Episode-11「アスカの心、レイの心」


 

 

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結局、すべてはシンジの懸念した通りの展開を見せた。 

 

2体に分離したイスラフェルは、弐号機のソニック・グレイヴ、零号機のパレットガンをまったく受け付けず。

攻撃が完全に無効化されていることを悟らざるを得なかったミサトは、1405、一時撤退を決定。

同1406、UNにN2爆雷の使用を要請。

1420、UNによる同爆雷の使用。使徒は、構成物質の28%を消却され、一時的に沈黙。

…が、その間に弐号機は手痛いダメージを受け、零号機の助勢で、からくも撤収した。

 

 

 

 

「……どういうつもり、シンジ君」

 

後処理をUNに(仕方なく)任せ、第3新東京市へと撤収する指揮車の中。

ミサトは腕を組み、いつになく厳しい表情で、目の前の少年を凝視している。

 

「………」

 

シンジは、応えない。だが、その目は伏せられることなく、ミサトの視線を正面から受け止めている。

 

「あの時、あのままエヴァ2体が退いていたら、使徒の上陸をみすみす許すところだったのよ」

 

ミサトが言っているのは、使徒が2体に分かれたとき、シンジがミサトを無視して、権限外の指示をエヴァ両機に出したことだ。

幸い…というか、アスカはそれに従わず、使徒に攻撃を続行したため、かろうじて使徒の上陸という事態は避けられた……のだろうか。

ミサトにも、今回ぱかりは自信がない。

結果的にそうなっただけで、戦闘内容は、完全に「敗北」の一字だ。

 

「……かもしれません。でも、2人が危険だと思って」

 

ミサトにも、危険だということくらい分かっている。

危険のない戦いなどないのだ。

だが、あの時点で退却するというのは、明かな任務放棄ではないか。

せめて、一太刀でも浴びせてみなければ、首脳部も、そして自分も納得できない。

シンジは、任務放棄を促したことになる。

 

「…あの時点で、攻撃が効かないと思った根拠は?」

「分裂前の使徒は、弐号機が真っ二つにしました。…それは、まるでダメージを与えていませんでした」

「分裂前は、ね。…では、分裂後はわからないわね」

「それは…」

「コアに対する攻撃はどうなの?試してみなけりゃ、わからないでしょう」

「でも、それは実際に…」

 

効かなかった、と言いかけるシンジを、ミサトが鋭く制した。

 

「それはあくまで結果であって、あの時点では、退却を支持する要因にはならないわ」

 

ミサトの言は正論だ。

シンジは、それを覆す根拠を持たない。

まさか、効かないのは初めから分かっている、などと言えるわけがない。

結局、シンジは沈黙するしかなかった。

 

一方のミサトの方でも、シンジを糾弾しながら、あまり強いことを言えないでいた。

それは、結局、事態がシンジの懸念通りに進み、彼の言葉通り、UNへの要請が遅れたために弐号機が被害を受けてしまったという、ある種の負い目があるからだ。

もし、彼の言に従っていれば、使徒が分裂した段階でエヴァを退け、UNによるN2爆雷投下…という最善の選択をし得たかもしれない。

 

…だが、それもすべて結果論だ。

あの時点では、確実な根拠でも無い限り、シンジの行動は的はずれ、明かな越権行為でしかない。

 

戦闘に置いて、指揮系統は常に一本化されていなければならない。

対使徒戦のような近接戦闘の多い場合は、特にだ。

NERVの指揮系統は、ゲンドウを最上位に置き、彼の不在時には副司令の冬月が代行を務める。

実際の指揮は、作戦部長たるミサトが執るが、最終的な決定権はゲンドウに帰属している。

直接、エヴァを管轄する技術部のリツコにしたところで、助言を与えることはあっても、直接、チルドレンに指示を与えることはない。

 

そこへ、作戦部どころか、何の権限すら持たないシンジの意見を容れればどうなるか。

指揮系統は混乱し、一瞬の判断ミスが即、命取りになる接近戦では、思わぬ事態が発生することになる。

だからこそ、ミサトとしては、私人としてのシンジへの感情をねじ伏せてでも、綱紀を正しておかねばならないのだ。

 

「……とにかく、今後、作戦への口出し、反抗等は認められません。分かったわね」

「……はい」

 

ミサトが、まるでリツコのような口調で告げ、シンジは感情を押し殺したかのように、短く返答した。

 

