Research
恋愛ゲームゾーニングマップ
恋愛ゲームNextage 第9回
0.概要
恋愛ゲームの「多様化」は、ユーザの嗜好の分化が必然的にもたらした結果と言うべきだが、行き過ぎたゾーニング(住み分け)は、ただでさえ小さい市場を更に分断して細切れにし、自滅の道を辿りかねない。メーカには、ターゲットとするコア層を明確に意識しつつも、その周辺へと関心を呼び起こせるような懐の広い作品作りを期待したい。
2002/08/21初版
1.恋愛ゲームゾーニングマップ
誰しもが「ときめきメモリアル」や「同級生2」に遊んだ1995年から4年、恋愛ゲームは1999年の「Kanon」に始まるいわゆる「泣きゲー」の大潮流とその反動としての「萌えゲー」「エロゲー」といったように分化して行くことになった(注1)。そして最近では、シナリオに強烈な個性があったり、極めてフェティッシュであったりとむしろ「人を選ばない」作品を探す方が難しくなってしまった。
私は、恋愛ゲームとオーヴァラップする美少女ゲームにしばしば見られるように、こうであるべきだ、という(例えば、もっともよく見られるような「18禁なんだから」といった類の)「べき論」には与しない。「であるべきだ」と言っている時には、彼(女)がただその方向性のものが好きなだけである可能性が高いことに注意する必要がある。いや、私自身、時に煽情的な効果を狙ってこういった「べきだ」と言っていることがあるかと思うが、もちろん話半分で聞いていい。「売れれば勝ち」と言うと実も蓋もないが、あくまで決めるのは市場であって、(しばしば声の大きい)1ユーザの意見ではない。
その一方で、ある作品またはブランドが好きだという人に対して、すぐに「信者」呼ばわりする、好きなモノを好きと言えない風潮もどうかと思う。あらゆる作品に対して斜に構えればいいというものでもない。遊ぶ以上楽しんだもの勝ちなのだから、ひねくれた見方をしていたら損をするだけだ。ただ、いくら好きな作品やブランドであっても、否定的な意見に対して、盲目的に拒絶しないで、合理的に判断できるだけの冷静さは持ち合わせていていい。
話がそれた。恋愛ゲームも余暇の過ごし方の1つである以上、何らかの「快」を求めて遊ばれる訳だが、嗜好の分化に対するユーザの自覚と、それに呼応する形で恋愛ゲームの「多様化」が推し進められた結果、今、ユーザには、徐々に住み分けが顕在化しつつあるように思われる。これらの恋愛ゲームに求められている「多様化された」「快」の種類を分類すると、「抜き」「萌え」「和み」「鬱」「泣き」「癒し」そして「笑い」であると考えられる。これをx軸にdeep(濃密)-light(淡白)、y軸にsweet(甘い)-better(苦い)として配置すると、図1のようになる。
図1 恋愛ゲームゾーニングマップ
これを私は恋愛ゲームゾーニングマップと名付けた(注2)。「笑い」がないではないかと言われるだろうが、deep-light/sweet-bitterという軸に合致しないのと、「笑い」はあらゆる作品にとって潤滑油とでも言うべきなくてはならない(そして時に最も難しい)ものなので、ここには含めなかった。実際の購買行動(およびターゲッティング)を考える時には、これにz軸として年齢lolita(ロリ)-mature(成熟)を追加すればより精度が上がると思われるが、複雑になるのでここでは省略する。
最近の動向としては、1999年の「泣きゲー」ブーム後、食傷気味なユーザが「萌えゲー」へと反動化し、一部は「抜きゲー」へと原点回帰している。これが2000年以降。その一方でそれですら物足りないユーザが「鬱ゲー」に向かう。これが2001年に見られた傾向だ。更に最近では、そういった「重い」作品群に対して、もっと気楽に楽しめる、よりあっさりした方向性を目指した作品も目に付くようになってきている。これが「和み」「癒し」ゲーである。
そしてユーザは、あらゆるジャンルを楽しめるオールラウンダは別として、原則それぞれこのゾーニングマップのある範囲をカバーすることになる。例えば、筆者のポジショニングマップを示せば、図2のように、それなりに狭くもないが、露骨な鬱ゲー、抜きゲー、萌えゲーには弱い、ということになる。
さて、皆さんはどの辺りにポジショニングされているだろうか。
注1、「Kanon」は結果として「萌えゲー」でもあった訳だが。
注2、各ゾーンの広さは特にそういった作品および志向が多いことを意味していない。実際には、「実用性」を重視される場面が多いことから、分布は「かなり偏っている」と思われる。
図2 筆者のポジショニングマップ
2.「多様化」の光と陰
このように、意識的な住み分けとそれに対応してきたターゲッティングが生み出す「多様化された」恋愛ゲームの世界は、よりユーザニーズを的確に捉えるという点では、一見望ましいことのように思われるが、しかしユーザベースとなる母集団が到底大きいとは言えない恋愛ゲームでは、お互いに幸せになれるかというと疑問が残る。ぶっちゃけた話、絞り込みすぎたターゲッティングを行うと、採算ラインに乗らなくなってきてしまう。
メーカが氾濫する中で、製品の差別化、ということが口を酸っぱくして言われているためか、ブランドは他との違いを出そうと必死だ。そのもっともシンプルな戦略が対象属性を絞りこむことであるが、これは本当に「狭く深く」なスポット狙いになってしまうので、それなりに市場規模が見込める属性というと限られてくる。実際、せいぜい「妹」「ロリ」「メイド」「巫女」、と言ったところだろう。しかし今度はこの手の作品が乱発されてしまうと、更にその中で差別化をしていかなくなる。そして、氾濫→差別化→氾濫→差別化…という流れが行き着く先は、細かく分断された細切れの市場だ。当然、どこかで破綻する。
どうするか。「狭く深く」で出荷数を確保するのが難しいということになれば、その逆の「広く浅く」ということになる。もちろん「広く深い」のが理想だが、「狭く深く」から広げるよりは、「広く浅く」から掘り下げる方が、まだ可能性があるだろう。実際、昨年の恋ZEROベスト恋愛ゲーム投票の1位「君が望む永遠」は、「鬱ゲー」に属し人を選ぶと言われるが、人によっては、いやむしろ長期的には「萌えゲー」として受容されている(図3)。
図3 「君が望む永遠」のターゲッティングマップ(推定)
それぞれ1999年、2000年のベストに選ばれている「Kanon」だったか「AIR」だったかでも、「色んなレイヤで楽しめ得る」(「AIR」はその点はだいぶ弱いが)というようなことを言った記憶があるが、より大きな市場を狙っていくなら、こちらの方が有力な戦略ということだろう。すなわち、1つの作品の中で、楽しまれ方(読まれ方)の「多様化」を目指すのである。
恋愛ゲーム内でのユーザの住み分けがはっきりしていく中で、ともすれば、ユーザは自らのポジションに閉じこもり、カバーしない範囲の作品に対して拒絶的、あるいは無関心になる傾向にある。しかし、これはトータルとして市場の縮小化を招く危険がある。力のあるメーカには是非、ターゲットとするコア層を明確に意識しつつも、その周辺を取り込める関心を呼び起こせるような懐の広い、場合によっては、様々なユーザのポジショニングマップを開拓し大きく揺るがしてしまうような(注3)攻撃的な作品作りをすべきである(あっ)…いや、期待したい。
注3、例えば私の場合、"sweet"方向には「ヘドが出る」と言って受け付けなかったのだが、この半年に「月陽炎」「Wind」「白詰草話」で(作品の出来はともかく)だいぶ鍛えられたお陰でポジショニングマップが広がった。