Research | Character | Attribute

Research

Research

ONE 〜輝く季節へ〜 私論・試論・恣論?

then-d

0. まえがき

 いま、このページをご覧になっている方なら、『ONE 〜輝く季節へ〜』(以下、ONEと略)については少なからず驚愕し、感動を覚えたことだろうと思います。私もその多くの人間の一人です。しかし、感動といっても、言葉にすると本当に通り一遍になってしまいます。とはいえ絵も描けなければ、音楽は少し演奏できるだけで創作のできない私には、やはり言葉で表現するしかありません。

 言葉の限界については重々承知しているつもりです。でも、分かって貰うためには言葉を用いるしかない、それが私です。そのために、ONEを論ずるに当たってその文章面にしか言及できないことになりましたが、自分がONEと切り結ぶにあたっては、そこが最適な条件ではないかと思っている次第です。

………。
……。

つまりは僕は、自分の立場をわきまえてこの世界を選んだのだと。
それはこの世界を蔑んでいることになる。

というのは冗談ですが。

 では、最後までおつきあいくださればうれしく存じます。

1. 里村 茜

 彼女のシナリオにおいてもっとも心を揺り動かされる台詞は、やはり「あなたのこと、忘れます」の一言につきるであろう。この言葉から最も切実に感じ取れることは、彼女がコミュニケーションに対する深い絶望・諦念・断念感を有していることであろう。何年もの間、一人の人間を信じ続け、待っているという行動を実践してきた彼女だからこそ、その悲しみが凝縮され、我々の心を打つ。

 しかし、消えてしまった昔の友達を待ち続ける行為というものは、彼女が純粋に彼のことを待っていたからではないことは、彼女自身も認めているとおりである。この行為は、常に視線が過去の方向を向いており、茜自身は現在を見据えて毎日の生活を送っているわけではなく、失われた過去を常に見続けている。可能性が全くないにも関わらず、頑なに待つ姿勢を崩さない彼女に対して浩平が言い放った言葉は、「おまえは振られたんだ」という突き放した台詞である。それ以前から、弁当を一緒に食べようとする浩平のあからさまな誘いなどによってストレートな関係の構築を迫られてきた彼女は、その頑なな姿勢を崩し、過去の記憶にすがる態度から、浩平とともに生き生きとした現在の生を享受しようとする態度へと変化していく。

 だが、そんな浩平の中にも昔の友達同様に、自らの殻の中に閉じこもる兆しを感じ取り、過去と同様にまた自分が置き去りにされることを予感した茜は、自分の心を乱されまいとして、浩平に対して開いた心を自ら閉じようと試みる。この態度には、何らかの限界に突き当たって挫折した経験のある人ならば思い当たる節のあることと思うが、見えない壁を越えられない歯がゆさというのがここには存在する。相手のことを受け入れたいのに、相手は頑なな態度をとって壁を作り、自分を受け入れようとてくれしない。双方がそのような感情を有することで、親密だったはずの二人の関係がぎくしゃくしたものへと変わっていってしまう。

 それでも、過去の茜と大きく変わったのは、浩平が消えるシーンにおいて、過去の少年のことを浩平に話すことで、自分が隠してきた記憶を浩平と共有しようとする意志が働いたことである。背中合わせという表面上は頑なな態度をとりながらも、茜は自分の内面を浩平にさらけ出すことで、自閉の闇から抜け出し、浩平との関係性を構築しようとする新たな一歩を踏み出したといえるだろう。

2. 川名 みさき

 彼女が視力を失ったとき、その絶望のあまり死を考えたことがあるという件があるが、死こそは最も堅く閉じた孤独の世界であろう。そのような地獄を体験した彼女が、どのようにして高校生の今のような状況にまで回復させてきたかという詳細は語られないものの、相当の努力をもって自己を変革してきたことは、浩平の視点からも想起されている。