シンジが指揮車から出ていくのを見送って、ミサトは後味の悪さに、思わずため息をついていた。 

 

 

 

 

 

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「じょうっっっっっだんじゃないわっ!!」

 

アスカは、プラグスーツ姿のまま、髪を拭いていたタオルを床に叩きつけた。

まだLCLの乾ききっていない髪から、水滴が飛ぶ。

 

「あんたのせいでっ、あたしの弐号機がやられちゃったじゃないのよ!」

 

吐き捨てるように言うと、目の前にいる水色の髪の少女を、ギッと睨みつける。

レイの髪も、まだ乾いてはおらず、額に張り付いた髪が、幾本もの流れを作っている。

 

「私のせい......?」

「そうよっ!」

 

アスカは、ビシッと指を突きつけると、憤懣やるかたないといった表情で、次々とレイを糾弾した。 

 

アスカにとっては、幾重にも腹立たしい。

使徒を前にして、レイに攻撃を邪魔されたこと。

零号機が、攻撃よりも退却を優先させようとしたこと。

しかも、弐号機も、それに倣わせようとしたこと。

最悪のコンビネーションでアスカが2体の使徒の挟み撃ちに遭い、弐号機だけが被害を受けたこと。

そして、極めつけは、その後、レイによって退却を助けられたことだった。

 

これほどプライドを傷つけられた経験は、アスカにはない。

シンジとのシンクロテストにおける敗北も、それ以前に聞いていたことと、所詮はテストという気持ちがあったため、これほどの怒りは覚えなかった。

しかし、今回はどうか。

自分よりも劣る(アスカの主観で)レイに足を引っ張られ、それだけならまだしも、自分だけが被害に遭い、なおかつ最後にはそのレイ自身に助けられる。

結果だけ見れば、アスカのみの「やられ損」という有様だ。

 

「あんたが、あたしの日本でのデビュー戦を、ムチャクチャにしたのよっ!」

「.........」

「これで、司令やリツコには、何て言われると思う?!」

「.........」

「ブザマにやられた弐号機が、零号機に助けられた……冗談じゃない!冗談じゃないわよ!!」

「.........」

「あたしはね!エヴァを完璧に乗りこなせる!あんたなんかよりずっと上手く…あんたなんかより…!!」

 

アスカは、心のどこかで、今回の敗因の一つが、あの時の自分の猪突にあることが分かっていたのかもしれない。

シンジが「アスカ!ダメだ!!」と言ったのは、耳に入っていた。

だが、だからこそ、アスカは自分を止められなかった。

ここで戦果を上げて、シンジを見返してやりたかった。

実戦では、自分の方が優秀なのだと、見せつけてやりたかった。

 

だが、結果は無惨。

力を見せつけるどころか、自分一人が敗北した。

実際には、使徒の特性を見抜けなかった作戦部に、その責任は求められるべきなのだが、アスカにはそういう意識はない。

結局、アスカが認めたくなかったのは、その事実かもしれなかった。

 

アスカは、肩で息をつきながら、まるで仇でもあるかのように、パイロット控え室の床を睨んでいた。

 

「......何を......恐がっているの」

 

突然、ポツリ、とレイが呟いた。

驚いたように、顔を上げてレイを見るアスカ。

紅い瞳が、じっと、その中にアスカを映しながら、小さく揺れていた。

 

レイは、ずっと考えていた。

それは、この作戦が始まる以前、昨日の弁当の一件以来…いや、もしかするともっと前、アスカと初めて会った時からかもしれない。

 

レイにとって、アスカは不可解な存在だった。

レイが他人というものを認識し、理解することにまだ慣れていないとしても。

 

アスカという少女は、一見、どんなことにも負けない強さを持っているように見える。

その言動、自信、にじみ出る負けん気の強さ。

それは、たとえば初対面の人間には、この上ない強さの証と受け取れるだろう。

 

だが、レイは、感情というものに不慣れなだけに、そういった上辺の要素だけにとらわれることがなかった。

自分自身の感情すら持て余しているレイが強く感じたのは、「脆さ」だった。

自分と同じ…。

 

アスカという人物を構成する要素は、大部分が「強さ」と「覇気」だ。

だが、あまりに鍛え上げられた刀剣が、少しの衝撃で折れてしまうのと同様、それは諸刃の剣。「脆さ」と隣り合わせの「強さ」だった。

 

レイには、細かいことは分からない。

ただ、アスカの強気の発言の中に潜む、焦燥(私を早く認めさせたい)・恐怖(私以上に優れたパイロットはいない)を、レイは常に肌で感じていたのだ。

 

