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恋愛ゲーム学各論


第15講 Final Fantasy VIII

99/05/08開講(99/05/05初筆)

1.恋愛ゲームとしての「FF8」

 まずはじめに、半年ぶりの各論な上に、しかも「FF8」と、全然恋愛ゲームではないと言われそうだが、遅ればせながらようやく昨日(5/4)クリアしたので忘れないうちにその感想を書き留めておきたいと思う。

 「Final Fantasy」シリーズは、以前はどうであれ、今はドラマを見せる、あるいはシナリオを読ませるという方向に向いていることは確かだろう。それは今回の「人間たちの物語」「愛を、感じて欲しい」というキャッチフレーズにもよく表れている。そういったRPGの方向性自体はもちろん大いにアリだ。従来の狭義の「ゲーム性」に囚われることなく、ビデオゲームによってより豊かな精神世界が表現されるのは大変望ましいことである。

 さて、「FF8」が一般に批判の対象となるのは、そのシステム面であることが多い。だが私は、G.F.やジャンクションシステムといったゲームシステムにはプレイしていて全く違和感を感じなかった。非常にシステマティックでありながら、かつ簡潔で(オートジャンクション等により)ほとんどそれを意識しないでも進められるというのは、ゲームの攻略という部分から切り離してプレーヤをドラマ・シナリオに集中させるという点で、むしろ私は好意的に受け止めてさえいるのである。(G.F.ムービーのいわゆる冗長さにしても、私は気にならなかったし、リアルな時間を持ち込んだということで前向きに解釈できる。また、「エンカウントなし」が非常に便利で宜しい。)

 しかし、その制作者が見せたかったという肝心の物語に関して言えば、残念ながら到底満足できるものではなかったと言わなければならない。これを、ヒーローであるスコールとヒロインであるリノアから考えてみよう。

 まずスコールは、かなり定型的な形で与えられている。(両)親の不在という「前提」は、日本的な物語の主人公では頻繁に使用されるものである(それが何故かはまだよく考える必要がある)。そして、その周りに「ママ先生」と更に彼にとって大きな存在であった「おねえちゃん」という「代理母」としての「母性」が配置されている。この「母」というのは日本の伝統的な3つの女性観のうちの1つである。そして、スコールは幼い頃にこの「おねえちゃん」を失うことによって愛情の欠如の中で基本的な人格が形成される。そう、いつものアレ、だ。現代日本の心的な諸問題の根元とも言える幼児期における愛情の喪失と欠乏は、「エヴァ」や「ONE」が余りに印象的だったためか、「まるで〜みたい」と言われるのが先にやった特権というか、後に続くものにとってはある意味気の毒ではあるが、「またこれか」と思ってしまうのは無理もないことだろう。

 さて、物語前半の「ぼくはひとりでもだいじょうぶ」と傷つくのが恐いから初めから他者との関係性の構築を拒否するスコールに対して、手を差し伸べたのがリノアである。

 ところが、このリノアがまた伝統的な女性観から抜け出せていないのである。無垢で無邪気な「聖女」としての存在は、日本の伝統的な女性観のうちのもう1つである(「FF7」のエアリスも相当その傾向が強い。リノアの場合は少々「母」が入っているかもしれない)。確かに無垢の存在は心が荒んでいる(笑)人間にとってはほっとするのかもしれないが、それも一つ間違えるとただの男性に対する「媚び」にしかならないということだ。時には目を覆いたくなるような場面すらある。

 その「魔女」ならぬ「聖女」(あるいは「母」)リノアにより与えられる「愛」によって、スコールは「自閉の殻を破って」自己変革を遂げる訳だが、それはむしろ当たり前でさえある。詳しくは裏論他に譲るが、「自分を愛せ」と言うのはあくまで他者によって愛されないからこその残された解決策なのであって、他者からの全くの無償の完全なる受容があれば、問題が解決する可能性は遙かに高い。言ってみれば(自分に自信を持てない現代の)男性にとっての「願望」ということだろうが、しかしこれでは「訳も分からずモテまくる」主人公が闊歩する2流恋愛ゲームと大差ないのではないか。各キャラクタの描き込み自体も十分ではなく、そこに表現される「恋愛」は、深みのない薄っぺらなものに過ぎない。

 物語だけから言えば「大作」には程遠い「FF8」。彼らは「愛を、感じてほしい」と言った。これが「感じてほしい」という「愛」だとしたら少々幼稚でとても成熟した大人のためのエンタテイメントとは言えず寂しい限りである。それが専門であるはずの恋愛ゲームではなくてRPGなのだからいいのか。それは違う。恋愛ゲームが恋愛ゲーム自身の呪縛から解き放たれるためには、こういった、(狭義の)恋愛ゲーム以外の物語が、恋愛を(自然な形で)取り入れて(扱って)いくことが必要なのだ(そしてそこではもはや狭義の恋愛ゲームは必要ないだろう)と、思わずにはいられない。もちろん、何でも恋愛モノにすればいいというのではないのは言うまでもないが。SQUAREファンの1人として、「Final Fantasy」にはそういったずば抜けた「ドラマ」を期待したいのである。


追記:

 恋愛モノというよりはむしろ、一種の「思い出に還る」(笑)物語として、この世界における「時間」や「(人の)記憶」についてもっとしっかりと記述して行った方が良かったかもしれない。…ということは、リノアは要らないということか?(笑)
データ(→データの見方
原画(主観)
7
(客観)
7
CG(主観)
8
(客観)
8
シナリオ
2
テキスト
6
キャラ
3
音楽
10
ボイス
-
システム
7
プレイ環境
7
えっち度
-
総合
6
シナ
リオ
傾向
らぶらぶ
5
ほのぼの
5
ギャグ
4
シリアス
2
ダーク
0
恋のカタチ 1本道のシナリオ