Research
純愛時代の恋愛ゲーマーたち
―(2)それぞれの純愛。それぞれの恋愛。(前編)
恋愛ゲーム学補講 第28講
0.概要
2001/06/01〜2001/11/30に当サイトで実施した「恋愛ゲームに関するアンケートExtra2」を集計した。前編では回答の分布とその他の回答について紹介する。
2002/09/17初版
1.それぞれの「純愛」
2001/06/01〜2001/11/30に当サイトで実施した「恋愛ゲームに関するアンケートExtra2」には多数のご協力を頂き感謝したい。集計結果をもとに、「純愛とは何か」について考えて行こう。今回、自由回答欄のボリュームがかなり大きく膨れ上がっており、読みきれなく(読む気力がなく)なってしまう恐れがあるため、前編として、簡単に集計結果だけを載せ、多くの自由回答については次回にまわさせて頂く。
なお、有効回答数が1400を超えていることからしても、回答者の属性については、当サイトのコンテンツの性質上、恋愛ゲームユーザだけでなく、恋愛能力指数テスト経由で訪問された、非ユーザが大半を占めていることは念頭に置いておきたい。
さてアンケートの最初は「問1.あなたは「純愛」をどのようなものと考えていますか?」である。とはいえ、「純愛」にしろ「恋愛」にしろそもそも「考える」ものではなく「どうしようもなく感じてしまう」ものというべきだからずいぶんと野暮な質問ではある。ここでは、回答として類型的な「純愛」のイメージを、関係性の5要素「精神性」「身体性」「社会性」「双方向性」「単指向性」(関係性の5要素については(1)はじめにを参照)のどこに力点を置くか、という観点にから6つ準備した。「2.対象への想いの形で、決して実ることのない想い」には、「悲恋」的なニュアンスも込めている。
「その他」では以下のような回答を頂いた。
- 辞書的定義では、「純愛」=「一身を犠牲にすることもいとわない、ひたむきな愛情。(世なれしていない男女について言う)」(by三省堂の国語辞典)その意味では、1.が正解かもしれない。ただし、18禁ゲームの世界では「恋愛の一形態。ただし、相手との同意を得た関係に限定」という意味で使われている模様。
- 純愛って別名「幻想」だと思う今日この頃。いや、昔からそうだと思ってるけど。
- 何かしら個人の中での劇的な変化をもたらす、一種の神秘体験のようなものの中で、相互理解を欲する性質、かつ補完を欲する性質を持つもので、社会規範が恋愛と是認しうる形態のものが恋愛。(社会が認めない形態のものは、非道徳的とされ、個人の中ではともかく普遍的な意味での恋愛は適用されない筈)
恋愛を観測し、観察し、自分を含めて総体的に理解した上で、自分がその中に在ることを認め、在り続けることを選択した場合(この場合、神秘体験は既に失われていると思われるので、過去の自分を含めた体験を肯定すること、これからもそう在り続けると自分に規定すること)が純愛ではないかと。もっとも、愛が意志である以上、その形態は個人の基準に左右されます。
愛とは自分で取り決めた、自分と相手への契約を遵守するという意志(それを、本人が意識のうちに行うのか、無意識にでも行い得るかは決定しきれませんが) 対し、恋はそれ以前の体験的なもの。意志と体験という時点で、似て非なるものと思っていますので、恋は意志で“選べる”ものではない。愛は選ぶものですが、私は恋を体験した事がないので選びようがありません。
純愛には意志が不可欠。なれば、現代人には不可能では無いとしても至難なものでしょう。
ただ、個人が「これが純愛だ」と宣言するなら、私が今回こう記述しているように、それが本人にとっての真実であり、それは否定すべきではないのかもしれません。その場合、言葉とは共通認識の上に成立する契約ですから、純愛という言葉は現代社会では既に意味を無くしているという事になるのでしょうが。 - 純愛…、純粋なる愛…。よく意味がわからないですね。純粋だからこそ"愛"というのではないでしょうか。純粋でなければ愛とはいわないと思います。それと僕はこの"純愛"という言葉はあまり好きじゃありませんね。