それが、今、言葉となって出た。

 

「……恐がって、いる?」

 

一瞬、呆然とレイの言った言葉を反芻させたアスカだが、その顔が、一瞬にして強烈な怒りを帯びる。

 

「恐がっている…ですって?!誰が恐がってるってのよ!! 冗談じゃないわっ、あたしは恐がってなんかいない!」

 

それは、まさに烈火のごとき怒りだった。

半ば、自分に向けられていた先程までのものとは、訳が違う。

それは、アスカという個体の核心、もっとも触れられたくない、禁忌の領域に触れるものだった。

 

「あんたみたいな落ちこぼれには分かんないでしょうけどね、あたしは常に、トップじゃなきゃなんないのよっ!」

「......なぜ?」

 

レイの問いに、アスカの柳眉がさらに角度を増す。

 

「あたしにとっては、エヴァに乗ることが全てだからよっ!

 …そのために、厳しいテストを重ねた!

 体術も覚えた!

 戦術を学んだ!

 あんたみたいな、ぽっと出のヤツとは、はじめっから格が違うのよ!

 あたしは、エヴァに乗って戦う自分に誇りを持ってる!恐がってなんかいないっ!!」

 

アスカは、一息にまくし立てると、肩を揺らして荒い息をついた。

レイは、その言葉を、ひとつひとつ聞きながら、アスカのことをじっと見つめていた。

 

「......あなたには、エヴァが全てなの」

「…そうよ!」

「......他には何もないの」

「そうよっ!!」

「......それは違うわ」

「!!」

 

レイは静かに、しかし、はっきりとアスカの言葉を否定した。

アスカが再度、敵意に満ち満ちた目で、レイを睨みつける。

 

「……なん、ですってぇ……」

「何もない......それは違う。

 私も......そう思っていた。

 エヴァに乗ること。それが、絆だから......他には何も、ない。

 ......碇君は私に教えてくれた。

 エヴァに乗らなくても......

 ファーストチルドレンでなくても......

 私は、私。

 ......一人の、女の子だって」

「!」

 

アスカは、目を見開いた。

わなわなと、拳を握りしめて震え出す。

 

「あたしは……あんたとは、違う…っ!」

「......あなたも、同じ。一人の、女の子」

「……違う」

「あなたも、同じ......」

「違うっ!!」

「なぜ......恐がるの」

「うるさい、うるさい、うるさい、うるさぁーいっっ!!!!」

「.........!」

 

レイは、驚いていた。

自分の言葉が、目の前の少女に与えた衝撃に。

 

レイの言葉を拒絶するように、頭を勢い良く振ったアスカは、いつの間にか涙をこぼしていた。

 

「あんたなんかに……あんたなんかに、あたしの何が分かるってのよ!!」

 

レイも、衝撃を受けていた。

 

自分にとって、シンジが教えてくれたことは、今や自分の根幹をなすものだった。

何よりも大切な言葉、何よりも愛すべき言葉。

レイは、同じことをアスカに言った。

意識して言ったわけではない。

アスカの、「私はエヴァに乗ることがすべて」という言葉は、裏を返せば「エヴァに乗ることができなくなったら、自分には何も無くなる」ということだ。

それは、しばらく前の自分とまったく同じだった。

そう感じた時、レイは自然と、その言葉を口にしていたのだ。

 

だが、アスカに与えた影響は、レイが想像していたものとは全く違った。

 

アスカが見せたのは、怒り、拒絶。

 

レイの言葉は、確かにアスカの根幹に触れる真実だった。

だが、真実を告げることが、相手のむき出しの心に触れることであり、その結果、相手を深く傷つけてしまうことがあることを、レイは知らなかったのだ。

レイは戸惑い、どうして良いか分からなかった。

 

「出てって!……あたしの目の前から、出ていってよ!!」

 

アスカは俯いたまま、出口を指さした。

その声は大きかったが、いつもの覇気はなく、むき出しの弱さが感じられた。

 

レイは、言われたままに、静かに背を向けて、その場を後にした。

トボトボと歩く姿が、寂しげに見えた。

 

やがて、ドアが閉まると、アスカは長椅子に腰を落とし、膝を抱えて座り込んでしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シンジがその車内にアスカを呼びに来た時、栗色の髪の少女は、顔の下半分を膝に埋め、いつもより少しだけ赤く見える目で、ただ前だけを強く見据えていた。

