉄の間に旧道(と思われる道)がちょっと残っています。
その先、苧ヶ瀬駅の北側、JRと国道の間の道も旧道なのではと思うのですが、
どうでしょうか?角度的にちょっと違うかな。

鵜沼では町屋館に入るとボランティア説明員の方がいろいろ細かく説明してくれました。
ちょうどお昼時だったので吉野家にご一緒させて頂きました。
お世話になりました。>Kさん
二ノ宮神社脇にあるはずの芭蕉句碑は、脇本陣復元工事のため撤去されて
何もありませんでした。来年?には脇本陣がきれいに復元されるらしいですが。
また、鵜沼中学にある尾張領界石は町屋館の方に移設される予定のようです。

うとう峠はきれいに整備されてますが、石畳になっていて苔が生えてたりするので
ちょっと注意して歩かないと転びそうです。
峠の東側の入口はJRと国道をトンネルでくぐるように迂回するようになっており、
迂回路が交差するところから東側はイノシシが出るということで封鎖されてました。
封鎖が適当にビニール紐や竹竿でされているだけだったので無理やり入って見ましたが
うっすら道跡は残っています。
JR線路敷の手前までくると草地になってもう道は見えなくなりましたが。

勝山では道標見落としました。
帰りの電車の時間が迫ってきていたので余裕がありませんでした。
取組の一里塚の跡は標柱があるだけでちょっとさびしかったです。

太田はもう時間がきびしかったのでさらっと確認したくらいです。
もう一度時間をかけて見に来ないとです。
電車はぎりぎりでしたがなんとか間に合いました。

また、鵜沼の脇本陣が復元されたころを見計らって来たいです。


●記録者 江尻 [61-23-10-13.rev.home.ne.jp]
●記録日 2008/12/15(月) 16:33

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