掲載: 2009.01.09


2008年12月、師走も半ばを過ぎた碓氷峠の様子・その1です。
前回掲載より2年近く経っていますので、今回は画像を多く掲載してみました。全6ページになります。管理人同様に現地に行く時間がなかなかとれない人のご参考になれば幸いです。
保存車両等の詳しい説明は省略していますので、公式サイトならびに当サイトの文化むら案内ページ等も適宜ご参照ください。
なお、文中コメントは当サイト管理人の個人的なものです。碓氷峠鉄道文化むら等関係部所には関係ありませんし、当サイト関係者一致の公式見解でもありません。全ての文責は管理人一人にのみあります。

撮影日:2008.12.20
(特記画像除く)

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松井田町から見た妙義山系。


凛とした晴天で、浅間山も綺麗に見えていました。(浅間山に高圧線がかからないアングルを探して撮影しようとも思ったのですが、時間の都合で断念)

異論もあるでしょうけれども、個人的には冬から初春にかけての時期がこの地域を訪問するには一番良いと思います。ハイキングが目的ならば5月GWか紅葉時期がベストですが。
登山客以外にとっては車でないとアクセスしにくいですが妙義山妙義神社も素晴らしい場所です。

横川駅旧4番線付近、碓氷峠鉄道文化むら駐車場。


横川駅。
旧5番線のレールが撤去され、画面奥の架線柱あたりまでが駐車場になっていました。


同じく。
上画像の奥、駐車場の端から高崎方面を見る。一面に繁茂していた雑草が枯れ残されたレールを覆っています。そのためわかりにくいのですが、画像奥から先のレールは撤去され、JR本線とは完全に分断されてしまったそうです。


同じく。
上画像撮影位置から軽井沢(碓氷峠鉄道文化むら)方向を見る。この先、旧4番線だけはまだ残されています。


同じく。
上画像から軽井沢方向に戻った、以前の駐車場境界付近。この先からは旧5番線も残されたままです。


同じく。
上画像からさらに軽井沢方向へ戻る。


同じく。
上画像から先へ進む。旧4番線と5番線のポイント。駐車場オープン時にあった線路カバーは、その後の展示車両移動の際に全て撤去され、そのままです。
場所によってはレールと舗装との間の窪みが大きく、二輪車や歩行者にとっては要注意です。

このページ画像の上から2番目の場所で、2006年1月中旬、残念な光景が展開されました。
当時、横川駅旧4番線に留置されていた189系「あさま」編成7両(もとの9両編成のうち2両は碓氷峠鉄道文化むら屋外展示スペースで保存)、同じく旧6番線に留置されていた12系客車「くつろぎ」編成4両(もとの6両編成のうち2両は碓氷峠鉄道文化むら屋外展示スペースの休憩所として使用)が解体撤去されてしまったのです。長年の屋外留置により車体の傷みが激しくなっていたこと(特に189系編成)、横川駅構内整理の支障となること、碓氷峠鉄道文化むら内の留置スペースが限られていること等からやむを得ない処置だったとは思います。しかし、せっかく横川駅に回送されてきたものであり、もう少し積極的な活用(列車レストラン・ホテルのような全国で惨状を呈した方法には疑問を感じますが)ができなかったものかと今も残念に感じています。

下の画像6枚は、2006年1月14日と15日に当サイト管理人が撮影した解体作業光景の一部です。鉄道ファンにとっては些かショッキングな光景が記録されています。当サイトの判断で解体作業画像の公開は差し控えてきましたが、2年が経過したこともあり、記録の意味で今回掲載することにしました。
※本件について、碓氷峠鉄道文化むら等の関係部所へのお問合せ(メールや電話)は業務の妨げになりますのでご遠慮ください。また、当サイトへお問合せいただいても回答しませんのでご理解ください。


以下、コメント抜きで画像のみ掲載します。


同上。


同上。


同上。


同上。


同上。

気をとり直して本線に復帰します。横川駅正面周辺。


横川駅舎。
この光景は廃線時とあまり変わりません。


横川駅正面の側溝蓋として長年使われているラックレール。これも昔のままです。


横川駅の改札口。
自動改札化されて結構たちました。
改札口から見える光景が、EF63群の音とオーラに満ちていた往年を思い出させます。


横川駅前、EF63-3の動輪。
おぎのやが所有し屋外展示しているもの。赤錆が目立ち、廃線からの時の流れを感じさせます。
おぎのやドライブイン店改装の際、綺麗にして同店内で屋内展示する方法もあったのかなと。観光客で賑わう同店内でなら、碓氷線のモニュメントとして注目を集めたかも知れません。