 

シンジは、その姿を見た瞬間、言葉を失った。

アスカが、今回の敗北で傷ついているのは分かっていた。

だが、そこにいるアスカは、それとは全く別の衝撃にさらされたと思わせる顔をしていた。

 

シンジには、先ほどここで行われた、レイとの心のぶつかり合いは分からない。

だが、今のアスカの顔を見て、シンジは胸が締め付けられた。

それは…以前、今のアスカと出会う前に見た、彼女の顔に酷似していた。

 

余裕が剥がれ落ち、険しさだけが表面に表れ、悲愴なまでの鋭気が蒼い両目に宿っている。

 

シンジは、そんなアスカの顔を見るのが辛かった。

先日来、感じていた胸を刺す痛みが戻ってくる。

アスカが好きだった。

なんとかして、彼女の心を支えてあげたかった。

 

シンジは、静かに歩み寄ると、アスカの隣に、彼女の邪魔にならないように腰を下ろした。

アスカは、前を見据えたまま動かない。

シンジが体の力を抜くと、わずかに丸まった背中が、アスカの背中に、ほんの少しだけ触れた。

アスカは、わずかに肩を震わせた。

 

「………」

「………」

「………」

「………」

 

プラグスーツの少女と、制服の少年は、そのまましばらく、身じろぎもせずにそこに佇んでいた。

 

アスカは、シンジが入ってきたのには、もちろん気付いていた。

完全に無視してやろうと、決め込んでいた。

シンジが近づいてくる。

 

一声でも声をかけてきたら、すくに追い出してやる。

 

こんな時に、慰めの言葉など、絶対に聞きたくない。

……だが、いつまでたっても、シンジは口を開こうとしなかった。

ただ、黙って自分の横に腰掛けて、何をするでもなく、ぼうっとしている。

だから、アスカはどうすることもできない。

ただ、背中の触れ合った一点から、シンジの体温が伝わってくる。

 

シンジは、時に言葉が無力なことを、ミサトから教わった。

今は、どんな言葉をかけても、アスカを傷つけてしまう気がした。

アスカを想う気持ちが、心を満たす。

こんなに側にいるのに、何もできない自分が悔しかった。

ただ、背中の触れ合った一点から、アスカの体温が伝わってくる。

 

「……何しに来たの」

 

先に、沈黙に耐えられなくなったのは、アスカの方だった。

 

「うん…。ブリーフィングがあるから、集まるようにって」

「…バカ。早く言いなさいよ」

 

あきれたように言うと、アスカは床に落ちたタオルを拾い上げて、立ち上がった。

 

「ほら、さっさと行くわよ」

 

歩き出したアスカに、シンジも慌てて立ち上がる。

 

「アスカ…」

 

思わず、名前を呼んでしまう。

アスカの足が、ピタリと止まった。

 

「……なに」

 

だが、シンジは何か考えがあって、呼び止めたわけではない。

顔だけ振り向かせたアスカの目を見た途端、頭の中が真っ白になってしまう。

 

「あ……なんでもない」

「……フン」

 

 

 

 

 

結局、ブリーフィングの間中、アスカはレイと目すら合わせようとしなかった。

レイだけでなく、アスカもろくに反応しないため、出張中のゲンドウに代わって説教をした冬月は、困り果てたように、何度も肩をすくめていた。

いつも無表情なレイだが、この時は、どことなく寂しそうな顔をしていたと、シンジには見えた。

 

 

 

 

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「よっ、シンジくん」

「…あ、加持さん」

「どうした、元気がないじゃないか」

 

ブリーフィング後に、ぼんやりと廊下を歩いていたシンジは、加持に呼び止められた。

アスカは、終わると同時に姿を消してしまい、シンジが呼び止める暇もなかった。

レイの様子も気になったのだが、シンジは作戦中の越権行為により、副司令から訓告処分を受け、冬月の部屋へと呼ばれていたため、その後、会えていない。

 

2人の様子は、作戦前と比べて、格段にぎくしゃくしているように見えた。

アスカはともかく、レイまで…。

戻ってくる間に、何かあったのではないかと思うのだが、シンジには見当もつかない。

これから、2人はおそらく葛城邸で対面することになるだろう。

その時、アスカがどういった反応を示すか…。

 

「何かご用ですか?」

「おっと…こいつは手厳しいな」

「あ、す、すみません」

 

