87万市民のコミニケーションマガジン 市民フォト千葉 No.104 98秋

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掲載記事

邦楽の魅力をもっと知ってほしい

自宅にドルチェホールを造った尺八奏者 坂田誠山さん

 
今回は一尺八寸の竹の笛……つまり尺八の演奏に生涯をかけている坂田誠山さんを稲毛区緑町のご自宅にお訪ねしました。ご自宅は演秦用のホールと一緒になっておりました。「邦楽の普及に役立たせたい」という強い希望でお造りになったと聞きました。千葉に新しい文化が芽生えたと言えるのではないでしょうか。それはそれで、芸術家で堅苦しい方ではないかと、内心ビクピクしながらお訪ねしたのですが、そんな心配はお目にかかっただけでふっとんで、音楽と言えぱ江刺追分か北島三郎しか知らない音楽音痴でも、とても楽しく勉強させてもらいました。

 ドルチェ・ホールをお造りになった目的について教えて下さい。

 今から 年前に邦楽界の発展を願って「邦楽はまだまだ一般の方になじみが薄いので、現代の人が楽しめる邦楽の曲をたくさん創って世に送り出そうではないか」と邦楽愛好家の有志で「新典音楽協会」という会員制の組織を作りました。そこで会費を作曲家への委嘱料に充てて邦楽のための新しい曲を創る活動を始めた訳ですが、ソフト面の充実だけでなく、ハード面でも「いつでもそこに行けば邦楽を聴くことが出来るような場所が欲しい」と云うのが皆の一致した願いでした。
 たまたま、昨年家を建てることになり、家族全員が音楽関係者で大きな稽古場が欲しいとの希望が有ったのと相まって、折角のチャンスなので、ホールも造ろうということになりました。広さは60平方メートルですから、そんなに広くはないですが、ゆったりと80人、少し詰めれば120人くらい迄は収容可能です。
 ホールの響きにも配慮し、録音室もあります。大ホールとは違ったアットホームな小ホールの良さを実感していただけると思いますよ。演奏者にもなかなか評判が良いようです。
 ドルチェとは音楽用語で、柔らかに・愛らしくという意味です。このホールで演奏を聴いていただいて、心が和んだり、励ましになったり、哀しい心を母のように柔らかく包み込んでくれるような温かい場所になればいいな、と思っているんです。もちろん邦楽の素晴らしさをもっともっと知ってもらうことが一番なのですが……。
 邦楽シリーズと洋楽を中心にしたシリーズの2本立でコンサートを開いております。託児サービスもありますので、日頃何かと家事に追われてお忙しいお母さん方も、気軽に演奏をお楽しみいただければと思っています。

  千葉邦楽合奏団もホールと一緒にできたのですか。

 このホールは邦楽の情報発信基地としても有効に使いたいというのも大きな目的となっています。 この合奏団はその第一歩としてホールの落成を機に、去年の8月ごろ、尺八、箏、三昧線などのアマチュアの奏者を中心に13人で発足しました。今では33人に増えています。最初のころは、指揮者に合わせての演奏経験も殆ど無い方が多かったので戸惑いながらの練習でしたが、回を重ねるにつれて音楽的にも高まり、邦楽の楽しさをより一層味わえるようになりましたね。
 かつて邦楽界の現状を、たこ壷文化と称した方が居られましたが、すなわち邦楽界の中では盛んに活動が行われていても、一般の方には殆ど関心が無いことを表されているのですが、現状はまさにその通りで、これまでの邦楽は、一般の人にはなじみにくいところがありました。
 そこで誰にでもなじめるような新曲が欲しい。又、それらの曲が一般の方々に感動を与えられものでしたらなおさらの事。
 たまたま私の妻(石井由希子さん)が作曲家なので、合奏団のためのオリジナル曲を作ってもらったり、私も作曲をしたり指揮をしたり、いろいろ工夫しながらやっています。又、私のポリシーに賛同してくれている作曲家も大勢いますので、今後も彼等の協力を得ながら合奏団を充実させていこうと思っております。
 要するに邦楽を一般の方々に気軽に楽しんでもらいたいし、身近なものに感じられるようになるのが、私の夢なのです。邦楽には西洋音楽とは違った魅力があります。それを知ってもらうために役立ちたいというのがホールを作ったり、合奏団を結成した目的ですから。

 ところで、尺八の道を志されたのは何故でしょうか?