おぎのや本店。
この光景も昔とあまり変わらず。
冬の閑散期にも関わらず、店内で釜飯を食べている人が結構いました。

ちなみに国道沿いのドライブイン店の方は、2006年夏頃から2007年7月にかけて内部が大改装され、かっての昭和の雰囲気が完全になくなってしまいました。少し残念。


横川駅前広場入り口から見た横川の町並み。旧中山道、坂本(軽井沢)方向。
リフォームされ現代風になった家が増えましたが、往年の宿場町の風情を感じることはできます。


旧中山道、松井田(高崎)方向。
右側に松一食堂さんが見えます。昔から、関所食堂さん玉屋さんと並びお世話になっています。いずれも廃線後12年目になる今も健在、安くて美味しいと思います。
大昔、さすがに釜飯ばかりだと飽きたなと思って駅前に彷徨い出て見つけた時の嬉しさを今も思い出します。玉屋さんに頻繁に寄るようになったのは車の免許をとってからのことですが。横川から歩いて行くには少々辛い故。


横川駅前の佐藤商店さん。通称「わさび屋」。無添加のわさび漬を売っています。地味ですが良心的、横川土産にお薦めだと思います。玉屋さんの力餅(おぎのやの力餅と混同しないよう注意。玉屋さんでしか買えません)と一緒に如何でしょうか。

※当サイトは上記各店と全く関係ありません。管理人の一利用客としての個人的推薦です。
長年、碓氷に通い慣れた身からすれば上記だけでも十分だったりするんですが(旅先では駅弁とホームの立ち食い以外にはあまり興味ないのもあり)、一般観光客向けを考えれば「食」の要素で工夫の余地があると思います。一般観光客がそれを食べるのを目的に来るようなものの開発です。釜飯は現在の水準でも駅弁としては一級品です。しかし、釜飯目当てに訪れる一般観光客はあまりいないでしょう(全国のデパート等での駅弁フェアで定番になっているのもあり)。碓氷簗も良いですが鮎の季節限定であり、料理としては保守的です(それが良いのですが、遠隔地から来る一般観光客には魅力が薄いでしょう)。
和洋問わず、地元産品を使い、首都圏等の一般観光客がそれを食べることを目的にやってくるようなもの。横川駅前の旅館・東京屋さん(廃線後にリニューアルし、雰囲気が大きく変わりました)に2000年に宿泊した際、そういうものも志向しているように感じました。安中市が後援して地元全体で観光客向けの新しい「食」(今流行のB級グルメとか)を作っていっても良いのではないかと思います。魚以外については良い食材に恵まれている土地柄、世界遺産登録運動支援の意味も含め、隣の富岡市と協調運転する方法もあるかも知れません。

碓氷峠鉄道文化むら。


正面の広場から鉄道展示館方向。
冬期の閑散期、「シェルパくん」冬期運休期間中ということもあってか園内は静かです。
それでも、入園客は数十人はいて(50人前後か)、のんびりと園内を散策していました。

同じく、鉄道資料館。
幼児用の乗り物遊具が以前よりもさらに増えたようです。
もっとも、私が訪問した時は子供よりも中高年のハイカーらしき姿が目立っていました。「アプトの道」や妙義山系ハイキングのついでに入園した人達かも知れません。
ひょっとして客層が変わってきているでしょうか?高齢化の影響だとすれば、幼児向けよりも大人向けの要素をより追及するほうが良いかも知れません。


刻苦70年記念碑。
(詳しくは当サイトの「文化むら案内」ページをご覧ください)
由緒ある記念碑ですが、汚れが目立ってきています。


トロッコ列車「シェルパくん」。
12月から2月までは冬期運休中です。
専用機関車DB201(元碓氷線専用の保線用モーターカーTMA500A形)は、オーバホールのため不在です。


「シェルパくん」ホームと、運転体験線のEF63-11。
「シェルパくん」客車の軽井沢寄にDB202(元TMC200C形)が連結されています。


運転体験線のEF63。
当番は11号機です。横川駅旧4番線にいた時は長年の屋外留置に加え、あの窃盗事件や悪戯被害もあって痛々しい姿でした。しかし、関係者の努力で12号機とともに動態整備され、綺麗な姿で運転体験に充当されています。

※動態保存され運転体験に充当されているのはEF63形の11号、12号、24号、25号の4両です。車体の損耗を防ぐため、交代で運用されています。


鉄道展示館前のラックレール。


鉄道展示館横のクハ189-506。


クハ189-506の車内。


クハ189-506。


ヨ3961。
以前は相当痛んでいましたが、外見が修復され塗装しなおされました。


ヨ3961の内部。
休憩スポットとして改装されています。
ダルマストーブがポツンと残されていて、僅かに往時を偲べます。


同じくヨ3961の内部。
出入口の脇に車掌弁(非常ブレーキ弁)が残されています。

鉄道展示館内の様子。


鉄道展示館のEF63-10。


EF63形運転シミュレータ(画像左のオレンジ色のブース)。


同上。
EF63-18の運転台が改造され、車体丸ごとシミュレータになっているのはご存知の通りです。


運転体験している時間がない(予約も当然していない)ので、シミュレータで我慢。ギャラリーがいなかったので平常心を保てました。なんとかクリア。


EF63-18。


EF63-10。
塗装の痛みが出ており、下地ごと剥落している箇所があります。
(この問題は園内の保存車両共通です。)