加持は、ちょっと驚いて見せ、大げさに肩をすくめた。

シンジは、2人のことで頭を悩ませていたため、つい無遠慮になってしまったことを恥ずかしく思った。

 

「いいさ。今日は大変だったな、訓告処分だって?」

「はあ…」

「ま、男の勲章みたいなもんだ。あまり、気にすることはないさ」

「…ありがとうございます」

 

加持は、いたって気楽な口調で言うと、器用にウインクしてみせる。

シンジは、なんとなく気分がほぐれていくのを感じた。

 

「…ところで、それ。なんですか?」

 

シンジは、加持が片手に持っているデータカードをめざとく見つけて(といっても、加持がわざと目立つように持っていたフシもある)、訊ねる。

 

「ああ、これかい? いや、実は今回の作戦のことで、これから葛城のところへ行くんだけどね」

 

やっぱり、ユニゾンか…。

シンジは、複雑な思いだった。

自分ではなく、アスカとレイのユニゾン。果たして、本当に上手くいくのだろうか…。

 

「それで、だ。 シンジくんにも意見を聞いてみたくてね。今回の使徒、どうやって倒したらいいと思う?」

「え…?」

 

意外なことを言い出した加持に、シンジはあっけに取られてその顔を見直す。

加持は、興味深そうに、二つの目を輝かせている。

 

「あの……なぜ、僕に?」

「ん?別に理由はないさ。言ってみれば、知的好奇心ってやつかな。シンジくんがどんな考えを持っているのか、聞いてみたいだけさ」

「は、はあ…そう言われましても」

 

これは、チャンスなのだろうか…?

シンジは、唐突な展開に、慌てて頭をフル回転させる。

 

だが、イマイチ加持の意図が読めない。

それに、情けないことだが、シンジはこの場でユニゾン以外の良い方法を思いつくことができなかった。

初号機が使えない、という前提のもとでは、かなり選択肢が狭められてしまう。

 

「どうかな。あの使徒を倒せそうな方法は、あるかい?」

「えっと……やっぱり、普通にやったんじゃ、ダメですよね」

 

加持は、シンジが口を開いた途端、まったく喋るのを止めて、次の言葉を待っている。

 

「あの使徒は、コアが2つある。だから、なんとかしてそれを同時に叩く…」

「同時に?」

「ええ…今日の戦闘記録、加持さんも見てたから分かると思うんですけど、分離後のコアを狙っても、すぐに再生してしまってましたよね」

「うん、確かにそうだな」

 

さも、今気付いた、と言わんばかりの表情の加持に、シンジは「加持さん、どこまで分かってるのかな?」という疑問を抱いてしまう。

 

「で、結論としては?」

「2点同時の加重攻撃…しかないと思います」

 

加持の目が、一瞬だけ光った。

 

「ほう…」

「片方の使徒、仮に甲としますが、こちらを攻撃すると、残りの片方、乙がそれを防ごうと動きます。その反対も同様に…」

「つまり、2身で一体というわけだ」

「ええ。ですから、こちらも動きを合わせるしかないでしょう。…零号機と、弐号機の動作、そしてパイロットの綾波とアスカの動作を」

 

加持は、感心したようにシンジを見た。

 

「凄いなシンジくんは。よし、その案でいってみよう」

「えっ?!加持さんの考えてた案って…どうなるんですか」

「いやいや、俺の考えた案なんて、取るに足りないものさ」

「ええっ、で、でも…」

 

さーて、どっかで内容を書き換えないといかんな…などと呟いている加持を、シンジは呆然と見やる。

おかしい。

これは、シンジとレイの立場が入れ替わっているとはいえ、前回、加持がミサトに提案した案と、まったく同じものだったはずだ。

今回、加持には別の策があったというのだろうか?

 

「サンキュー、シンジくん。参考になったよ、じゃ!」

「あっ、ちょ、ちょっと、加持さん?!」

 

加持は笑顔で手を振りながら、歩き去ってしまった。

シンジが、呆然とその背中を見送る。

 

…シンジはもちろん知らなかったが、加持の策は、シンジの策とまったく同じだった。

だが、加持は、まったく同じだからこそ、そこに興味を覚えた。

要するに、またカマをかけたわけである。

 

碇シンジくん、か……面白いな。

 

加持は、あらためてその思いをいだいた。

前回の「アダム」を(おそらく)知っていたことといい、あれだけの情報から的確な作戦を思いつく能力といい…。

彼は、一体どういう人物なのか。

加持には、一番興味のある命題だった。

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ〜あ……」

 