 それでもなお、みさきは自分が過ごす日常の限定された世界から抜け出せずにおり、その自分の所属する限定された世界と、それより外の世界とを自由に行き交う他者に対し、羨望の念を抱きつつも、自らはその枠を超えられずにいる。この世界は盲目のみさきがよく知っている「学校と家」という物理的な範囲として設定されているものの、その実は盲目という原因よりも精神的なもので、自ら壁をつくることによって構成されている。

 雨に降り込められて学校に居残っていた生徒達が、雨が止んで次々と帰宅していく様を屋上から眺めながら発した「みんな帰っちゃうんだよね」等の言葉は、自分の限定された世界を超えて無意識に行き来する人々に対して、誰も自分の限定された生の状況を理解してもらうことはできないし、また、共感も得られないという断念感の表出でもあった。この点からも、みさきが一人で歩くことのできる世界とは、物理的な側面よりも精神的な面が強いことを表している。

 この感覚を理解するためには、自分を取り巻く世界に対して断念感を心の奥に潜ませているという点で、共通点を持っていた浩平が適任であったのだろう。そのような浩平に対して、彼が分かるようにと必死の想いでみさきが書いたと思われる年賀状は、自分のことを理解してほしい、真に心を通じ合わせたいという希望を込めたものであった。

 このあたりから、みさきは自分の閉じた世界が浩平の存在によって少しずつ開かれていくのを感じる。その中でも、図書館に本を返しに行った浩平が、目の見えないみさきの恐怖を体験することで、二人の共感度がさらに高まる。浩平はみさきの閉じられた世界(の一部)を追体験することで彼女の絶望の一端を知り、みさきは浩平が体を張って自分の精一杯理解しようとする努力をしていることを感じ取る。

 精神的に壁を作って限定された世界に生きていたみさきと、「悲しみに向かって生きているのなら、この場所に留まっていたい。」と一度は世界の閉塞を願ったことに端を発する「終わっている世界」を心の奥底に有する2人の自閉世界が触れ合い、臨界点を迎えて、みさきはついに自らの壁を破って外の世界へと歩み出す。その一歩は、浩平にとっても自分の心の奥底で醸成された永遠の世界をうち破る力となっているのだろう。

 蛇足になるが、みさきにとっての世界の壁が茜とやや質を異にするのは、茜が裏切られたという想いから自らくびれる形で外界に対して拒絶の壁を作っていったのに対し、みさきは周囲の人々が障害者だということで腫れ物のように扱うことから得られた「向こう側(相手方)からの拒絶」という側面があることに注目する必要があるだろう。

 浩平とみさきが初めて出会った場面で、目が見えないことにとまどう浩平に対して「普通で……いいと思うよ。」と悲しそうにみさきが言う場面がある。この場面では、目が見えないことでかえって距離を置いたつきあいを強いられ、他者と真に理解しあうことができないという感覚を抱くようになったなどの過去の状況を想起せずにはいられない。

3. 椎名 繭

 繭は他のヒロインと比べるといかにも年少で、幼い感じを色濃く残した少女である。精神的にはまだ子供であるという感じは一般に首肯できるものであると思う。そのような子供の時代においては、自分の行動する世界はまだ狭い範囲に限定されている。もともと乳児期には世界はほぼ家庭のみであるところからスタートし、次第に近所の子供達、幼稚園・保育園、学校といった形で行動範囲が広がってゆく。

 繭の場合には、発達段階としてはすでに学校(の学区)内程度の範囲での活動がなされていなければならないところではあるが、どうやらそこまでには至っていない様子である。その原因は繭の家庭事情にある。もちろん繭の継母は繭のことを親身に考え、よき母親であろうという努力は見られる。しかし、もともと繭には家庭という狭い世界しか存在しなかったところに、継母という「異世界の住人」と言える存在が急に入り込んできた。そのため、繭の側が頑なに拒否をしているらしく、浩平達に出会う以前はフェレットのみゅーのみが唯一の心を開ける他者として、精神的支えとして機能していた。