- そのまま純粋な愛。いかなる状況でも相手を純粋に愛すること。ある意味、感情のない、コミュニケーションのない愛だと思います。それは仮想の人物を愛することによく似ていると思われます。でも現実では純粋さは往々にして狂気にしかならないですね。ストーカーも純愛の一つだと思います。「純愛」に興味はあるけど現実では「恋愛」がいいです。
- 純愛は見返りを求めないよって駆け引きは生じない。恋愛は駆け引きを必要とする。
- 純愛ってのは幻想にとらわれすぎた考え方じゃないかな?? 幻想っていっても過言じゃないと思う。世間に純愛してますか? あるいは純愛した事ありますか? って、聞いてみて何パーセントの人がYesって答えると思います? ほんの極わずかの人が答えるか誰もYesとは答えないかもしれません。だから、俺は「純愛」は幻想にとらわれすぎた実現しない「恋愛」だと思う。あと、恋愛ってのはごく一般にあるものじゃないかな? まず、誰でも手に入れることのできるものだと思う。なんか、恋愛指数テストから迷い込んだのに長々と書いて申し訳ないっす。
- 純愛というのは子供の夢で、めでたしめでたしで完結してしまうもの。恋愛は関係を構築しそれを維持し続けるもの。もし関係が壊れてしまったときはその後始末も含む。純愛ゲームがもてはやされるのは、虚構(フィクション)の中ぐらいは世間の世知辛さから目をそらしたいからだと思う。(拙い意見ですみません)
- 対象者同士の精神的関係で、お互いの社会的立場や心情を常に配慮し補い合いながら行動できる信頼関係…ってのが今の自分なりの純愛の定義ですね〜。
- 純愛…って、ただ一言『好き』って言えるだけのもの。だと思います。あげることもできるし、もらうこともできるし。でも今の現実的には不可能です。
- 恋愛: 肉体的or精神的に非常に依存度が低く双方的な感覚よりもどちらかと言うと一方的
純愛: 精神的(肉体的は有無)に比較的に依存度が高く感覚的に双方向、ただし本人の自覚が非常に低い、感覚的には安らぐ、気分がいい(ただし双方or片方の行動自体(行動原理又は理念)で非常に揺れる状態)
この辺が境界線では? 尽くす尽くされると言う感覚に左右されお互いに均等でないと感じるところが純愛(偏愛)ではないだろうか?
恋愛とは人間関係の変異的存在(精神的肉体的バランスが変わる)ではないかな。 - 純愛と恋愛はうつろうものか、そうでないものかに分かれると思います。
純愛とはある種の自己陶酔愛も含めたものであり、その場合よほどの事がない限り気持ちが揺れ動く事はありません。もし、簡単に揺れ動くものならそれは自分自身の心自体の崩壊を招きかねませんので。それに対して恋愛は極端な話、いつでも起こりえる物で常に己の心の中で変動して行く物だと思います。これだけ世の中に不倫や浮気が横行しているのもその現れだと思います。
自己陶酔愛の場合は変な話、相手に思いを言葉で伝えなくても、己の心の中でだけ思っていればそれで満足出来る事もありますが、恋愛の場合ある程度経ったときにどうしても己の思いを相手に言葉で伝えなければ気が済まなくなる瞬間がかならずやってくるはずです。 - 1と6のどちらのこともあると思う。どっちにせよ、「純愛」とはあるひとつの「モノ」に凝固された愛情のカタチだろうし、それはその対象となる「モノ」への想いでもあるし、その対象のお互いだけが存在する関係でもあると思う。なんとなく「純愛」という響きには「たった一つ」の存在/対象というような意味を感じる。その点、「恋愛」にはさまざまな対象やカタチがあるような気がする。
- 相手へのいたわりや思いやりを持って接するのが純愛で、卑怯なことをしても手に入れたいと思うのが恋愛だと思う。
- 純粋な愛なんて親子愛・兄弟愛くらいしか思いつかないけど、強いてあげるなら「当事者以外の人間関係があるのが恋愛。当事者以外の人間関係がないもしくは極端に少ないのが純愛。」かな?