机を埋め尽くして、その上に摩天楼を築いている書類の山を前に、ミサトは疲れ切ったようなため息をついた。

 

「ミサト…そのため息、オバンくさいわよ」

「…ほっといてよ」

 

ミサトは書類の山に顎を乗せて、隣で書類をめくっているリツコを、うらめしそうに睨んだ。

 

「私、自信なくしちゃうわ……」

「あら、珍しい。反省…?」

 

ミサトは椅子に深々と身を沈めると、横に置いてあった小型モニターを操作した。

画面には、今日の戦闘記録が流れる。

 

「UNへの攻撃要請…使徒に対する対処……結果的に、シンちゃんの方がみぃんな正しい判断をしてたのよ」

「…シンジくんが?」

 

ピクッと片方の眉を上げるリツコ。

 

「そうなのよねぇ…使徒にコアが2つあるというのにも、私は見逃したのに、彼は気付いていた。こんなんじゃ、作戦部長失格よね。次の作戦も、ぜぇんぜん思いつかないし…」

 

もう一度、大きなため息をつくミサト。

リツコは、何やら考えているのか、今度は反応しない。

 

「それなのに、シンちゃんは訓告処分で、私はお咎めナシ……。可哀想なことしちゃったわぁ」

 

ミサトは、そう考えて自己嫌悪に陥っていた。

シンジが、おとなしく処分を受け入れたので、余計に心が痛む。

 

「仕方ないわよ。当然の処置でしょう。規則違反をしたんだから」

「そりゃ、そうなんだけどさぁ…シンジ君、物わかりが良いから余計に、ね」

「ミサト…プライベートと仕事は別よ」

「わぁってるわよー…」

 

分かってはいるが、リツコのように完全には割り切れないミサトである。

 

「!…ちょっと、止めて」

「へぇ?」

「今のところよ…今の零号機の動き」

 

ミサトの反応が鈍いので、リツコは自分でリモコンを取って、映像記録を巻き戻す。

画面には、いったんは使徒を倒したと、背中を向ける弐号機と、その直後、それにのしかかるようにして倒れ込む零号機の姿が映っている。

零号機のその行動のおかげで、弐号機は分裂した使徒の攻撃を、運良くかわしている。

 

「ああ。さすがにレイはいい反応してるわね。恥ずかしながら、私たちはアスカも含めて、あれで倒したと思っちゃったのよね」

「………」

 

ばつが悪そうに頭をかくミサト。

だが、リツコは腑に落ちない。

 

あのタイミングでは、ミサトたちの方が普通の判断だ。

レイの判断は…良すぎる。あらかじめ、使徒の攻撃を予想していたかのように思える。

 

「…レイは、何て言ってたの?」

「んー?…なんか、ちょっと沈んでてさぁ。ロクに話できないのよね」

「あきれた…それが、作戦部帳たる人の言葉?」

 

直接、レイに聞いてみようか…。

そう思った時、部屋のドアが開いて、聞き覚えのある声が入ってくる。

 

「よっ、リッちゃん。…葛城、こりゃまたすごいな」

「加持君…」

「…何しに来たのよ、あんた」

「いやあ、ちょっと葛城をからかいに…じょ、冗談だよ」

 

ギロリ、とミサトに睨まれて、加持は両手を振る。

 

「…この部屋は、あんた立入禁止よ」

「おいおい、そんなの、いつ決まったんだ?」

「今、私が決めたのよ」

「ふぅ…せっかく、首がつながるアイディアを持ってきてやったのにな」

「!」

 

それを聞いたミサトは、目を輝かせてガバッと椅子から立ち上がるが、加持の顔を見て、再び着席。

 

「…いらない」

「あれ…そんなこと言ってられる状況なのかな?」

「…とうてい、そんな余裕ないわね」

 

ミサトがぐっ、と言葉に詰まり、リツコは肩をすくめる。

 

「これなんだが……どうする?」

 

加持は、データカードをミサトの前にちらちらさせる。

ミサトは、目の前で揺れるそれをじぃっと見ていたが、突然、それを奪おうとする。

…が、見切っていたのか、加持の手はそれをあっさりかわす。

 

「……お礼は?」

 

加持が、ニコニコしながら言う。

 

「くっ……ぁりがと」

 

苦虫を噛み潰したような顔で、言葉を絞り出すミサト。

 

「ん?聞こえないぞ」

 

プチッ。

 

…チョイチョイ。

 