 このみゅーと繭の関係は、自分を全的に信頼し、受け入れてくれる存在であるという点で、乳幼児期の母親と近似してはいないだろうか。そのような存在の消滅によって、繭はいきなり他者との関係を自ら切り開いていかねばならない状況に放り出される。みゅーの葬儀に偶然立ち会い、そこで自分を受け入れてくれた浩平らに繭は全的な信頼を置き、常に一緒にいたいという幼児的な欲求から、浩平らの学校に侵入することとなる。

 そのような繭に対し、浩平は昔の自分のようだという印象を持つ。みさおの死により泣いたまま一生を暮らすという自閉世界に生きる決心を一度はした浩平であるから、繭がみゅーを失った悲しみ、自己の存在の無意味さ・空しさを共有できたためであろう。そのような匂いを繭も感じ取り、浩平に対して最もよくなつくようになったのではなかろうか。それに対し、浩平も繭を受け入れようとする。それが繭との疑似恋人関係に繋がっていく。

 このつくられた恋人関係を通じて、繭は自分を一方的に受け入れて貰うだけではなく、相手を受け入れることを学んでゆく。それが端的に現れたのが、迷子の犬の飼い主である男の子に対する接し方に現れてくる。ここでは、自分が浩平より与えられた、他者を受け入れる態度を第三者にも与えることで、双方向のコミュニケーションを成立させることができるようになったと言える。繭の世界はここで大きく広がり、自らアプローチして関係性を作り上げていくことができるようになった、ということで浩平が「成長した」という印象を抱くのである。

 浩平の言う「大人への道」とは、この「自らアプローチして関係性を作り上げていくこと」ができるようになるということに言い換えられるであろう。実際、繭は浩平が消えた後、継母に心を開き、学校でも友達を作ることができている。 このように、繭については、他者から受容されることを通して、双方向の関係性が構築される様を描いている。

4. 七瀬 留美

 転校以前の七瀬が打ち込んできた剣道というものは、彼女が自分を支えるためのもの、いわゆるアイデンティティであったのはもちろんである。しかし、それ以上に大きかったのは、七瀬自身の性格・言動をもこの剣道が形成したらしいことがほのめかされている。もちろんそれは、女らしくないとか、騒がしいというたぐいのものではなく、浩平が茶化す種にもなった「精神を磨く」などの強さにつながるものである。

 しかし、剣道という道が閉ざされた今、剣道のために・剣道によって形成されたと言ってもいいその性格は、本人にとってあまり喜ばしいものではなかった。そのため、七瀬は先輩の助言に従って「乙女になる」という新たな目標を立て、これまでの自分とは異なった新しい自己を作り上げていこうという決心で、日々の生活に望んでいる。

 この点は、一面では自分を偽り、周囲に現在の自己とは異なるイメージを植え付けようとしているともとられかねない。しかし、「本当の自分」とは何なのか、ということを考えてみると、一言で言い表される、一枚岩のような人間の内面というものははたして存在するのだろうか、はなはだ疑問である。大人しく、静かな性格の人も何かのきっかけで激しさを表すことがあったり、人前でいつも明るく振る舞っている人であっても、独りになったときには孤独感や疎外感にさいなまれることもあるだろう。七瀬の場合はそこで、なりたい自分になることを自らのアイデンティティとして設定したということになる。それは、今までの自分が獲得し得ていないと感じる「女性らしさ」の希求ということに現れる。

 この点を評して浩平は「女性としてはまだ子供」と言っているが、それは、理想を信じ、それに向かって前向きに進むという点で挫折を知らないことを「子供」と言いたかったのだろう。それは決して悪い意味ではない。ただ、浩平自身は各ヒロイン共通の回想シーンで述べられるように「悲しみに向かって生きているのなら、ここに留まっていたい。」という言葉に代表されるような挫折感を早い時期に抱いてしまっている。この点で、浩平は七瀬に対して、自分が失ってしまった少年期の純粋さを見いだし、七瀬と共に生きることで自分の底に沈殿している挫折感をはねのけ、前向きに生きていく力を得たに違いない。