 中学時代にはハーモニカパンドに参加して打楽器を叩いてみたり、なんとなく音楽が肌に合っていたように思います。ですが尺八でなければならないとか、どうしても尺八をやりたいというような、決意みたいなものはありませんでした。ただなんとなく……この道に入っていったみたいですね。高校一年のころ叔父の持っていた尺八をいたずらして吹いてみたところ、音が出るんですね、とてもいい音という訳にはいきませんでしたが、妙に印象に残っていまして、大学に入学したときに、部活の強引な勧誘に誘われて尺八のクラブに席をおいたのがキッカケですね。とてもいい加減なスタートです。
 大学では電子工学科で音楽とはとても遠い所にいたはずですが、部活で始めた尺八が私を夢中にさせて、既に大学2年のときからプロになろうかなと考え始めていました。クラブの顧問が郡山流尺八の神野生山師(習志野市在住)でしたので入門し、私なりに修行に打ち込みました。その後、人間国宝の島原帆山師に転門し、そしてNHK邦楽技能者育成会に入り、NHK邦楽オーディションに合格するなどして演奏活動を続けていましたが、とてもとても。耐乏生活がしばらく続きました。
 昭和44年にブルガリアでの世界平和友好祭民族音楽コンクールに日本代表として参加して銅賞を受賞しました。27歳の時でした。これがキッカケで名前が知れるようになり、演奏の依頼も増えてきました。また、そのころTVに出演していたところ、美空ひばりの目にとまり、その後美空ひばりの他、北島三郎や八代亜紀など尺八が必要な時は必ず私を指名してくれ、急速にTVの歌謡番組や舞台での演奏が増え、とても忙しい日々が続いていました。

 外国には、ずいぶん演奏旅行されていますね。

 昭和44年のブルガリアのソフィアを皮切りに、現在までアフリカ大陸を除く殆どの国で演奏をしてきております。最近では今年の6月ネパールに演奏旅行をし、ネパール国王の前で演奏してきました。皇太子が尺八にとても興味をお持ちで、私の演奏する尺八のCDを差し上げましたところ、とても喜んでおられました。

 外国の聴衆はどんな反応を、尺八の演奏に見せますか?

 外国では、尺八のことを奇跡の楽器と感じているようです。それは音色の多様さ、想像を超えたテクニックccなど、表現の幅が、ほかの楽器と比べて大変広いということですかね。
 外国の人たちの中には、尺八の持つ精神的な面に魅力を感じる人や、「ムラ息」とか「かざ音」のような、西洋の音楽にはないような特徴に惹かれたり、音そのものが演奏者個人の感性に大きくゆだねられているあたりに魅力を感じているようですね。

 尺八奏者としてのご苦労は?

 いま現在の力をより向上させなければというのが一番大変ですね。音が勝負の世界に生きているわけですから、常に素晴らしいと思えるような音を持続していかなければなりません。少し怠けると直ぐに唇の回りの筋肉が衰えますので、毎日ロングトーンの練習は欠かしません。又指のトレーニングも。体力を付けるために、好きなテニスをなるべく多くするようにしています。吹奏はもちろん毎日続けています。「継続は力なり」をモットーに毎日を過ごしています。

 これからの抱負についてお聞かせ下さい。

 私が今一番力を入れている活動は、中国・韓国・日本の民族楽器によって結成された「オーケストラ・アジア」が新しいアジアのアイデンティティーを確立し、西洋のオーケストラに匹敵する、世界の音楽界に認知されるようなグループに育てていきたいことですが、
地域的な観点で云えば、ドルチェホールでの活動や千葉邦楽合奏団での演奏活動を通して、一般の方にとって、邦楽がより身近な存在であったのだと感じられるようにしていきたいですね。子供達を対象にはボランティアででも演奏したいと思っています。明治以降の日本の音楽界は、西洋音楽一辺倒でしたね。音楽は民族の歴史や、生活環境や気候風土などと密接な関係があります。長い時間をかけてその民族にふさわしい形に作り上げられているわけです。邦楽は伝統のある音薬です。これを古いままに守り継ぐのではなく、現代の人達がより多く邦楽に親しめるように、尺八奏者として微力を尽くしたいと思います。

 

「邦楽は今、停滞気味です。これを何とかしなければというのが、目下の目標です」と坂田師は最後に語ってくれました。とても充実した2時間でした。       写真・文 吉野 章郎