氷川八幡神社

ひかわはちまんじんじゃ

明治6年、箕田郷27ヶ村の鎮守である現在地の八幡社に、 字龍泉寺にあった氷川社を合祀した神社である。
八幡社は源頼光の四天王、渡辺綱の祖父、仕[つこう]が藤原純友の乱の鎮定後、 男山八幡大神を戴いて帰りこの地に勧請したものであり、 字八幡田は仕の孫、綱が八幡社のために奉納した神田の地とされている。 また、氷川社は承平元(966)年、六孫王源経基が勧請したものだといわれる。
ここ箕田の地は嵯峨源氏の流れをくむ箕田源氏発祥の地であり、仕、宛[あつる]、綱三代が この地を拠点として活発な活動を展開した土地である。

神社入口右手に箕田源氏の由来を記した碑「箕田碑」がある。 裏には安永7(1778)年に刻まれた碑文がある。 初めに渡辺綱の辞世
 「世を経ても わけこし草の ゆかりあらば あとをたづねよ むさしののはら」
を掲げ、次に芭蕉、烏粋の句を記して源経基、仕、綱らの文武の誉れをしのんでいる。

(97.5.10)


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