 また、七瀬は自分の「乙女になる」というアイデンティティの形成には、浩平をはじめとする周囲の人々が協力したからこそ少しずつその理想に近づくことができたという側面が存在する。この点について、挫折感が底に漂う浩平も、他人との協力であるとか、他人のためにする行為は「気持ちいい」と言っている。つまり、自己の内面でさえも他者との関係の中で形成されていく。決して人はスタンドアロンでは存在し得ないということを、浩平・七瀬ともに意識していたこともうかがえる。その中で、浩平・七瀬ともに二人が理解し合うために歩み寄っていこうとするのが、七瀬では浩平を朝起こす場面に現れ、浩平では七瀬の王子様となろうとするところに現れているのだろう。

5. 上月 澪

 スケッチブックを通して、また演劇を通して、澪は常に他者との関係の中で、自らが積極的に関係を構築していこうとする努力をしている。そのような澪のひたむきな態度に感化されるようにして、浩平は演劇部に入り、ともに一つの演劇を成功させようという目標を他者(部員)と共有し、関係を深めていく。
 そのような中で、逆に他者から忘れられていく現実を突きつけられる浩平。演劇という他者と共有する目標を一度は持った浩平だが、「忘れられる」ということで他者との関係を絶たれることによって、自らの心に中に湧きあがってきて明確となった挫折感や諦念と真っ向から対しなければならなくなる。

 そのときに思い出したのは常に浩平に全幅の信頼を寄せ、どんなときも浩平に付き従ったり、演劇の練習で浩平の助言を十二分に聞き入れてひたむきな努力を重ねて前向きに生きる澪の姿であった。それを思い出しながら、浩平は自分が澪を世話しているつもりでいながら、実は自分が澪から100%受け入れられることが、どれだけ自分の支えになっていたかを思い知る。

 しかし、浩平の回想シーンにおいて、浩平の存在を完全に受け入れようとする澪の純粋な心・前向きさは、実は幼い浩平がスケッチブックを澪に貸し、それで自己紹介をすればいいということがきっかけであったということが明かされる。このシーンでは、澪は表情も感情もあまり表に出さない。ここから察するに、幼少時の澪は、口がきけないということから、他人から遠目で見られ、人との関わりが薄いこと、他者から避けられているといった疎外感を有していたことが想像できる。この点は、回想シーンでの浩平の母親の態度にも少し現れているが、前述の川名みさきと共通する点があるだろう。

 それから10年近くの間、澪は浩平から教えて貰った、スケッチブックで他者に関わるという態度を一貫して取り続けている。それを浩平はスケッチブックを返して貰う約束を守れなかったことで澪を束縛していたと考えるが、澪自身は自分の心を開く方法を教えてくれた浩平に対して感謝の念のみを有していた。

 一貫して他者に対して積極的にひたむきに関わることを行ってきた澪だからこそ、浩平が永遠の世界に旅立つ瞬間に、笑顔で送り出すことができたのであり、その想いが浩平に通じていると確信していたからこそ、浩平が戻ってくることを強く信じることができたのである。

 過去の回想と併せて見る限り、浩平は昔自分が澪に対して行ったことをほぼそのまま澪から返されていると言える。しかし、人間関係とはそのように、ともに影響を与え合っていくことだということも、澪との関係では強調されていると言えるだろう。

6. ここまでのまとめ

 ここまで5人のヒロインについてそのシナリオでの特徴を見てきたわけだが、それぞれに傾向を有していることが見いだされる。それをここでは簡単に分類してみる。

 まず第1には、断念感・挫折感を有したヒロインに対して、浩平の側が積極的に働きかけていくタイプである。これが明確に表現されているのは茜であるが、みさきも自らの生を学校と家に限定している点、学校を卒業してしまうと自分には何もなくなってしまうという点から、表向きは明るくとも限定された生を生きている点ではこに分類できる。

 ここの特徴は、世界に対して諦念を有し、生きる世界を自ら限定してしまい、そこから出ることを恐れていることにある。浩平はそのような態度をとるヒロインに対し、その世界から脱出するきっかけを与えるが、実は浩平自身も過去の記憶から、ヒロインらと同様の断念感・挫折感・世界に対する諦念が存在することに気づく。そして、同じ想いを共有する2人がその想いを重ね合わせ……という流れが存在する。