- 純愛: 例えどのような(例えば人から見たら異常な)関係であっても最終的に相手自身や相手の環境に対してより良い結果をもたらすことが出来る(と信じている)恋愛の形。
恋愛と純愛: 恋愛とは義務が生じるかわりにそのことにより快感が得られる関係。純愛とは義務を義務と感じず、恋愛以上の快感を得られる。
純愛に書いている"快感"とは即物的な快感ではなく"不快と思えることを回避できた"快感や、自己満足も含みます。 - 4に「見かえりを求めない」を加えたもの。献身愛とは「肉体的関係の有無とは無関係」という点で異なる(重なる場合はある)。
- 純愛: 恋愛を美化もしくは想いとかいうヤツを美化したもの。
恋愛: 広義の意味で理解される。
つまり本質的に大きな違いは無いと思う。日本語に良くあるパターン。 - 「純愛」……一身を犠牲にすることもいとわない、ひたむきな愛情、また、世なれていない男女について言う。国語辞典より。
純愛は、一方的な愛。片想い。実る後一歩のトコロで砕け散ってゆく……そんな感じ。切なさや、ひたむき、そっちの方が多くて、お互いのアイを感じ取れないままに終わっていく……。そんな感じか。
恋愛って言うのは、……好きな人と一緒にいて、喧嘩したり、笑ったり、泣いたり………そうやって何も知らなかった者達が、互いの愛情を感じ合い(掴み取り?)、お互いの愛情(気持ちといった方が良いのかも知れません)を成長(?)させて(行くということ。お互い好きという気持がないのに、付き合うとろくでもないことが起きると思います)いって、「貴方といることが一番幸せ」とお互いが気付く……そしたら結婚に行くのだろうけれど……。
純愛は片想い、
恋愛は二人の想い、
……そんな感じかな。 - 「純愛」って、宗教観に定義されている事が多いように思うんですけど…唯一無二。100%ピュア。有機物では、考えられない事だと思うんです。無い物強請りのような気がします。別に、否定はしないですし素晴らしい事だとは思うのですが、実感が湧かないのです。少し、不純の方が痛かったり、痒かったりで僕は、良いなあ。僕は「純愛」を飾っておきます。決して食べられない、美味しそうな絵に書いた「餅」として。
- 「純愛」は対象者に対しての無償の愛,見返りを望まない純粋な汚れのない想い…かな? 恋愛は二人で築いていき、進展していくものだと思いますが、純愛はお互いを思いやりますが、その先は恋愛になっていくのではと思います。
- 幻想。ヘテロコンプレックス達が三次元世界のしがらみに耐え切れず生み出した、都合の良い、「究極の恋愛像」である。幻想であるがゆえに、中毒性は高い。純愛至上主義を盲信する彼らにとってそれは、1〜6のような答えとして認識される。しかし、純愛を盲信するがゆえに、幻想だと気が付かない者はまだ救いがあるだろう。真に救いようが無いのは、それが幻想であると気付きながらも、惰性で抜け出せない者達であろう。
- 見返りを求めないのが愛であるように、すべての状況を含め相手を愛おしいと思う気持ち。母親が赤ちゃんに持つような感情と似ていると思う。
- 純愛: 初めて、人を愛する。
恋愛: 一回目以降の人を愛する。
言い方が違うだけで、二つともほぼ同じ意、だと私は思います。 - 「純愛」は相手に対して見返りを求めない思い。対して「恋愛」はもっと広い意味の言葉で"恋"と"愛"の総称。つまり、人間の男女の関係全般をあらわしている。これが、私の中での二つの言葉のニュアンスです。
- どちらも「これが恋愛/純愛」というものはなく、その時々の社会の価値観でぼんやりと規定されるものだと思う。その意味ではどちらもそれほど違いはない。
ただ語の持つ印象を言えば、「恋愛」は善でも悪でもなくニュートラルな語感を持つのに対し、「純愛」は何か「善たれ」ということを押しつけられている偽善的イメージがある。性愛を忌避しようとする現代社会の屈折した価値観の現れかも…。
もちろんあくまでもその語が使われる場面から得られる印象であって、本質的にはどちらも相対的で正体のないものだと思う。 - 純愛は綺麗だが脆く、淋しい感じがする。ひたすらに相手を想う以外にない。私にとって純愛は、対象への想いの形で、精神的な支えだと思える。ただ対象を見ていること、それだけで幸せなのだ。相手に生生しさを求めていないのかもしれない。どうにかしたいと思った途端に、それは恋愛に変わるのだろう。
