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恋愛ゲームTomorrow


第9回 CSという考え方─(2)CSと作品性

99/08/12掲載(99/07/17初筆)

 前回、ビジネスの基本的な考え方としてのCS(顧客満足)を美少女ゲームという分野で取り上げてみたが、今回はCSを達成することがゲームの作品性にどのように関係していくのかを考える。

 そのためにはまず、そもそも「作品性」というのは一体何なのかという定義を明らかにしておくことが必要であろう。これも色々な解釈があるのかもしれないが、「心の最も深い部分を揺さぶる『何か』」(「揺さぶる」の他に「打つ」「届く」など)と捉えるのが基本的には自然であると思われる。この「揺さぶる」というのはもちろん何も流行りの感動系に見られるような「泣かせる」というだけではなく「笑わせる」というのも含まれる。(そして、しばしば指摘されるように、人から心よりの笑いを引き出すことは涙を引き出すよりもずっと難しい。)では誰の心なのか。もちろん「受け手」の心である。つまり、作品性というのは作り手から受け手に向けて放たれた何らかの「メッセージ」ということができる。

 この定義を挙げてしまえばもう結論は自明だろう。受け手の存在しない所での「作品性」などというものは存在しない、もしくは仮に存在したとしてもほとんど意味を持たないのである。そして、人が受容可能でかつ好む「物語」は、その人の文化的・社会的背景、嗜好、心象など彼が有するバックグラウンドによって決まるから、受け手のことを理解していなければせっかくの「作品」は誰にも届くことはない。

 すなわち、CSと作品性は相反するものというよりも、むしろ親和性が非常に高いものであって、ほとんど同じことであると言っても過言ではないだろう。

 こんな事を書いているとビデオゲームに崇高な(笑)思想をお持ちの方からお叱りを受けるかもしれない。「ゲームは芸術なのか」というのはゲーム系評論家(評論屋?(笑))の好みそうな話題である。私は専門家でも何でもないからそれに関して議論するつもりはないが、現在の美少女ゲームが極めて消費性の高いものであることを考えれば、この「今」のユーザを楽しませるための「ライトエンタテイメント」という見方の方がしっくり来ると思うのである。(実際、例えばゴッホが彼の死後初めて高い評価を受けたように、ある全く評価されなかった美少女ゲームがあったとして、作者たちの死後再評価されるということが果たしてあるだろうか?(笑))

 以上のように、CSと作品性は本来同じものであると言っていいのだが、美少女ゲームという特殊な分野においては、必ずしもこれが成り立たない場合がある。他の創作と違うのは、美少女ゲームでは「萌え」(少なくない場合社会的に見れば恋愛と呼ぶには余りにもおぞましいが、本人にとっては精神作用的に等価な感情である2次元キャラに対する恋愛感情)や、「媚び」(でじこやシスプリ(笑)などのように多くの場合そういった「萌え」を満たすためのキャラクタの無垢性や幼稚性という形で顕著に現れているが、当然シナリオやテーマの「媚び」もありえる)ということがあるからである。そして、これらははやはり作品性ということからは馴染まないものである。

 ところが現実には、少なくないユーザはその「媚び」を時に喜んで(あるいは無意識的に)受け入れている。「媚び」を求めているのである。あくまでCSという考え方からすれば彼らのニーズに対応するために「媚び」を提供する(利用する)ことは間違いではないから、ここではCSと作品性が食い違ってくることになる。(ただやはりそういった「意図」に対して一部のユーザは敏感になってきているので、注意が必要だが。)

 それに関しては、少し前のNHKスペシャル「世紀を越えて」でハリウッドの映画産業について取り上げていた回があったが、私がゲームについて考えていたことをそのまま言っていて頷かされ通しだったことを覚えている。つまり、作品は作り手が自分のために作るのではなく、受け手のために作るのであると。そしてその際に受け手の奴隷になる必要は全くない、しかし、受け手がつまらないと思っているならばそれを謙虚に受け止めなければならないと。現状の多くの美少女ゲームのように恋愛障害者のための(空虚な)補償装置としても機能しうる(それはユーザだけでなく実は制作者にとっても)メディアでは潜在的に「媚び」は不可避の非常に難しい問題であり、以前にも書いたように今後の美少女ゲームが恋愛健常者向きのものを指向していくのか、依然として恋愛障害者向きのものを指向していくのかによって変わってくるのだが(というか正確にはユーザおよび制作者の精神構造の変化次第ということなのだろうが)、ここではそれは置いておこう。とりあえず実力のあるメーカだけでも「媚び」から脱却する方向で積極的に「生きた」恋愛の表現に挑戦していって欲しいし、またそれが同時に本当の意味でのCSの向上にも繋がるのだと信じている。

 さて、同番組にも「映画は芸術であると同時にビジネスである」という発言があったように、映画ではないが私はかねてから美少女ゲームの「ビジネス」的成功の重要性を繰り返して来た。そしてもう一つは「プロ意識」ということを。どちらも当たり前の事なのだが、その当たり前のことを書き続けなければならないのは、この世界の、一種の特異性に起因するものではないだろうかと思うのである。そこで次回は、この美少女ゲームを取り巻く環境の特異性を取り上げつつ美少女ゲームへのCSの適用についてまとめたい。