 第2には、浩平対して積極的に関わり、底に沈殿している挫折感を払拭しようというきっかけとなる存在のヒロインである。この典型的な例は澪である。元々澪の行動は浩平に教えられたものであったが、どんな状況であっても自らを理解して貰おうとするひたむきさに浩平が感化されていく流れである。

 一応七瀬もここに含まれると考える。七瀬に対してちょっかいを出すのは常に浩平であったが、七瀬自身が強く有していた「乙女になる」という目標に巻き込まれ、引きずられるように浩平が他者との関係を深めていく点で、こちらに分類できるであろう。

 第3には、繭である。繭自身はみゅーとの関係のように、第1の分類のように確固とした閉じた世界を形成していた側面と、常に浩平に付き従い、浩平を受け入れようとする側面との両者が混在している。繭自身は丁度第1分類の世界から第2分類の世界への移行期にあったといえる。ただ、繭自身が他のヒロインより年齢が低く、自らの世界がそれほど確固として築かれていないということもあり、変化の過程であるとするのが妥当であると考えた。

 これまでに述べられていない長森瑞佳については、上記のいずれにも該当せず、もっと錯綜した複雑な側面があると考え、後に言及する。

7. 氷上 シュン

 シュンに出会い、ラストにたどり着く条件として設定されているのは、大まかに言えば「他の誰とも親しくならないようにすること」である。ゲームのプレイスタイルとしては、意図的にさけて通るという形になるのだが、実際の生活に置き換えてみれば、これは誰とも深く関わらないということになる。これは、浩平が誰とも深く関わらないというスタイルを透徹したときに、自分と浩平のスタイルについて、浩平の有する永遠の世界の内容について、勿体を付けて説明(ネタばらし)をするのがシュンというキャラクターである。

 しかし、その相似点はこの二人にとどまらない。これは1〜6までの論の通り、それぞれのヒロインにも多かれ少なかれ見いだされるものであるが、シュンシナリオにおいては、それが『誰にだって訪れる世界』という言葉によって明示的に述べられる。その言葉を二重括弧を用いて強調することで、ゲーム中の登場人物やプレイヤーにその「永遠の世界」的な絶望感・孤独感が共通するということを暗示しているとしても言い過ぎではないように私には思われる。

 茜・みさきならば前述の通り、繭はみゅーを失ったとき、七瀬なら自己のアイデンティティであった剣道を続けられなくなったとき、澪ならば口がきけないことで誰からも相手にして貰えなかったとき、これらの状況で、彼女たちは一度は絶望感・孤独感を味わっている。それらの状況で、一歩違えば、彼女たちもまた浩平やシュンのような世界を醸成させたかもしれない。厳密に言うならば、『誰にだって訪れる世界』は「誰にだって訪れうる世界」であったのかもしれない。

 一言でまとめるならば、シュンシナリオはONEに通底する共通テーマの暗示(あくまで暗示に留めるものとして)といえるだろう。

8. 長森 瑞佳/みさお/永遠の世界

 (タイトルに3つの事柄を並べて示したが、これらを別に論ずることは私の技量では不可能であったため、同時に並行して進める。ご容赦願いたい)

 浩平の、彼女に対する幼時の記憶の一部は、亡き妹のみさおの記憶と融合して、永遠の世界と何らかの関わりを有することが、瑞佳に対しおもちゃを持っていないとフロに入れなかったという浩平に対し瑞佳がそれを否定するシーンによって、序盤より暗示されている。さらに決定的なのは、他の女性のシナリオにおいてはリボンをした少女の姿の絵が出る場面で「キミは。」と出る台詞が、瑞佳シナリオで進めていったときに限って「みずかは。」に変化する点である。