- 純愛って、そのまんまだけど純粋な愛のことでしょ? 掛け値なしというか、無条件の想いというか…。相手のすべてを受け入れられると、呑みこめるとか…そんな絶対的なのもだと思う。恋愛って、そこまでじゃないというか、単に好きとか嫌いとかって感じで…。う〜ん? なんか出来そこないの国語辞典みたいになっちゃった。ごめんね。
- 愛は相手からの見返りを求めないものであり、純粋に相手の成長を願うものである。
恋は一部分でも相手からの見返りを求めている。
世間一般の恋愛はすべて見返りのための関係であり、それは本質的にエゴイスティックなものである。それゆえ、破綻が必ず訪れる。
純愛に破綻はない。たとえ相手に裏切られようと苦しめられようと、自分自身が愛することを選び続ける限り純愛であるからだ。
もちろん、見返りを求めない純愛は、振り返ってもらうまで相手にまとわりつくストーカーにはなりえない。 - 異性に対し漠然とした憧れを抱き、肉体的な関係などは頭になく、相手にそれを告げることもしない。言い換えるなら、秘めた恋。これは比較的オープンな『恋愛』とは違い、他人からは判別しにくい。
- 純愛と恋愛の違いについて>不特定多数の異性(同性愛者なら同姓)と付き合うような不真面目なものは純愛にはならないと思います。あくまでも私個人の意見ですが。
- 純愛と言うのは、いわゆる「独善」と言うものと似ているのではないでしょうか。「独善も過ぎれば下衆にも劣る」と言う言葉があるように、相手を愛するがあまり、判断力の欠如が起こったりするかも。でも、下衆にならないから「純愛」で、下衆になるから「偏愛」なのかもしれませんね。だったら、「浮気の純愛」は下衆じゃないんでしょうか? いや、そもそも「下衆」の定義って何だ?
- 対象に自分の行為の見返りを要求しないのが、純愛。ギブアンドテイクが恋愛。
- 純愛には恋の文字が無いことから、求めることの無い愛といえよう。愛とは、いとおしい、いと=とても 惜しい=大切 な心持のことである。恋とは、請い や 乞い と書けばその意味が知れようが、欲する心持である。なれば純愛とはただにいとおしい心持のありようを示し、そして恋愛とはいとをしきそれを求める思いを示す。
つまり、純愛はよりおおもとの心持であり、恋愛はいかなる心持からか発した思いであるから同じなにがしかの分類に属すでもなく、両立しうるものであると考える。 - 相手に見返りを求めない。
- 愛に純も不純もない。純や不純と区別されるような物は愛ではない。愛は愛であり、純も恋もない。
- 純愛とか恋愛とか、言葉に縛られる必要は無し。変な定義で枠を限定してもつまらんだけですね〜。好きかどうでもいいか、それ以上のごたくはいらんです。
- 恐らく全てが正解で、全てが、不正解だと思う。理由は…分からない。ただ単にそう思っているだけかもしれない。この現実という世界に純愛という言葉は存在しない…と自分は思う。
- 肉体関係だけが目的の愛。
- 自分は、純愛とは「優しさ」だと思っています。決して、「恋」とか「愛」とかではなく純粋に何かを愛せる。優しさ、という言い方はわかりにくいと思うので、もっと詳しく書くと、「誰か或いは何かに対する無償の精神的な感情」だと思います。すみません。自分で書いていて混乱しているんです。難しくて。「汝の隣人を汝の如く愛せよ」というのが、私の考えに一番近いと思います。なので、純愛とは私の中では美少女ゲームで使われているものとはまったく別物です。純愛、という単語が美少女ゲームにおいて使われていた場合、私は単なる「普通に恋愛をしていくゲーム」と解釈します。普通に、と書いたのは、18禁のゲームでは普通では無いと思われる。或いは常識から外れていると思われる「恋愛」のゲームもあるからです。
- (前提として商品につけるタイトルとして)たいした違いは無いが、購買層の各個人のイメージに訴えるために起用していると愚慮します。純愛は、性的要素が薄いもしくは、無い。恋愛は、純愛に比べ多い。 と区別します。
