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1960年 | 神野生山師に都山流尺八を師事。 | |
1964年 | 島原帆山師に転門。 | |
1966年 | NHK邦楽技能者育成会第12期卒業。NHK邦楽オーディションに合格。 | |
1969年 | ブルガリアに於ける世界青年平和友好祭民族音楽コンクールに日本代表として参加銅賞を受賞 | |
1971年 | 日本音楽集団に入団。 | |
1972年 〜 1994年 |
日本音楽集団の11回の海外公演、延べ96都市、151公演に参加。 | |
1980年 | 第1回尺八リサイタルを開催。 | |
1981年 | 反核をテーマに第2回尺八リサイタルを開催。 | |
1982年 | ニューヨークに於ける、第2回国連軍縮会議に反核アピールのため、音楽代表団として参加。 芸術祭主催公演で、読売日本交響楽団とソリストとして共演。 |
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1983年 | 東京尺八合奏団を結成し第1回演奏会を開催、以後年に1度ずつ演奏会を開催今年で18回を数える。第3回尺八リサイタルを開催。 | |
1984年 | セント・ルイスに於ける三木稔の新作オペラ“じょうるり”の世界初演に参加、特に尺八が好評を得る。全国20ケ所でサロンコンサートを開催、好評を博す。 | |
1985年 | 全国30ケ所でサロンコンサートを開催、好評を博す。 中国上海、杭州を巡演。 |
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1986年 | アルゼンチンで15日間のコンサートに出演。 | |
1987年 | 第4回尺八リサイタルを開催。 | |
1988年 | サントリーホールにて、チェリストのヨーヨー・マと共演。ヴァイオリンのアイザックスターンより絶賛される。 | |
1989年 | フィンランド、サヴォンリンナにおける三木稔作曲のオペラ「春琴抄」に参加。 ソリストとしての邦楽器が絶賛される。 |
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1990年 | フィランド・ヘルシンキに於ける日本週間に参加。 ドイツ、ベルリンにてベルリン芸術大学主催による尺八リサイタルを開催、又作 曲家を対象にワークショップ等を行い好評を得る。 |
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1992年 | 韓国に於けるパンムジークフェスティバルに参加、ドイツ人フルーティスト、シュミット女史とジョイントコンサートを行う。引続き日本でも5ヵ所で開催し, 好評を得る。 | |
1993年 | 外務省の派遣によりベトナム・ハノイでコンサートを開催。 | |
1994年 | 3月オーストラリア アデレードフェスティバルに参加。6月にはヨーヨーマと再度共演。10月にはニューヨークにおいて、ニューヨークフィルと共演。 | |
1995年 | 3月、国連50周年記念演奏会に出演続けて国際交流基金の派遣でブラジル公演に参加。5月にはエストニアの招きで「オリエント'95」にメインゲストとして参加、好評を得る。 | |
1996年 | 5月、中国上海における「上海の春」フェスティバルに参加、中国楽器等との共演など友好を深める。 | |
1997年 | 永年中心的な役割を果してきた日本音楽集団を退団し、結成4年目の「オーケストラ・アジア」の結成の主旨に深く賛同し新たに参加。 本拠をを東京から千葉に移し、多目的に利用できるドルチェホールを造る。千葉邦楽合奏団を結成。 |
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1998年 | 6月、在ネパール日本大使館公邸落成記念コンサートに参加。ネパール国王御前にて演奏、好評を博す。千葉邦楽合奏団第1回目の演奏会を開催、今年で2回目を数える。 | |
1999年 | オーケストラ・アジアのメンバーとして、三井広報委員会の主催によるオーケストラ・アジア北京、上海公演に参加。国際交流基金の派遣による東アジア(ウズベキスタン・カザフスタン)公演に参加好評を得る。 | |
現在 | オーラJ(オーケストラ・アジア ジャパンアンサンブル)代表、新典音楽協会副代表・東京尺八合奏団音楽監督、千葉邦楽合奏団代表を務める傍ら、コンサート、テレビ、ラジオ、レコーディングの演奏活動に加え最近では、作曲・編曲、及びドルチェホールでのコンサートのプロデュース等も行い、精力的な音楽活動を続けている。 | |
主な作・編曲作品集
1)思郷の詩(尺八四重奏曲)<東京尺八合奏団委嘱>
2)編曲民謡群像<八木節・長持唄・おてもやん・箱根八里>(尺八四重奏曲)
3)編曲八木節(尺八・箏・十七絃合奏曲)<広島県西城町の委嘱>
4)比婆の夜祭り(尺八・箏・十七絃合奏曲)<広島県西城町の委嘱>
5)愁月賦(尺八四重奏曲)<東京尺八合奏団委嘱>
6)尺八・箏・うたの為の「万葉の賦」<世田谷反核コンサートの委嘱>
7)郡山の郷(尺八四重奏曲)<東京尺八合奏団委嘱> 等