EF63-10は車体片側のエアフィルタが全て撤去され、機械室の内部を外側から見学できるようになっています。
もっとも説明が無いので一般観光客にはわかりにくいでしょう。


EF63-10の2エンド側連結面。
ジャンパケーブルは外れないよう針金で固定されています。結構な重量があるので、子供などが悪戯して万が一外れると危険なためです。


EF62-54。
EF62形は保存機が少ないので、貴重です。


同上。


同上。


同上。一見、昔とあまり変わらないようですが(引退した後、屋外留置されていた時のままの状態で碓氷峠鉄道文化むらにやってきたのもあり)、良く見ると塗装の痛みがあります。

運転台は常時公開されていますが、子供とかは結構乱暴に扱うので、見ていて肝を潰します。そう簡単に壊れるようなヤワなものではありませんが、展示開始して10年近く経つとさすがに計器板周辺の塗装が一部剥げてきています。この点については車内公開されている他車両も同様です。
貴重な保存車両ですから、丁寧に扱うよう(できればみだりに触らないよう)、親御さんには子供に指導して欲しいです。

また、碓氷峠鉄道文化むらには車内の保存方法について、他施設の例も参考にして、さらに研究して欲しいものです。


189系運転シミュレータ。


本物の運転台装置を使用しています。
時間がなかったので、これはパス。


鉄道展示館内の様子。
パンタグラフやリフティングジャッキ等。
しかし説明がなく、雑然とした感じのままなので、展示方法の改善が望まれます。


ED42-1。


同上。
展示開始後まもなく一部の集電靴が破損してしまい針金で固定してあるのですが、残念ながら完全には修復されていません。
破損した原因は客が上に乗ってしまったためと推測されますが、周辺に柵もなく注意書きもないため、乗るなという方に無理があるのかも知れません。鉄道車両について知識がない人からすれば、ステップにしか見えないでしょうから。

また、ED42は補修ピットの上で展示されているのですが、ピット周りに防護柵等がなく転落事故の惧れがあります。これまでのところ幸いにして事故はないようですが。(他にもピット上で展示されている車両はありますが、開口部が小さい)

ピット上展示のメリットとしてED42特有のピニオンを見学しやすいということがあります。しかし指摘されないと気がつかない客も少なくないようで、ガラスを使って見やすくする等の工夫があっても良いと思います。

ED42で現存するのは2両だけであり、準鉄道記念物に相応しい完璧な状態での展示を望みます。それとともに、悪戯防止、危険防止の対策が必要だと思います。


ED42-1の台車。


同上。
現時点でED42-1の外見は園内保存車両の中で一番良い方なのですが、それでも錆が少し出ています。


同上。


同上。


モーターカーTMC200B形。
ED42-1を鉄道展示館前で屋外展示(イベント時限定)する際、このモーターカーで推進します。


鉄道展示館内。
この部分の建屋はアプト時代に建てられたもの。園内に残る建築物のうち一番古いはずです。残念ながら建築物に関する説明はありませんが。


回転変流機。
我が国最古の現役機として2007年11月15日まで熊本市交通局大江変電所で稼動していたもので、1922(大正11)年アメリカ・GE(General Electoric製。大阪市が購入し、1953(昭和28)年に熊本市に譲渡されたようです。使用開始年月日ならびに譲渡時の改造整備を請け負ったと思われる会社名の表記があります。貴重な鉄道遺産であり近代産業遺産としても超一級品です。


回転変流機は、アプト時代(電化時代)に旧丸山ならびに矢ケ崎変電所で使用されていたものと同タイプのものです(碓氷線電化時のものはドイツ製。アプト廃止時に解体)。その縁で、2007年11月21日に安中市に無償譲渡されました。
この回転変流機は修復完了した旧丸山変電所内で展示する構想があるようですが現地への搬入方法が未解決で、現時点では鉄道展示館奥に仮展示されたままになっています。


同上。
手作りの説明書が貼られています。(ただし説明内容には不十分なところがあります)
本格展示の際には動作原理などもわかりやすく解説して欲しいものです。

※変流機は変流器や整流器、回転はロータリー(式)とも呼ばれますが、碓氷峠鉄道文化むらの説明書に従い、回転変流機と表記しています。


鉄道展示館の裏側。
鉄道展示館建屋は廃線まで検修庫として使われていましたが、画像の部分はアプト時代後期に建設されたものです。
鉄道展示館入り口表側の建屋(EF63やEF62が展示されている場所)は、粘着新線全面開通後に建設されたものです。


同上。

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