- 純愛がpureを謳っている以上、純愛の存在を肯定する立場からは恋愛は不純だ、ということになるのだろう。では、恋愛に含まれて純愛に含まれない不純物とはなんなのだろう。純愛主義者の主張する不純物とは、「愛情以外のすべて」である。そこにはもちろん、財産や社会的地位の考慮といった、その排除が比較的ポジティブにとらえられるであろう要素から、法や道徳といった、その排除を伴う愛情が危険視されるものも含まれるだろう。端的に言えば、一方通行の純愛は独断の危険を孕み、双方向の純愛は心中の危険を含有する。それが一種の幻想めいた魅力をもっていることは否定できないが、「ロリや近親相姦はネタだけにしとけ」という主張をもってこの文を締めくくりたい。
- 純愛、自己満足で相手のことを考えていないように思えます。思い込み(理想)を相手におしつけている感じがします。一歩間違えたらストーカーになりそう。
純愛って書くとキレイに見えるかもしれませんが、なんだかカタチに囚われているようでイヤですね。息苦しいというか、重たいというか、恋の楽しさっていうのが伝わらない。
やっぱり恋は楽しいですよ。恋愛したことのない奴が純愛とかいって勘違いしてるんでは? と思いますが、どうでしょ? - 恋愛は2人の起こした行動の結果に要因するものだとおもうが、純愛は個人の精神的なもので、形にはならず、感じずあくまでも自分の世界の解釈であり、互いに解からなくてもよくて行動に出さなくても、つきあってなくても、心にある相手を想う気持ちだけでなりたっているもの。私はこのように解釈しているが、ほんとのところは地球と宇宙のように違いは無いと思う。
- 純愛とは、「純粋なる愛」の略であると私は考え、恋愛とは明確に区別され得るべきものであると思う。
恋愛とは、異性に対する、いわゆる普通の恋愛感情(例えば、相手が格好いいから好き、であるとか、好みが似ているから好き、といった感情)から生み出されるものであり、要するに自分の好みのステレオタイプであるから、感情が動く、といったもののことであり、対象個人に関しては全く関係ないものである。(あくまで私見であるが)
対して、純愛とは、対象が対象であるから、感情が動く、といった自分の嗜好、或いは相手の感情といったものに全く関与しない、純粋な愛情だと思う。(例えば、相手が犯罪者であろうとも愛することが出来る、といった場合)これに該当するものは、私には「家族愛」しか思い浮かばない。要するに、通常の人間関係では生まれない、互いに深く知り合い、強い絆(有り体な言葉ですが)で結ばれたもの同士にのみ存在する、愛情の形であろうと私は考える。ここにおいて、互いの関係が如何様なものであるか(例えば肉体的なものか、精神的なものかなど)といったことは、まるで意味をなさない。(これは家族愛を至上のものとする、私の考えるところであり、一般の人間とは異なるものであろう、ということを明言しておく) - 純愛なるものが理解できません。
- 「純愛」……損得勘定もなく、何の見返りも求めず、相手の事を自分よりも優先的に思いやること。「自分はこんなに相手の事を愛しているのに……」と思った時点で純愛ではなくなる。
「恋愛」……自分が相手よりも優先される場合が多いように思う。「自分の方が愛している」と思う反面、「自分よりも相手の方が愛情が多くないと不安」という矛盾がある。自分の気持ちを相手に押し付けがち。 - 恋愛は好き合っている男女(それ以外もアリ)の状態であって純愛というのはただの美化、もしくは幻想に過ぎない。恋愛の綺麗な部分の上澄みだけをありがたがっている表現。こういう表現を使いたがるのは恋愛をしていないか、妙な思い込みを恋愛に抱いている人間だと思う。
「『純』愛」なんていう愛は存在しないということがわかっていないから平気で使える表現だと思う。 - 「純愛」と「恋愛」の決定的に違うのは「純愛」が第三者によって認識されるところにある。つまり、その「恋愛」が当人達ではなく、他人からみて相思相愛、男女のバランス及びステータス、男女共にやましいところがない場合「純愛」と賞される。たまに自分たちの関係を自ら「純愛」と称する人間がいるが、これは正しい活用ではない。
- 純愛だの、恋愛だの、文字は文字、言葉は言葉。形や表現に差はあれど、「想い」はみな同じ。
- 見返りを求めない。
