お伊勢の森

おいせのもり

このあたりは昔伊勢島村と言い、村の北端に当たるこの地に 伊勢大神宮を建立し村の鎮守とした。
寛文(1661-1673)年間の初頭、洪水のため廃村となり立石村に合併したが、 再開発し天和(1681-1684)年間に分村して立石新田村となり現在に至った。
中山道は以前は神宮の北側を通っていたが、文化九(1812)年頃から南側を通るようになった。 200坪程の境内には巨大な御神木の杉、榎、欅などが生茂り、道中の目安ともなった。 広重の中山道六十九次の絵の倉賀野宿はこの付近を描いたものとも言われている。
明治四十二(1909)年立石新田の伊勢嶋神社に合祀された。


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