ミサトは、指をくいくい動かして、加持に耳を貸すように言う。

 

「ん?」

「ぅぅぅぅぅあああああありがとおおおぉぉぉうっっっ!!!」

「ぐわっ!」

 

 

「……ブザマね」

 

 

 

 

 

58

 

 

 

 

シンジが帰宅してみると、そこには予想通り、ダンボールの山。

 

やはり、アスカは葛城邸で一緒に生活することになったようだ。

そのことに、一瞬、喜びに浸ってしまったシンジだが、もう一つの懸念に気付いて、慌ててリビングに飛び込んだ。

 

…だが、予想に反して、そこにいたのはアスカだけだった。

普段なら、レイはこの時間、葛城邸にいるはずなのに…。

 

ソファに寝っ転がって、テレビを見ていたアスカに、シンジはおそるおそる帰宅を告げてみる。

だが、

 

「ああ、おかえりシンジ」

「えっ?…あっ、た、ただいま。あ、あの…?」

「ああ、あたし今日からここに住むことになったから」

「え?そ、そうなんだ…」

 

シンジが拍子抜けするほど、アスカはここに住むことをあっさり納得していた。

 

「…こぉんな美少女と、一つ屋根の下で暮らせんのよ。ありがたいと思いなさい」

 

からかうように言われて、シンジは真っ赤になる。

 

なんだ…アスカ、全然普通みたいだ。

 

シンジは、拍子抜けすると同時に、ほっとしていた。

…だが、シンジは気付かなかった。アスカがどんな思いで、そんな態度を取っていたのか。

 

それは、一人で自宅のベッドに横になっていたレイが、最も敏感に感じ取っていたかもしれない。

レイは、アスカが自分を拒絶しようとしていることに、気づき始めていた。

どうしたら良いのか、まったく分からずに…。

 

 

 

やがて、ミサトが帰宅し、次の作戦を説明した。

分離する使徒、互いに動きを補い合う2体を倒すには、2体同時のコアへの攻撃しかないこと。

パイロットが呼吸を合わせるため、これから6日間、アスカとレイは葛城邸で一緒に暮らすこと。

 

それらを聞かされたアスカは…何も言わなかった。

「そういう作戦なんでしょ」と、淡々と了承し、訓練は明日からと聞くと、食事も取らずに自室で寝てしまった。

当然、反発するものと思っていたミサトとシンジは、完全に意表を突かれた。

 

ミサトは、「話が早くて助かるわね」と言ってビールを開けた。

だが、ことここに至り、シンジはようやくアスカの取る態度と、事態の深刻さに気付いた。

アスカは完全に、レイという存在を無視している。

まるで、そこにいないかのように振る舞い、視界の外に置いている。

 

…これは、なまじ罵り合っているよりもたちが悪い。

このままでは、ユニゾンどころではなかった。

 

レイはいつものことだが終始無言で、しかし、いつもとはどこか違って見えた。

それが、シンジには何なのか分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

アスカは、ベッドに横になっているだけで、眠っていなかった。

胸中では、昼間の出来事が、メイルシュトロームのように、音を立てて渦を巻いていた。

 

認めない…!

 

レイの顔が浮かぶ。

 

認めない…!

 

レイの言葉が浮かぶ。

 

認めない…!

 

あんな人形のようなヤツに、自分の何が分かるというのか。

 

分かるはずがない!

 

あたしは、あいつとは違う。

 

そうだ、違う!

 

あたしには、エヴァに乗ることが全て。

 

他には、何もいらない!

 

あたしには、エヴァに乗ることが全て。

 

他には、何も必要ない!

 

あたしは、エヴァに乗って、戦って、戦って、戦って、勝てばいい。

それでいい。

今回も。

これからも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

葛城邸には、部屋が3つしかない。

 

居間で、4人で寝ることだけは、アスカが拒否した。

すると、寝室が足りない。

まさかシンジを追い出すわけにもいかず、レイはミサトの部屋で一緒に寝ることになった。

 

「………眠れないの、レイ?」

 

寝床に入ってから、1時間。

寝返りをうったりはしないが、レイが眠っていないのを、ミサトは知っていた。

 

「.........はい」

「そう……どうして?」

「......わかりません」

 

ミサトは、布団をめくると、レイの顔を見た。

 

「アスカのこと……気になるの?」

「......わからない」

「本当?…ホントは、わかってるんじゃない?」

「.........」

 

黙り込むレイを、ミサトばじっと見つめる。

 