- 恋は一方的な想いで、愛は双方向だと思いますが、純愛だと、相手に肉体関係を求めないピュアなお付き合い、プラトニックラブを指すような気がします。これは、必ずしも付き合っていなくて、片思いであっても言えるのではないかと思います。例えば、付き合ってなくてもあの人とやりたいとか言ったり思ったりするじゃないですか。そういう気持ちを持たずに、ただ純粋に一緒にいたいとか、付き合いたいと思う気持ちなのではないかと…。
- 「純愛」という言葉は従来の恋愛ゲームで扱われてきた
・女性キャラの「属性」
・女性キャラとのエスカレートしたセックスのしかた
といった、プレイヤー向けに用意されたと感じられる要素をなるべく排除して、「『純』粋に恋『愛』だけを楽しむ」ゲームという意味で用いられているのではないでしょうか。『純愛ゲーム』は『純愛でないゲーム』があって初めてなり立つものだと思います。
「純愛」について: 第3者がそう思うのは別に良いですけど当事者が「純愛」と思ってるのは偽善というか自分に酔ってるだけだと思います。恋愛対象より「純愛」してる自分が好きなのでは。まあイメージ先行って奴で。人格のある相手に対峙するわけですから誠実さは欲しいと思っておりますが。これも偽善? - 純愛とは、すなわちそれが「愛」であると疑わず、その「愛」を信じ、貫く事。精神的なものだけでは無く、肉体的なものだけでも無い。むしろ存在そのもの同士が感じあい、共感しあう。いわば、「愛」の究極形であり、所詮理想の存在。
- 純愛とは真実の愛だと思う。それに対して恋愛は、恋人と愛し合うことだったり、恋に恋しているという二つのパターンだと思う。だけど、どちらにしても異性の事を好きになる事には変わりはない。
- 純愛、それはやはり恋愛とは1つ違った世界に面しているモノだと思う。けどその境はなんなのか? 2つとも人を思う気持ちに変わりはない…個人的には純愛の方が一途な感じを強く受けるが、果たして本当にそうなのだろうか? 純粋に愛しく思うコト…それが純愛…ならば恋愛は?恋しくも愛しくも思うコト?? (…すいません、頭の中がグチャグチャに…)
- 難しいですね。個人的には、ありきたりですけど純度の違いでしょうか。恋愛は、好きって気持ち以外にも駆け引きだのお互いの立場だの価値観だのと、様々な要素を盛り込んだ上で成り立っているもので、故に安定してるって感じですかね。それに対して純愛は、もう妥協も見通しも全部うっちゃって、それ一筋! 故に最大風速は恋愛の比ではないが不安定でひどく脆いって感じですか。う〜ん、適当(笑)。
- 基本的に恋情も愛情も、一方通行だと思いませんか? こちらの思いが届けば、あるいはその思いに対する解答が帰ってくるとは思いますが、基本的なところは一方通行のはずです。純愛とは、そのまま純粋なる愛ととってよろしいのではないでしょうか? たとえば、愛といっても色々な形があるでしょう。金をともなうとか、名誉や地位が絡むとか、愛を得る、または愛を与えることに対して、大抵は付属された感情も伴います。たとえば、周りに対しての自分のステイタスとして誰かを愛する人もいますし、自分を愛するために誰かを愛する人もいます。そういう色々と付属されたものを全て取り除き、ただ、愛を注ぐこと、それが純愛というものの定義では、いけませんかねぇ? この場合、純愛は与えるものではなく、また、与えて貰うものでもなく、自ら注ぐものだと個人的には解釈をします。そして、私はいま純愛をしていますがねぇ…。
- どれか一つの答に絞りこめるものでもないように思います。私の感覚では、回答[1][3][6]辺りの三つが微妙に重なり合ったもののように感じています。(場合によって、その成分比は相対的に変わってくるでしょうけれど…。)しいて、どれか一つの要素を挙げるとするなら、[3]になるんですが、それだけでも何かが足りなくなるような気がして…という所でしょうか。
その他の回答ですでに余りにも多様な捉え方をされていることが分かる(例えば、ストーキングは「純愛」か? など)。サイト構成や設問の持って行き方がそうなっているためか、「虚構性」に着目された方が少なからず見られるが、これは「(非)社会性」で6、また「見返りを求めない」は「(非)双方向性」で1と2に入るところだが、ニュアンスが伝え切れていないのは回答作成側の問題である。