 ただ、ここで注意しなければならないのは、「みずか」が幼少時の長森瑞佳とは完全に一致しないという点である。先の風呂の例にあるように、浩平の記憶では、幼時の瑞佳と妹であるみさおの記憶が混合してしまっている。これは一体何を表すのだろうか。

 それは、いずれも浩平の幼少時において必要不可欠な存在であり、非常に近似した形で浩平に大きな影響を与えたため、と考えるのが自然であろう。この仮定の下に検討を進めてみる。

 まず、みさおについて。みさおが生きているときの浩平は、それが子供のわがままを含みながらも、みさおの良き兄を通り越して良き父であろうとまでする。そのようなある種の傲慢さやわがままな行為に対して、みさおはあまりに素直・愚直に受け入れてくれた。また、早くに父を亡くし、母は宗教に入り浸ってしまうという家庭環境にあって、みさおの存在は浩平にとってほとんど唯一の家庭とも、幼少時の狭い世界では唯一の存在意義と言える状況にまで陥っていたと言えるのではないだろうか。これは、みさおの死後、「空っぽの存在」となったという文面からも同様の結論を導くことができる。

 浩平、みさおともにまだ幼かったが、幼かったことと、家族が崩壊寸前であったという条件から、兄と妹がそれぞれお互いをより強く求め合うことも影響し、互いを受容しあい、認め合うことのできる理想的な関係が形成されていた。

 その二人の関係があまりに理想的であったため、浩平が「悲しみに向かって生きているのなら、この場所に留まっていたい。ずっとみさおと一緒にいた場所にいたい。」という感情を抱き、それに束縛されていたことは想像に難くない。

 しかし、その状況に回帰することだけが浩平の願望であったのなら、前述の少女のヴィジュアルはみさおの姿でなければならないはずだが、そうはなっていない。

 次に、瑞佳について。「永遠はあるよ」の言葉は、当時の瑞佳の心情としては、浩平を慰めるために発せられた言葉であったかもしれない。しかし、浩平にとってはそれ以上の意味を持つこととなる。

 みさおの死は浩平にとって最愛の存在の死というだけにとどまらず、「空っぽの存在。亡骸だった。」という自己分析に相当するように、自分自身の存在の無意味さにも同時に気づかされるものであった。そんな無意味なはずの自分に対して、常に働きかけ、優しい言葉で包み、「えいえんはあるよ」の言葉で浩平の存在を完全に受容してくれたのが幼少時の瑞佳であった。

 彼女がいなければ、現在の自分はあり得ないという酷く重い認識を浩平は奥底に抱えている。そのため、先述のヴィジュアルは幼時の瑞佳の姿をかたどって現れる。ただし、みさおも幼時の瑞佳も、浩平の存在を間歇なく、まさに100%受容してくれた、という点では共通しているため、二人に関する記憶が浩平の中で融合して、先のヴィジュアルの存在が理想像として形成された、と見るのが妥当であろう。

 さて、幼時の瑞佳に対して上記のような認識を抱えているとすると、浩平は過去に奇跡を与えてくれた幼時の瑞佳と、現在いつもそばに居てくれる典型的な幼なじみ的存在の瑞佳との間では、別人であるかのような乖離現象が浩平の中で生まれていることになる。

 それが、同一の存在であり、唯一のかけがえない存在であると浩平が気づくのが、瑞佳を汚そうとした行為においてである。

 このとき浩平は、瑞佳から逃げながらも「浩平でないと、ダメなんだよ」という言葉を期待している。それに対して瑞佳は、全く浩平の期待通りに「わたしは……浩平でないとダメなんだ」という言葉を返す。そこで浩平は、いつも自分の側にいて、自分のことを最もよく理解してくれていて、心底から心を通じ合わせているのは、近すぎて忘れていたが、この瑞佳であったということに気づかされる。

 この言葉と、「えいえんはあるよ」という言葉には、いずれも一言で浩平の願望を言い当てた「マジック・ワード」という点では共通している。しかし、その言葉が発せられた後が大きく違ってきている。