「アスカのこと、嫌い?」

「......たぶん、嫌いじゃ、ないと思う」

「じゃあ、好き?」

「好き......その言葉......よく、わからない」

「愛しいってことよ」

「愛しい.....?」

「うーん、言葉では上手く言えないんだけど…」

 

ミサトは、ぼりぼりと頭をかいた。

 

「一緒にいたいとか、守ってあけだいとか、そういうどうしようもない気持ちのこと…かな。ほかにも、隣にいると安心するとか、楽しいとか、嬉しいとか…」

「一緒にいると......うれしい」

「そうよ。たとえば…私のことは好き、レイ?」

「ミサトさん......好き」

「ありがと」

 

レイは、少し照れたように、間をおいて答えた。

ミサトは、初々しいレイの反応に、優しい笑みを浮かべる。

 

「じゃ、シンちゃんは?」

「碇君......とても大切な人......私を守ってくれる人......好き」

「あら、随分、格付けが違うのねぇ」

 

ミサトが茶化すように言うと、レイは小さく頬を染めた。

 

「…じゃあ、アスカは?」

「......弐号機パイロット......わからない」

「…嫌い?」

「......わからない。でも......弐号機パイロットは、私が......嫌いかもしれない」

「………」

「.........」

「どうして、そう思うの?」

「.........」

 

途端に、顔を曇らせたレイをミサトは静かに見つめる。

この子は今、ひとつの壁にぶつかっている。そう感じた。

 

「レイ……人に嫌われるのが、恐い?」

「......!」

「………」

「......わからない」

「……人に拒絶されるのが、恐い?」

「......わからない......でも、とても嫌な気持ち。胸が......痛い」

「そう……」

 

やはり、とミサトは思った。

彼女は、明らかに以前のレイとは違ってきている。

少し前までの彼女ならば、他人が自分のことをどう思おうと、まったく意に介さなかった…それ以前に、視界にすら入っていなかった。

 

今、自分を拒絶する存在、アスカが現れて、レイは明らかに戸惑っている。

彼女は初めて、人との触れあいを、恐れているのだ。

 

「ねえ、レイ…」

「......はい」

「人は、誰でも分かり合えるとは限らない」 

「.........」

「互いに拒絶したり、されたり…それは、とても悲しいことだと思う」

「.........」

 

ミサトは言いながら、その言葉が、自分自身にも跳ね返ってくるような気がした。 

 

「…だけどね。自分から避けていては、決して人は近寄ってきてくれない」

「.........」

「こちらが嫌っていれば、決して相手は自分を好きになってはくれない」

「.........」

「だから…できるだけ沢山、人を好きになれるといいわね。そうすれば、いつか思いは通じるかもしれない」

「......好きに」

「そうよ。…逃げてはダメ。そしたら、きっと後悔するわ」

「.........」

「勇気を出して」

「勇気......」

「……大丈夫。きっとアスカも、分かってくれる」

「.........」

「それに……シンちゃんがいるわ」

「碇君......?」

 

なぜ…という顔で見上げているレイを見て、ミサトはにっこりと微笑んだ。

レイを優しく抱きしめる。

 

「さ……今日はもう寝なさい。明日から、色々と大変だと思うから」

「.........はい」

 

レイは、やはり良く分からなかった。

だが、少しだけ、気持ちが軽くなったような気がする。

 

レイは、ミサトに抱かれたまま、いつしか眠りに落ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シンジは、ベッドに寝転がったまま、じっと考えていた。

 

 

 

このままじゃいけない。

 

そうは思うのだが、具体的にどうすれば良いのかまでは、思い浮かばなかった。

 

アスカとレイ。

2人の心を知るのは、14歳の少年には、難しすぎる命題だ。

だが、2人がいがみあっていて良いはずはなかった。

誤解があるならば、解かなくてはならない。

 

なんとかしなければ…。

 

廊下一つ、壁一つ隔てたところで眠っている2人の少女の顔を思い浮かべて、シンジはゆっくりと目を閉じた。

 


■次回予告 

 

 

完全に心がバラバラのアスカとレイ。

そんな中で、加持発案のユニゾン特訓は始まった。

しかし、心を閉ざしているアスカは、まったくレイに合わせようとはしない。

かみ合わない2人に、シンジは…。

 

 

 

次回、新世紀エヴァンゲリオンH Episode-12「Tri-Unison(三位一体)」。

 

 

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(updete 2000/07/23)