全体の割合としては「単指向性」に力点を置いた「1.対象への想いの形で、脇見をしないひとすじの想い」が最も多い30%を占めた。これは一番辞書的な説明に近い回答と言える。ついで「精神性」に力点を置いた「4.2人の関係性の形で、肉体的関係の有無とは無関係の精神的関係」が24%で続く。これと、「5.2人の関係性の形で、肉体的・精神的両方の関係」は、「恋愛」の定義をかなり意識した回答であり、意図としてはどちらかというと「恋愛」のイメージで設けているが、実際にはかなりの人が「純愛」として選んでいることから、「恋愛」と「純愛」をはっきりとは区別していない傾向が伺われる。
2.「純愛」vs.「恋愛」
実際、問1.その他の回答にもあるように、好きかどうか、一緒にいて楽しいか、あるいは1つになりたいか、が大事であって、言葉の定義はどうでもいい、というのはあるだろう。その意味では、「問2.「純愛」と「恋愛」、あなたはどちらを選びますか?」もどうしようもない問いだが、意図としては「純愛」にどの程度ネガティヴなイメージが持たれているかを調べたかったということがある。
というのも、以前「『純愛ゲーム』には違和感を覚える」という言い方をしているかと思うが、もしかしたらすでにお分かりのように、生理的嫌悪感を抱いているというのが本心にはあって、その原因として「純愛」の捉え方が「一般的」ではないのだろうか、という疑問があったからだ。
さて、問2の集計結果はどうだっただろうか。
「その他」では下記のような回答を頂いた。
- 「純愛」ってしたくてするようなものではないと思います。「気がついたらこの人のことが…」というヤツで、何十年も前の少女漫画のような。何もかも「純愛」が中心で世の中回ってるような。そういう意味では「純愛」は現実に存在せず。虚構の中にしかないものと考えています。
- 決定的な違いが本当にあるのかがわからないので、「選べ」といわれても難しいものがあります。「言葉」のイメージが違うだけだと思います。(その違いは大きいものですが)
- 何にせよどっちもしたくてするもんでもないと思うし。
- 今現在まで、そしてこれからもあまり縁の無い遠い事象のように、自分にとってどういうものなのかわからない。"愛"というものが自分にとってよくわからないものになっている。簡潔に言うと、そのあたりの感覚が麻痺しているような感じだと思ってもらってください。
- 「純愛」と「恋愛」の定義が分からない。
- 恋愛はエネルギーの消費量が多大で、若い内ならその脳内物質に翻弄されるのもまた一つの経験だと思いますが、ある程度の年齢を迎えたら、やはり恋愛ではなく、ゆっくりじっくりと味わう愛を選択したいですね。
恋愛の情動に突き動かされる異性から得られる快感というのは、確かにありますが、それが一過性のものである可能性が高い、という事実も、既に知っておりますので。
また、純愛という定義が今一つ自分の中で明確になりません。
特定の異性に対して、その人が存在しているという事が、己の世界を彩る唯一の光彩であり、その人が世界から消えてしまえば生きた屍のようになるだろう…なぁんて、本気で思い言う人が実際に居ますが、でもそれはどこからどうみても「恋愛」な脳内物質と「愛」なエンドルフィンがうまく融合した状態に、盲目的な(思い込みの)執着が混ざったものに思えます。
宗教家がそれぞれの神という概念に世界を見い出すのに、ちょっとだけ似てますかね? 神の存在を意識する事によって、熱狂的な信者が安息感を得るというのと非常に良く似ている気がします。
そういうのって、ちょっとは純愛に似ている心理状態だと思いますが、でもやはり異なるものだと思うのです。
純愛というテーマを扱って、リアリティを持たせる事に成功している作品は、文学等でもお目にかかった事がありません。
これは当然ながら私だけが純愛を意識出来なかった、という事ですので、誤解なさらないで下さい。
純愛っぽい感覚の表現に成功しているのは、マンガやアニメーションやゲーム画像等の、抽象化したイメージを抽象的なまま素直に発信できるメディアにおいてだけなのでは無いでしょうか。リアルの欠如なくしては、純愛というテーマは顕著化しないのではないか? そんな感じがします。
人が抱ける純愛というのは、ひょっとすると、同じ人に対してではなく、この世界に存在する人以外の命への思いなのではないか?
