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恋愛ゲーム学補講


第12講 児童買春・児童ポルノ禁止法を考える

99/05/01開講

 ちょうど1年ほど前からその策定が広く知られるところとなった児童買春・児童ポルノ禁止法(児童買春・児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律)案が、一部の人たちを震撼させた(笑)ことは記憶に新しい。法案では、18歳未満のポルノを禁じ、当初製造・販売だけでなく所持までが規制の対象とされていたことや、「絵」という曖昧な表現も対象として含まれていたことから、美少女ゲーム、特に18歳未満の高校生が登場することの多い恋愛ゲームでは、その存在そのものが致命的なものになりかねなかったからだ。結局一般の人々や、議員の中からも疑問の声が上がり、先の4/28に参議院を通過した最終的な法律では実在する児童に危害とならない絵については法文から削除されたため(販売目的以外の所持についても)ひとまずは胸をなで下ろしていることだろうが、法律は拡大解釈されるものであるから油断することはできない。そう、PTAとかいうやつを始めとするオバサンたちの勘違い(自分たちはいいことをしているつもりで、実は悪法をまかり通らせている)団体が存在する限りは。(笑)

 もちろん児童(高校生を児童と言うのか?そこからしてすでに甚だ疑問だが)の人権が保護されることは結構なことだが、ここで改めて、恋愛ゲームと児童買春・児童ポルノ禁止法について考えてみることにしよう。

 ビデオゲーム、それも暴力や性を扱うものにおけるもっとも議論になるところは、それが人に悪影響をもたらすのか、それとも犯罪抑止力として働くのかということであることは疑う余地がないだろう。そして、それはほとんどの場合、「外部」にいる人は悪影響をもたらすものだと非難し、「内部」にいる人は犯罪抑止力として働くと弁護するものである。まして、恋愛ゲームユーザにおいては、強姦や犯罪行為が当然のように繰り広げられる鬼畜・凌辱系と、恋愛の過程としてのセックスが描かれる恋愛系とを同じにして欲しくないと思う向きもあるだろう。犯罪を助長するのか、抑止するのかは学術的に明確な結論が出ている訳ではないが、私の考えとしては、どちらの場合もあり得るだろうから、盲目的に否定あるいは肯定することが危険であると思っている。実際問題として、個人の精神的成熟状態、個々の事例・環境によって変わるだろうから何とも言えないのだ。ソフトウェア倫理機構等による18禁規制というのもそのためであると思うし、その規制については概ね好意的に理解しているつもりである(後述のように18歳という年齢を区切りにしていることについては疑問だが)。あとは、それを実効的なものにしていく努力が必要だろう。建前だけの規制なんて要らないのだから(少々極端だが、○学生にしか見えない小さな子供がエロゲーの箱を山のように抱えているのを見たときは正直ショックだった(笑))。

 さて、児童買春・児童ポルノ禁止法に話を戻すが、ビデオゲームが対象になるかどうかという以上に(「表現の自由」を振り回して何でもありを主張するのはそれはそれで間違っているはずだ)、私は18歳という年齢を区切りにしていることに疑問を抱かざるを得ないのである。各都道府県ごとに定められている条例も含めて。年齢による区切りに意味があるのかというのもあるが、例えあるとしてその年齢の妥当性に、である。性の情報が氾濫し、「恋愛」あるいは「結婚」そのものが変わりつつある今では、まるで時代錯誤のようにさえ感じるからだ。一体彼らは何を保護しようというのか。それは結局、大人たちの「幻想」を押し付けていることにならないだろうか。

 もちろん、性教育と自己責任の原則だけで全ての問題が解決するとは思わない。宮台派なら嬉々として規制の廃止と自己責任という名の放任を主張するかもしれないが、何事にしてもバランス感覚を失った極端な対応策が上手く行くことは難しいと思う。

 だが、それを考慮しても、今回の法律が浮いている気がするのは、気のせいだろうか。例えば選挙権は20歳以上(公職選挙法第9条)であるし、婚姻最低年齢は男性18歳、女性16歳(民法第731条)という訳の分からなさぶりだ。セックスに親の承認がいるという訳でもないだろうに。(笑)「大人」と「子供」の扱いも良く分からないし、その「子供」の扱いにしても必ずしも適切だとは思わない。ちょうど18歳頃は、子供から大人への過渡的状態にあるとされることが多いが、ただでさえのモラトリアムが、様々な法律間の統一性のなさでよりその「宙ぶらりん」状態を強化されているように感じる。繰り返して言うが、何も規制が全て悪というのではない。だが、周囲の圧力に屈して(こういうのは立場以前に率先して反対できないところがミソだ)大わらわで決めるより前に、もっと重要な、考えなければならないいくつもの課題(教育とか法制度とか社会とか)があるのではないかと、思わずにはいられないのである。

(参考文献)