 「わたしは……浩平でないとダメなんだ」という言葉に対しては、その言葉を発してくれた存在としての瑞佳と、その後に浩平の眼前にいる瑞佳の存在との間に齟齬はなく、同一性が取られている。なぜこのようなことを突然述べるかというと、その後の場面などで強調される日常という言葉にポイントがある。

すべては陽光を受け、きらきらと輝き出す。まばゆく。
出会って、色んな人と出会って。
ひとつひとつが小さな幸せだ。
それを集めて。たくさん集めて。
(中略)
かけがえない。
どの瞬間も。
時を経て、大きくなって…

この部分には、毎日の生活の中で様々な体験を通して人が少しずつ変わっていく、ということが含まれている。それでも、向き合ったふたりの心という根本が変わらないように、という点は、

それでも変わらないふたりでいられたらいい。
そのときになって初めて、それが嬉しく思える。
移りゆく時の中で、変わらないものが。
時間が経って、言えることはひとつだ…。
「同じ時間を過ごせて良かったよ」
過ぎてゆくものだから、それは素敵なこと。かけがえないもの。

という部分に凝縮されている。表面的には揺れ動きながらも、真に向き合う心の根は不変という人間の複雑で一見矛盾すると思われるようなことがある面も、総体として受け止める、という意識がここには働いている。

 「えいえんはあるよ」という言葉については、ふさぎ込む浩平に対し、瑞佳が一方的にアプローチし続けるという形の中から生まれたものである。瑞佳の一途な想いが浩平の心を開いた、とも言えるが、浩平にとっては相手に何も問わず語らずとも自分の心をぴたりと言い当ててくれたため、浩平自身の幼さのせいもあって、浩平から瑞佳に対しての方向における関係の取り方が、前者の例の時とは大きく異なり、二つの方向へと分離してしまっている。

 一つ目は、日常の瑞佳に対してである。これは当たり前であるが、目の前にいて移りゆく時間の中を生きる、毎日をともに過ごす瑞佳である。浩平や周りの人・環境によって揺れ動きながら、それでも生き生きとした姿を見せる彼女である。これは永遠の世界が浩平の中に現前としてくるまでは、当たり前で変化のないものとしてしか見ることができないでいるものである。

 もう一つは、理想の姿をとどめ、決して揺れ動くことのない確固とした姿の瑞佳である。これが先に述べたヴィジュアルとして固着される瑞佳の姿である。これには、時の流れや現実に束縛されず、自由なイメージを付着されることができる代わりに、成長もない。つまりはきっかけだけが外から与えられ、他は浩平の願望によって捏造されたもの、理想像としての「みずか」であった。その彼女が存在するための世界として成立したのが「永遠の世界」である。

 永遠の世界の描写において、常に浩平の伴侶として付き従うのは、彼女自身が浩平の願望によって想像された浩平自身の最良の理解者であったためである。その世界にいる存在が「こちら側の世界」に影響を与えられないのは永遠の世界が時間・空間から切り取られた浩平の願望のみの世界、つまりは頭の中だけで構成された世界であったことによる。

 また、「永遠の世界」は「すでに終わっている」とみずかの口から評されるのは、浩平自身の願望・理想によって確定しており、これ以上変化の余地がない袋小路にあるからである。

 このように、永遠の世界とは、人間存在の複雑さや混沌、変化の余地というものを全く否定した、狭量な世界観をもとに作られた自閉世界である。そこに住むことができるのはそれを生み出した創造主のみで、それ以外の人は複雑さや混沌、変化の余地を有するが故に入り込むことができないものとなっている。

 そのような幼時の純粋さからくる潔癖さによって生み出してしまった世界観を破壊し、いま、ここにある現実と、そこに生きる人間との対峙を経て、自らを囲う殻を破り、新たな生を歩みだそうとするのが、ONEの持つ強力なメッセージ性なのではないだろうか。


このページの内容はいかがでしたか?
大変良い 良い まあまあ 改善の余地あり 不充分・不完全である

コメント(感想、意見、反論、今後扱って欲しいテーマ、etc./記入は必須ではありません):