そんな気もします。
命は等しく重いものですが、人はその命を踏みしだき、食し、時には虐待しながら、人間世界を作っています。その世界の有り様を食物連鎖や環境問題や様々な事柄を等しく飲み込み、上も下も無い状態で、己の生きる世界の全てへ愛を抱く瞬間。それもまた、手前勝手な思い込みの妄想なのでしょうが、同じ妄想でも、その瞬間の愛という感情は、もっとも純愛に近いものがあるような気がします。
交わる事の出来ない、けれど人という生き物を生かす異種への愛。
という事で、今回の質問内容には、私の考える純愛は存在しませんでした。
だから「その他」を選択させて頂きました。 - 「純愛」を超越したものが「恋愛」である。選択の意味はない。
- さほど区別は無し。時間の問題。
- どちらも余り好きでは無い 何事においても自分が一番大切。これはエゴではなく自分という存在が在る故の必然と考えるつまり他人に対する感情については所詮二の次であって自分の全てが許容出来る範囲内で空白の部分に収まる程度で充分。
- 純愛・恋愛どうでもいいんではないでしょうか? 愛とはトキメキ。萌えとかロリとか18禁とかそんなんじゃないと思う。ゲームだし、自分が本当に求めている愛なんて見れないかもしれない。最近のゲームはなにかと一つにかたよりがちです。そんなカタからはずれたゲーム。つくってみたいです。
- したいというよりは、自然にそうなってしまった、という感じで、お互いに押しつけない、でもこの人のほかにない、という感じが双方にあるのが純愛(似ていてもいろいろと考える段階が恋愛)。深い精神性のつながりなしでは深く肉体も結ばれることはないと思う。また、肉体的な深さから精神性も深まっていくこともあると思う。なので、絶対両方。
- 人を好きになると言う事がどう言う事か今一つ良く分からないので…正直今までどうしようもなく人を好きになったことなどありません。
- 興味無い訳では無いのだろうが…自分には出来そうに無い。理由は…自分が精神的な部分で既に'朽ち果てている'からだろう。
- 愛という言葉が生殖行為の言い換えとして扱われる以上、18禁もので言われる「純愛」は意味が全く逆さなのではないだろうか。そこまで極端でなくても、「恋」「純愛」は恋愛対象に傾ける保護欲、ということだと思います。だから最近の中高生を生理的に嫌うんだろうな>自分。
- 恋愛という中に純愛が含まれると思う。 恋愛という中に純愛が含まれると思う。
- どちらとも言えない、自分でそれと決め付けたところで、その状況になったとき、変わると思う。
- 純愛って言えば聞こえが良いが、結局は、心の病の形の一つだと思うけど。奇麗事は本やゲームと言った妄想の世界に任せる。現実では・・・言わぬが花か。(笑)
- 私が考える恋愛と純愛の違い。
簡単にいってしまえば「恋愛」というものの中に「純愛」という種類があるということだと思います。
恋愛と一言でいってもいろんな意味や受け取り方があります。
それを少しでも意味を絞った言葉が純愛なのではないでしょうか。
ですので、比べるものの立場が違うのでアンケートに答えることができませんでした。
私は
純愛≒センチメンタルな感情
と考えております。 - なんか、そんな事どうだっていい。
- 純愛・恋愛ではなく、愛されてみたいし、愛してみたい。どちらもまだ経験していないので、どうとは言えないが、僕にとって「愛」とは誰かに必要とされる事であり、それに答える事であると思う。それが重荷と感じられてしまえばそれまで、と言うかそう感じられてはいけないとも思うが、どちらにしろ僕はまだ誰にも必要とされていないし、「愛」されてもいないと思う。
- どちらを選ぶということもないんですが、興味がないというわけではもちろんありません。先ほど述べたとおり、純愛にはそういう考えをもってます。また、恋愛というものは、たんなる愛情や恋情を総ずる総称なので、基本的には純愛もまた恋愛の一つになります。つまり、恋愛を選ぶってことは純愛も範囲なわけで、純愛を選ぶってことはまた恋愛を選んだってことになりませんか?
結果としては、「意外なことに」必ずしも「純愛」に対してネガティヴな印象を持つ人ばかりでないどころか、ポジティヴに(あるいはあくまで「理想」として)捉えている人が「恋愛」に迫る勢いを見せている。
3.どんな人が「純愛」を選んだか
では、どんな「純愛」観を持っている人が、「純愛」をポジティヴに捉えているか。問1と問2をクロス集計してみる。
「純愛」を選んだ割合が多いのは、「4.2人の関係性の形で、肉体的関係の有無とは無関係の精神的関係」「1.対象への想いの形で、脇見をしないひとすじの想い」「5.2人の関係性の形で、肉体的・精神的両方の関係」といったところで、何ということはない、「恋愛」に比較的近い感覚を持たれている方には、ポジティヴなイメージを抱いている例が多いことが分かる。なるほど、「恋愛」にしても基本は1対1だから浮気をしないに越したことはないし、精神的一体感を持てているに越したことはない。
ただ、問2は「どちらを選ぶか」であって、現実的にどうか、ということについては留保する必要がある。次回、「その他」以外を選ばれた方の自由回答を含め、突っ込んでみたい。